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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第9章:ある王女の幻想曲
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第9章:第25話

喉の奥に巨大な氷を沈められたような感覚だった。キラはルルカの杖を抱えながら空中に浮かぶ白い少年を見上げた。嘘だと思いたかった。信じていたかった。しかしそこでキラ達を見下ろしていたのは紛れも無くイオだった。

セイラはイオを追い詰めるように言った。


「あなたの企みは失敗ですよ。残念でしたね、イオ」


キラはわからなかった。あんなにもセイラを慕っていたイオをどうしてセイラは冷たく睨みつけるのだろう。イオは俯いたまま返事をしない。セイラとゼオンはいつでもイオに攻撃できるように構えていた。

しばらくして、ひくひくと啜り泣く声がし始めた。イオは大粒の涙をこぼしながら言った。


「違うよ、ボクじゃない……。ボクはたまたまここを通ったらあの結界に閉じ込められたんだ。真っ暗で怖かった……出ようとしても出られなくって……濡れ衣だよ。ボクじゃない、信じて……!」


「ほう……悪い子ですね。こんな時間帯にこんな市街地からは程遠い村の出入口を『たまたま』訪れたと?」


セイラは容赦なくそう切り込んだ。イオは泣きながら「うん……うん」と頷いた。キラの手足は凍りついたように動かなかった。目の前の光景がぐらぐら揺らいでいくような気がした。イオは潤んだ目でキラの方を見つめて必死に訴えた。


「お願い、キラ。ボクゃないんだ、ボクは濡れ衣を着せられてるんだ。キラならわかってくれるよね。お願い!」


重しを飲み込んだような苦しさが一層激しくなる。キラは後ずさりして、すぐに答えることはできなかった。


「イオ君、あたし……」


その先の言葉がなかなか続いてくれなかった。セイラが言った。


「キラさん、騙されないでくださいよ? この状況であの結界を張れたのはこの子しか居ません。あんな結界を張った理由は、ルルカさんが王子様を殺す邪魔をさせないため。おわかりですよね? 全ての黒幕はこの子です」


するとイオは泣きながら叫んだ。


「なんで、どうしてそう決め付けるの! 結界って何? 黒幕って? そんな証拠がどこにあるの? ひどいよセイラ、誤解だよ……」


イオは涙に濡れた瞳でキラを見つめた。その顔は幼い子供の顔のようにしか見えなかった。キラは震える唇を必死に動かしてイオに言った。


「イオ君、あたし、イオ君のこと、信じたい──」


イオの顔が綻んだ。キラは続けてこう言った。


「でも、あたし、さっき思い出したことがあるんだ。リーゼが持ってた手紙に入ってた紅色の石……あたし、あれ見たことある。……ブラン聖堂の地下に紅と蒼の大きな鉱石がいっぱいあったよね。手紙に入ってた石、多分ブラン聖堂の地下にあったやつと一緒だ……」


その瞬間、イオの泣き声が止んだ。キラはその真実を受け入れたくなかった。記憶が戻った時も、サラが反乱を企んでいるとわかった瞬間も、両親を殺した犯人がわかった瞬間もそうだ。どうして人は皆真実を求めるのに、真実はこんなにも醜い形をしているのだろう。キラは苦しさを振り払いながらはっきりと言った。


「リーゼが持ってた手紙にあの石を入れられたのは、ブラン聖堂から来たイオ君しかいない。黒幕は、イオ君だ……!」


その言葉を放った瞬間、イオは能面のような感情の無い目でキラを見下ろした。それを見て、キラはこれが真実だと確信した。間違いであったらよかったのに、と悲しくなった。

キラはイオに叫んだ。


「どうして、何のためにこんなことをしたの!? 何か理由があったの? イオ君、教えて……」


その時、イオの口元がニヤリと上がった。そして最初は息を潜めるように、やがてキラにもはっきりと聞こえるようにイオは笑い出した。


「あはは、キャハハハハハハハハハハハ! 気づくのが遅すぎるんだって! さすが、あのサラの妹だよ! 手足無くすまで自分が利用されていたことにも気付かない脳無しの血が通ってる奴は考えることが違うやキャハハハハハハハハハ!」


キラは目の前で何が起こっているのかわからなかった。イオが何に笑っているのかも、何を言っているのかもわからなかった。脚から力が抜け、キラはぺたりと地面に座り込んだ。


「え……なんで、そこでお姉ちゃんの話が……」


「あんたが言ったとおりだよ。僕が全ての黒幕なの。このクソ王子を呼び寄せただけじゃなくて、アズュールで起きた反乱の黒幕もね。ボクね、ブラン聖堂に居た時に毎日サラにおまじないかけてたんだよ。『おうさまをころしたくなりますよーに』って! あっれぇ、おかしいなあー。こんな面白いこと、セイラは話さなかった? 言ってたんじゃない?」


キラの身体中から力が抜けていく。イオの言葉が頭の中でガンガンと響き渡る。閉じた耳をこじ開けるようにイオは更に笑いつづけた。


「ほんと姉妹揃って面白いくらい馬鹿だよねえ! ねえ聞いて? サラってば反乱軍に居た頃ね、毎日毎日『あの国王を赦さない』って言ってたんだよ。王様なぁんにもしてないのにねっ! それを知っている僕のことをついさっきまでキラはお友達だと思ってたなんて、ほぉんと馬鹿って面白いよねえっキャハハハハハハハハハ!」


キラは震えが止まらなかった。動くこともできなかった。無慈悲な笑い声が夜空に鳴り響く。心が砕けていくような心地がした。


「ひどい……」


そう呟くのがやっとだった。それを聞いたイオは急にピタリと笑うのを辞めた。イオはぼろ雑巾でも見るような目でキラを見下した。


「ひどい? はぁ? 頭の足りない下等生物の分際で偉そうな口利くの止めてくれる? ……うっざいんだよねえ、その声も、顔も……見たくもない……」


息をすることもできないキラに、イオは止めを刺すように言った。


「お前もサラ・ルピアも、あの時死んじゃえばよかっ……」


その時だ。まばゆい光がキラの眼前を照らした。灼熱の炎が桜吹雪のように渦を巻いてイオの言葉を掻き消していく。キラは涙が溢れそうになった。絶望で手も足も出なくなった時、いつも太陽のように目の前を照らしてくれるのはいつだってこの人だ。

ゼオンの背中が目の前にあった。杖をイオに向け、北風でも掻き消せない炎でキラを守っていた。暗闇の中で輝く炎はまるで夜を裂いているようだった。安堵するのと同時にキラは少し悔しくなった。毎度毎度、助けてもらう度にキラは同じことを考える。本当はキラがその場所に立ちたい。この人みたいになりたい。もっと強くなって、誰かを守れるようになりたい。キラは助けてもらう度に安心する反面、理想と現実の差を思い知らされるのだった。

ゼオンはあくまで冷静に、しかしどこか怒りを帯びた声で言った。


「こいつをからかうのは、そんなに楽しいか……!」


イオの標的はキラからゼオンに変わった。イオの冷たい目にもゼオンは怯まなかった。ゼオンは後ろを振り向き、キラに言った。


「下がってろ、なんとかする」


その時のゼオンは昼間ネビュラの部屋にお茶しに行った時とは比べものにならないくらいに勇敢だった。キラは言われるがままにこくこくと頷いた。


「……それと、その杖はティーナが持て」


ゼオンはキラが先程拾ったルルカの杖を指差した。そう言った時にはティーナはキラのすぐ隣に居て、ほんの少し寂しそうにキラに微笑みかけていた。キラは言われたとおりティーナに杖を渡して、目の前のゼオンの背中を見つめた。イオはゼオンを見ると再び笑いながら言った。


「あんたがゼオンか。ほんと、お前はめんどくさい奴だよねえ。クロード家当主を差し向けた時に仕留められたら楽だったのにな」


「なるほど、あの時兄貴が村に来るよう仕向けたのもお前か」


「そうそうっ、サラにいろいろお願いしてね。それ以外にもサラはいっぱい仕事してくれたからボク助かっちゃった!」


イオはそう言った。無邪気な微笑みで無邪気さの欠片も無いことを言い放つその姿のどこが無邪気な子供だと言えるだろうか。キラは背筋が凍りついていくような気がした。そんな悍ましい状況にもゼオンは全く怯まなかった。ゼオンは杖をイオに向けながら淡々と言う。


「答えろ。どうしてこの王子を村に呼び寄せた。どうしてルルカに王子を殺させようとした?」


イオはくるくると楽しそうに宙を舞いながら答えはじめた。


「知りたい? いいよっ、教えてあげる。もう隠す必要は無いからねっ。一つはその杖が欲しいから。もう一つはその杖にごはんをあげるため」


イオはルルカを鼻で笑いながら言った。


「そこのお姫様、あの王子の話をちょーっとしただけでぐらぐらゆらゆらしちゃう柔らかメンタルだからねえ。あの王子は絶対赦せないだろうけど、殺してしまってもきっとそれはそれで動揺する。放心状態になると踏んだのさ。そんな弱った獲物だったら杖も美味しく食事ができるってわけ……サラ・ルピアの時みたいにね。杖の持ち主がいなくなっちゃえば杖を奪うのは簡単でしょ? 落ちてるのを拾えばいいだけだからね!」


ルルカの眉間に皺が寄り、冷たい瞳でイオを睨みつけた。どうしてそんな恐ろしいことを考えられるのかキラにはわからなかった。それから、イオは苦い表情で言った。


「容易いお仕事だと思ってたのに……まさかあんなバカみたいなことで杖を手放すとは思わなかったよ。心の不安定さがこんなとこで災いするとはね。ボクがっかりしちゃった」


たった数分、ほんの少しの間にイオがとても遠い存在になってしまったように思えた。キラは座り込んだまま事の顛末を見守る。セイラは話を聞き終えると自分の指を噛んで一滴の血を垂らした。蒼の魔方陣を呼びだし、時計の針の形の剣達が宙に浮かぶ。セイラは攻撃準備をしながら薄く微笑んだ。


「なるほど、話はよくわかりました。ねえイオ、今夜は私のお部屋に遊びに来ませんか。たっぷりお仕置きしてあげます」


「わぁ、うれしいなあ! でもねえ、ボクお仕置きはされるよりする方が好みなんだよね。ねぇセイラぁ、ボクとデートしない? 可愛がってあげる」


そう言ってイオも自分の指を噛み、膨れ上がった血を嘗めた。セイラと同じ蒼の魔方陣が夜空に浮かび、光の鎖が現れた。


「お断りです」


「残念だな」


その言葉が皮切りとなった。瞬く間に夜の空は戦場と化し、蒼の光が眼前を覆い尽くした。弾幕と弾幕がせめぎ合って夜を飾り、昼間かと錯覚するほどに視界が明るくなった。大人の魔術師を十数人集めたかのような激しい戦いだった。だが目を開けばはっきりとわかる。魔方陣を操っているのはどちらもたった一人、それも幼い子供だ。キラは複雑な想いでその様子を見つめていた。なぜあんなにも仲の良かった二人が戦っているのだろう。二人は自分たちがしていることを悲しいとは思わないのだろうか。

その時、キラは目の前に立っていたゼオンが呪文を唱えていることに気づいた。ゼオンは杖の先をイオに向け、魔法を発動させる。ライフルの弾のような炎が夜空に線を描いた。だがイオはこちらを見向きもせずにそれを避けた。見ないどころか、少し身体を前に屈めただけでそれをかわした。まるでゼオンの動きを予測していたかのようだ。

外れた火の弾はイオから少し離れたところで爆発した。爆風に身を隠しながらイオはふわりと空高く飛び上がる。イオは言った。


「もっと遊びたいけれど、ボクはいい子だからね、帰っておやすみするんだ。ばいばーい」


そう言ってイオは夜空の彼方へ飛んでいった。逃がすまいとセイラとゼオンは攻撃を続けたが無駄だった。去り際、イオはセイラにウィンクした。


「愛してるよセイラ。すぐに迎えに行くからね」


結局イオの姿は闇に紛れて見えなくなってしまった。魔方陣が消え、砲撃の音も聞こえなくなった野原に冷たい風が吹く。

キラは少し離れた所に佇むセイラを見つめた。夜の随のような少女は蒼い目を見開き、白い少年の去った方向を見つめ続けた。

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