第10章:第18話
キラはイオの言っていることがすぐに飲み込めなかった。遠くで転がっているセイラはどこから見ても本ではなく幼い女の子だ。
「キャハハ、ボク、世界の全ての過去を記した記録書が本の形してるなんて一言も言ってないよぉ!」
イオは何も知らないキラを嘲笑うと、急に丁寧にお辞儀をして言った。
「改めて自己紹介してあげようか。はじめまして、ボクらは女神リオディシアが作り上げたこの世の過去と未来の情報の管理保管をするシステムだ。あの子が『記録書』のセイラ、ボクが『予言書』のイオだよ。よろしくね」
「予言書……?」
「そう、予言書。全ての過去が記された記録書が存在するなら、その反対の全ての未来が記された予言書があってもおかしくないでしょ。その予言書がボク。キラの未来もゼオンの未来も、ボクの頭の中で検索をかければすぐ出てくるよ。えへへ、すごいでしょ」
その言葉を聞いて、先ほどイオが予知能力のように次々とゼオンの攻撃を潰していった時のことを思い出した。あれはイオの「予言書」としての力のせいだったというわけだ。
キラとゼオンが何をしようと、イオには全て見えてしまうというのか。
「あんた達がボクの予言と違う未来を導き出そうとしても無駄だよ。未来が書きかわる度にボクの予言も書きかわる。何しても無駄。えへへ、ごめんね」
鳥肌が立っていく。これまで見たイオの力が頭に浮かんでいく。ひとりでに傷が治っていく再生能力、時間操作の魔法、そして未来を知る予言書としての力。
キラは目の前が闇で覆われていくような気がした。ずるい。強すぎる。そんな理不尽な力を三つも備えた少年とどう戦えというのだろう。
倒れているセイラの姿が更に遠ざかったような気がした。次にイオはゼオンに目を付けた。
「さてと、めんどくさいけどメディのお願いだからね。お前からちゃっちゃと聞き出すこと聞き出さないとね」
ゼオンは傷だらけの身体をどうにか起こして立ち上がったが、この理不尽な強さの少年と満足に戦える状態でないことはわかりきっていた。
イオはにっこりゼオンに笑いかけて尋ねた。
「さあ質問だよ。早く教えてくれたら痛くないよ。お前さ、7年前、牢獄でリディに会ったよね。あの時リディがお前に何を言ったのか教えてよ。一字一句正確にね」
キラも、ゼオンもきっと驚いただろう。それはオズがゼオンに問いただしたことと全く同じだった。
「またそれか……正直、俺はお前らがどうしてそんなことにこだわるのかさっぱりわかんねえんだけど……」
「うん、ボクもわかんない。なんでだろーねー」
「でもとりあえず……お前もオズも……人からものを聞き出すのがめちゃくちゃ下手くそだってことはわかった。そう強引じゃなけりゃ、こっちもあっさり口を割ったかもしれないのにな」
「つまり、それって教えてくれないってこと?」
「そうだな」
イオは「ちぇっ」と吐き捨てるとパチンと指を鳴らした。蒼の水晶が三つ、暗闇の床から生えてゼオンを取り囲んだ。水晶は淡く輝き、光の線で三点を結ぶ。
どう考えてもこの水晶に取り囲まれている状態が良いとは思えない。しかしゼオンの脚には生々しい傷が絡みつき、走って逃げ出せそうになかった。
代わりにゼオンは魔法で槍の雨を呼びだし、水晶を砕こうとした。
だがその瞬間、イオの微笑みが再びゼオンの足掻きを砕く。ゼオンが呼び出した槍は突如重みを失ったかのように失速し、のんびりと水晶に当たって落ちた。
ゼオンもキラも何が起こったのか理解できなかった。
「残念。その陣の中じゃ蒼のブラン式魔術以外の魔法は威力が半減されちゃうんだよね」
イオは勝ち誇ったように言った。ブラン式魔術。意味はさっぱりわからないが、言葉自体はキラも何度か聞き覚えがあった。
「ああそういや、お前らブラン式魔術のこともまだ知らないのか。それすらわからない状態でよくボクらに敵うなんて思えるよね」
すると、ゼオンが傷だらけの身体を引きずりながら尋ねた。
「……それは、セイラが使う『この世を創りし蒼き瞳の女神よ~』の詠唱で始まる魔法のことか?」
「あ、詠唱文覚えてたんだ。偉いね。それは蒼のブラン式魔術。んで『この世を壊す紅き瞳の女神よ~』で始まる魔法が紅のブラン式魔術。オズとかはこっちを使ってるでしょ?」
「……。そのブラン式魔術ってのは何なんだ」
「うーん、ざっくり言うと、リディとメディ、二人の神様の持つ力を使った魔法のことだよ。リディとメディ、そして二人から力を分け与えられた者、あと神の血を飲んだ奴はその魔法が使えるんだ。
蒼のブラン式魔術はリディの性質『創造』、紅のブラン式魔術はメディの性質『破壊』の力を持ってるんだよね。
ボクやセイラはリディの創造物だからね、蒼のブラン式魔術が使えるんだよ」
「ここに来る前に何度かぶち込まれたビン……あれに入ってた蒼や紅の石にも『創造』や『破壊』の力が宿ってるのか?」
「そうそう、下手に触るとねえ、その手みたくなっちゃうんだよ。えへへ、今日は剣を使わないんだね?」
イオはゼオンの手を指差した。ネビュラが来た時、ルルカが貰った封筒に入っていた紅の石をゼオンは触ってしまっている。ゼオンは爛れた片手を隠した。
「……なるほど、色々教えてくれて助かるよ。優位に立つと、人って饒舌になるものなんだな」
「まさか色々わかってラッキーなんて思ってる? 冥土の土産だってこと忘れないでね」
イオは軽く指を鳴らした。蒼い蔦がゼオンの足元に絡み付き、棘が脚を刺した。
「殺したらリディって奴のことを聞き出せないけどいいのか?」
「んー? 聞いてから殺すんだよ。お前はきっと教えてくれるし。ボク、お人形は首から切るのが好きなんだけど、今日は脚からにしてあげるよ」
その時、イオの目がこちらを見た。やばい。キラは確信した。耳元の制止を降りきってキラは杖を担いでゼオンの方へと駆け出した。
狙うはゼオンを取り囲む三つの水晶だ。あれを取り除けばゼオンの魔法の威力は元に戻るはず。
だが水晶を砕こうとした瞬間、壁を作るように床から別の水晶が競り上がってくる。空からは蒼の石が銃弾の雨のようにキラを狙った。
キラは全ての邪魔を走って避けきった。何故ゼオンが「脚にだけは怪我をするな」と言ったのかその時キラは気づいた気がした。
脚さえ動けば、まだ走れれば、キラは大抵の攻撃を避けきれる。それがキラの武器だった。
キラは大きく振りかぶり、杖で水晶を一つ砕いた。
「ゼオン、大丈夫!?」
キラが駆け寄ろうとした時。
「キラ、足元!」
キラはピタリと脚を止めた。足元に光の線が見える。ぐるりと円を描いてキラを囲んでいた。
「やっぱり来てくれた。待ってたよ、キラ」
蒼の水晶がキラの周囲に壁を作り逃げ道を塞いだ。キラは狭い牢獄のような空間に閉じ込められた。透明な壁の向こうに苦渋に満ちた目でこちらを見つめるゼオンが居る。
正面も後ろも左右も分厚い水晶に覆われていた。ただ一カ所、真上にだけは水晶の壁が無い。
その時、何者かが水晶の鉄格子に降り立った。ショコラ・ブラックは二つの剣を構えて、上からキラを見下ろしていた。最悪だ。脚が動いても、逃げる場所が無ければ傷は付く。
イオの無邪気な声がした。
「ねえキラぁ、頼みがあるんだ。キラからゼオンに言ってよ。リディについて知ってることを話してくださいって。泣いて喚いてお願いしてくれると嬉しいなあ。キラが可愛くお願いしたらきっとゼオンは聞いてくれるとおもうんだよねえ」
卑怯だ。この期に及んでまだ自分が人質扱いされていることがキラは不満で仕方がなかった。
「馬鹿なイオ君。ゼオンは言わないよ。そんな人じゃない」
「わぁ、馬鹿が居る。馬鹿はお前でしょ。気づいてないの? 天然って怖いなあ」
そしてイオは処刑執行の合図のようにブラックに言った。
「じゃあ、次はこっちね。」
そして詠唱が始まった。それはあの「時間停止」の魔法の呪文だった。剣が突き刺さったゼオンの姿を思い出す。早くこの牢から出なければならない。
キラは杖に乗って空を飛び、水晶の壁を乗り越えようとしたが、当然目の前にはブラックが立ちはだかる。
一方のゼオンもイオの詠唱を止めようと多数の魔方陣を呼び出すが詠唱を止めることはできなかった。蒼のブラン式魔術以外の魔術の威力半減はまだ続いている。ゼオンの足元には蔦が絡み付いていた。
ゼオンは蔦を焼き払って杖を剣に変化させて駆けた。だがその爛れた手と傷だらけの脚で満足に戦えるのだろうか。
先ほどキラは万全の状態で万全の一撃を食らわせたのに詠唱は止まらなかったのだ。イオの再生能力によって。
ゼオンが向かった先はイオではなく魔法の威力を半減させている蒼の水晶だった。
ゼオンは剣を水晶に突き刺した。キラが一つ壊したので、残りは二つ。ゼオンが剣を刺すと蒼の水晶は砂糖菓子のように溶けて砕けた。
二つの水晶を砕くと、ゼオンの繰り出す魔方陣に炎のような輝きが戻った。灼熱の鳳凰が天を舞い、イオを飲み込もうとした。
だが無残にも時間の方が一歩早かった。
「……時よ我が意に従え! フェルマータ・ウール!」
誰もがその瞬間、決着はついたと思った。もう駄目だと諦めかけ、自分の身体に無数の傷がつくだろうと思った。ブラックの剣が煌めいた。
「あれっ……?」
だが、困惑の声を漏らしたのはイオだった。それから、キラは違和感に気づいた。痛くない。
そして炎の鳳凰がイオを飲み込んだ。その時ようやくゼオンとブラックも異変に気づいた。
ブラックはキラから距離を取り、イオに叫ぶ。
「おいイオ、どういうことだ! 時間止まってねーぞ!」
キラは耳を疑い、水晶の壁の向こうを見つめた。唖然として立ち尽くすゼオンの横顔が見えた。今までとは違う、希望の光でも見るような目だった。
その時、ゼオンの魔法の光が散った。視界が晴れ、イオの姿が現れる。
イオは「修復途中」だった。剥きだしになった骨に肉が纏わり付き、赤くめくれた肉を覆うように皮膚が再生していく。
だが、それだけの損害を与えられただけでも大きな進歩だった。
「ふうん、ちょっとはやるじゃん。今、何したの?」
それはキラが聞きたいことだった。
イオの声でゼオンはハッと我に帰った。そして剣を手にキラの居る水晶の牢へと駆け出した。この好機を逃すまいとゼオンは牢に剣を突き刺す。斬れば斬るだけ水晶の牢は崩れ、キラを取り囲む透明の鉄格子は消え去った。
「あれっ、そんな簡単に壊せるものだったの?」
キラは思わず声をあげ、イオはゼオンを睨みつけて舌打ちした。ゼオンは剣を杖に戻し、イオに言った。
「そういえばこの杖って、メディって奴の身体が封じられてるんだったっけな。お前の蒼のブラン式魔術とは正反対の力を持った神の。物理攻撃なら相手がお前の魔法でも結構効くんだな」
「うわあ、余計なことに気づいちゃった。めんどくさ」
「お前は意地が悪いな。自分の力の長所はひけらかすくせに、欠点は教えてくれねえんだから」
その顔には余裕が戻っていた。キラはちょこまかとゼオンの所へ走っていく。
「ゼオンゼオン、大丈夫?」
「うん、まあ」
「嘘つき、そんな傷だらけで大丈夫なわけない!」
「おい理不尽だ、この状況で駄目だとは言えないだろ」
ゼオンの隣にキラが立ち、イオの隣にブラックが降り立つ。まるで最初の状況に戻ったようだ。
「どうしよう……さっきみたいなチャンスがまた来てくれればいいんだけど……」
キラがそう言うと、ゼオンはキラに次の指示を出した。
「お前、まだ脚に怪我はしてないよな」
「うん、平気」
「まだ走れるよな」
「うん、バッチリ」
「じゃあお前に頼みがある。とにかくあいつをぶっ潰せ」
そう言ってゼオンはショコラ・ブラックを指差した。キラは首を傾げた。
「いいけど……それじゃさっきと変わらないよ?」
「構わない。セイラのとこに行くことは考えなくていいから、とにかくあいつをぶん殴ってくれ」
キラはますます首を傾げた。それでは助けに来た意味が無いじゃないか。困惑したまま、キラは尋ねる。
「どうして?」
するとゼオンは冷静に、淡々と、キラの知る強い瞳で言った。
ゼオンの考えることはキラにはわからない。今までもわからなかった。きっとこれからも理解できないのだろう。しかし、その時のゼオンの眼は道の手がかりを見つけはじめた眼だった。
「終わったら、教える。だからさっさと帰るぞ、三人で」




