第10章:第17話
ただ暗闇に向かう不気味な風が二人の間をすり抜けていく。落ちているのか進んでいるのか、身体が宙に浮いているような不思議な感覚の中でキラはじっと目の前の暗闇を睨みつけた。
隣にゼオンが居ることを確かめ、キラは息を吸って吐いて覚悟を決める。その時風が止み、地に足がついた。地とはいっても真下も真上と何ら変わりない暗闇だ。
「やあ、来たね」
その声とともにピンと空気が張り詰めた。二人が振り返るとその先にイオとブラックの姿があった。
「えーと、二人か、まあ上出来かな。ほんとは一人まで減らしてくれたら楽だったんだけど、さすがにそうはいかないよね」
イオの向こう側に蒼く輝く魔方陣があった。檻のように淀んだ光を放つ陣の中央にセイラが倒れていた。
目を閉ざし、壊れた人形のように動かない。胸にあの紅の石が刺さっていて、そこから血が漏れていた。
「イオ君、あたし達の用はわかってるよね。セイラを返してもらうよ!」
「わかってるよぅ。それでどうぞなんて言うと思う? セイラはボクのなんだから、誰にも渡さないよキャハハハハ……あんた達こそ、その杖ボクらにちょーだい?」
やはりイオは引かなかった。交渉の余地はない。ブラックが剣を抜き、ゼオンが杖を握る。力ずくで奪い返すしかない。戦いの火蓋が切って落とされようとした時だ。
「ん?」
ブラックが妙な声をあげた。
「イオ、メディがなんか言ってる」
「え?」
争いはいきなり中断した。イオは宙に向かって何か話しはじめたが、キラには誰の姿も見えなかった。唖然としながらキラはゼオンに言った。
「どうしよう、空気と会話してる……」
「だな……何も見えねえけど、あそこにメディってのがいるのか?」
それより、とゼオンはセイラを指さした。
「あれ、どう思う? あいつ……あの程度の傷で寝てるような奴か……?」
セイラの傷は小さかった。胸に刺さった紅の石以外、目だった外傷は無い。
「やっぱりあの石がなんかあるんじゃないの?」
「そう考えるのが自然だよな……とりあえず、早くセイラのとこにたどり着いてあの石を取り除いてやるべきか」
「だね」
すると、急にイオが空気に文句を言いはじめた。
「えーやだ、二人も連れてくのめんどくさーい。やだー!」
キラは更に唖然とした。この隙にセイラを取り返した方がいいのでは、とゼオンに提案しようとしたところ、イオが突如ゼオンを指さした。
「ねえ、ゼオンだっけ。あんた、ボク達に大人しくついてきてくれる気ある?」
「え、俺? なんで俺……?」
「えっ、またあたしだけ仲間外れ?」
キラとゼオンはますます唖然として顔を見合わせた。
「なんかメディがお前から聞き出したいことがあるんだってさ。で、ついて来る気あるの、ないの?」
「行くわけないだろ」
「だよねー」
予想どおりの答えにイオは面倒くさそうにため息をついた。かと思うと、何かいいことを思いついたのか、ぱんっと手を叩いた。嫌な予感がした。
「そーだ! 聞き出したいことがあるなら、ここで聞き出せばいいんだ! いっくよー!」
その瞬間に闇が蒼の光で染め上げられた。時計盤のような魔方陣が蜘蛛の巣のように編み上げられていく。同時に炎の桜が紅の雨を降らせた。争いは突然再開した。ゼオンの魔方陣がイオの魔法を迎え撃つ。
二人の魔法がぶつかり合っている隙にキラはセイラの居る場所へと駆け出した。だがやはりそう易々とセイラを返してはもらえない。ショコラ・ブラックが正面に立ちはだかった。
ブラックの二本の剣とキラの杖がぶつかる。キリキリと音が立つ。ブラックは一度退くとキラの懐に回り込もうとしたが、キラはどうにかそれを避けた。
その時、一瞬キラの星型の髪飾りが熱を持った。
『聞こえるか?』
髪飾りからゼオンの声がした。きっとゼオンの魔法によるものだ。
「うん、聞こえる」
『何かあったらこっちから指示を出す。とりあえずそいつの相手をして、行けそうだったらセイラのところに向かってくれ』
「わかった!」
『あと一つ、今のうちに言っておく。お前、脚にだけは絶対に怪我するな』
「ん? よくわかんないけど、気をつけるよ!」
キラはそう答えて再び杖でブラックに殴りかかった。だが何故か胸騒ぎがした。何か悪いことが起こる予感がしてならなかった。
キラとブラック、ゼオンとイオの戦いが幕を上げる。その瞬間、イオの高笑いが断末魔のように駆け抜けた。
「キャハハハハハハハハハハぶぁーーーーっか! お前のやることなんて全部読めてるんだよキャハハハハハハハハハハハハ!」
蒼の嵐がゼオンの魔法を打ち破り、神の審判のように降り注いでいきなりゼオンを突き刺した。
ゼオンはそれでも怯むことなく二つの魔方陣を呼び出し、一つの陣からはイオを捕らえる鎖が、もう一つからは紅蓮の捏を帯びた刃が姿を現す。
しかしそれもイオは知っていた。まず蒼の風が鎖を凪払い、続けて紅蓮の刃を砕いた。その後もゼオンは懸命に抗ったが策は全てイオに潰された。
まるで全て読まれていたかのように。
ここに来る前、キラ達はオズからこう聞いていた。イオと戦う時は基本的に「セイラが敵に回った」と思って戦えと。「知らないはずのことを知っている」──セイラの妙な知識まで今は敵に回ったようだった。
イオは突然ブラックに声をかけた。
「ちょっと手ぇ貸して。あいつ、先に潰すから」
イオは呪文の詠唱を始めた。
「この世を創りし蒼き瞳の女神よ……」
それまで無詠唱で魔法を使ってきたが、どうやらこの魔法は詠唱が必要らしい。
「詠唱なんてさせるかぁ!」
キラは狙いをイオに変えた。当然それを阻もうと再びブラックが邪魔をする。その時火の雨が降り注ぎブラックの動きが鈍くなった。ゼオンの支援だ。
キラはブラックの隙を突いてイオの元へと駆ける。詠唱中の術者は無防備だ。ごめん、とほんの少しの躊躇いを振り払い、キラは杖を奮った。
ボゴッと音を立てて杖はイオの頭にめり込んだ。小さな身体が後ろにのけ反り、頭から朱色の血が吹き出した。
やばい、やり過ぎたかもしれない。殴り終えてからキラは思わず振り返った。が、その心配は無用だった。イオは鼠を見るような目で嘲った。血はもう止まっていた。頭の傷が塞がっていく。
「時よ我が意に従え! フェルマータ・ウール!」
そしてその魔法は発動してしまった。息が詰まるような感覚だった。その後キラには何が起こったのかわからなかった。
「……っ……がっ……!」
キラの髪飾りから声がした。振り向くと、影のような黒い剣がゼオンの胸に深々と突き刺さっていた。ブラックが血で染まった剣を抜いた。
「ゼオン!!」
キラは思わず駆け出していた。胸が張り裂けそうな想いだった。ゼオンの全身から血が吹き出した。胸だけではない、いつのまにかゼオンの身体じゅうに深い切り傷ができていた。
一体どうして。ブラックはつい先程までキラの相手をしていたはずだし、ゼオンがこうも一方的に斬りつけられるような状況になっていたら髪飾りから何か聞こえるはずだ。
キラはゼオンに駆け寄ろうとした。
「来るな! 相手を見ろ!」
その声に足が止まり、ゼオンではなく目の前を見た。ブラックの剣が目と鼻の先を掠めた。雪崩のように襲う斬撃をちょこまかとキラは避けていく。遠くで痛みをこらえながらブラックの背中を狙うゼオンの姿が見えた。
だがその時、ゼオンの頭上に淡い光が焼夷弾のように降り注ぐ。
「キャハハ、させるわけないでしょ」
背後でイオの声がした。急にブラックの顔に陽が当たり、キラの顔に影が落ちた。背後が眩しい。あ、これ、まさか、やな予感……
そしてゼオンが二人を纏めて突き飛ばした。転げ落ちた先でキラが顔を上げた時、目に映ったものはキラを庇って浅黄の矢が突き刺さったゼオンの姿だった。
「捕まえた」
イオが満足げに笑う。予定調和を全て知っていたかのように。温かな血が身体から溢れ、膝をついて立ち上がれないゼオンの姿が見えた。
身体じゅう傷だらけ、特に脚は徹底的に斬りつけられていた。どうしてこんなことに。今すぐゼオンのところに行きたかったが、ゼオンは「来るな」とキラを睨みつけていた。
「キャハハ、キラってばなんでこいつが一瞬でボロボロにされたんだって顔してるねえ。時間操作の話、もう知っているはずだよねえ?」
イオはにっこり微笑んだ。時間操作の魔法。セイラが得意としていた魔法。イオもその魔法の使い手だ。
イオが時間を止めた間にブラックが斬る。そうしてゼオンを追い詰めたようだった。改めて時間操作という魔法の理不尽さを思い知る。
「もう一つ教えてあげよっか。ゼオンがどんなに巧妙に策立てようとボクには通用しないよ。ボクには『未来』がわかるんだから」
「……どういうこと?」
「ふうん、その顔、ボクだけじゃなくて、セイラが『何』なのかもまだ知らないって顔だね。教えてあげよっか」
イオは満足げに話しはじめた。
「ねえキラぁ、キラはわかるよね。ブラン聖堂にあった『記録書』と『予言書』のこと」
ブラン聖堂の地下、白と黒の本が並ぶ図書館、終わりの見えない迷路、中心にそびえ立つ水晶の樹。
あの反乱の前に誘拐され、ブラン聖堂の地下で目を覚ました時、キラはイオからその話を聞かされた。
一人のヒトの過去を記した黒い本「記録書」と、未来を記した白い本「予言書」。あの図書館には全てのヒトの「記録書」と「予言書」が収められているらしい。
そして、その時イオは言っていた。探しものがあると。
「ボクはあの時キラに言ったよね。この世界の全てのヒトの過去を記した一番すごい記録書がこの世界にあるって。ボクはそれを探しているって」
「うん……言ってた……」
「ボクはもうね、見つけたんだ。えへへ。キラにはあげないよ。ね、どこにあると思う?」
うっとりと天を見ながらイオはキラになぞなぞを出す。にやにやと怪しく笑うイオを見て、キラはなんとなく答えがわかった。
「もしかして……その本をセイラが持っているっていうの?」
「惜しいなあ、すごく惜しい。もう一度考えて」
キラがもう一度答えを探しはじめた時だ。星の髪飾りから声が飛んだ。
「馬鹿!そいつの言葉に耳を貸すな!後ろ!」
しまった。慌てて振り向いた時には銀の刃は既に目と鼻の先にあった。黄薔薇の剣がキラの左肩から腕にかけて血の線を引く。続いて黒い剣が太股を狙った。これは喰らっちゃいけない。意地で二発目は避けきったが、左肩の痛みが炎のようにキラの意識を覆った。
「キャハハハハ残念時間切れェ!」
イオの笑いが走り抜けた。卑怯だ。イオを恨むと同時に、あんな言葉一つで隙を作ってしまった自分が情けなくて仕方がなかった。
そしてイオは御満悦で答え合わせを始めた。
「答えはねぇ、セイラ自身だよ。セイラが記録書なんだ」




