第10章:第14話
肌が凍りつきそうな夜だった。ブラックオパールのように澄んだ闇が辺りを包んでいる。校門の灯、窓の灯、ぽつぽつと点る光が星のように学校を照らす。昼間の学校とは違ったミステリアスな雰囲気が漂っていた。
校内の人は昼間と比べるとかなり少なくなっていた。しかし、まだ生徒は敷地内に残っている。寮を利用している生徒が居るからだ。
この学校で寮を使う人は大抵特殊だ。なぜこの学校に寮があるか。キラはそれまで考えたことがなかった。だが今ようやく気づいた。それはロアル村が「外部で行き場を無くした者を受け入れる村」だからだ。村の外で行き場を無くした子供の為の受け皿だったんだ。
ゼオンも、ショコラ・ブラックもこの寮を使っている。ある意味この二人も「行き場を無くした者」なのかもしれない。
キラ、ゼオン、ルルカの三人は正門から校舎に入り、教室等がある棟の裏に回って「合図」を待っていた。
杖、剣、弓。三人共その手に武器を握りしめて突入の時を待つ。目指すはショコラ・ブラックの部屋だ。
キラはゼオンとルルカに言った。
「二人とも、準備はいい? 絶対イオ君達に勝って、絶対セイラを連れ戻すんだからね!」
「言われずともそのつもりよ」
ルルカは凜と強く返事を返したが、ゼオンは深く重いため息をついてうずくまっていた。その様子を見たキラも思わず力が抜けてしまった。キラはゼオンに怒鳴った。
「もう、ゼオンも気合い入れてよ!」
ゼオンは再びため息をついた。苔が生えるような湿っぽいため息だった。
「オズの奴、言いたい放題言いやがって……だいたいあいつが一番強いんだからあいつがセイラを連れ戻せばいいじゃねえか。なんで俺が……」
ゼオンはうずくまったままぶつぶつと文句を言っていた。ルルカが呆れ果てていた。
「貴方まだ気にしてるの? 人払いはするんだし、もうここまできたら行くしかないでしょう」
「気にするだろ……なんか、駄目だろ……全くオズの奴……」
「だいたい気づくのが遅いのよ……今になってうじうじするの止めてくれない?」
キラは二人の会話を苦笑いしながら聞いていた。キラとしてはゼオンがぶつぶつ文句を言う気持ちはわかるのだが、こればかりはひたすらにオズが悪いとも言えなかった。
ゼオンがオズにこれだけ文句を言う理由は、オズがセイラ救出の作戦を告げた時のことだ。
◇◇◇
セイラが閉じ込められているのはおそらくショコラ・ブラックの部屋。そう断定するとすぐにオズはキラ達を自分の周りに集めた。
「セイラ救出の為の作戦はオズが立てる」──その条件どおり、オズは計画を説明しはじめた。
まずオズはティーナを指した。
「最初にティーナ。お前はセイラ救出に行くな」
その一言を聞いたティーナは激怒した。
「はああああ!? 何それ、なんであたしは行っちゃいけないの。ってかなんであんた如きに指図されなきゃいけないの。冗談じゃない!」
「おい、誰もお前はいらんとは言うてへんやろ。イオ達との対決とは違うことやれって言うてんねん。
具体的には陽動や。ちょうど晩飯時くらいに、寮とは反対側の校舎で花火あげるかなんかしろ。人を傷つけへんおもろそーなことならなんでもええ。それでイオ達に関係無い生徒の目を引き付けろ。
無関係の奴がおらん方が好きに突入できるやろ。晩飯時なら元からだいたいの生徒は寮から出て食堂行っとるはずや。その間にキラ、ゼオン、ルルカの三人で寮に突っ込め」
ティーナの熱が収まった。膨れっ面のままだが、それ以上オズに怒鳴りかかることはない。どうやらオズの提案にある程度納得したようだ。
次にルルカが尋ねた。
「で、そこから先は?」
「さあ知らへん。ゼオンがその場で考えるやろ」
「何よ。作戦を立てさせろなんて偉そうに言っておきながら随分と無責任ね」
「相手の出方も状況もわからへん状態で俺がどうこう命令する意味ないやろ。どうせあてが外れて終わりや。せやから寮に入ってからはその時の状況に応じてお前らが思ったように動け」
ルルカは呆れ返っていた。キラも正直なところ拍子抜けだった。どんな大層な作戦が出てくるかと期待したのに、ほんの数分で説明が終了してしまった。
だが、オズはその後こう付け加えた。
「あ、どうせやからイオ達と直接対決になってからのことも言っておくか。ええかお前ら、キラは一番前に出せ。キラを盾にして、ゼオンとルルカは魔法で後方支援や」
盾。なんだかかっこいい響きだ。それだけ頼りにされているということだろうか。ゼオンとルルカの前でかっこよく戦う自分を想像して、キラは目を輝かせた。それを聞いたゼオンが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おい、なんだそれ……前衛は俺がやる。それじゃいけないのか」
ゼオンの口調に刺があった。オズは楽しそうに言い返した。
「あかんあかん。キラは魔法さっぱりなんやで。一番前に出して、その駿足と怪力を活かしてやった方がええやないか。相手にショコラ・ブラックがおることはほぼ確実やろ。素早いあいつの相手させるにはうってつけやで」
「けど……! 前に出したら真っ先に的になるだろ。この馬鹿のせいで俺やルルカが足引っ張られるのはごめんだ」
「じゃあ陽動をキラにやらせてティーナに前衛やらせるか? ティーナじゃショコラ・ブラックの足にはついてけへんやろ。どうせ戦い始まった時にあれこれ指示出すのはお前やろ。司令塔が敵に突っ込んでどないすんねん」
「……いや、こいつでもティーナでも駄目だ。俺が引き受ける」
キラはぶぅと膨れてゼオンをぽかぽか叩いた。まるでキラがお荷物だと言っているようだ。「あたしだってあたしだって」とキラはゼオンに文句を言った。
オズは初めはその反応を面白がっていたが、しばらくして何かに気づいたようだった。
「そういやお前、何人かで戦う時っていつも自分から剣持って突っ込んでくよな。キラの暴走の時もティーナとルルカは後ろ下げて自分が前衛やってたな。
まさか、女を前に出して自分は後ろで魔法撃ってるってのが情けないから嫌やって言うんやないやろな?」
ゼオンは喉に何かが詰まったかのように黙り込んだ。視線がきょろきょろとと動き、落ち着きがない。
ゼオンの慌て方を見て、ティーナとルルカがゼオンをからかった。
「きゃわああん、さっすがあたしの愛するゼオン! あたし達のこと気遣かってくれてたんだね、愛してるぅ!」
「意外と紳士的なのね。普段無神経だから、そんなところで気を遣ってただなんて気付かなかったわ」
オズはひたすら黙り込むゼオンを指しながら爆笑していた。ゼオンは悔しそうに唇を噛み、オズを睨みつけていた。
「あかんわー、お前の優しさはようわかるけどな。時代は男女平等なんやで。使えるもんは使……いや、人の長所は活かしてやらへんと、そいつの為にならへんやろー?」
オズがゼオンに説教する姿を見たティーナとルルカが憤慨した。
「なぁにが男女平等だ! 最低な使い方しやがって。少しはゼオンの優しさを見習ったらどうなのさ、この乙女の敵!」
「同感ね。底意地の悪さが透けて見えるわ」
ティーナとルルカは怒っていたが、キラはむしろ意気込んでいた。あたしだってゼオン達の力になりたい。後ろで何もできずに状況を見守るだけは嫌だ。そう考えていた。
「ゼオン、あたしオズが言うとおりにやってみたいよ。頑張るよ!」
キラがそう言うとゼオンはますます黙り込んでしまった。逃げ場を失ったような、切迫感がだった。オズが「ほら見ろ」と勝ち誇ったような表情を浮かべている。ゼオンは目を輝かせるキラに言った。
「お前、盾にされるってどういう意味かわかってるか?」
「うーん、よくわかんないけどかっこいいと思う! 盾でしょ! なんか、ここは俺が食い止める、先に行けーみたいな感じ!」
「……そうだ、最近出てこないから忘れてた。そういえばお前、馬鹿だったな……」
「ば、馬鹿!? 馬鹿じゃないもん、ばかやろー! ゼオンの意地悪!」
憂鬱そうにため息をついたゼオンの背中をキラはぽかぽか叩いた。あたしだってみんなの力になりたいのに。そう思ってキラは頬を膨らませた。
オズは子供を整列させるように手を叩き、キラ達に言った。
「はいはい、俺からの話は以上や。あとはお前ら、頼んだでー」
こうして作戦会議は終了した。若干一名は納得していないようだったが、キラ達はセイラ救出の為、学校の寮へと向かうことになったのだった。
ゼオンは重く息を吐きながら呟いた。
「全く……こんなんで本当にショコラ・ブラック達に勝てるのか……? って、そういえば……」
ゼオンは何か重大なことに気づいたようだった。ゼオンの手が硬直して動かない。ゼオンはおそるおそるオズに尋ねた。
「なあ、決行は晩飯時で、ショコラ・ブラックの部屋に行くんだよな?」
「当たり前やろ」
それの何が問題なのだろう。キラが首を傾げると、ゼオンはオズに重大な問題を告げた。
「女子寮なんだが」
「せやな」
問題どころか日常の挨拶と錯覚するくらいにオズは軽く答えた。ゼオンは再び繰り返す。
「女子寮なんだが」
「それがどうした!」
「いや、駄目だろ、人として駄目だろ。夕方以降、男子は女子寮に、女子は男子寮に入ってはいけないって規則がたしかあったぞ」
「つべこべ言わんでとっとと行ってこい! 規則なんて犬に食わせろ! 女子寮完全制覇する気で気合い入れなあかんでー」
「お前最低だな、自分は行かないからって」
「俺は攻撃魔法使用禁止やからなぁ! 俺が行って暴れたら、俺の為に力を貸してくれたペルシア達の気持ちが無駄になってまうねん。せやから俺らは校舎外で待機や。
見つかったら変態扱いされるのはお前一人やなぁ。女は一度キレたら何言っても聞いてくれへんでーアハハ!」
オズの高笑いが響き渡る。ゼオンは悔しそうにオズを睨みつけたが、誰も「じゃあゼオンは行かなくていいよ」とは言えなかった。
さすがにセイラの安否とゼオンの恥を天秤にかけてセイラの安否を捨てるわけにはいかない。こうして哀愁漂うゼオンをよそに、セイラ救出作戦の流れが決まったのだった。
◇◇◇
「どうしてこうなるんだ……」
ゼオンは憂鬱そうに俯いたままなかなか立ち直ってくれなかった。
とはいえ、相手はイオ達だ。詠唱省略と魔法の複数同時発動ができるゼオンは居てくれた方が頼もしい。
だからキラもルルカもゼオンを置いていくわけにはいかなかった。キラは真剣に考えた末にゼオンに提案した。
「じゃあ、ゼオンも女子の服着て、ウィッグ付けたらばれないんじゃないかな!」
「ばれるだろ。この一大事に何が悲しくて女装しなきゃならないんだ」
「イオならわかるけどゼオンは無理があるんじゃないかしら……」
キラの提案は瞬殺されてしまった。ルルカが冷ややかな目でゼオンを睨んでいる。やはり解決策が無いのならば仕方がない。このままゼオンも連れていくしかないだろう。
「ロイドに見つからないといいねぇ」
「……確かに、あいつに見つかったら終わりだな……」
「あっという間に噂になっちゃうもんね」
自称情報通の存在を思い出し、ゼオンは再びため息をついた。それからゼオンは陰欝とした様子で呟いた。
「なら、俺が陽動をやるって選択はなかったのか?」
合図の花火が上がったのはちょうどその時だった。七色の光が闇の中で弾けて散っていく。鮮やかな黄金の光が絹のように流れて夜空を染めた。
美しく彩られる夜空に赤い髪が揺れている。漆黒の翼を広げたティーナの姿が見えた。
ルルカはティーナの姿を確認するとキラ達に呼びかけた。
「行くわよ」
「了解っ!」
キラは元気よく返事をしてルルカについていく。ゼオンも渋々後ろをついてきた。背後の空では火の鳥が歌を歌い、オーロラが舞い踊る。まるでサーカスショーのようで、キラも思わず魅入ってしまいそうだ。
実際、校内中の生徒がそのショーに釘付けになっていた。
「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ティーナちゃんの華麗なショーの開演だよ!」
ティーナの掛け声と共に大輪の花火が上がり、生徒達から歓声が上がった。ひとまず第一段階は成功したようだ。キラ達は人混みを避けて女子寮へと駆け出した。ティーナの掛け声と魔法による演出を背にして、ルルカはゼオンに言った。
「ゼオン、貴方にあのエンターテイナーとしての才能は無いわ。陽動はティーナの方が適任。このキャスティングが正解よ」
キラは苦笑いし、ゼオンは何も言い返せずに黙り込んだ。
ゼオンには悪いがルルカの言うとおりだと思った。音楽と花火が夜空を宝石箱のように染め、ティーナが空を舞う。観客への気配りも忘れない。どう天地がひっくり返ってもゼオンには真似できないだろう。
「貴方が後で夜中に女子寮に侵入した疑惑でボコボコにされるところ、楽しみにしてるわ」
ルルカは高揚感の欠片も無い声で言い放った。
「お前……俺に何か恨みでもあるのか……?」
「無いわよ。ただ、いつも無神経で図々しい貴方が慌てている様が面白かっただけ」
キラはその答えに思わず笑ってしまった。前を走るルルカの背中もどこか笑っているように見える。ネビュラの一件の後辺りからだろうか。クールな性格は相変わらずだが、ルルカの振る舞いは前よりも柔らかくなったように感じた。
「何が面白いんだ……納得いかねえ……納得いかねえ……」
ひたすらテンションが下がっていくゼオンを引っ張りながら、キラ達は女子寮へと急いだ。




