第11章:第17話
その青年は絵本作家を目指しているのだという。自分の作品を出版してほしいと売り込みに行ったところ、断られたそうだ。
セイラは公園のベンチでその青年が描いた絵本を読みあさっていた。鮮やかな色使いの絵が24ページの本に詰まっている。セイラはその1ページを大切にめくっていた。
「また駄目だった……」
作者の青年はセイラの隣でうなだれている。
「スカーレスタの出版社に行くのがそもそも間違いなのではないか? 確かに東の大都市ではあるが、ここは軍人の街だ。絵本を読むような子供は少ないだろう」
セイラの言葉に、青年は水をかけられたような顔をする。それを見て、セイラは「まずい」という顔をした。
「あ。いや、その……だ、だいじょうぶ、お兄さんの絵本なら、きっと、ダイヒットスルよ……」
何を思ったのか、セイラは洗濯挟みで頬を締め付けたようなぎこちない笑顔を貼り付けた。多分、イオの話し方を真似たつもりなのだろう。
「いや、無理しなくていいよ……というか、なんで急にわざわざ作り笑顔なんて……」
「それは……どうも外見相応の人格を演じることができないと、『可愛いげがない』らしいからな……」
どうやら、先程の陰口を少し気にしていたらしい。
「それより、他の本も出してくれ。他にも持っているのだろう?」
セイラは読み終わった絵本を差し出した。青年は不思議そうにそれを受け取り、鞄の中の作品を全て出した。
「……もしかして、気に入ってくれたの?」
「気に入らなければ、そもそもお前など相手にしていない」
セイラはさらりとそう言い、青年は唖然とした。
差し出された絵本の中の数札を手に取り、セイラは呟いた。
「……このタイトルの絵本は見たことがある」
手に取った絵本は、「青い鳥」「人魚姫」「オズの魔法使い」「雪の女王」の四冊だった。
「ああ、それの原作は有名だからね。僕も原作の童話がすごく好きでさ、絵本にしてみたんだ」
セイラは言葉を覚えたばかりの赤ん坊のように尋ねた。
「……? よくわからない。この童話は既に別の誰かが絵を付けて絵本として出版しているだろう。なぜお前も同じことをする必要がある?」
青年は「うっ」と喉に魚の骨でも引っ掛かったような顔をした。しかし、それからゆっくりと考えた末に、こう答えてくれた。
「うーん……好きだからとしか言いようがないんだけど、それじゃあ答えとしては不十分だよな。そうだな……原作を読んだ時の、自分なりの印象とか、解釈とか、そういうものを盛り込みたかったんだよ。僕の解釈は既に出版されてる物には入っていないんだ」
「自分の解釈……?」
青年は深く頷いて、空を指差した。
「そうそう、人ってのは誰だってあるがままに物を見られないだろ? 例えばさ、僕から見た空と君から見た空は違う色をしてるはずなんだよ」
「そうなのか!?」
その時のセイラは本当に目を丸くして驚いていた。
「そうらしいよ。なんかね、ヒトの目って若いうちの方が青色を認識する組織が多いんだって。もしかしたら魔術師とか天使とか、種族による違いもあるかもね。ま、年齢だけ考えると、君が見る空の方が僕が見る空より青いはず」
セイラは真剣に考え込んでいた。確かに外見だけ見ると青年の言うとおりだが、「年齢だけ見ると」、実は間違いなくセイラの方が年上だ。なんせ少なくともウィゼート内戦終結時からセイラの身体は全く成長していない。最低でも40歳以上、もし元々成長しない身体なのだとしたら最高ラインは無限に上がる。
だとすれば、セイラとこの青年、どちらの方がより青く空を見ているのだろう。
「とにかく、ヒトは誰だってあるがままに物を見られないんだ。誰でも自分のフィルターを持っていて、経験した物事を自分のフィルターに通してから記憶するんだよ。物語を読む時だって同じさ。僕は『僕のフィルターを通して解釈したらこうなりました』ってのを描きたかったんだよ」
目から鱗が落ちたようだった。セイラは青年の言葉を一つ一つ大切に飲み込み、それから「オズの魔法使い」の絵本を手に取った。
内戦終結前、セイラ達の部屋にも「オズの魔法使い」の絵本があった。あの絵本の表紙は二色刷りで、可愛らしい絵だったが、この絵本の表紙は様々な色を重ねて擦ってあり、絵は直線を多様しており独特の雰囲気がある。
「ドロシーの髪が黒い。この黄色い髪飾りはなんだ」
「黒髪の方が、意思が強そうに見える気がして。いいじゃん、黄色。僕、黄色好きだよ」
「トトはなぜ帽子を被っているんだ?」
「僕が被せたかったからだよ」
「カカシの髪は赤いんだな」
「いいでしょ、赤」
「カカシは『脳』……つまり知恵を欲しがる者だろう? 赤って感じじゃあないと思うんだが」
「君にとってはそうかもしれないけど、僕にとっては赤じゃなきゃ駄目だったんだな」
「……で、このライオンはなぜこんな高慢なんだ」
「高貴と言ってくれよ。勇気を手に入れたら高慢も高貴になるんだ」
「このブリキはなんだか意地っ張りだな。こんなのが心を手に入れたところで宝の持ち腐れだろう。犬にでもくれてやればいい」
「……君、口が悪いって言われたことない?」
「ああ、このオズの魔法使い。こいつだけはすごく納得がいくな。性格が悪い。とにかく悪い。どこかの誰かにそっくりだ」
「ええ……この魔法使いとそっくりって、君も随分困った知り合いを持ったものだね……」
セイラは絵本を読み進めながらあれこれと文句を言った。その割に目は絵本の中に釘付けだ。その度に青年は自分のこだわりを熱く語るのだった。
その時、セイラの手があるページで止まった。
「あ……こいつも私の知り合いによく似ている」
それは物語の終盤。主人公のドロシーが南の魔女と出会う場面だった。南の魔女は薄桃色の髪に青い目をしていた。
「私が持ってた絵本では、南の魔女は金髪だった。お前が描くとこうなるのか」
「そうだね。僕はこう描きたかったんだよ」
「お前が描くと、南の魔女はどんな性格になるんだ?」
「そりゃあ世界一強くて優しくて美しい南の魔女だからね。穏やかで誰からも愛される人だよ。けど、僕はこのキャラクターは実は結構したたかな人だと思うね。ありゃなかなかの策士だよ」
「……そんな見方もあるのか。私は、南の魔女は純粋で清らかな人だと捉えていた。最終的に主人公のドロシーに故郷への帰り方を教えたじゃないか」
最後の1ページを読み終わったセイラは絵本を閉じて、青年に返した。
「どうだった? 君がどう思ったか聞かせてよ。感想ってやつさ」
「聞いて何の意味がある?」
「僕がめちゃくちゃ楽しい」
セイラは再び絵本の表紙を見つめて黙り込んだ。続きの言葉を捻り出すまでに随分と時間がかかった。
「……そうだな、面白かった。私が今まで知ってた話とは随分違う。こんな見方もあるのかと思った」
地を踏み締めるように、何かを確かめるようにセイラは言った。それを聞いた青年は突然ご機嫌になり、よくわからない甲高い声を出す。
「ウワァーーーーやったあありがとうありがとうありがとうございます!」
セイラは置いてきぼりにされたような顔をした。
「……大袈裟だな。そんなに騒ぐことか」
「騒ぐことなんだなあ。いやあ、売れない作家からしたら砂漠で水をもらうような奇跡的なことなんだなあ」
「……さっぱり理解できん」
「君も、何かを成し遂げるために死に物狂いになればきっとわかるよ」
青年は水を浴びた草花のように生き生きとしていた。セイラはそれを不思議そうに見つめている。目の前の未知を理解しようと必死で頭を働かせているようだった。
「ありがとう! なんだかすごく元気が出たよ!」
「なんで礼を言われているのかさっぱりわからないが……どういたしまして」
「そうだ、よかったら、この絵本貰ってくれないかな」
それは先程読んでいた「オズの魔法使い」の絵本だった。途端にセイラの目が輝きだし、震える手でそれを受けとった。
「い、いいのか……?」
「うん。調子に乗って刷りすぎちゃったから余ってるんだよね、ははは……」
「あ……ありがとう」
「ついでにこれもあげる。チョコレートのブラウニー。近くで買ったんだ」
セイラは絵本とブラウニーの袋を抱えた。まるで宝物を手に入れたかのようだった。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。感想ありがとう。君も元気でね」
青年は笑いながら手を振って立ち去ろうとした。セイラは背を向けようとした青年に言った。
「あ、あの!」
「ん、どうしたの?」
「思いついたことがあって……。絵本を売りたいなら、アズュールに行くのはどうだろう。あそこは首都だし、子供の教育に熱心な金持ちも多い。絵本の需要も、あるとおもう……」
青年の顔がぱあっと明るくなる。
「アズュールか……! いいね、考えてみるよ。ありがとう!」
そうして青年は去っていった。セイラは宝物を抱えながら、青年の後ろ姿をいつまでも見つめていた。
もう夕日が沈む時間だった。空は茜に紫に藤黄に彩られていく。綺麗すぎて、近づきすぎると壊れてしまいそうだった。
それでもセイラは目を離せなくて、影を縫い付けられたようにその場に立ち尽くしていた。
セイラは夢中で来た道を戻り、聖堂へと走った。外見相応の子供のように、お菓子と絵本を嬉しそうに抱えていた。
聖堂に戻った時には、既に太陽は沈みきっていた。
「随分遅くなってしまったな……」
セイラは慌ててイオの居る部屋に向かった。
「イオ! お菓子を貰ったんだ。食べよう!」
しかし、扉の先にイオの姿は無かった。縫い物はやりかけ。床には鋏が刺さったままの人形が転がっていた。
セイラは部屋じゅうを探した。その後、聖堂の地下空間を探した。それから部屋に戻り、じっとイオを待ち続けた。
しかし、いつまで経ってもイオは帰ってこなかった。夜が明け、朝日が昇っても、セイラは一人ぼっちだった。
セイラは待ち続けた。その夜に起こった出来事が、長い長い旅の幕開けになるとも知らずに。
ウィゼート内戦から40年後、現在から数えると10年前。この夜は、キラの目の前で両親が亡くなった夜だった。




