第8章:第5話
メディの精神とリディが共に居る。それはオズだけではなく誰にとっても好ましくない事態だった。
あの二人は昔から仲が悪く常に対立していた。優しく賢く、愛する者達をとても大切にするリディに対してメディは誰に対しても常に残酷だった。
その価値観の差による仲たがいのせいで取り返しのつかない事態になったこともある。それ以来、二人は和解などしていないはずだ。
あの二人が相容れることなどありえない。その二人が共に行動するなど何かよほどの事情が無ければありえなかった。
「なんであいつがメディと居るんや。メディがあいつに何か吹き込んだんか?」
「メディが原因であることは確かだな。」
「リディとメディが一緒に居るんやったら、リディはメディが反乱の黒幕として動いていたこと知ってたん?」
「知っているはずだ。だがリディは多分この事態を望んではいない。」
セイラはそう答えた。オズは手元のカップに視線を落とす。
「そうやろな。あいつはキラやサラが傷ついたり悲しんだりすることは望まへん。
ならなんであいつは止めへんかった? こうもメディにやりたい放題やらせるほどあいつは無力やないはずやで?」
「推測だが……人質が居たのではないかと思う。」
「人質?」
「ミラを殺したのもサラの手足を奪ったのもあの杖だ。あの杖は今まで誰の下にありどういう状態にあった?」
そこで初めてオズは今まで平穏どころか安全な時間など一瞬も無かったことに気づいた。
杖は今までキラ、ゼオン、ティーナ、ルルカが「ただの武器」だと思い込んで持っていた。
人一人を消す程の力をメディが動かせるのだとしたら、この四人は「人質」になれる。
キラ以外はリディにとって大きな接点は無いかもしれないが、即座に見捨てる程リディは非情ではないはずだ。
「あの四人か。皮肉やな。あいつらは反乱を止める為に戦ってたつもりやけど実は反乱の黒幕の人質やったわけか。」
「そうだ。あの四人は気づいていないだろうが。」
「もう一つ、気になることが。なんでイオとメディが組むのかわからへん。イオもお前も元はリディの子分のようなもんやろ。
俺の記憶が確かならお前もリディもイオも昔からメディとは敵対してた気がするんやけど。」
するとセイラの眉間に一瞬皺がよった。今の一言がセイラの機嫌を損ねたらしい。
「それはあまり言いたくないな。」
「ならええわ。俺も今お前を怒らせたくはない。
ただ確認として訊きたいんやけど、イオがメディと手を組んだってことはメディだけじゃなくイオもリディの敵に回ったんか?」
セイラは一瞬答えるのを躊躇った。だが一呼吸置いた後にはっきり言った。
「……そういうことだ。メディ+イオ対リディといった状況だな。」
カップを握る手に力が入る。リディが今置かれている状況がやっと掴めてきた。
長い間捜し続けてきた人に近づけたような気がした。一歩近づくと更に欲が出る。
早く、もう一度会いたい。オズの考えを見透かすようにセイラはこう言った。
「今、リディは何を思っているだろうな?」
その一言でなぜセイラがこんなに多くのことを無償でオズに教えだしたのか理解した。
セイラはこの一言を言うためにこれだけのことを教えたのだ。
キラ達四人の為にメディを止められず、メディとイオの手のひらの上で多くの人々が踊らされ捨てられていく様をリディはきっと見せつけられてきたのだろう。
オズはリディをよく知っている。こんな時にリディがどう思うかも想像できた。
耳元でまたあの儚い声が聞こえたような気がした。オズの感情に呼応するように手元のカップが突然黒ずみだした。
「そりゃ、悲しんどるやろな……。そう考えるのが自然やろ。
そう言ってくるってことは、お前は俺に、メディとイオの企みを潰してリディを奪い返してほしいんか?」
セイラは真剣な目つきでオズを見つめて頷いた。オズはニイッと口元で笑う。
この時オズはセイラの狙いだけでなく、そもそもなぜセイラがこの村にやってきたのか、その理由にも気づいた。
手元のカップは気づけば真っ黒に染まり、中身の紅茶まで固まりひび割れ始めていた。
「わかった。望み通りやったろうやないか。」
その瞬間、カップが音を立てて弾けた。黒い欠片が散らばり机と床に広がる。
真っ直ぐこちらを見つめるセイラをオズは心の底で嘲っていた。
また耳元であの声が蘇る。苛立つのと同時に楽しくて仕方がなかった。
「そうか。思ったより話を聞いてもらえて助かった。ただ一つ……力の制御には気をつけることだな。」
セイラは立ち上がって足元に散らばったカップの破片を見つめた。
「話は以上だ。」
「わかった。貴重な情報感謝感謝や。」
「心にも無いことを言うな。気色悪い。」
セイラはテーブルから離れ、出口へと向かった。
オズは新しいカップを出してポットの中に残っていた紅茶を注ぐ。そしてチェス盤を取り駒を適等にいじりだした。
夜も更けてきた。今日の月はぽっかり欠けた三日月だった。オズはこれといって何か有意義なことをするわけでもなく、椅子に座って月を眺めていた。
「……お前は寝ないのか?」
もう誰も居ないと思い込んでいた背後からセイラの声がした。
「俺は大人やからええんや。幼女はさっさと帰って寝ろ。」
「朝までそうしている気か?」
「……悪いか?」
「別に悪くはない。」
オズは紅茶の水面を見つめ少し昔のことを思い出した。弾けたカップの片付けはまだしていなかった。
「寝るのは好きやない。」
セイラは言った。
「珍しい奴だな。退屈じゃないか?」
オズは答えなかった。月を見つめながら鳥の声を聴いた。
随分と時間が経ち、カップの中身が無くなった時、ようやくドアが閉まる音がした。
◇ ◇ ◇
ただの偶然かもしれないが、翌日ティーナとルルカは図書館に来ていなかった。
オズがいつものように仕事をサボり、セイラは昨日のお菓子の残りを貪り、ゼオンは今日も本に夢中である。
キラは気まずさを感じながら座り込んで三人を見つめていた。
ゼオンとセイラとオズ。この三人の組み合わせ程怖恐ろしいものは無かった。
オズとセイラは笑顔で嫌味を言い合い、ゼオンは本を読みつつ時折二人に冷たい目を向ける。
今日はなぜかルイーネも静かでオズへのお説教は聞こえてこない。
居るだけで神経が擦り切れてしまいそうな空気だ。その空気を察したのかシャドウも今日はおとなしかった。
セイラとオズの嫌味だけが今の図書館を支配していた。
「今日も『仕事嫌や』と駄々をこねるだけの簡単なお仕事ご苦労様です、オズさぁん。
そんなにお仕事が嫌なのでしたら頭から爆発してみてはいかがでしょうか。きっとお仕事やめられると思いますよ。」
「頭から爆発なんて趣味悪いな。うわーお前気色悪いわーうわー。」
キラは疲れてため息をついた。我慢できずに立ち上がり二人に言う。
「もう二人とも! いっつも嫌味ばっかり言って、少しは仲良くしたらどうなの?」
「私がオズさんと? キラさんの思考回路はほんわかアホ全開で微笑ましいですねぇ、クスクス……」
「う……、なんか、馬鹿にしてない? ねえ、ゼオンも何か言ってよ。」
「好きにさせとけ。そいつらが何しようと俺には関係ない。」
ゼオンはそう言ってオズの方を少し睨んだ。この二人への敵意はまだ消えていないようだった。
キラの介入も虚しくまた空気は冷えていく。こんな時にティーナやルルカが居てくれれば少し気が楽になるのに。キラはそう考えて寂しくなった。
今日は何故二人は来ていないのだろうか。もしかしたら昨日のことで気分を悪くしたのかもしれない。
やはりオズやセイラも含めて全員が仲良くなることはできないのだろうか。キラは唇を噛んで俯いた。
するとレティタがやってきてキラに小さく囁いた。
「あんまり落ち込まないで。性悪女やゼオン達はたしかにオズを良く思ってはいないのかもしれないけど、オズはキラやゼオン達を割と気に入っているんだと思うわよ。」
キラは驚いて顔を上げる。キラの頭の上でシャドウとレティタが飛び回っていた。
「え、ほんと?」
「あたしの予想だけどね。あと、性悪女のことはわからないけど。でも、少なくともオズはキラやゼオン達を嫌ってはいないんだと思うわ。
なんとなく、ゼオン達が来て、この図書館にみんながよく来るようになってからオズが前より元気になったような気がするのよ。」
「そうなの?」
「多分ね。だってもしオズがみんなを本当に嫌っているのなら、お菓子をこんなに沢山買ってきたりしないわよ。」
レティタの指差す先にはてんこ盛りのお菓子があった。明らかにオズと小悪魔三人だけで食べきれる量ではなかった。
「もしかしたら、自分じゃわかってないのかも。とにかく、仲良くなることを諦める必要無いと思うわ。」
「あ、バレた……?」
「うん、わかりやすすぎ。」
レティタはキラと、それからオズを見て優しく笑った。その笑顔にキラも励まされた。
その時図書館の扉が開き、ティーナとルルカがやってきた。キラは嬉しくなって二人の所へ走る。
「ティーナだールルカだーわぁい!」
「やっほぅ、キラ! ねえ、今セイラって居るかな?」
「居るけど、どうしたの?」
「なんかセイラに会いたいって子が居てね。」
キラが二人の後ろを覗き込むと、そこには十歳くらいの男の子がいた。白地に黒いレースをあしらった服を来ていて、髪は黒く瞳は蒼い。
キラはその子供に以前会ったことがあった。反乱直前に誘拐された時にブラン聖堂の地下で出会った少年――イオだ。
「イオ君! どうしてこの村に!?」
「キラっ、久しぶり! ボクちょっと会いたい人が居てここに来たんだ!」
イオはキラを見ると太陽のように微笑んだ。その様子を見てルルカが言う。
「知り合いなの?」
「うん、ちょっとブラン聖堂で会ったんだ!」
「ふぅん、そうなの。」
キラはイオの手を引いて中に入れた。そしてゼオンとオズとセイラにイオを紹介しようと三人の方を見た時、その場が異様な空気に包まれていることに気づいた。
オズとセイラが目を見開きイオを見つめたまま硬直していた。セイラがお菓子を取る手もオズが書類をめくる手も止まり、二人の目はイオ一人に吸い込まれていった。
ほんの一瞬のことではあったが、その時のオズとセイラには余裕が無かった。
ゼオンがそのことに気づいたようでゼオンはイオよりもオズやセイラの方を見ていた。
不思議に思ってキラが声をかけようとした時、イオがキラの手を振り払って走り出した。
「セぇーイぃーラぁぁぁあっ!」
イオはセイラに勢いよく抱きつき、セイラはバランスを崩して椅子から転げ落ちた。
セイラは珍しく慌てた様子で起き上がる。
「おい、こら……離せ…離してくださいイオ!」
「やだやだ、ボクはセイラが居なくて寂しかったんだもん! ぎゅーってしなきゃやだ!」
セイラに対してこんなアクションをとる人物など前代未聞だったのでキラ達は呆気にとられて声をかけられなかった。
しばらくしてようやく状況を呑み込めてきたところでキラは尋ねた。
「イオ君、セイラと知り合いなの?」
「うんっ、セイラとボクはね、双子の姉弟なんだよ!」
満面の笑みでイオはキラに言う。
イオの腕を引き剥がすのは諦めたのか、セイラはこちらに顔を向けずに座り込んでいた。