第9章:第24話
詠唱が進むと同時にルルカの矢は白鳥のような光の羽を纏い、更に十字架の形をした剣達が現れてネビュラの頭を狙う。
ネビュラは死刑囚のような力の無い目でこちらを見つめていた。あの日浮かべていた笑みはもうそこに無かった。
「やるなら一発にしてよ。痛いのがズルズル続くのは嫌なんだ」
「勿論よ。一発で頭を打ち抜いてあげる」
ネビュラは目をつぶった。ルルカの耳元で再びあの声がした。『さようなら』と。ルルカは言われるがままに矢を放とうとした。
その時だ。辺りに突風が吹き荒れた。目を開けているのも難しい程の強い風だった。何かの魔法による風かもしれない。ルルカは狙いを風の吹いてきた方向へと変える。その時、夜の闇の果てから小さな白い物が飛んできた。それが何かはわからないが、ルルカは反射的にそれに向けて矢を放った。
光の羽を纏った矢が白い何かに向けて突き進む。矢が当たる直前、矢が纏った光がその飛んできたものを照らした。それは紙飛行機だった。よく見ると文字が書いてある。
「待って!」
ルルカは思わず叫んだ。急に矢が纏った光が消え去った。矢は紙飛行機の脇を掠めて夜の果てに飛び去っていった。紙飛行機はふわりと揺れて下に落ちはじめた。ルルカは思わずネビュラに背を向けて駆け出していた。
「えっ」
呆気にとられているネビュラを置いて、ルルカは天使の翼を広げて紙飛行機の方へ飛び立った。まず矢を手放して紙飛行機に手を伸ばした。だが飛行機は指の隙間をするりとすり抜けていく。それなら──とルルカは弓を放り投げた。あの女の声も頭の痛みも一瞬で吹き飛んだ。本当に些細な出来事だった。
ルルカは両手で優しく紙飛行機を掴むとふわりと地面に着地した。ネビュラとテルルがルルカの後を追ってきた。
「えっと……何それ、急にどうしたの」
ルルカは何も答えずに紙飛行機を開きはじめた。破けたり穴が空いたりしていないだろうか。幸い、紙飛行機には傷一つ無かった。
「よかった……破けたりしたらどうしようかと思った……」
ルルカはほっとして座り込んだ。気がつくと頭も心も、今までのことが嘘だったかのように軽くなっていた。ネビュラが尋ねた。
「それ、何。そんなに大事な物なの?」
ルルカはしばらく黙り込み、それから振り返らずに答えた。
「……ええ。サバトさんからの手紙」
それを聞いて、ネビュラは納得したようだった。
なるほどね、必死になるわけだ。お前、昔からあの人のこと大好きだったもんな」
ルルカはぐっと黙り込んだ。手紙を開いて、折り目を伸ばした。手書きで一筆一筆丁寧に書かれた手紙だった。ルルカはもう一度手紙を目で読み上げた。
『ルルカへ
ゆく秋の寂しさ深まる頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。反乱の後処理などで毎日忙しいですが、こちらは皆元気に暮らしております。
あの反乱からもう数ヶ月が過ぎましたね。痛ましい反乱が起こってしまったこと、サラ・ルピアが重傷を負う結果となってしまったことなど、悲しい出来事が続きましたが、その中でルルカと再会できたことは不幸中の幸いでした。
あなたの祖国でクーデターが起きたと聞いてからいつもあなたの身を心配しておりました。何もできない自分に無力感を感じたこともありました。こうして無事にルルカと再会できて本当によかったと思っております。久々に出会ったあなたは以前と変わらず優しい子で、以前より少し大人っぽくなりましたね。
またアズュールを訪れる時は是非連絡をください。僕も時間を作るので是非また会いましょう。ロアル村での生活やキラさん達の様子も聞かせてください。
それから、もしあなたの意思を無視して祖国に連れ戻されることが起こりそうな時は必ず連絡をください。いつでも力になります。ご両親を亡くし、一人逃げ続ける日々はきっとあなたにとって辛い時間だったでしょう。けれど、あなたは決して一人ではないことを忘れないでくださいね。
では、日々寒くなる時期ですが、お身体に気をつけてお過ごしください。
サバト・F・エスペレン』
ルルカは読み終わった手紙を優しく折り畳んだ。泥のように濁りきった気持ちが澄んでいくような気がした。全てがお伽話だったと思っていた。クーデターが起こったあの日、全てが変わってしまったと思っていた。夢も希望も全て灰になったと信じていた。一番信じたかったあの人は昔と何も変わらなかった。
それがルルカの心をどれほど軽くしただろう。クーデターが起こっても年月が経っても変わらなかった人が居ることをつい最近確かめたはずなのにどうして忘れてしまっていたのだろう。
ルルカは手紙をそっと抱きしめて立ち上がった。ネビュラがルルカに言った。
「手紙が来るってことは、あの人と会えたんだ。あの人に会う為にわざわざウィゼートまで来た甲斐あったな。よかったじゃん」
それを聞いたルルカはきょとんとして言った。
「はぁ? 何言ってるの、私がウィゼートに逃げたのは国外に逃げた方が捕まりにくいと思ったからよ。サバトさんにまた会えるなんてこっちに来た時は考えてもみなかったわ」
「……えっ、あ、もしかしてお前、すっげえ鈍い? 俺はお前が逃亡を始めた時からいずれ絶対ウィゼートに行ってあの国王様に会いに行くと思ってたんだけどな。大体、本当に捕まりにくいからって国外に行くならいっそデーヴィアまで逃げちまえばいいんだよ。天使と悪魔は神話の時代からの仲の悪さだからな。父上は手を出しにくいと思うよ。そう言ったところで今更デーヴィアに移り住む気も無いだろ?」
「移り住む気以前に、貴方に神話の時代の知識があったことが驚きだわ」
「うわ……一応俺、王子としての教育は受けてるんだけど」
苦笑いをするネビュラをよそに、ルルカは手紙を魔法でしまいこんだ。こちらの国に来た直後はサバトに会うことなど考えてもみたかった。なんせ自分はお尋ね者、相手は一国の王なのだ。だが心の底でサバトとの再会を望んでいたというのも、間違いではないのかもしれない。
手紙をしまったところでルルカはようやく冷静になった。まずは放り投げた弓矢を探すことと、ネビュラとの話だ。ルルカは辺りを見回して弓を探した。弓は杖に形を戻して草原の上に転がっていた。
その時だ。突如頭上で雷のようになにかが瞬いた。辺りに風が吹き荒れ、地震に似た重たい音が響く。すると遠くで紅の刃が空へと昇っていくのが見えた。硝子が割れるような音がチラチラとルルカ達を取り囲んだ。
「何事なの?」
ネビュラとテルルの顔を見たが二人とも事態を把握できていないようだ。その時、前方から誰かが猪のように駆けてきた。
「うおおおおっ、杖取ったどーーーーっ!」
その掛け声と共にキラが地面に落ちたルルカの杖をスライディングで奪い取っていった。ルルカが唖然としていると再び前方から魔法による光を感じた。ゼオンが呪文を唱え、今にも攻撃魔法を放とうとしているところだった。後ろにティーナとセイラの姿もある。緋色の炎を纏った鳥達がゼオンの周りを飛び回り、攻撃の合図を今か今かと待っていた。
そしてゼオンは杖を振って攻撃の合図をした。狙うはルルカ達の頭上の空だった。
「燃え盛る炎よ……集え我が手に! ワゾー・ドゥ・フラーム!」
炎を纏った鳥達が夜空に向かって羽ばたいた。シャンデリアのように鳥達はルルカの図上に集まって七色に瞬く。その時、誰も居なかったはずのルルカの頭上に蒼の魔方陣が現れた。
「……時の鎖よ、邪なる使徒を滅ぼし給え! ラシェーヌ・ドゥ・ディユ!」
その声と共に蒼い光の鎖が現れ、炎の鳥達を蹴散らした。ルルカは目を疑った。誰も居ないと思い込んでいた頭上に一人の少年の姿があった。少年の纏った服の白が夜空にくっきりと浮かぶ。ルルカはふとキラの方を見た。少年の姿を見たキラの表情はショックで凍りついていた。
ただ一人、セイラだけは少年の姿を見据えるとニヤリと不敵に微笑んだ。
「やっと会えましたね。……そこまでですよ、イオ」




