第11章:第2話
その日は運よくキラが家に居た。キラの家に行くのはこれで二度目だ。
ティーナが扉を叩くと、少し間を置いてキラが顔を出した。
「あ、ティーナとセイラ! 急に家まで来てどうしたの?」
キラの怪我はもう治っていた。最近の治癒術とやらは確かに効果があったようだ。表情にも明るさが戻り、普段どおり元気に笑っている。
「やあキラ。ちょっと聞きたいんだけどさ、ノート余ってたりしない? セイラが欲しいんだって」
「ノート? 多分あると思うよ。ちょっと待ってて! あ、玄関で待つのも難だし、上がってよ」
ティーナとセイラは言われるがまま、家の中へと入っていく。居間に行くとリラの姿が見えた。
「おや、キラのお友達かい?」
セイラは思わずティーナの後ろに隠れた。昔々の記憶が頭を過ぎる。少々訳があって、セイラはリラのことが苦手だった。
「……まあ、この前誘拐されかけたって子だね」
リラはセイラの姿を見つけると、古いアルバムでも見るような目で微笑んだ。この人が昔の出来事を覚えているかどうかはわからない。もしかすると、とっくに忘れているかもしれない。だが、あちらが忘れていたとしても、セイラ自身は覚えている。
怒りと恨みに満ちた目を向けてしまいそうで、セイラはティーナの後ろから顔を出せなかった。
リラは二人にお茶を煎れると、「ゆっくりしておいき」と言い残して台所に去っていった。セイラは素直に目の前のお茶を飲む気にはなれなかった。隣でティーナが不思議そうにこちらを見つめていた。
しばらくして、キラが両手に数冊のノートを抱えて戻ってきた。
「ノートあったよ!どれがいい?」
「ひゃっほう、ありがとキラぁ! 今度なんかお礼するね!」
「いやいや、いいよ。気にしないで。全部余ってたやつだから」
セイラは一冊一冊、中を開いてページ数を確かめ、一番枚数の多いノートを二冊もらうことにした。
「絶対こっちの方がかわいいのにー」
ティーナはセイラのチョイスにあれこれと文句をつけたが、セイラは全て無視した。
そういえば、とセイラはキラに尋ねた。
「キラさん、あれからゼオンさんには会いました?」
「うん、もう怪我も治ったし、学校にもちゃんと出てきてるし、元気そうだよ」
「……手は、どうでしたか? あの人、前にルルカさんが貰った封筒に入ってた紅の石を触ってましたよね。私に刺さった石を抜いた時も素手で抜いてたはずです」
キラの言葉が消え、顔色が徐々に悪くなっていった。
「……言われてみれば、なるべく片手しか使わないようにしてる気がする」
「やはり、そうですか。あれは通常の治癒術はあまり効き目が無いでしょうからね」
キラは黙り込み、ティーナも心配そうに俯いた。セイラは「しまった」と思った。この二人の前でゼオンについて不安を煽るようなことは言うべきではなかったかもしれない。
「……私、その手を治す方法は知っていますので、後日ゼオンさんに会ったら教えますよ」
「ほんと!」
「よかったー!」
暗く沈みかけた二人の顔に赤みがさした。ゼオンのことを思い出し、全く罪深い奴だとセイラは思った。次会ったら、またからかってやらなくてはならない。
そう、ゼオン。どうせまた意地を張って、自分の手のことを誰にも相談していないのだろう。症状は悪化しているに決まっている。
あの右手はさっさと治すべきだろう。そしてゼオンを早く万全の状態に戻すべきだ。杖を持っているキラ達4人の中の支柱はどう考えてもゼオンだからだ。キラ達にとっても、そして杖を奪われたくないセイラにとっても、ゼオンの手をこのまま放っておくことは望ましくない。
手を治す方法、それがあるのもブラン聖堂だったな。そう思ったところで、キラがセイラの顔を覗き込んで言った。
「……セイラさ、やっぱりまだちょっと元気無い?」
「いえ、怪我はもう治りました」
「そうじゃなくて、落ち込んでる? ってこと」
セイラは驚いた。自分ではもうとっくに本調子に戻った気分になっていた。
「そう、見えましたか?」
「うん、ちょっとね」
「どうしてですか」
するとキラは思いがけないことを言った。
「……えーっと、そんな風に答えるところかな。普段のセイラなら、なんかもっとさ、意地悪言うと思うんだよね。なんかこう、『キラさんに心配されるずしあいありませんよークスクス……』みたいな感じで」
「ずしあい……? 筋合いの間違いでは?」
「あうっ。そ、そうかも。と、とにかく、なんか今日のセイラって妙に素直っていうか、ちょっと元気無いっていうか……」
セイラは人形のように口をつぐんだ。一度も口をつけていないお茶の水面を見つめながら、先日のキラの言葉を何度も何度も思い返していた。
「素直なのもいいけどさ、ちょっと意地悪なくらいの方がなんかセイラがいるーって感じがするんだよね」
「そう、ですか。早く戻るよう、善処します」
「ぜん……って、あーそうじゃないの、あんまり気にしないで! 悪いって言ってるわけじゃなくて、何か悩んでるなら話してもいいんだよってこと! 別に無理にとは言わないけどさ、頼ってもいいんだよって言いたかったの」
セイラは慌てふためくキラを灰色の波のような気持ちで見つめた。悩みを打ち明けることはしなかった。
結局その日はノートを貰うとキラの家を後にした。キラはぴょこぴょこと兎のように玄関先までついて来て、ティーナとセイラの姿が見えなくなるまで両腕を広げて手を振っていた。
ティーナと共に来た道を戻ってゆく時には、既に陽が暮れかけていた。冷たい北風が後ろから吹き付け、セイラの小さな身体から体温を奪っていく。辺りを見回すと、草木は既に枯れ、初雪を今か今かと待っているように見えた。
口を開かず宿へと急ぐセイラを見て、ティーナはふと呟いた。
「キラも言ってたけどさ、悩みがあるなら言っていいんだよ」
ティーナはぴったりとセイラの後をついてくるので、セイラは少し「意地悪」をしてみた。
「ティーナさん、先日の一件以降やけに私に優しくしますよね。何か心境の変化でも?」
ティーナは硬直して足を止めた。
「うっ。そう言われると痛いなあ。いや、なんかね、セイラが連れてかれたり、オズの魔法喰らったの見て、色々後悔しちゃったんだよね。セイラが一人であんなやばい奴らに立ち向かおうとして、オズにあんな仕打ちされてるの見て、なんであたしがもっと早くセイラの力になってあげようとしなかったのかなーって。あたし、一番先にセイラと知り合ってたのに」
セイラは昔のティーナのことを思い出していた。この村に来るよりもずっと前、ティーナがこの時代に飛ばされる前のことだ。
なんで早く力にならなかったのか、とは言うが、
「できなくて当然だったと思いますよ。私は端からあなたに協力してもらおうとしていませんでしたし、あなたと別れた時も後味の良い別れ方ではありませんでしたしね。別に気にしなくていいですよ。自然な流れです」
ティーナはますます喉に物を詰まらせたような顔をした。二人はそのまま一言も話さずに市街地付近までたどり着いた。広場が見えてきたところで、ようやくティーナが口を開く。
「あのさ、ずっと気になってたんだけど……その敬語口調。もしかして、300年前の時代にあたしが言った罰ゲーム……まだ気にしてる? あんなの、別に真に受けなくていいんだからね。カッとなって、その場の思いつきで言っただけなんだから」
300年前の時代で、セイラがティーナと出会った時のことが頭に浮かぶ。今とは似ても着かないティーナのこと、そしてティーナにとってもセイラにとっても、恩人といえる二人のことを。
「気にしてるわけではありませんよ。ただ、忘れたくないだけです。記憶に刻む為の、自分への罰です」
ティーナは肩をすくめて黙り込む。
「そういうティーナさんも、あの罰ゲームを気にしていたのではありませんか? 私がこの村に来た時、あなたが昔とは性格も喋り方もあまりに違っていたので驚きましたよ」
「そんなに、変わった?」
「……そっくりですよ。ゼオンさんにあんなにベタ惚れしていることにも驚きましたし」
ティーナはそのまま前に進まなくなってしまった。セイラは一度ティーナの方を振り返ったが、すぐにティーナを置いて進もうとした。だが、ティーナはすぐに笑顔と陽気な声を作り出した。
「あは、ははは。ゼオンがあんまりにもカッコイイから驚いたでしょ。出会った時から、あたし恋しちゃってルンルンなんだからぁ」
再びティーナはセイラの隣に追いついた。なで斬りにされた心を隠しながら、ティーナは慣れた手つきで笑顔の仮面を自分に被せていた。キラもティーナもなぜ今更になって無理をしてでもセイラに付き纏うのか。理解できないままセイラは宿へと向かう。
部屋の前までたどり着き、ティーナと別れようとした時だ。ティーナはセイラに提案した。
「そうだ、明日気分転換にみんなで隣町に行ってみようよ! まだちゃんと行ってみたことなかったし、探検がてら遊びに行こう?」
「私は結構です。やることがありますので」
ティーナは寂しそうにぶうっと頬を膨らせた。
「えー、やることって? もしかして……イオ達のことと関係ある?」
「まあ、関係無くはありませんね」
愚かな英雄を目の前にしたかのような反応だった。呆れるを通り越して、諦めた様子でティーナは言う。
「ほんと、あんたすごいよ。あれだけの目に遭ってもまだ折れてないんだ」
「……折れるなんて選択肢、ありませんから」
「でもさ、もうちょっと休憩してもいいんじゃないの。セイラってさ、目的の為に必死で、いつも命懸けみたいな感じに見える。もっと気楽に考えてもいいんじゃないの」
この間からティーナはずっとこうだ。休憩しろ、もっと気楽に、と口を酸っぱくしてセイラに言う。セイラは当然のことのように答えた。
「目的には、命を懸けるものでしょう?」
ティーナは絶句した。
「その為なら、私がどうなろうと構いませんよ」
ますます絶句した。セイラはごく普通のことを言ったつもりだったのだが、ティーナは再び打ち捨てられたマグロのように床に突っ伏した。
「セイラ、重い、それ、重いよ……重すぎるよ……」
ここにきてセイラはようやく、自分の感覚が他人と多少ズレているということに気がついたのだった。




