第10章・第7話
最初はあくまで子猫の散歩程度の速さだった足音はいつしか馬の疾走のようになっていた。ブラックは逃げるようにホワイト達の前から立ち去ると、寮の自分の部屋に駆け込んで鍵をかけた。
そうしてやっと一息つくと、思わずその場に座り込んだ。
「……やっぱり、応えるな」
事実を話せば話すほど凍りついてゆくキラの表情と、涙をこらえるホワイトの顔が頭を駆けてゆく。
いずれこの日が来るとわかっていた。わかっていたはずなのにいざその時が来ると胸の痛みが止まらなかった。いずれこうなるとわかっていたはずなのに、これまでキラ達を突き放すこともできず、ズルズルと中途半端に関わりつづけてきた。
ブラックは深呼吸をして立ち上がった。その瞬間、ブラックの肩に再び緊張が走った。
無邪気な子供の笑い声がした。白い衣服を身に纏った少年が一人、こちらに微笑みかけていた。
「イオ、ほんと勝手に部屋に上がり込むのやめてよ」
「別にいーじゃんっ。それにしてもやっちゃったねえ。大惨事大惨事!」
イオの笑い声がノイズのように響いた。ブラックはイオを強く睨む。
「もう知ってるのか。情報早すぎだろ……聞いてたの?」
「奴らと接触したって連絡はとっくに来てたよ。話はメディが聞いてたしね。全くバカだよね、メディの姿は見えないって知ってるのにべらべら喋っちゃってさ。丸聞こえだったって言ってたよ」
ブラックの腕は拳を強く握りしめながら震えていた。イオはブラックをからかうように周りでぴょこぴょこ跳びはねた。
「ま、あいつらに色々喋っちゃったことは許してあげるよ。でもショコラ・ホワイトと喧嘩しちゃったのは困るんだよねぇ。ちゃんと後で仲直りしてよぉ?」
「……なんで。この先あの魔女達と戦っていくことになるのなら、あいつは茅の外に居てもらった方が都合がいいでしょ」
「ぶぅあーっか、馬鹿馬鹿。『あれ』は必要なんだよ。必要だからここに居るんだ。何のためにあんたに『ショコラ・ブラック』なんてわざとらしい名前つけてここに放りこんだと思ってるの。あいつをちゃんと見張っておいてくれなきゃ困るんだよねえ。あんたの一番の役割は『あれ』のお目付け役なの。何度も言ったよねえ?」
「……あいつに何させるつもり」
「さあね、なんだろうねっ! 教えてあげないけどねっ、えへへ!」
明かりもついてない薄暗い部屋の中、子供の笑い声が時を告げる鐘のように響いた。ブラックはイオに言った。
「で、今日の用はなんなの。まさか仲直りしろってお節介を言うためだけに来たわけじゃないだろうしね?」
「そうなんだけど、今日の用はあんたに対してじゃないんだよね」
そう言ってイオが取り出したものは、ブラックの左耳についたイヤリングの片割れだった。
イオが軽くそれを振ると、赤い石が淡く輝きはじめた。ブラックがイオに何か言おうとした時、急に激しい頭痛がブラックを襲った。視界がぼやけ、脚の力が抜けて思わずその場に座り込む。
意識が遠のいていき、代わりに別の誰かの意識がショコラ・ブラックの中に入り込んでくるのがわかった。
ブラックがイオの命令を拒む時、イオは毎度こうしてブラックを従わせる。ブラックの意識を封じ込め、別の人物の意識を入れ込むことで。
手も口も動かなくなっていく中、イオは目の前で言った。
「明日決行だ。セイラを迎えに行くから協力して……弟君」
ブラックではない別の誰かがブラックの身体で答えた。
「了解」
◇◇◇
翌日は酷い曇り空だった。窓の外のにび色の空を見つめながらキラは昨日のことを思い返していた。
ブラックが話した事一つ一つを思い返す度にキラは気分が重くなった。キラがため息をついた時、怒鳴り声が耳を貫いた。
「キラ、おいキラーーーーっ! 聞けえぇぇぇぇ!」
怒鳴り声に思わずキラは飛び上がった。キラの目の前でティーナが仁王立ちしていた。
「うわ、びっくりした」
「びっくりしたじゃないでしょ、修業したいって言い出したのはキラでしょ。今のあたしの話聞いてた?」
ティーナは魔術書をキラに押し付けながら怒鳴った。今日もキラ達は図書館に集まっていた。キラがティーナとルルカに修業に付き合ってもらうよう頼んだのだ。しかし昨日の出来事ばかり頭に浮かんでしまい、キラはどうも修業に集中できなかった。キラは正直に答える。
「さっぱり聞いてませんでした!」
ティーナはがくっとうなだれ、少し離れたところでオズが笑いをこらえていた。
キラは魔術書を取り出して読んでみたがやはり全く内容がわからなかった。
キラは横目でゼオンを見た。ゼオンはセイラと何か話し込んでいるようだ。険悪な様子ではなかったが、二人とも話に熱中しているようでどうにも声をかけづらい。キラの様子を見たティーナは心配そうに言った。
「キラの頑張りは応援してあげたいんだけどさ、修業はまた今度でもいいんじゃないの? 集中できないみたいじゃん。昨日のことが気になって仕方がないなら、気分が落ち着いてからでもいいんだよ?」
「いや、修業した方がむしろ気が紛れるんじゃないかなーって」
「どこの修行僧だよ……。そうは言うけど、実際上の空だったじゃん」
「……だって、魔法の勉強、わかんないしつまんないんだもん。あたし、魔法が無くても格闘して戦えるし……」
キラがふてくされながらそう言うと、ティーナはキラに言った。
「あのねぇあんたが魔法使わなくても、大半の敵は魔法を使ってくるんだよ。人でも魔物でも。敵が使ってくる魔法の知識が無きゃ、咄嗟に対策が取れないでしょうが。使えなきゃダメってことはないけど、知識は絶対あった方が得だよ?」
「覚えても多分三日で忘れる……」
「そこは何度も覚え直すの! ゼオンのスリーサイズ覚えると思って!」
「すりー……? それ何。覚えて得あるの?」
「まっ、まさかスリーサイズって単語をご存知無い? 俺得の俺得による俺得の為の鼻血ちょちょぎれるサイズだよ!」
ティーナの背後でオズがついに耐え切れずに爆笑していた。ルルカは冷めきった目で黙り込んでいる。オズはセイラと話しているゼオンに言った。
「あんなこと言われとるけど、お前何も言わへんのか?」
ゼオンは事態をよくわかっていないのかきょとんとしていた。
「そう言われてもな……スリー……って?」
「あ、こいつらあかん」
それを聞いていたセイラが「気色悪い……」と低い声で呟いていた。ゼオンはこちらの話題など気にも留めずにセイラに言った。
「それで、交渉成立ってことでいいか?」
「ええ、構いませんよ。私が判断できる範囲のことは教えましょう」
キラはその話を聞いて首を傾げた。
「ゼオン、何の話してるの?」
するとゼオンはキラにこう言った。
「セイラと交渉してた。昨日ショコラ・ブラックが話したことをこいつに話す代わりに、あいつが話したことがどこまで正しいか、セイラの判断とあいつらについての情報を教えろってな」
「それで、セイラはいいよって?」
「はい。私も奴についての情報が欲しいので」
セイラの言葉にキラは首を傾げた。まるでブラックのことをよく知っているような口ぶりだ。たしかついこの間までは「会ったこともない」と言っていたのに。
「奴……って、先輩のこと知ってるの?」
「ショコラティエのことでしょう? ゼオンさんからその人の本名を聞いて確信しました。私、その人と何度か交戦経験があります。リディの配下の一人ですね」
リディの名前を聞いた途端、オズの目の色が変わった。オズは急に身を乗り出し、セイラに尋ねた。
「なんやそいつ。あいつの配下やて? 俺、知らへんで」
「私やイオと違って彼女は元々ただの天使族ですし、配下になったのもつい最近のようなのでオズさんは知らなくて当然かと」
「なんであいつがただの天使を配下にするんや」
「さあ? そこは私は知りませんよ」
セイラはそう言って、オズの問いかけにまともに答えようとしなかった。
「ところでゼオンさん。情報を提供していただけるのは非常にありがたいのですが、せっかく得た情報をこうも早々にひけらかして私の意見を求める理由を聞かせていただけますか?」
セイラは再びゼオンへ目を向けた。ゼオンは床へと視線を落とした。
「昨日あいつが話したことは納得いくこともあったし、大方事実なのかもしれない。けど、あいつの言ったことはどうもおかしい……ような気がする」
「そこで、私の意見と照らし合わせて、そのおかしな点を明確にしたいというわけですか」
「そうだ」
「なるほど、わかりました。では、早速その話を聞かせていただけます?」
ゼオンは昨日の出来事を話しはじめた。ショコラ・ブラックが話したこと、ショコラ・ホワイトと言い争いになったことも全てだ。セイラはその話を相槌を打ちながら聞いていた。オズも何やら神妙な面持ちでその話を聞いていた。
ゼオンの話を聞き終えるとセイラは言った。
「なるほど、やはりそのショコラ・ブラックとやらがショコラティエでしたか。そうですね、大方は私の認識と推測に一致しているかと思いますよ。リディやメディについてはその通りだと思いますし、奴と反乱の関わりについても納得がいきます。ただ一つ、気になることが」
「何だ?」
「ゼオンさん達が杖を巡る争いに巻き込まれた理由です。『たまたま杖を手に入れる人だったから』……これはおかしいです」
「やっぱり、お前もそこが引っ掛かるか……」
セイラの答えにゼオンは同調した。オズは二人の話を聞きながら黙り込んでいた。
「あなたはわからないでしょうが……ティーナさんに関してはそれが当てはまるんですよ。ルルカさんに関してもまだわからなくはないです。地下に封印されていた杖を手に入れるのにルルカさんが必要だったのは確かですから」
「俺はルルカに関してもわかんねえけどな。本当に杖を手に入れる気があるなら、ルルカが杖を手にいれて脱獄した直後に奪った方が早いじゃねえか。あいつはルルカを助けたんだ。味方のふりしてルルカに近づけば簡単だっただろ」
「ショコラティエの方が拒んだのかもしれませんよ。『騙し討ちは嫌い』と言ってたでしょう。あの人、結構真面目ですから」
「ただの推測の域を出ないな……。まあ確かに昨日話してあいつはイオとは違うらしいとはわかったけどな」
「そうですね、確かにあくまで推測です。けど、はっきり矛盾しているケースもあるでしょう。ゼオンさん。ご自分のことですよ」
そこでセイラは一瞬横目でオズを警戒した。ゼオンの目もその視線の動きを捉えていた。その動きをはっきりと見届けた後、ゼオンはセイラに言った。
「話した覚えが無いんだが……お前、俺がどうしてこの杖を手に入れたのかわかるのか?」
「『わかる』わけではありませんが、想像はつきました。そこまで話されたら気づきますよ」
セイラはそう言ったが、傍らで話を聞いていたオズは鋭利な眼光がセイラの澄まし顔を射抜いていた。ゼオンは次の手に迷ったかのように黙り込んでしまった。セイラはゼオンに言った。
「無理して話さなくても結構ですよ。私がゼオンさんから聞きたい話は大方お話していただけましたしね」
するとオズが突如口を挟んだ。
「おいゼオン、今の話を聞いてると、お前リディ会うたことがあるってことか。お前が脱獄できたのも杖を手に入れたのもリディと関係あるんやな。何のためにお前を逃がした。なんであいつはそんなことした?」
オズは畳みかけるようにゼオンに言った。気がつくとオズの顔からいつもの笑みが消えていた。恐怖がキラの背を流れた。オズに何があったというのだろう。ゼオンは答えた。
「さあな、むしろこっちが知りたい」
「あいつは何て言うてた」
「さあ、何だったかな。忘れたよ。お前らしくないな、そうストレートに言ってくるなんて」
オズは毒蛇のような目でゼオンを睨みつけた。ゼオンはその目など見ずにそっぽを向いていた。ゼオンはどうしてオズの些細な頼みを聞かないのだろうか。キラにはわからなかった。




