第10章:第9話
「いきなりどうしたの。あたしの友達を紹介してだなんて」
キラはセイラに尋ねた。図書館を出て、村の広場の方へ向かっている時のことだった。魔法の修業が終わった後、キラはセイラを友人達に紹介しに行くことになった。
だがキラは未だセイラの意図を掴めずにいた。どうして突然キラの友達に会いたがったのだろうか。セイラはキラの近くに寄り、小声で言った。
「私はショコラティエと面識があると言いましたよね。私はこの村に来るまで、あいつやイオからの襲撃を度々受けていました。私から見ると、あの人は敵の一員なんです。その敵が『先輩』としてキラさんの学校に紛れ込んでいたんです。……同じパターンが二度と無いとは限らないでしょう」
キラの背筋が震えた。昨日ブラックと話した時のこと、その時の自分の胸の痛みを思い出す。あの苦しさがまた訪れるかもしれないというのだろうか。自分が今まで信じてきた人達がまた裏切ってゆくというのだろうか。
「こんなことが……まだ続くっていうの」
「可能性がゼロではないということです。だからこうしてあなたの友人の紹介をお願いしました。ショコラティエ以外のお友達を紹介してください。もしイオの刺客が紛れていたとしても、私ならば正体がわかるかもしれません。正体が掴めればキラさん達にも教えてさしあげます。あなた達にとっても悪い話ではないかと思いますが」
「うん、いや、それはいいんだけどね……ちょっと、怖くってさ。それだけ」
キラは高笑いするイオの姿を思い出した。信じてきた人達がある日突然別人へと変わってしまうような衝撃に、崖下に突き落とされるような痛みにこの先何度堪えればいいのだろう。
「なんか、ごめん。セイラもゼオン達もあんなにしっかりしてるのにあたしだけいちいち落ち込んでて」
するとセイラは機械のように淡々と言った。
「そこで私やゼオンさんを比較対象にあげる意味が私には理解できませんね。あなたと私やゼオンさんとでは状況が違います。あなたにとってショコラティエは先輩であり親しい人であったわけですが、私にとって奴が親しい人物であった時間など一瞬もありません。私にはあの人が裏切ったという感覚すらありません。裏切られたのはキラさんだけ。負担がかかるのもキラさんだけですから、あなただけ落ち込むのは当然かと思いますが」
慰められているのか、それとも馬鹿にされているのだろうか。キラは袖口を握りしめながら言った。
「でも、ゼオンだって先輩とはそれなりに話したりしてたんだよ。それでもゼオンはしゃんとしてる……」
「多分ゼオンさんはそういうことに慣れているだけでしょう」
「慣れてる……?」
キラは問い返した。いつだって怯むことのないゼオンの背中を思い出した。
「あの人の生い立ちの話はもうキラさんも知っているでしょう。ゼオンさんは貴族の家で肉親に疎まれながら育ってきたんです。そしてその後は逃亡生活でしょう。周りに信用できる人が居ないことも、味方だと思っていた人が裏切っていくこともゼオンさんにとってはさほど特別なことでも無いのではないですか。まあ、あくまで私の推測にすぎませんが」
常に冷静で、微笑むこともせず、雪のように静かに進んでいく姿を思い出した。確かにその強さは育った環境があってこそなのかもしれない。
「やっぱりすごいなあ。そんなに辛い環境でもあいつはめげずにここまで来たんだ……」
キラは遠い空を見つめた。冬の空は雲一つ無く、どこまでも行けそうに見えた。セイラは冷ややかな目で言った。
「キラさんは少々ゼオンさんを過大評価しすぎだと思いますけどね。ゼオンさんなんて、勘がやけに鋭いこと以外はだいたいのことが凡人よりちょっとできるだけのただの人ですよ」
「そう? そうかなあ。あたしは、あいつはなんでもできてすごいって思うけど……」
「嘘やごまかしはド・ヘ・タ・ク・ソですけどね」
その「ドヘタクソ」にはやけに力がこもっていた。セイラの横顔から妙な迫力を感じた。
「あの、セイラ……もしかしてゼオンに何か怒ってる?」
「……別に、些細なことですよ」
やはり怒っている。ここ最近でゼオンとセイラの間にそんなやりとりがあっただろうか。キラは考えてみたが何も思い当たらない。
「せっかく人がオズさんから逃がしてやったというのに、あの人もう少しうまく切り抜けられないんですかね全く……おかげで完璧に裏目に出たじゃないですか……」
キラにはいまいち理解のできない愚痴だったが、セイラの迫力は増していく一方だった。セイラとゼオンとオズ──そう考えたところで、キラは不機嫌そうに窓の外を見つめていたオズのことを思い出した。
「もしかしてついさっきの図書館でのこと? リディって人がどうとかってオズがゼオンに聞いた時に、ゼオン思いっきりはぐらかしてたよね。そのこと?」
「……まあ、そういうことですね」
その時のゼオンのはぐらかし方があまりにも下手だったということなのだろうか。キラは先程の会話を思い出しながら考えた。
「うーん、でも、オズはそのリディって人のこと知りたかったんでしょ。それくらい教えてあげてよかったんじゃないの?」
セイラは低い声でブツブツと言った。
「オズさんが知ってはいけないというより、ゼオンさんが『伝える』とまずい……ような気がするんですよ。オズさんは説明しても全く納得してくれませんでしたが」
「まずい。なんで?」
セイラはキラの顔をじーっと見つめた。それから諦めたように言った。
「キラさんに言っても理解できないかと思います。今の愚痴は忘れてください」
「えっ、え!? ちょっと、そこまで言っておいてそれはないよ。教えてよ!」
「たしかまだ記録書について説明してなかったですよね。それなら説明しても意味ないんですよ」
「だったらその記録書ってやつのことも説明してよ! 聞くから! セイラってば何でも知ってそうな顔していつも何にも話してくれないんだから。もうっ!」
キラはぶうっと膨れた。今の言葉はずっとキラが心の底から思っていたことだった。セイラはいつもそうだ。何でもお見通し、何でも知っている。それなのに肝心なことは一つも教えてくれない。イオの正体も、リディやメディという神様達のことも。
勿体ないように思うのだ。セイラが抱えているものを少しでもキラ達に教えてくれたら、キラだってセイラの力になれるかもしれないのに。
キラは俯きながらセイラに尋ねた。
「どうしてセイラは何でも知ってそうなのに何にも教えてくれないの。杖のこととか、リディとメディって人達のこともさ、セイラってばずっと前から知ってたんじゃないの。セイラはイオ君やその人達のことでずっと悩んでたんじゃないの」
セイラは歩く足を早めてキラの前に出た。
「じゃあキラさんに一つお聞きします。リディとメディがいわゆる神様だという話はもう聞いたかと思います。あの話、あなたは信じていますか」
キラは返答に困った。神様なんて、キラ達から見ると「非現実的」「ありえない」「フィクション内の存在」といったイメージが強いのだ。
しかし、ありえないと言いたくなるような出来事を既にキラは何度か経験している。今となっては、ありえないと言い切ることもできなくなっていた。
「半信半疑……かな。正直ファンタジーみたいな話だと思ってる。でも、オズやセイラや、ブラック先輩達がその話をファンタジーだと思ってるようには見えないんだよね。じゃあ、もしかしたら本当かもしれない……そんな感じ」
「なら、私と出会った時にその話をしたとしたら、どう感じたと思います?」
「えっ」
セイラと出会った頃というと、春の終わり頃だ。たしかあの時は小悪魔達を捕まえるゲームをした。ティーナがタイムスリップをしたという話を聞いた時に、「ありえない」と言っていたっけ。
そう考えると……
「信じてなかったと思う」
キラは素直に答えた。
「でしょう。信じてもらえなければ頭のおかしい人扱いでもされて、こちらの立場が悪くなるんですよ」
だから何も話してくれないのだろうか。遠ざかってゆくセイラの背中を見てキラは寂しくなった。今更キラがセイラを気狂い呼ばわりするとでも思っているのだろうか。そうしてセイラはまた一人で戦ってゆくのだろうか。
セイラと出会ってもう随分経つというのに、キラは未だに苦悩を打ち明ける相手として期待すらされていないのだろうか。
キラはぽつりと、星に願いを込めるように言った。
「ねえ、やっぱり教えてよ。さっきの愚痴の続き。その、記録書ってやつのことも。もっともっとセイラのこと教えてよ。あたし、ちゃんと聞くから。信じるから。馬鹿になんてしないから」
セイラは冷たく言い放つ。
「今話して、何の意味があるんですか」
キラは必死に言葉を探した。
「わからない。でも話してくれたら、少しでもセイラの力になれるかもしれない。なんでかな。あたし、セイラのこと助けてあげたいなって思うんだ。イオ君とセイラが戦ってるとこ見てから、ずっと思ってた……」
セイラは足を止めた。セイラはクスッと嘲るように笑った。
「キラさん、ほんとに学習能力ありませんね。そうして安易に人に手をさしのべる人が居るから、そういう人を手酷く利用する人も居るんですよ。それで最終的に痛い目を見るのがあなたならまだマシですが、果たして痛い目を見るのが本当にあなただけで済むんでしょうかねぇ。クスクス……」
キラの足が動かなくなった。頭の中をオズとセイラの張り付いたような微笑みが駆けた。そして、キラの前で悔しそうに黙り込むゼオンの姿を思い出した。ネビュラが来た直後のことだ。二人がキラを利用し、ゼオンを脅した時のことを思い出した。
「セイラはまたあたしを利用するってこと……? そしたら、またゼオン達に迷惑がかかるって言いたいの……?」
「人をもう少し見定めろって意味ですよ。そうでないと、結果的に傷つくのはあなたじゃなくてあなたを慕う人達です。あなたは人気者ですからね。盾が沢山居ていいですね」
キラはむずむずと不快な気分になった。セイラが何を言いたいのかよくわからなくなってきた。突然愚痴を吐き出したかと思えば忘れろと言い、もっと話してほしいと言えば皮肉で突き放す。
不快感が増せば増すほど、キラは意地でも引き下がりたくなくなってきた。キラはぶうっと膨れながら言った。
「セイラの意地悪。そのくらいでめげたりしないからね。あたし意地でもその記録書とかのこと聞き出すからね」
セイラは面倒臭そうにキラを見つめた。キラはぶうっと膨れたままセイラを睨みつづけた。
そうこうしている間に広場が見えてきた。広場は人気が無く閑散としていた。セイラは歩きながら言った。
「で、まずはどなたのところに行くんですか」
「はぐらかさないで。やいっ、その記録書とやらについて教えないとあたしの友達紹介してあげないぞ!」
「チッ……面倒臭い……わかりました。明日教えます」
「今日! 今日じゃなきゃだめ!」
「記録書については少々複雑な話になるんです。キラさんの可哀相な頭では理解するのは難しいかと。ゼオンさん方が一緒に聞いていてくだされば、よりわかりやすくキラさんに教えてくれるでしょう。どうせゼオンさん達も事情を知りたがるでしょうし、一気に説明した方がこちらの手間も省けるんですよ。お願いします」
キラはぶーっと膨れたまま黙り込んだが、セイラの言うことはキラにもわかった。きっとゼオン達もセイラの話は知りたがるだろう。
「しょうがないなあ。じゃあ明日! 約束だよ!」
「では、まずどなたのところに行きますか?」
「えっーと、ホワイト先輩にはたしかもう会ってるよね? じゃあペルシアかリーゼかそれとも……」
その時、突然セイラが立ち止まった。あまりに急だったのでキラも釣られて立ち止まる。セイラは番犬のように辺りを見回し、応戦の準備を始めた。
蒼の魔方陣が地に浮かび上がった。
「どうしたの?」




