第9章:第23話
村の入り口へと近づくにつれてちらほらと人の姿が見えはじめた。キラは不思議に思った。この真夜中にどうして人が出歩いているのだろう。
その答えはすぐに出た。ティーナが村の入り口を指差した。
「キラ、あれ見て!」
遠くに蒼い光のドームが見えた。時折花火のようにドームの中がぱちぱちと光る。あれはきっと魔法で作られた結界だ。夜の闇の中、蒼い光のドームがくっきりと見えた。きっと村人達もあの結界に気づいて見に来たのだろう。
キラ、ゼオン、ティーナ、セイラの四人は村の入り口へと急いだ。蒼の結界の前までたどり着くとゼオンは言った。
「ルルカ達はこの中か?」
「はい、そのはずです」
セイラが言った。巨大な結界は村の入り口を塞ぐように広がっている。結界は鉱石のような不思議な光を放っていて、とても美しかった。
結界の近くにも数人の村人が居て、心配そうに中の様子を見つめていた。早く中に行かなければルルカ達に何が起こるかわからない。
するとゼオンが杖を構えた。
「燃え盛る炎よ……集え我が手に! ワゾー・ドゥ・フラーム!」
緋色の炎を纏った鳥達が蒼の壁に突き進む。冬を焼き尽くす程の激しい炎だ。結界を破るには十分かと思った。
しかし、火の鳥達は光の壁に突っ込んだ途端、吸い込まれるように勢いを失って消えてしまった。
「嘘……ゼオンの魔法でびくともしないなんて」
キラは思わずそう呟いた。ゼオンの魔法がこんなにも容易く無力化されるのは初めてだ。ゼオンがセイラに言った。
「なるほど、厄介な魔法だな」
「でしょう? だからティーナさんを呼んだんです」
「……俺やお前だとダメで、ティーナなら破れるのか?」
「ええ。どこまで通用するかはやってみなければわかりませんが、ティーナさんがこの結界と相性のいい魔法を使えるということは確かです。……ね?」
セイラは淡々とそう言うとちらりとティーナに目を向けた。ティーナは杖を抱えながら地面に視線を落としていた。セイラの声には答えず、苦しそうに黙っています。
「さ、ティーナさん。お友達を助けに行きたいでしょう。あの魔法を使ってください。あなたはあの施設で習ったはずですよ──ブラン式魔術を」
ブラン式魔術。その言葉の意味はキラにはさっぱりわからなかったが、ゼオンは驚いた様子でティーナを見つめていた。
ティーナはちらりと一度ゼオンを見て、また俯いた。
「ゼオンには、あまり見られたくなかったんだけどな」
「あら、ディオンさんと初めて会った時に堂々と使ってたくせに今更何を言いますか」
「だから、あの時はカッとなっちゃったんだってば。愛しのゼオンの一大事だったんだよ?」
ティーナはため息をついて杖を構えた。ティーナの足元に紅の魔法陣が現れ、見たこともない文字が宙に舞った。
「世に破滅をもたらす紅き瞳の女神よ……我に力を貸したまえ……」
血の色に染まった二つの刃が現れた。ティーナの足元で広がりつづける魔方陣は、あの時見た魔方陣とよく似ていた。そう、あの時。キラが杖に身体を乗っ取られた時にオズが使った魔法と魔法陣の色や陣に書かれた文字がよく似ていた。
「女神の刃よ、蒼き光を滅ぼせ! ラム・ドゥ・デス!」
緋色の刃が蒼い結界に牙を剥いた。光の壁を食い破ろうとするが、壁は想像以上に硬いようだ。しかし先程のように魔法が結界に吸収される様子は無く、攻撃は確実に結界に傷を与えていた。
その時、硝子が飛び散るような音がした。ティーナの魔法が結界に穴をあけたのだ。穴自体は人の頭がやっと通る程度の大きさだったが、ヒビは結界の広範囲に広がっている。
もう何度かこの魔法を当ててやればきっと結界を破壊できるだろう。
「やったあ、ティーナすごい!」
キラはぴょんと飛び上がってティーナの手を取って振り回した。しかし、ゼオンやセイラは険しい表情のままだった。
その時だ。結界が蒼く光り始めた。主に傷が入った部分の周囲だった。そして光りだした部分の結界が再生しはじめたのだ。ティーナが穴をあけた部分も再生が始まっていた。
「うそ、そんなあ……」
キラが落胆するとセイラが舌打ちしながら言った。
「チッ、やはりあの子相手だとティーナさんでは力不足でしょうか。かといって……」
キラはその言い回しに首を傾げた。
「あの子……? セイラ、この結界を作った人が誰か知ってるの……?」
セイラはキラを横目で見て黙り込んだ。その様子を見て、セイラはこの結界を作り出した犯人を知っていると確信した。
すると耐え兼ねたようにゼオンが口を開いた。
「馬鹿か、前にも言っただろ。こいつもオズも黒幕の正体はとっくに知ってるって」
「じゃ、じゃあセイラ、どうしてあたしには教えてくれないの……」
「タイミングをはかってたんだよ。でも、もういいだろ……こんな茶番」
ゼオンはセイラを睨んでそう言った。セイラは目の前の蒼い結界を見つめたまま、ゼオンの言葉には答えなかった。ゼオンはキラと目線を合わせて言った。
「こいつが教えないなら俺が教える。すぐに信じられないならそれでもいい。けど、頭の隅には置いておけ。いいか、この結界を張ってる奴はセイラの双子の弟……あのイオって奴だ」
キラは一瞬ゼオンが何を言っているのかわからなかった。イオがこの村に来た時、嬉しそうにセイラに抱き着いていた様子が頭に浮かんだ。
「ちょっとまって、イオ君が……? ゼオン、何言ってるの。何の為にイオ君がそんなことするっていうの……」
「そりゃ勿論、ルルカを煽ってネビュラを殺させる為だよ。その為に邪魔が入らないようこの結界を張ったんだ。ネビュラをここに招いて今までのことを引き起こした黒幕はあのイオだ。こんな単純なこと、お前は本当に気づかないのか……?」
キラにはわからなかった。あの無邪気なイオが今までの出来事を引き起こした黒幕だなんて信じられない。
セイラをあんなに思いやり、ブラン聖堂でキラを助けたイオがこんな恐ろしいことを考えられるわけがない。
「わからないよ……。大体イオ君が黒幕だとしたら、ルルカの居場所をお城に居たネビュラ様に教えたっていうの? イオ君、ずっと村に居たじゃん。ゼオンがルルカとちょっと喧嘩になりかけた時、ルルカの部屋にあった手紙のことは? それに、ペルシアやリーゼを操ってルルカとネビュラ様に手紙を渡させた時のことは? それを全部イオ君ができるっていうの……?」
信じたくない。キラは震えながら必死でそう言った。ゼオンはキラの言葉を黙って受け止めた。どこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。ゼオンはキラから目を逸らさずに、セイラにこう尋ねた。
「セイラ、お前から聞きたいことがある。お前とイオは双子なんだよな。お前が使える『時間操作の魔法』……あれってあいつも使えるのか?」
しんと空気が静まり返った。水面に小石を投げ入れるようにセイラは静寂を破った。
「はい、そのとおりです。あの子も時間操作の魔法を使えますよ」
それを聞いたゼオンはキラにすらすらとこう述べた。
「なら、今お前が言ったことを全てあいつはできる。ルルカの部屋にあった手紙のこと……たしかあの時ルルカの部屋は窓が開いてたよな。時間停止の魔法を使ってる間に窓から部屋に入って手紙を置き、扉の鍵を開けて廊下に出て時間操作を解いて、外からまた鍵を閉める。後は隙を見ててきとうに逃げ出せばいい。
リーゼとペルシアを精神操作で操って手紙を書かせてルルカとネビュラに渡す。それもあいつならできる。イオってたしか元は反乱軍関係者なんだよな? お前の姉……サラ・ルピアは反乱軍に居る間、誰かに精神操作の魔法をかけられていたって言ってたよな。それで国王への憎悪が増すよう仕向けられていたって。リーゼ達のこととサラ・ルピアのこと、どっちも高度な精神操作魔法が使えなきゃできない。村と反乱軍、都合良くどっちにも居たイオは怪しいだろ。
最後にエンディルスの城に居たネビュラにルルカの居場所を教えたこと。あれも時間操作の魔法が使えりゃ可能だ。時間停止を使えば城への侵入は容易いし、過去や未来の世界へ飛ぶことができれば一つの時間軸に同じ人物が二カ所に存在することだって不可能じゃない。アリバイだろうとなんだろうと作れる。
時間操作だなんて反則みたいなメチャクチャ魔法使えるんだったら全部どうとでもなるさ」
「過去や未来に飛ぶって、そんなこと……」
「初めてセイラと会った時だ。セイラがティーナを300年前の時代からタイムスリップさせた……なんて話が出なかったか? あれが本当ならセイラは誰かを過去や未来に飛ばすこともセイラ自身が飛ぶこともできることになる。現にセイラは今、俺たちの時代に居るわけだしな。そして、セイラができるならイオができてもおかしくない。
……どうだ、これでもイオが黒幕じゃないって言えるか?」
キラは何一つ答えられなかった。ただ恐ろしくて仕方が無かった。イオの無邪気な姿を信じていたかった。
「あたしには、イオ君がそんな悪い子には見えない……。なんでゼオン、そんな……」
そう言ったきり黙り込んでしまったキラを見て、ゼオンはため息をついてセイラに言った。
「……本当に、セイラの言ったとおりになったな」
ゼオンは悔しそうに俯いた。するとセイラはこう言った。
「ええ、そうですね。けど、もういいです。ゼオンさんの言うとおり、茶番は終わりにしましょう。終わらせる為の決定的証拠が目の前に出てきてくれましたから」
ゼオンが顔を上げてセイラの方へ振り向く。セイラは目の前の蒼い結界から目を離さない。
「これを作った術者を引きずり出せば、いくら脳みその可愛らしいキラさんでも、誰が黒幕だかお分かりいただけるでしょう」
キラは足元がぐらぐらとふらつくのを抑えて結界を見上げた。キラはイオを信じたかった。だが、先程のゼオンの言葉と悔しそうな目が頭にこびりついて離れなかった。
するとティーナがセイラの元までやってきた。
「黒幕黒幕って、そっちも確かに大事だけどまずはルルカの心配が先でしょ。それと術者を引きずり出すっていうけどさ、この結界、多分外部からの攻撃を防ぐための結界だよ。術者がすぐに引きずり出せるような場所に居るとは思えないんだけど」
キラは話を理解できずに首を傾げた。
「すぐに引きずり出せないって、どういうこと?」
「わざわざ攻撃防ぐためのバリアー張っておいて、自分はバリアの外側に居るなんて馬鹿は普通いないでしょ。術者は多分この結界の中だよ。まずはこの結界を突破しなきゃ、術者を引きずり出すこともルルカを助けることもできないよ」
ティーナの言うとおりだ。まずはこの結界を突破しなければならない。だが先程のティーナの魔法でも結界には小さな穴しか開かなかった。キラ達が通れるくらいの道を作るには何回魔法をぶつければよいのだろう。
ティーナは苦い表情で言う。
「あたしも努力するけどさ、これを破るの、きっと時間かかるよ。……そんなことしてる間にも、ルルカ達は……」
キラも悔しくて俯いた。結界が破れるまでキラはただここで待つことしかできないのだろうか。ルルカとネビュラがお互い潰し合うのを放置することしかできないのだろうか。キラは呟いた。
「ルルカ達、早く止めてあげなきゃ……結界が壊れるのなんて待ってられないよ」
「結界を破壊しなくてもルルカ達を止められたらいいんだけどな」
ゼオンがぼそっと呟くと、セイラが吐き捨てるように言った。
「そんなの、ルルカさんが自分から杖を落としてでもくれない限り無理ですよ」
キラはきょとんとしてセイラを見た。
「杖? なんで?」
それを聞いたセイラは哀れむような目でキラを見た。
「キラさん、今更それを言いますか……? ルルカさんはゼオンさんに一度攻撃を仕掛けたって言ってたでしょう。またあの杖の力が働いているんですよ。ルルカさんの心の隙を突いて、ネビュラさんに憎悪を向けるようあの杖が働きかけているんです。根本的解決はまた別かもしれませんが、ルルカさんが杖を手放せば一度落ち着くくらいならするかと思いますよ」
「ほんと、それ、できるの?」
興味津々のキラを見て、セイラは更に呆れた。
「そう簡単にできたら誰も苦労しませんよ……。まあ、サラ・ルピアの時やキラさんが暴走した時ほど杖を手放させるのは難しくないかと思いますが」
するとゼオンが口を挟んだ。
「そうなのか? どうしてだ?」
「あれも人を操る程の力を行使するのは容易くはないんです。いくら杖の持ち主の精神状態が揺らいだとしてもそれだけでは人を完璧に操るのは難しいんですよ。
キラさんが暴走した時はオズさんの魔法で杖の力を増幅させ、サラ・ルピアの時は杖がサラ・ルピアを操りやすいようにあの子が長い時間をかけてあの人の精神の方をいじっていたんです。今回それらと同じ役割を果たしているのが、ルルカさんが貰った封筒に入っていた紅色の石です。
けれどあれはあくまでちっぽけな欠片。オズさんの力の強さやあの子がかけた時間と比べると、本当にささやかな力ですよ」
「つまり、この馬鹿が暴走した時やサラ・ルピアの時よりはささやかなきっかけでルルカは杖を落としてくれるのか?」
ゼオンは真顔でそうセイラに言った。ゼオンが何を考えたのか、キラも察した。セイラも理解したようで、すぐにゼオンに言った。
「まさかゼオンさん、結界を壊す前にルルカさんに杖を『落とさせよう』と考えてます? いくらなんでも無謀ですよ。結界を破壊した後に直接杖を弾き飛ばした方が無難かと思いますが。
ゼオンさんもキラさんも、あの杖が人を操っている時、杖を落とすなんてこと考えられないっておわかりでしょう?」
セイラの言うとおりだ。キラが暴走した時、キラは完全に自我を失いゼオンを追い詰めていた。杖を落とすどころかゼオンへの攻撃を邪魔するだけで精一杯だったくらいだ。
ゼオンが言うように結界を壊す前にルルカが杖を落としてくれるならそれに越したことはない。だがそんなことができるのだろうか。
二人が話している間にティーナは再び呪文を唱えて結界への攻撃を始めていた。だが結界の再生速度も速く、キラ達が結界内部に行けるようになるまでいくら時間がかかるかわからない。
内部にたどり着いたとしても今のルルカでは戦闘無しで杖を手放させるのは難しいだろう。
だが結界の外からではルルカには声すら届かない。
「せめて声だけでも届けばなあ……」
キラはぼそっと呟いた。だがすぐに「それでもだめだ」と気づいた。今のルルカがキラ達の言葉を聞くだろうか。
その時、再びティーナの魔法が発動した。紅の刃が蒼の結界に食いつくが、まだキラ達が通れる程の道にはならない。ティーナは紅の魔法を操りながらキラに言った。
「ここにサバト様が居ればいいのにね」
「え、なんで?」
「だってツンツンしてるようで中身は乙女でナイーブなルルカちゃぁんだよ? 大好きなサバトしゃまがお願いしたらころっと杖を手放してくれるかもしれないじゃん」
「あはは、さすがにルルカもそこまで単純じゃないと思うんだけど……」
キラは苦笑いした。だが「ここにサバトが居ればいいのに」という言葉には心の底から同意した。キラ達の言葉は届かなくても、サバトの言葉なら聞いてくれるかもしれない。そんな気がしたのだ。
「でも、サバト様は居ないしなあ……」
再び俯きかけたその時、ぴんと一つの考えがキラの頭に頭に降ってきた。確実さなんて微塵もない馬鹿馬鹿しい考えだった。けれどルルカにならもしかしたら届くのではないだろうか。
キラは夢中でセイラに尋ねた。
「ねえ、本当にちょっとしたきっかけでいいんだよね。ちょっとしたことでルルカは杖を落としてくれるんだよね?」
「……キラさん、私がたまたま口にした言葉を真に受けすぎです。あくまであなたやサラ・ルピアの時と比較して、の話ですからね?」
「でも、ほんのちょっとしたことでいいんだよね?」
セイラは諦めたようにため息をついた。急に元気になったキラにゼオンが言う。
「どうしたんだ、急に」
「ちょっと思いついたことがあるの! 一回宿屋のルルカの部屋行ってくる!」
「ルルカの部屋? なんでいきなり、というかルルカの部屋って、扉の鍵はどうする気だ」
「蹴破れば鍵なんてない!」
キラはすぐに宿屋へ向かって駆け出した。風のように走り出したキラを止められる人など居ない。笑いたくなるような馬鹿馬鹿しい考えだった。けれど、もし少しでも何かを変えられる可能性があるのなら試してみたかった。
中央広場を抜けて宿屋にたどり着くと、キラはすぐに二階へと駆け上がりルルカの部屋へと向かう。キラは迷わず扉を蹴破るとぐるりと部屋を見回した。幸い捜し物はすぐに見つかった。机の上に置いてあった「それ」を手に取ると、キラは再びあの結界のもとへ戻っていった。
「後で怒られちゃうかもな」
そうつぶやきながら、キラは息が白く染まるほどの冷たい夜を駆けていった。




