第11章:第13話
キラはゼオンに言った。
「正直言って、あたし、この時代のセイラ達の状況がさっぱりわからない」
「わからないって言われてもな……。リディやセイラ達は街の人達とあまり関わらないようにしていて『女神』や『記録書』の役割を忠実にこなしてたけど、イオは街の人と仲良くしたがってたってことだろ?」
「んー、そうじゃなくて、そこまではわかるんだよ。えっと……そうだ、オズだ。なんで突然オズの名前が出てきたんだろ。っていうか、地下に封印ってなんでだろう……」
オズが歳をとらないことも途方も無い力を持っていることも知っていたが、まさか地下に封印されているとは思わなかった。
「そこんとこは俺にもわかんねえよ。後で現実のセイラを見つけたら問いたださないとな。それより、オズについて気になるんだったら、リディの方を追った方がよかったんじゃないか?」
「えー、だってあたし達あの聖堂の謎の仕組みわからないから、リディさんを追うなんてできないじゃん」
「……まあ、そりゃそうなんだけど」
キラ達が居るのは満月の浮かぶ街中だった。もうどこの店も閉店した後で、外を出歩いている人は殆ど居なかった。
あとは晩御飯を食べて風呂に入り、明日に備えて寝るだけ。街の人々は皆そう思っているのだろう。明日など無いことも知らずに。
キラ達は真夜中の街を走る二人の子供を追っていた。イオは初めて現実に触れた子供のように無我夢中で走る。セイラはイオに引っ張られるように夜の冷たい空気に飛び込んでいく。
イオはある民家を見つけると、扉を力いっぱい何度も叩いた。
「おじさん! 警察のおじさん! 大変なんだ、街の人を今すぐ避難させてほしいんだ!」
出てきた中年の男性は正に後はベッドに入って寝るだけといった格好をしていた。
「なんだ、こんな真夜中に……」
「おじさん、あともう少しでこの街が爆発しちゃうんだ。お願い、今すぐ危険を街の人達に知らせて! じゃないと、大変なことになる……!」
「いきなりなんだよ……爆発? んなわけあるか」
「ほ、ほんとだよ。お願いだよ、信じてよ……」
「じゃあ聞くけどさ。この街のどこで誰がどうしてどうやってそんなことをするんだよ」
「それは……」
イオは口ごもってしまった。それはイオの『予言書』でもわからない領域なのだろう。イオが答えられなかった隙に、警察と言われた男性は舌打ちして扉を閉め、それきり開けてはくれなかった。
イオは必死に扉を叩いたが、もう男性が答えることは無い。
セイラはそんなイオの姿を映画の上映中のように黙って見ていた。
「……もう止めろ。奴らは『予言書』のことを知らないのだから信じなくても仕方ないだろう。ここで助かってもほんの数十年後には寿命で朽ち果てる命だろう」
「でも、わかってるけど、駄目なんだよ……ここで死ぬのと数十年後に死ぬのは全然違うよ……」
イオは別の家へ向かい、住人に話をした。しかしまた相手にしてもらえない。するとイオは別の家へ向かう。また失敗すると、また次の家へ。その繰り返しだった。そしてイオの話を信じた人は一人も居なかった。
セイラはイオの後を追い、その様子をぼうっと見つめていた。イオが家から弾き出される度にセイラの手が怒りで震えた。
悲劇の時間までもう15分を切った頃だ。セイラは耐え兼ねてイオの腕を掴んだ。
「もういい、もうやめろ。あんな奴らの為にお前がこれ以上傷つく必要など無いだろう」
セイラはイオの意思を無視して腕を引き、聖堂へと戻ろうとした。
「待って、お願い! まだ……」
「これ以上あんな奴らに構ってたら、取り返しのつかないことになるのはこちらの方だ。もうそろそろ聖堂に戻らないと時間が無い」
それでもイオは帰ろうとしなかった。もう涙で顔がぐしょぐしょに濡れているのに、それでもセイラに逆らいその場に留まっていた。
「どうしてそこまでする? あんな奴らを助けることに一体何の意味があるというんだ……」
イオは涙を拭う。拭っても拭っても涙はとめどなく溢れていく。
「街の人達、みんなボクに優しくしてくれたんだよ。いっぱいお話してくれたし、ボク、楽しかったんだよ……」
「だが、今のあいつらはお前など相手にしてないだろう」
「それは……でも……」
涙は止まらないままだったが、イオはほんの少し微笑んでいた。まるで消えかけの炎で暖を取るように。
「それにね、ボク、いつかセイラと一緒に街に行きたかったんだ……セイラに街のこともみんなのことも教えたかったの。見て、こんなに楽しいんだよって……」
「私に……?」
「うん、セイラにパン屋のおじさんの新作を食べてもらいたかったし、リラにもセイラのこと紹介したかったの……。リラはすごいんだよ。お姫様なんだよ。でもすっごく運動神経がいいんだ。それでね……」
セイラは真っ白いキャンバスの前にほうり出されたような顔をしていた。無限の可能性が眠る世界を前にしているのに、可能性の見出だし方がわからずに困惑するような、そんな顔を。
イオは現実から目を背けるように、セイラとやりたいことを語りつづけた。イオの幼い心は既にひび割れ始めていた。
セイラはきっと、イオに刻まれていく心の傷に最初から気づいていただろう。砂の器に触れるように、セイラはイオにかける言葉をおっかなびっくり選んでいた。
だが、タイムリミットの到着が先だった。突如地から光の蝶が湧き、セイラ達の周りを飛び回った。
『二人とも、早く逃げて。大変よ、原因がわかったわ。もう数分ももたないわ』
リディの声だった。音声に爆音のような音が混ざっていた。
「わかった、すぐ聖堂の地下に……」
『いいえ、聖堂は駄目、来ては駄目。街のどこかで地下に潜れるような場所を探して隠れて』
「そんな無茶な! どうして!」
そして、リディはこの悲劇の犯人の名前を告げた。
『オズよ。オズが封印を破って復活したの!』
セイラが青ざめる。まるで世界崩壊五秒前のような絶望の顔。セイラはイオに叫んだ。
「イオ! このあたりで地下室がある建物は知っているか。地下に隠れられそうな場所!」
「えっと……あ、そういえば内戦の戦況が悪化した時用に街の人が作った隠れ場所があったと思う……たしか空襲に備えて地下に作ってたはず」
「頼む、案内してくれ」
イオはようやく頷いてくれた。セイラはイオの手を強く握って駆け出した。
と、ここまでが爆発の直前までの二人の様子だった。イオとセイラの様子を見守っていたキラは既に心が痛んで俯いていた。
「イオ君……」
この頃のイオはまさに幼い少年のようだった。広い世界に夢を見て、自分の見た夢を守ろうと必死で駆け回ったが現実には敵わなかった。
俯くキラの肩をゼオンが軽く叩く。
「おい、俺達も一度隠れよう。爆発はもうすぐらしいじゃないか」
「でもゼオン、これ映像でしょ?あたし達は隠れなくても平気なんじゃない?」
キラは近くの民家の壁に手を伸ばした。キラの手は壁をすり抜けていく。何かに触れた感覚すら無い。この世界でのキラ達は幽霊のようだった。誰にも見えない、聞こえない、触れられない。
「それでもだ。お前、『国の三分の一』って規模の実感掴めてないだろ。死んだり怪我したりはしなくても爆発の光と爆音は見えるし聞こえるんだ。耳と目がやられる。一応隠れた方がいい」
「そっか……わかった」
話し合った末に、再びセイラ達の後を追い、イオの言った防空壕に隠れようということになった。
しかし少し目を離した隙に二人の姿が見えなくなり、キラ達は街をさまよう嵌めになってしまった。カチカチと心の中で時計が進む。空に浮かぶ満月が二人を監視しているようだった。
「二人ともどこ行っちゃったんだろう……」
街の構造も隠れ場所の位置もわからないまま、キラ達は走る。するとゼオンがちょうどその隠れ場所に入るところのセイラとイオを見つけた。キラ達も後を追い、地下に潜ろうとした時だ。ちょうど日付が変わる頃、空が昼間のように明るくなった。
きれい。そう思った時、ゼオンが腕を引いてキラを地下に引きずり込んだ。そして最悪の悲劇が幕を上げた。
世界が割れて崩れるような轟音が引っ切りなしに続いた。大地は眠ったままのはずなのに地震が止まない。爆音、爆音、また爆音。音だけで今にも殺されてしまいそう。
「あたし達は隠れなくてもいいんじゃない」──あれがどれほど愚かな言葉だったか思い知らされた。恐怖が身体を支配して、頭を押さえてうずくまることしかできなくて、キラは目をつぶり耳を塞いで身を守る。
そんなキラの盾になるように、ゼオンはたまたま自分が着てきたマントをキラに被せ、隠れ場所の入口で外の様子を伺っていた。
情けない。まだまだ届かない。目も耳も開いたまま、騎士のように佇むゼオンを見てキラはまた悔しくなった。
永遠のように思えた。怪物が暴れ回る音が聞こえなくなっても、二人とも微動だにしなかった。
やっとキラが顔を上げたのは、爆発が収まってからもう随分と経ってからのことだ。キラが顔を上げると、ゼオンが隠れ場所から身を乗り出した。
「ちょっと……何してるの?」
「外の様子、気になるだろ? 爆発は収まったらしいし」
「まだ危険かもしれないじゃない」
「どうせ映像だし、たとえ危険だとしても俺達は平気だろ」
「……耳と目がやられるから隠れた方がいいって言ったの誰だっけ」
「怖いならお前はここに居ていいよ。ちょっと顔出して様子見たらすぐ戻るから」
そう言われると、キラもなんだかついて行かなければいけないような気分になってしまう。だって言われたとおりうじうじ隠れていては、それこそ守ってもらわなければならないような弱いものみたいではないか。
ゼオンに続いて、キラも隠れ場所から顔を出した。そして、「目がやられた」。
まるで手品を見せられたようだ。そこにあったのは果てしない焼け野原だった。ブランの街は跡形も無くなっていた。ブランだけではない。近隣の森も少し離れたスカーレスタの街も高い山も広い湖も全てが焼き付くされて更地になっていた。
セイラ達が居た聖堂が無い。イオとリラが話していた丸太の山も無い。二人の思い出は塵も残らず消し去られていた。
その光景はキラの心を深く刺した。酷すぎる。遠くに顔の骨が剥きだしになった遺体が転がっていた。親子並んだまま黒焦げになっている遺体があった。
イオでなくても、この街にほんの数時間分の思い入れしか無くても、この光景を直視するのは辛すぎる。
「だから隠れてろって言っただろ。無理すんな」
そんなに酷い顔をしていただろうか。ゼオンがキラを隠れ場所に戻そうとした。キラは思わずその手を振り払った。
その時だ。突如空が宝石のような煌めきで彩られた。それは水晶で出来たチェスの駒だった。砲を抱えたルーク、槍を手に駆けるナイト、蒼の魔法を振り撒くビショップ──そしてその駒達の中央に巨大な要塞が浮かんでいた。水晶と真珠とダイヤモンドでできた要塞は全ての主砲副砲を「罪人」に向けた。
その要塞の上で、あの少女が物悲しげに佇んでいる。その目は主砲が狙いを定めた罪人に向いていた。
一方の罪人は少女を見ていなかった。罪人はくるりと辺りを見回し、この世界の惨状を瞳に焼き付けている最中だった。
灰と化した世界の中で罪人と少女だけが立っていた。夜空に浮かぶ満月が二人だけの世界を作り上げていた。
キラは走り出して、その二人に近づいてみた。もっとその表情をよく見てみたかった。その二人をキラはよく知っていたはずだから。
満月が二人の顔を照らし、キラの予感は確信に代わる。今、この世界はオズとリディのものと化していた。




