第10章:第16話
女子寮の周囲に人気は無かった。鼠の吐息すら聞こえない程の静寂に包まれている。
食事時を狙ったオズの案は正解だったかもしれない。無関係の生徒達を巻き込まずに済みそうだった。
寮の壁に張り付きながらキラ達は入り口の様子をうかがっていた。
「とりあえず人の気配はなさそうね」
「あたし、寮のことよく知らないんだよなあ。ゼオン、先輩の部屋ってどこか知っ……て……」
キラの言葉は尻すぼみになっていた。振り向いた先のゼオンは相変わらず食べてはいけないものを口に含んだような顔をしていた。
「もうゼオン。いい加減にしてよ! これからいろいろ大変なんだからね!」
キラがぐちぐちと文句を言い出した時、上からゴトリと何かが落ちてきた。キラは目の前に落ちたものをじっと見つめた。
何の変哲も無いビンに紅色の物が入っている。中身は指先程の大きさの石のようだ。
透き通っていて綺麗。あ、これ、前にルルカが貰った封筒に入っていた石と同じ……
そう考えた瞬間、身体が砕けそうな速度で腕が引かれた。キラとルルカが振り飛ばされた時、つい先程までキラ達が居た場所が音をたてて爆発した。
先程のビンは粉々に砕け、炎がその場を包んでいた。
キラとルルカは唖然とした。ただ一人、ゼオンは落ち着いた様子で二人の腕を離した。
「三階からだ。相手は俺らを意地でもショコラ・ブラックの部屋に近づけさせたくないらしいな」
そう言ってゼオンは詠唱省略の魔法を唱え始めた。キラとルルカはまた唖然とした。
「……やる気、出したみたいだね……」
「……この人、常に危険な場所に置いておいた方がしゃんとするんじゃないかしら」
先程の爆風でゼオンの中から「女子寮」の三文字は吹き飛んでしまったらしい。
キラ達は女子寮の中に入った。気配はなく、それぞれの部屋からも声などは聞こえてこない。
「先輩の部屋、どこだろう……」
「たしか前には三階って聞いた気がする。さっきのビンが落ちてきたのも三階だったしな。建物の構造は男子寮と同じみたいだから、階段があるのは多分廊下の突き当たりだ」
ゼオンが淡々と言った。誰よりもここに来ることを嫌がった人が誰よりも寮について詳しかった。
目の前には長い廊下があった。左側には窓が、右側にはそれぞれの部屋への扉が並んでいる。廊下は無人であり、寒気がするほど静かだった。
ゼオンはルルカに指示した。
「お前、窓側に盾を張れ。俺は扉側やるから。盾張りながら、あっちまで駆け抜ける」
「強引ね。トラップがあるっていうなら、先に解除してから進むって考えは無いの?」
「俺はこの場所に長時間居る方が危険だと思う。ここはさっきの場所と違って一本道だ。もし後ろからさっきの石の入ったビン投げ込まれたら逃げ場ねえぞ」
「……確かに、それはそうね。わかったわ」
ルルカは納得したようで、弓を杖に戻す。そして杖を窓側に向けながら盾の呪文を唱えはじめた。その間にゼオンはキラに言う。
「いいか、三人並んだ状態であっちまで駆け抜ける。俺は右、ルルカは左、お前が真ん中だ。
ただし走る速さは俺達に合わせろ。じゃないと俺らはお前を守れないし、目の前を塞がれて俺とルルカが痛い目見る可能性が高い」
「わ、わかった」
初めはたかが廊下を歩くくらいで……と思っていたが、二人の警戒を見ていると廊下ではなく針山を目の前にしたような気分になった。
ルルカとゼオンの魔法でできた盾が三人の両脇を覆う。キラはすうっと深呼吸した。
「よしっ、行こうっ!」
キラの声と共に三人は駆け出した。扉と窓の前にさしかかった途端、両脇に魔方陣が浮かび上がった。いやな予感がする。
突如窓が砕け散ってガラスの嵐が三人を襲った。扉側の魔方陣からは先程の紅の石の入ったビンが飛び出した。
あ、やばい。予感は的中した。轟音と共に三人のすぐ後ろが炎で染まった。
「うわああああああああああっ女子寮ってええぇぇぇなんだっけええええええええっ!!!!!」
キラの叫び声は燃え上がる天井に反射して返ってきた。三人は駆け続ける。まるで地雷のように、一歩踏み出す度に魔方陣が浮かび上がり、爆炎の雨とガラスの風が左右から攻め込む。
崩れていく橋を渡っているようだった。左右の盾には既にヒビが入りはじめていた。突き当たりの壁まであと少し。
最後の窓と扉が炎に包まれた。熱はキラの背にあった。
「うおおおーーーっ、生き残ったぞーーーー!」
キラが叫んだ瞬間、突然キラは「伏せろ」という声と共に頭を床に押し付けられた。岩を貫くような音と共に、何かが頭上を通過した。
続けてゼオンが乱暴に腕を引く。先程頭上を駆けた石は壁を突き刺し、弾けるように辺りを凍りつかせた。
キラは言葉を失った。美しい氷の樹の中心には、先程のビンの中身とよく似た石の姿があった。ただし、今度の石は深い蒼色だった。
ルルカが杖を再び弓に変え、石の放たれた方向へ矢を射る。それは階段の上だった。誰かがガチャガチャ音をたてながら踊り場の影に身を隠す。
ルルカが後を追うと再び岩を貫くような音と共に牽制が入る。放たれる物は全てあの蒼の石だった。
「早速現れたみたいね」
矢を手に取りながらルルカは言う。キラはゼオンの影に隠れて様子をうかがうことしかできなかった。目の前のゼオンは慎重に階段を上るタイミングを探っている。
すごい。とキラは思わず声を漏らした。相手の攻撃が止むと、ルルカは二人に手招きする。
三人は相手の死角を縫うように階段を登っていく。ルルカは直上に矢を向けつづけていた。
「捉えられそうか?」
「厳しいわね。相手の方が射程が長そうよ」
「お前より? 面倒だな……」
「ええ。このまま目的の部屋まで邪魔をされたらそれこそ面倒だし、救出時まで体力持たないわよ。どうせこの後イオが待ち構えているんでしょう」
「じゃあ、どうする?」
踊り場まであと一段。この角を回り込めば間違いなく敵が待ち構えている。
ルルカは直上を見つめた。蛇腹のような階段が天井へ続いている。
「別にこんな階段、律儀に登る必要無いわよね」
ルルカはキラとゼオンに言った。
「私、ここでさっきの奴を足止めするわ。貴方達その間に空飛んで上に行きなさい」
キラは身を乗り出した。
「そんな、それじゃルルカ一人で危険な目に……それに、三人一緒に行った方が確実にセイラを取り戻せるんじゃ……」
「疲労困憊で三人たどり着いても何の意味も無いわ。いいから行きなさいな。あ、ゼオンは後ろに乗せて飛ぶのよ。この人、空中あまり得意じゃないから」
ゼオンが顔をしかめた。
「飛行馬鹿や有翼人種と比べるな。別に飛べないわけじゃない」
「サラ・ルピアに足場を崩された時に落下しかけたのはどこの誰だったかしら。いいから行きなさい」
キラは早速杖に乗って宙に浮いた。後ろにゼオンが乗る。二人の準備が整うと、ルルカは言った。
「本当は、あいつに一言礼は言っておきたかったけどね」
「あいつって、先輩のこと?」
「ええ。まだお礼言ってなかったもの。どういう魂胆だったとしても、助けてくれたのは事実だから。それで、その後ボコボコにしたかった」
「……じゃあ、ルルカもすぐに追いついてよ」
「そうね、善処するわ。じゃあ……あいつによろしくね」
ルルカは弓を構えて飛び出した。矢の雨と紅蒼の風がぶつかり合った。その嵐をくぐり抜け、キラとゼオンは杖に乗って上の階を目指した。
二階を過ぎると邪魔もトラップも一気に減り、容易く三階まで辿り着けた。
三階にもやはり人は居なかった。だが地獄の一階をくぐり抜けた後だと、人の姿があるよりも誰も居ないことの方が物騒に感じる。
一歩一歩、警戒しつつ二人は廊下を歩いた。不自然なくらいに何事も起こらなかった。
そしてとうとうゼオンがある部屋の前で止まった。
「ここだ」
304号室と書かれた扉の前で足を止める。
「わかるの?」
「わかるだろ。この部屋だけ明らかに変な魔力の気配が……って、むしろお前はわからないのか?」
「さっぱりだよ。あたしには他の部屋と同じようにしか見えないや」
こういうところでも個人差があるらしい。キラはため息をつく。
「じゃあ、早くセイラを助けなきゃ。って、ここって普通にドア開ければ入れるの?」
「いや、多分無理だ。また結界が張ってある。どうやってこれを壊すか……」
その時、突如部屋の扉に蒼い魔方陣が浮かび上がった。キラとゼオンの周りを見たこともない文字が取り囲む。そして扉が開き、キラとゼオンを吸い込もうとした。
「結界を破る必要はなさそうだな。あっちが呼んでる」
「呼んでるじゃないよ、これいいの? 行っていいの、やばそうじゃない!?」
「まあ、まずいだろうな」
「落ち着いて言わないでよ!」
「慌ててどうする。まずくてもまずくなくても、セイラを助ける気があるのならやることは一つしかねえだろ」
うっ、とキラは言葉を失った。どうして毎度この人は何の躊躇いもなくそういうことが言えるのだろう。怖くないのだろうか。危険なことだと本当にわかっているのだろうか。
キラなんて何度決意を固めてもふとした瞬間に恐怖が込み上げてくるというのに。
キラは扉の向こうに広がる闇を見つめた。こちらとあちらを隔てる黒は水面のように揺れる。
すぅと息を吸って、吐いた。
「うーわかったよ、行けばいいんでしょ行けば!」
キラとゼオンは扉の向こうの闇に飛び込んでいった。




