第11章:第6話
セイラの言葉に嘲笑や侮蔑の色は無く、自分の思考という名の手札全てを刃のように突きつけていた。
浅はかとも思えるくらいに率直だった。今のセイラに何かを隠そうという意志は見られなかった。
オズでも、リディでもメディでもなくキラ達を選んだ。それは「もう後が無い」と自ら公言するようなものだった。キラ達はオズや神様達と比べると玩具を並べたようなひ弱さだということはわかりきっているのだから。
「……いつものようにはぐらかさなくていいのか。オズに裏切られてリディも頼れないからこっちに来ましたなんて言われて、俺が『はいわかった』なんて言うと思うのか」
「ゼオンさんの場合だと、下手にはぐらかす方がまずいだろうと思いましたので。率直に言います。手を貸してください。お願いします」
本当に、セイラはすごいや。キラは再び繰り返す。相手がゼオンだからこそこの言葉は効く。嘘や策謀に人一倍敏感だが、根にほんのささやかな優しさと正義感があるからこそ。
「……わかったよ。協力すればいいんだろ」
ゼオンは渋々了承し、「取り入る」という言葉の裏について詮索することはなかった。ゼオンには今の言葉だけで充分把握できたのだろう。全くこのお人好しは。放っておけないのならきついことを言わずに早く了承すればいいのに。キラはゼオンを何度も小突いてからかった。
「もし裏切るような気配があったら容赦しないからな」
「わかってますよ。ありがとうございます」
セイラは胸を撫で下ろした。三人の出発は決まった。キラはセイラの手を掴みながら握手をするようにぶんぶんと振り回した。
「よかったね、セイラ! でもさぁ、『取り入る』だなんてこと言われて馬鹿正直に『はい』だなんて言わないで、『どーしても困ってるんです! 助けてください!』って言うだけで十分だったのに」
そう言われると、セイラはむすっとした表情でそっぽを向いた。セイラはキラの手を振り払うと、そのまま無言で歩き出したので、キラは慌てて後を追った。
順路はちょうど反乱前にゼオンがディオンやティーナとスカーレスタに行った時とほぼ同じだったらしい。キラ達は薄暗い森の中を進む。まだ太陽も昇りきっていない時間帯の為、夜行性の動物の足音や声が聞こえた。
歩いている途中、ゼオンは急に思い出したようにキラに言った。
「おい、馬鹿」
「ば、馬鹿じゃないもん!」
「馬鹿は事実だろ、この馬鹿女。お前さ……」
そのように話していると、セイラがクスクス笑いながら茶々を入れた。
「相変わらずふやけたちり紙レベルの可哀相な度胸してますねえ、ゼオンさん」
「……何がだよ」
「ええ、チキンハートだなと嘲っているんですよ。未だにキラさんの名前を呼ぶ度胸も無いなんて」
するとゼオンは突然立ち止まり、喉に物をつまらせたかのように黙り込んだ。
「別に、いいだろ。馬鹿は馬鹿で」
「でも他の皆さんのことは名前で呼んでらっしゃいますし、キラさんも馬鹿と呼ばれるよりは名前で呼んでほしいかもしれませんよ」
キラは深く頷いてセイラに賛同した。
「そーだよそーだよ! ちゃんと名前で呼んでよ! あたしだけ馬鹿とか馬鹿女とかひどいよ、ばかやろー!」
ゼオンがいつもキラを「馬鹿」と呼ぶことはいつも不満に思っていたので、キラはここぞとばかりにゼオンに詰め寄った。ゼオンはぐっと黙り込んだまま、キラの背後でクスクス笑うセイラを睨みつけていた。
「ほぅらゼオンさん、簡単なことでしょう。名前で呼んでさしあげればいいだけですよぅ。ほらほらどうしたんですか、さんはいっ」
「……おいセイラ、お前この状況でまだ人を馬鹿にするのか」
「隙だらけのゼオンさんがいけないんです。ほぅら、顔を上げて『キラ』って呼んであげてください。簡単じゃないですか。さーんはいっ」
ゼオンは答えなかった。キラとセイラはゼオンが答えるまでじっと待った。下を向いているのでゼオンの顔は見えなかったが、なぜだか耳が真っ赤になっていた。
「キ……」
ようやくゼオンは意を決したようにキラの顔を見た。が、目が合った途端、ゼオンはやはりそっぽを向いてしまった。
「……やめた。やっぱり馬鹿は馬鹿で十分だ」
「ウワアアア、なんだよそれぇ!途中まで言いかけてたのに! ばかやろー! 意地悪!」
逃げるように再び歩きだしたゼオンをキラは追いかけてぽかぽか殴った。セイラはその様子を見てクスクス笑った。キラは笑うセイラを見てふと足を止めた。
「セイラ、なんかちょっと元気になった?」
その言葉にセイラは驚いた。
「そうですか?」
「うん。なんかちょっとセイラが帰ってきたーって感じがする」
初めて会った時は人を小馬鹿にしたような笑い方が鼻について仕方がなかった。
けれど、今となっては「そうでなければセイラじゃない」とまで思うようになった。セイラがセイラらしく戻ったことが嬉しくて、キラの顔も思わず綻んだ。
「やっぱりさ、このくらいがセイラらしいや。ねっ!」
キラはそう言って先を急いだ。朝なのにやけにカラスの声がよく聞こえた。まるで三人を見送っているようだった。
半時間程歩くと、キラの両親の墓がある湖の辺に着いた。冬の朝の湖は霧がかっていて、湖の対岸が見えない。
「さて、ここまで来れば十分でしょう」
セイラはそう言うと、岸辺の岩に腰かけた。
「ブラン聖堂に向かう前に、改めて『記録書』と『予言書』についてお話しておきましょう」
突然セイラが説明を始めたので、キラは思わず身構えた。どうも難しい話は苦手なのだ。ゼオンもちょうどいい岩を探して腰かけ話を聞く体勢に入ったので、キラも真似をした。
場が落ち着いたところでセイラは話しはじめる。
「まず、『記録書』とは一人のヒトの過去全てを記した書物、そして『予言書』とは一人の人間の未来を記した書物です。その全ての『記録書』を頭に入れている存在が私、『予言書』を入れているのがイオ。ここまではよろしいでしょうか」
「うん、なんとなく覚えてる」
「私達は創造の神リオディシアによって『記録書』『予言書』を保存、管理する為のシステムとして生み出されました。ここで一つ」
セイラは突然キラを指差した。
「『記録書』も『予言書』もヒト一人につき2冊あるんです。どういうことかわかりますか?」
「えっ、さっぱりわかりません!」
キラが即答した。するとセイラは犬に餌箱の場所を教え込むようにキラに言う。
「だと思いました。いいですか、あなたは一度、ブラン聖堂の図書館に閉じ込められたことがありますね。覚えてますか?」
それは覚えている。夜のような闇の中、本棚に黒い記録書と白い予言書が並んでいた。キラははっきりと頷く。
「そうです、一つはあの聖堂の地下に本の形で収められています。そしてもう一つが私やイオが持っている分。計二冊です」
「はいっ! なんで二冊あるんですか!」
「珍しく良い質問ですね。所謂バックアップってやつですよ。万が一、記録が破損、損失した時に修復できるように、予備を用意してあるんです。ここまではよいでしょうか」
キラは感心して頷いた。難しいことには拒否反応を示すはずのキラの頭も、ここまでは話についてこれた。
「では、次にオズさんの話をしましょう。オズさんは特別で、『記録書』は一冊しか無いんです。『予言書』は存在しません」
キラは首を傾げた。一冊しか無ければ先程言った『記録』が破損、損失した時に対処できないし、予言書が存在しない理由もわからない。
その疑問に答えるようにセイラは続ける。
「昔、オズさんは大きな罪を犯したんですよ。神様の血を吸い、強大な力を得るという罪を。神の力を得たその瞬間に、『予言書』は焼け落ち、『記録書』は深紅に染まり、その日からオズさんはただのヒトとは言えない存在になったんです」
セイラを追い詰め、キラ達を圧倒したあの時のオズを思い出した。
こちらは指一本動かすこともできないのに、オズはマッチ一本擦るよりも容易いことであるかのような余裕を見せていた。
圧倒的な力、あれが「神の血」による力だというのだろうか。
「オズさんの『記録書』のコピーは作れませんでした。コピーが作れない以上、下手に紛失すると困りますので、ブラン聖堂に保管することにしたんです」
「それで今日セイラが取りに行くのが、そのオズの『記録書』なんだよね……」
「はい」
キラは唇を噛み、複雑な想いで俯いた。冷徹な笑みでセイラを見下だすオズの姿が頭に浮かんだ。
「オズは……なんでそんなことをしたんだろう」
「さあ。ただ、罪を犯す前、オズさんは『強い力が欲しい』と言っていたそうですよ。神にも世界にも、誰にも負けないくらい強い力が」
強い力を求めて罪を犯した。まるでお伽話の悪者が吐きそうな言葉だった。だが、キラはその言葉を素直に飲み込めなかった。
お伽話の悪者と照らし合わせるとどうにもおとなしすぎるように思ったのだ。あれほどの強い力があれば、ロアルの村どころか、国一つ支配することも滅ぼすことも容易いだろう。
物語の「悪者」はそういう人が多いが、オズがそんなことをする気配は無い。確かに我が儘だし怠け者ではあるが、「辺境の村で図書館を運営している」以上のことは何もしていないはずだ。
「なんでオズは力が欲しかったのかな……」
一人で遠ざかっていくオズの背中を思い出して呟いた。ゼオンもセイラも答えを出してはくれなかった。
「さあ、そこのところは私にはわかりませんね。あの人の考えることなんて理解できませんよ。ひとまず、『記録書』と『予言書』のことはお分かりいただけたでしょうか」
セイラがゼオンに問い掛ける。ゼオンは黙って頷いたが、キラはオズが罪を犯した理由が気になって仕方がなかった。
「……キラさんは、理解できましたか」
「え、あっ、はいっ、たぶん!」
キラは慌ててそう返す。セイラは返事を確認してから、二人に問い掛けた。
「あちらに向かう前に確認しておきたいことは、他にありますか?」
二人共特に質問は無かった。
「そう、では向かいましょうか」
その時になってキラは首を傾げた。ここからブラン聖堂までは随分距離がある。キラ達の足で辿り着けるような距離ではない。
「あー、セイラ。向かうって、どうやって行くの?」
「それは勿論、瞬間移動の魔法ですよ。ではゼオンさん、お願いします」
セイラは当然のようにゼオンに告げた。いきなり移動を任されたゼオンは困惑した。
「おい、なんで俺が……」
「お願いします。キラさんもそう言ってますよ」
キラの名前を出すと、ゼオンは幼い子供のようにふてくされて黙り込んだ。それから、心底不思議そうに呟いた。
「……お前も、オズも、どうして毎度毎度こいつを出汁にするんだ?」
「勿論、それがゼオンさんに効くからですよ」
「なんで効くんだよ」
「今更何を言うんですか。そりゃあ、あなたが……えっ?」
突然セイラが硬直した。キラもゼオンも、セイラが硬直した訳がわからず、顔を見合わせた。
「キラさんが気付かないのはわかりますよ。予想通りです。けどゼオンさん、あなたまさか、ご自分で気づいていないわけではありませんよ……ね?」
「……何が?」
ゼオンはきょとんと問い返す。キラも「何が?」と尋ねる。セイラだけが衝撃の事実を知ってしまったようで、キラとゼオンをかわいそうな物を見る目で見つめていた。




