第11章:第7話
結局またゼオンは言いくるめられた。
お決まりのため息の後、ゼオンは「仕方ないな」と呟き、キラ達はブラン聖堂の付近の森へと飛んだ。
長距離を瞬間移動の魔法で渡ることは決して容易くはないだろう。それなのに、ゼオンは易々とキラ達を目的の場所に飛ばしてみせた。
「いつも思うけど、こんな魔法サラッと使えちゃうって凄いね」
ゼオンは反応に困ったのか、黙り込んで目を逸らしてしまった。「あたしもなんでもできるようになりたいなあ」と、キラはゼオンの魔法を見る度に少し羨ましくなってしまうのだった。
「ではお二人共、ここからの流れを説明させていただきますね」
セイラは周囲に人の気配が無いことを確認する。三人がたどり着いた場所は鬱蒼とした森の中だ。雰囲気はロアル村の周りと似ているが、やはり土地と気候の差なのか、生えている木や草の種類が少し違う。
「恐らく、ブラン聖堂に着いたらすぐにイオの襲撃が来ると思います」
「ええーそんなすぐに?」
「はい、お二人の行動は『予言書』で筒抜けですから」
「うっ、そっか。相変わらずめちゃくちゃだよう……」
「イオの攻撃を避けつつ地下に向かいます。オアシスのある部屋まで案内しますので、そこで一度休憩しましょう。その後記録と予言の図書室へ向かい、オズさんの記録書を奪って脱出します」
突然ゼオンが飯に石を混ぜ込まれたような反応をした。
「オアシス……って、砂漠にあるあのオアシス……?」
ゼオンの気持ちはわかるが、一度聖堂の中を見たことがあるキラは何も言わない。「あの聖堂ならやりかねない」と思ったからだ。
「はい。ゼオンさんはまだわからないでしょうが、あの聖堂の中はあなた方の常識が通用しない世界なんです」
「……全く想像がつかねえんだけど。百歩譲って地下にオアシスが存在したとしてもだ、そこで休憩してる暇あるのか? 多分イオが居るんだろ。さっさと目的の物取って逃げた方がいいんじゃねえか?」
そう言うと、セイラは手負いの獣を追い詰めるような目つきで言った。
「ゼオンさん、それはあなたの為の『休憩』なんですよ」
「俺の為?」
「ちょっと右手を見せてもらえます?」
ゼオンは子供が赤点のテストを隠すように右手を後ろに隠す。キラはこの前セイラが話したことを思い出した。やっぱり、あの紅の石を触った時の傷が癒えていないんだ。
「早く出してください。あの石を触ってから何の処置もしてませんから、悪化してるはずでしょう」
「別に、たいした傷じゃないし、お前にどうこう言われる筋合いは……」
「痩せ我慢は見苦しいですよ。それとも、またキラさんからお願いしてもらいましょうか。メイドの服着て、猫耳も付けてもらって、それで……」
「……い、いい加減にしろよ。たかが右手くらいで……」
ゼオンはすっかりセイラに遊ばれていたが、キラはゼオンが何に慌てているのかわからない。
「メイドで猫耳……にゃんにゃんって? ここにそんな服無いと思うんだけど……」
セイラがキラに笑いかけ、人差し指をくるくると回しはじめたところでゼオンが観念した。
「これでいいんだろ。本当、いい加減にしろ……」
ゼオンが差し出した右手は溶岩のように赤黒く爛れていた。指の動きも鈍く、この前よりも明らかに状態が悪化している。
「ば、馬鹿! バッカじゃないの! こんなの隠してたの!? 何で言わないの、ゼオンのバカバカバカ!」
「う、うるせえ。別にたいしたこと無いし、お前には関係……」
「知るかボケ、バカバカバカ! あたしよりバカ! これがたいしたことないならこの世にたいした怪我なんて存在しないよバカ!」
キラは癇癪玉のように怒鳴った。ゼオンはいつも勝手に危険を被り、勝手になんでも一人で抱え込む。キラが何度言おうと頼もうとその癖が治らないことが、そろそろ腹立たしくなってきた。
これに関しては100%キラが正しいという自覚があるのか、ゼオンは叱られた犬のように大人しくなっている。
キラが噛み付くように怒鳴っていると、セイラがキラをなだめた。
「まあまあ、その辺にしてあげてください。話を戻しましょう。ゼオンさん。その怪我、治したいですよね?」
「そりゃ……まあ」
「さっき言ったオアシス……そこにその手を治せる物があるんですよ。だからそこで一度休憩して、その手を治しましょう」
「…………」
「ついでに私の方も、オズさんのせいで消失した魔力の補給や身体の機能回復等やりたいことがあるんです。ですから一度そこで『休憩』を入れようとおもいます。お二人とも、ご質問は?」
こてんぱんにされたゼオンからもう声が上がることはなかった。キラはキラで、ゼオンが手の怪我を隠していた怒りがまだ収まらずにいた。セイラの言うことには賛成だ。こんな強がりの怪我はさっさと治してやらなければならない。
二人から反論が無いことを確かめて、セイラはぱんぱんと手を叩いた。
「では、行きましょうか」
廃墟の街ブランは50年前の内戦によって廃れたという。現在のブランに人は住んでおらず、昔の建物の名残と思われる壁や柱だけが残っていた。
そんな街の中心で、異様な雰囲気で佇んでいるのがブラン聖堂だ。乳白色の石によって形作られ、その聖堂だけが傷一つ無く残っている。
曇りも汚れもない白い扉の前でキラ達は聖堂を見上げる。まるで天国へ続く扉だった。
「ゼオンさん、詠唱省略の準備をするなら今のうちですよ」
ゼオンは早速詠唱省略の呪文を唱え、セイラも爪で指の皮膚を切って血を一滴地面に垂らした。それを見たゼオンが興味深々で尋ねる。
「そういやお前、時々それやるけど、それも詠唱省略の一種なのか」
「そうですよ。けど残念ですがゼオンさんには使えませんね。これは神の血が流れる者にしかできません」
「なんだ、そいつは残念だな。ならさっさと行こう」
途端にゼオンは興味を失ったようだった。準備が整ったところで、セイラが聖堂の扉を押す。
鉛のような重さの扉がゆっくりと開き、キラ達はついにブラン聖堂の内部に足を踏み入れた。一歩踏み込むと同時に虹色のステンドグラスがキラ達を出迎える。
床はミルクのように白く滑らかで、祭壇へと道が続く。天井はまるで星空のキャンバス、柱は淡く煌めくムーンストーンのよう。以前来た時も思ったが、本当に美しい世界だった。
聖堂内は時間が存在しないかのように静かだった。足音だけが時を刻んでいた。キラ達は盗人のように警戒を強めながら進んだ。だが祭壇までたどり着いた時、周りを気にする必要は無くなった。
最も恐れていた人はすぐ目の前に居たからだ。
セイラと同じ顔の少年が祭壇に腰掛けて微笑んでいる。
「わざわざお出迎えしてくれるとはな」
セイラがイオに話しかけると、イオは足をぱたぱた動かして言う。
「だってえ、セイラが帰ってくるんだもん、ボクが一番にお迎えして、ぎゅーってしてあげなきゃだめでしょ」
無邪気な言葉とは裏腹に、イオは舐めるようにセイラを見つめて息を荒げている。だめだこいつ、子供の皮を被った変態だ。キラは恐怖とは違う意味で一歩引いた。
「まさかセイラの側から来てくれるとは思わなかったよ。大好きだよ、セイラ。これから毎日一緒のお部屋で寝ようね。セイラの新しいお洋服もいっぱい作ったんだよ。サイズもぴったりだよ。ボク覚えてるんだから。ねぇセイラぁ、早くボクのとこにおいでよぅ」
イオは両腕を広げ、セイラに幼く微笑んだ。
「誘いは嬉しいが、必要な物を取ったらすぐに帰らせてもらう」
「むぅ、結局力ずくになっちゃうのか。なんでセイラは帰ってきてくれないの、ボクが嫌いになっちゃったの」
「嫌ったことなど、ただの一度もない。それに帰らないこともないさ、今じゃないだけだ」
「やだよう、ボク待てないよぅ、今がいいよぅ」
イオは甘えた声を出したが、無駄だった。セイラは決意を固めていた。説得が無駄だと悟ると、イオの声は急に冷めた。
「……で、セイラが取りに来た物ってなんだっけ」
「わかっているだろうに、無駄なことを聞くんだな。オズの記録書だ」
イオの眉間に深いしわが刻まれる。
「オズ、オズ、オズ……なんであいつの記録書なんて……」
もはやセイラは否定することも疲れたようだった。イオは天に向かって手を伸ばし、争いは幕を上げる。
「もういいや、きっと、こういう話だったんだ。セイラぁ、ボクは絶対セイラのこと捕まえてみせるからね。それで、セイラはボクのだってこと、ゆっくりじっくり覚えさせてあげるから」
そして、イオが手を振り下ろした途端、聖堂の床が「溶けた」。
「溶……?」
キラ達の頭が現実に追いつく前にセイラが魔法の杖のように手を振った。
「ならおいで、イオ。捕まえられるものならな」
その言葉と同時に聖堂は「海に沈んだ」。地下にオアシスなんてレベルではなかった。キラもゼオンも目の前の事態に頭が追いつかない。聖堂の壁が柱が「塵となって」「流されて」いく中でキラは頭の中で叫ぶ。
やっぱり、この聖堂やりやがった。




