第10章・第6話
まるで嵐が去った後のようだった。ブラックの姿が見えなくなっても、キラはブラックが歩いていった方をぼうっと見つめていた。するとゼオンが声をかけた。
「おい、……おい、聞いてるか?」
「うわっ、びっくりした。な、何?」
「いや、別に……なんか、呆然としてるみたいだったから……」
キラは思わず視線を下に落とした。そして一言、正直に呟いた。
「うん、その……正直ショックだった」
そしてキラは同じように呆然としているホワイトに目を向けた。
「あの、大丈夫ですか?」
ホワイトは我に帰ったようにようやくこちらを向いた。
「うん、なんか、邪魔してごめんね。私……悪いことしちゃったみたいね」
そう言ったホワイトの目には涙が貯まっていた。キラは今にも泣きそうなホワイトを放っておけなかった。
「どうして、さっきの話、聞いてたんですか。その……責めるつもりは無いんですけど、先輩が先に帰っててって言ったのにそれを押し切るのって珍しいなって……」
ショコラ・ホワイトはか細い声で言った。
「……ショコラの言ったとおりよ。自分のためだったの。ショコラの抱えてる謎を追っていったら、もしかしたら自分の記憶のことがわかるんじゃないかって、そんな妄想抱いてたの」
「あの……さっきも気になってたんですが、記憶って……どういうことですか?」
キラは先程の二人の会話がいまいち理解できずにいた。するとホワイトはこう話しはじめた。
「昔、ヴィオレのお屋敷で大きな火事があってね、私はその時にクローディアさんに拾われた子なの。私、その火事より前の記憶が無いの。自分が何者なのかも、どんな人達と暮らしていたかもわからない。自分の本当の名前すらわからない。ショコラ・ホワイトって名前はね、クローディアさんが付けた名前なのよ」
「そうだったんですか……」
「だから私、自分の過去のことが知りたかったの。自分が何者なのか知りたかった。何もわからないことが不安だった……」
キラはホワイトを放っておけなかった。つい先程までの怒りも忘れて、ホワイトの傍で立ち尽くしていた。
するとゼオンが鋭く言った。
「それとショコラ・ブラックとどういう関係が?」
ホワイトはブラックが立ち去った方を見つめながら話した。
「なんとなくね、出会った時からショコラって私のことよく知っているような感じで話すことがあったのよ。名前も偶然同じだったから、余計に親近感感じちゃったのね。だから勘違いしちゃったのよ。この人、もしかして私の過去について何か知っているんじゃないかって」
キラは先程ブラックがホワイトを叱り付けた時のことを思い出した。ホワイトの過去の記憶が無いこと、その記憶を探し続けていること、全てを知っていたかのような口ぶりだった。
あんな風にホワイトに話しかけることがこれまでもあったのだろうか。もしそうだとしたら、確かに「この人は何か知っている」と感じるのも無理は無いのかもしれない。
「でも……さっきの話を聞いててわかったわ。確かにショコラと私の過去は関係ない。そもそもショコラが住んでたエンディルスの国と私が住んでたヴィオレの街じゃ地理的に正反対の位置にあるものね。関わりようがないな。記憶のことだって知っているはずない。私、自分勝手だった。ただショコラに嫌な想いさせただけだったわ……」
「そんなに落ち込まないでください……きっと、許してくれますよ……たぶん……」
今にも泣きそうなホワイトを慰めずにはいられなかった。しかし先程のブラックの話を聞いてしまった今、キラは自信を持って大丈夫とは言えなかった。
ホワイトが話を聞いていたと知った時、ブラックは必死だった。よほどホワイトを巻き込みたくなかったのだろう。けれど、復讐に加担しキラをさらった。その事実を知ってしまった今、キラはショコラ・ブラックという人がわからなくなっていた。
ホワイトは涙をこらえながら呟いた。
「……悪いことしちゃったな。謝らなきゃ」
「そう、なんですかね」
「うん、仲直りしなきゃ。さっきの話、すごかった。リディとかメディとか……私には全然わからない話ばかりだった。ショコラもみんなも、そんな重たいものを抱えてたんだね……。だから余計に仲直りしなきゃって思ったの。一人にしちゃいけないような気がしたの」
キラは何と返せばよいかわからなかった。素直に応援できない自分が嫌だった。しかし、なりを潜めていた怒りが再び沸き上がっているのも確かだった。
「あの人……反乱に協力してたんですよ。私を誘拐したし、反乱の結果、あたしのお姉ちゃんは手足を無くしたんですよ。その反乱に協力したって……平気そうな顔で言ったんですよ。それでも……仲直りするんですか?」
キラは高ぶる感情を必死で抑えた。あんな事実を突きつけられた後で、キラはそう安易に落ち着くことなどできなかった。ホワイトは優しく尋ねた。
「もし私が反乱に協力してたショコラと仲直りしたら……キラちゃんは私を恨む?」
キラはすぐに答えられなかった。カッと高ぶる気持ちを抑え、落ち着こうと努め、考えた結果、キラはこう言った。
「……恨まないです。反乱に協力してたのはあなたじゃないから。でも、もしホワイト先輩があの人と一緒になってあたしやあたしの大事な人達を傷つけたら、きっと恨みます」
「……そう、よかった。安心して、そうするつもりは無いから」
ホワイトは寂しげにそう言って、ブラックが立ち去った方へと歩き始めた。
「ごめんね。やっぱり私、あの子を放っておけないから」
そうしてホワイトが去ろうとした時、ゼオンが尋ねた。
「そういえば、一ついいですか。先輩はたしかヴィオレの街で育ったと言ってましたが……どうしてそこからこんな小さな村に来ようと思ったんですか?」
ホワイトは振り返る。そして他愛の無い事でも話すような口振りで言った。
「ああ、それね。なんとなく、そうしなきゃいけないような気がしたから。この村のことを知った時にね、ここに私の記憶の手がかりがあるような、そんな気がしたの。ただの勘なんだけどね」
ティーナがボソッと「勘って、ゼオンみたいなこと言ってる」と呟いた。ゼオンはあまり納得がいっていないようだった。
「そのただの勘で全く知らないこんな田舎の村にやってきて、そこでたまたま知り合ったショコラ・ブラックが自分の記憶のことを知っていそうだったから調べ回ってみたと?」
ゼオンの言葉でホワイトの唇がきゅっと結ばれた。目線がふらふらと安定していなかった。
「ま……まあ、そうなるのかしら。なんか、この村に呼ばれているような、そんな気がしたのよ。ここに行くのが私の運命なんだって、そんな気がしたくらい。行かなきゃいけないって思ったの」
「運命か……」
「そ、それじゃあ、私、そろそろ帰るわね。今日は邪魔しちゃってごめんね」
ホワイトはそそくさとその場から立ち去った。キラはゼオンの横顔を見ながら「もう少し言い方を選べないのかな」とため息をついた。
「あの人の考えること、どうも俺は理解できないんだよな……」
ゼオンもゼオンで呆れ返ったようにため息をついていた。理解できない。その一言が不意にキラの中で重く響いた。
ショコラ・ブラックが並べた事実が頭をガンガン揺らした。ブラックの考えていることはキラには理解できなかった。
息を吸い、再び俯きかけた顔を上げると、ルルカの姿が目に入った。
ルルカの視線はブラックが立ち去った方向から動かない。キラは思わず声をかけた。
「ルルカ……大丈夫?」
「大丈夫よ。むしろすっきりしたわ」
ルルカはそう言い切った。凜とそこに立ち、迷いなく言い切るルルカの横顔につい最近までの不安定さは無かった。
「どちらかというと、大丈夫でないのは貴女のように見えるけど……?」
キラは硬直したまま何も言えなかった。黄金色の光が窓から寮へ続く廊下に射していた。明るい光とは対照的にキラの気持ちは沈んでいた。




