第11章:第15話
朝が来て、隠れ場所から外に踏み出した。そして、イオの顔は灰のようになった。
「あ……」
絶望の声が漏れる。イオが愛した街は瓦礫すら残っていなかった。セイラとイオは未開の地に足を踏み入れるようにゆっくりと歩き出した。
一歩踏み出す度に青くなっていくイオの顔を見て、セイラはそっとイオの頭を撫でた。
しばらく歩いたところで、水晶の剣で地面に線を描いているリディを見つけた。
「……何してるんだ?」
「あ、二人共。無事だったのね、よかった。今ね、聖堂の場所の目印付けてるの。地下にいく時はここから入ってね」
リディが手をかざすと、移動用の魔法陣が浮かんだ。
「すぐに聖堂の修理をしようと思ってたんだけど、この状況で聖堂だけぴかぴかだったら目立っちゃうのよね。もうちょっと落ち着いたら直すわ。あと、周りに森とか造ろうかな……聖堂を隠せるし……あと林檎の木とか植えたいな……」
「修理のことは後でいい。あいつは……オズはどうなった?」
リディは少し寂しそうに俯いた。
「逃げられちゃったわ」
セイラの表情が凍りついていく。
「あいつが……お前の攻撃をかい潜って逃げたのか……? いくら神の血の力があるといっても、人体実験で謎の魔法陣を植え付けられたといっても、元はただの吸血鬼だろう……?」
その時、メディの声が舞い降りる。今日のメディはいつになく苛立っていた。
『お互い手を抜いてたのよ』
それだけ言い残して再びメディは消えた。リディは昨日と今日では別人のようだった。昨日は機械的な反応しかしなかったのに、今日は受け答えも表情も随分と柔らかい。
「……しばらくオズは派手な行動は起こさないと思う。この辺りの復興をしながら居場所を探してみるわ。……セイラ、あなたはあの子の面倒を見ててあげて」
リディはイオを指した。セイラは黙って頷く。イオは魂が抜けてしまったような顔をしていた。
「イオ……地下に戻ろう。ここに居てもどうしようもない」
イオはセイラの声が聞こえていないようだった。ふらふらと灰の大地を歩き出すイオの後をセイラがついていく。
あれは花屋の跡だろうか。様々な植物が炭になっている。あちらはパン屋の跡だろうか。焼けた小麦の袋が転がっていた。
遠くにせかせかと動き回る人影が見えた。どうやらこの爆発騒ぎを聞き付けて遠方から状況を見に来た兵士のようだった。
その時、イオの足元で呻き声がした。折り重なった炭の下からだ。イオが急いでそれを退けるともう人とは呼べない形になった人が居た。手足はとうに無く、生暖かい内臓が溢れ、片目はえぐれて、身体中黒く爛れていたが、それでもまだ息があった。
「だ………れ……だ……?」
イオが石像のように動かなくなった。そこは元はパン屋があった場所。そこに居たのはパン屋のおじさんだった。
「おじさん! おじさん、喋らないで、今……」
そこでイオの声は途切れた。残った右目が仇でも見るような目でイオを睨みつけていたからだ。
「寄るな……なんで、無傷……なんだ…お前が……化物か……」
もはや人とも思えない姿で、最後の力を振り絞ってかけた言葉は真っ黒く汚れていた。
「触るな! 見るな! この化物が!!!」
それが男の最後の言葉だった。男の眼球は力尽きたように濁っていき、風に吹かれるように死んでいった。
イオは氷像のように動かなかった。壊れた蓄音機のように呟きながら。
「ばけ……もの……ぼくが、ばけ……もの……」
心が零れていくようだった。たった一人、荒野に立ち尽くすイオの手をセイラが優しく握った。
「お前が化物なら、私も同じだ。一人じゃないさ」
その手をイオは強く握り返した。強すぎて捻り潰してしまいそうな程に。しかし、壊すのを恐れるようにイオは結んだ手を解いてしまう。そして再び荒野をさまよい始めた。セイラはどこまでも後をついていった。
何時間も歩いた。リディの姿が見えなくなってもイオは歩きつづけた。何かに取り憑かれたように。
灰の荒野はどこまで行っても灰だった。時々やけに小綺麗な格好のヒトが数人、焼けた地面を指差しながら何か話し合っているのを見つけた。
あれはウィゼート内戦の西陣営の人達だそうだ。この爆発で東陣が首領を含めて丸ごと壊滅してしまった。西陣はなぜ自分達が勝ってしまったのかわからず、事態の調査の為に兵を送ったのだそうだ。
「イオ、帰ろう。この状況だと、私達は目立つ」
イオは当然答えない。ただ行く先も無く歩くだけだった。西陣の調査団の姿が見えなくなった頃だった。イオの足が突如止まった。
目の前に人が居たからだ。一人の少女が居た。手足は灰で薄汚れていたが、怪我は全く無かった。真っ赤な瞳は絶望と恐怖で震えきっている。
「リラ……」
イオが声をかけてもリラは答えなかった。今日のリラは「あの杖」を抱えていた。銀の柄に黄金の宝石がついたあの杖を。リラは数歩後ずさり、あの杖をイオに向けた。
「来ないで!」
イオは世界中に見放されたような顔をしていた。リラもリラで、周り全てが敵になったような顔をしている。
「イオ……、あんたの言ったこと、本当だったね……まさか本当にこんなことになるとは思わなかった。あんた……本当に未来がわかるの?」
イオは頷く。唯一自分を信じてくれた少女にイオは手を伸ばした。
「来ないで! あたしに近づいたら駄目! 来たら駄目!」
リラは激しく拒絶した。イオから逃げるように離れ、最後にこう言い放った。
「み……未来がわかるなんて、気持ち悪い……近寄らないで……怪物……だ、だから、あたしに構わないで!」
それが二人の別れの言葉となった。リラはイオに背を向けて駆け出し、イオは糸の切れたマリオネットのように座りこんだ。それきり、イオは言葉を発さなかった。
その瞬間、セイラの堪忍袋の尾がとうとう切れた。無我夢中で駆け出していた。詠唱省略の準備も整え、文字通り「敵討ち」の為にリラの後を追う。きっとこのままリラに追いついていたら、セイラはこの悲劇以上の地獄をリラに見せていただろう。
イオの姿が見えなくなった頃、リラが道端の石に躓いて転んだ。つられてセイラの足も止まる。リラは啜り泣いていた。これ以上走ることも、立ち上がることもできず、地面に突っ伏して涙を流していた。
「どうしよう……どうしよう。酷いこと言っちゃった……イオ……ごめん、イオ……」
セイラがすぐ後ろに居ることにも気付かずに、リラは両手で顔を覆う。セイラは雨に濡れた子犬を前にしたかのようにその様子を見つめていた。
リラは涙を拭い、あの杖を支えにしてふらふらと立ち上がる。
「謝らなきゃ……今ならまだ……」
しかし、その想いが届くことはなかった。
「居たぞ! 捕らえろ!」
「間違いない! アルフェリラ姫だ!」
「東陣唯一の生存者だ。絶対に逃がすな!」
大人の声が二重三重にリラを取り囲んだ。リラを狙っていたのはあの西陣の兵士達だった。少女一人相手に何人もの大人が飛びかかる。リラは杖を棍棒のように振るい、魔法で相手を薙ぎ払って逃げるしかなかった。
「隣の子供は誰だ? 王族関係者か?」
「どちらでも構わん。貴重な生存者だ、すぐに保護しろ」
兵士の手はセイラにも向いた。たまたま詠唱省略の準備を整えていたので、セイラは光の魔術で兵を適等にあしらってその場から離れた。ふわりと空を飛びながら、セイラと反対方向に逃げていくリラに目をやった。
なぜリラがイオにあんなことを言ったのか、今ならわかる。イオを巻き込まない為だ。東陣が壊滅した今、王族の血を引くリラは追われる身となったのだ。
人も、街も、ある日突然死んでしまい、その上沢山の兵士に追われる身となったリラはどう思っただろう。
きっと、必死だったのだ。何が正しいのかも何をすればよいのかもわからず、がむしゃらに進むしかなかったのだろう。
そんな状況で、冷静に言葉を選ぶことなどできるだろうか。
きっと、誰もが必死だった。あのパン屋の主人もそうだ。人の躰すら保てない状態で冷静な判断が下せるはずがない。そもそもあの状態ではイオが視えていなかったかもしれない。
そして、余裕の持てない状況で振り絞った言葉には無数の刺が混ざってしまったのだろう。
セイラが戻った場所は、やはりイオのところだった。イオはリラと別れた場所で死んだように座り込んでいた。
「イオ……。伝えたいことがある。リラは……」
セイラが話しかけた時には、もう遅かった。
「ははは、あはははははは、けはははははははははははははははは」
ひび割れた心が崩れていく音がした。もうセイラの手の届かないところまで堕ちていく声がした。純真な涙はどす黒く汚れ、壊れた笑い声が空の心を完封無きまで崩していった。
「ははは、ははははは……馬鹿じゃないの、馬鹿じゃないの! なぁにが化物だ……気持ち悪いだ!」
イオは両手を広げてくるくると回りはじめた
「どいつもこいつも……ボク言ったじゃないか、危ないって! 逃げろって! 聞かなかった自分が悪いんじゃないか! 都合のいい時だけちやほやして、切羽詰まったら化け物呼ばわり! ああ醜い! ヒトなんて腐ってる!」
「イオ……聞いてくれ、さっき……」
「あはははははは、キャハハハハハハハハ、くひゃあはははははははははははは」
セイラの声はもう届かなかった。それはそれは良く晴れた日だった。幼い人形の夢は人の性の前に砕け散った。
ふらふらと踊りつづけたイオはおぼつかない足を支える為にセイラに抱き着いた。
「セーイーラっ、かえろ!」
イオの声は不気味な位に明るかった。一方で、腕はギリギリと鎖のようにセイラを締め付ける。
「ボク、やっとわかったよ。やっぱりセイラの言うことが正しかった。あんなクズ共、構う必要なかったんだ」
ずっとセイラ自身が言いつづけたことのはずなのに、セイラは「うん」と頷けなかった。
「セイラさえ居ればよかったんだ。そうだよ。これで鬱陶しい羽虫が居なくなったんだ。めでたしめでたし」
セイラは何も答えず、赤ん坊をあやすようにイオを強く抱きしめた。
「ねえ、セイラ。セイラはボクとずっとずっと一緒に居てくれるよね? 愛してるよね? 嫌いになったりしないよね?」
言葉が檻を作っていく。この言葉を拒んでしまえば、イオはきっと本当の意味で壊れてしまうだろう。
「当たり前だ」
セイラはイオをつなぎ止めた。その言葉にきっと嘘は無かった。イオは光の無い目で微笑む。セイラはイオを再び強く抱きしめる。憂いを宿した瞳を見られないように。




