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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第9章:ある王女の幻想曲
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第9章:第22話

ルルカの意識は朦朧としていた。それなのに体はルルカの意思を無視して動いていた。身体は村の入り口の方へと駆けてゆく。あの手紙に書かれた場所へと行くつもりだとぼんやり想像した。

手の中にある杖が熱した鉄のように熱かった。ルルカはようやくあの声も身体が言うことを聞かないことも、原因はこの杖にあるということに気づいた。

村の入り口にたどり着くとルルカは立ち止まった。まだそこには誰の姿も無い。反射的に「戻らなければ」と思った。

するとあの声がした。


『戻っていいの? またとないチャンスよ。この真夜中なら誰も見ていない。今なら確実にネビュラを殺せる。村の出入口はすぐそこよ。オズが動く前に逃げることもできるわ。』


その声は心の古傷にじわじわと染み込んだ。あの時の記憶が痛みとなって蘇る。首のない両親、無限に飛び散る赤い液体、重たい髪を引きずりながら必死に逃げつづけたお姫様の姿と、王子様になったネビュラの姿。

過去が暴れ出すようにルルカの頭を支配していく。元王家に縁のあった人々が逃亡後ルルカを売った人々の顔となって頭の中で混じり合った。泥のように深く沈んでいた感情がふつふつと沸き上がってきた。

感情に飲み込まれるようにルルカ自身の意識は段々と薄れていった。その時、宵闇の中に人影を見つけた。こちらに向かっている。

ルルカの手はいつのまにか弓矢を構えていた。狙う先はあの人影の頭だ。口が勝手に呪文を唱えはじめた。矢は白い光を帯びて夜を照らしていく。

その光が人影の顔を照らした。灰色の髪の少年の顔が見えた。ルルカは矢を放った。

矢は少年の目に向かって突き進んだ。だがその時、別の人影が二人の間に割って入った。


「天空の力を纏いし虹の幕よ……我が主を守り給え……アクトゥ・ドゥ・オロル!」


オーロラのように煌めく光の幕が矢の行く手を阻んだ。ルルカの矢は勢いを失い、下へと落ちた。

幕が開くと、そこにはネビュラとテルルの姿があった。今日のネビュラはやけに堅い表情をしていた。傍らのテルルはダーツを手にこちらを心配そうに見つめている。どうやら今の魔法はテルルのもののようだ。

ネビュラは静かに言った。


「ルルカ、また会えて嬉しいよ。君に話したいことがあるんだ」


ルルカは再びネビュラの頭に狙いを定めた。


「この杖は渡さないわよ」


「違う、今日はそのことじゃない。聞いてもらいたいことがあるんだ。あのクーデターのことで」


ルルカの心臓が高鳴った。恨みつらみが沸き上がってくる。耳の奥でまたあの声がした。『構わずやりなさい』と。意識がはっきりしないまま、手が再び矢を取っていた。


「一言伝えたかったんだ。赦されないことはわかってる。でも、ごめん。君を裏切ってしまって。一人にしてしまって……」


ネビュラはルルカの目を見て言った。辺り一面暗闇ネビュラの目の

ルルカは再び矢を放った。すると再びテルルの魔法の幕が矢の行く手を塞いだ。するとルルカは幕に矢が刺さる直前に短い呪文を唱えた。ビリビリビリと幕が裂ける音が響き渡る。幕はなんとか矢を弾きかえしたが、矢が当たった部分の幕は引き裂かれ、ネビュラの顔がはっきりと見えた。

ルルカは幕の向こうのネビュラに言った。


「今更そんなことを言ってお涙ちょうだいでもしたいの? 楽でいいわね、ごめんの魔法で全部が赦されるなんて」


「言っただろう。赦されるなんて思ってないって。本当に、ただ話しておきたかっただけだよ。俺が何をしてきたか」


今日のネビュラはやけに大人しく沈んだ声で話す。傷口をえぐられたような苦しそうな表情で。


「あの日俺は言ったよね。『騙されてくれてありがとう、お姫様』って。でも俺はね、臆病なんだ。あの言葉自体が嘘なんだよ」


「……どういう意味よ」


「騙したつもりなんてこれっぽっちもなかったんだ。俺も騙されたんだ……父親に。お前がお姫様だった頃、俺はお前のこと本当に友達だと思ってた。クーデターの前日に知ったんだ。俺が『友達』じゃなくて、エヴァンス家が王家に近づくための駒だったことに」


ネビュラはクーデターの前に父親に言われたこと、その時の気持ち、それからネビュラがしてきたことをこと細かに話した。

ネビュラは震えながらルルカに訴えかけた。言葉を受けとったルルカの方も震えていた。

ルルカの気持ちは晴れなかった。むしろ更にもやもやと濁っていった。今更都合の良いことを……と苛立つ気持ちとネビュラの言った言葉に素直に驚く気持ちが混ざり合った。

手は次の矢を構えたまま止まっていた。矢を放つかどうか、決めきれないまま止まっていた。その時、再び耳元で声がした。『本気にしちゃだめよ。それが今までの逃亡生活であなたが学んだことでしょ?』と。

ふっと手が緩んだ。その途端、矢はルルカの手を離れ、ネビュラの頭へと突き進んでいった。再びテルルの魔法の幕が姿を現す。しかし、その守りはもう限界だった。矢は幕を突き破った。だがとっさにテルルがネビュラを突き飛ばしたのでネビュラを仕留めることはできなかった。

ルルカが次の矢を構えようとした時だ。テルルがこちらにダーツを投げつけた。ルルカは防御魔法でそれを防ぎ、投げつけられたダーツはポロリと落ちて地面に刺さった。

攻撃のつもりだとしたら随分とお粗末だ。ルルカがそう思った時、ダーツからテルルの声がした。


『ルルカ様、聞こえますか? 攻撃をやめてください、お願いします!』


説得のつもりだろうか。耳元で『踏み潰せ』と何かが囁くと、足が勝手に指示に従おうとした。するとテルルは続けてこう言った。


『よく考えてください。あなたが憎むべきなのは本当にネビュラ様なのですか? あなたを追い詰めたのも、あなたのご両親やそれまでの生活を奪ったのもネビュラ様ではないはずです。それは現国王が起こしたクーデターそのものではないですか!? ネビュラ様はそのクーデターに利用されただけです。本当に怨みを晴らすなら、討つべきなのはクーデターの実行犯ではないですか!?』


ルルカの足が止まった。テルルは言った。


『……あなたのご両親の末路、よく覚えてます。私はクーデターの実行犯の一人です。もし過去の怨みを晴らしたいのであれば、私が代わりにその的になりましょう。その代わり、ネビュラ様はお見逃しください』


ルルカは足元のダーツをじっと見つめた。正面にはテルルが居る。手に持っていたダーツを足元に投げ捨て、じっとこちらを見つめていた。

またあの女の声が笑った。『アハハッ、馬鹿ね。さあお姫様、言ってやりなさいな』と。ルルカは過去の記憶のページを一枚一枚振り返りながら、テルルに言った。


「……あなた、勘違いしてるわ。私はね、現王家やクーデターの実行犯への復讐なんてこれっぽっちも考えてないの。私が潰したいほど憎いのはネビュラだけ」


テルルは言葉を失った。ルルカはため息をついて、弓矢の狙いを再びネビュラに定めた。


「どうして……」


テルルが漏らした言葉をルルカは切り捨てるようにこう返した。


「そうね、わからないわよね。わからなくていいことだわ。あのね、確かにそれまでの幸せな生活が崩れたきっかけはあのクーデターだったわ。……けどね、赦せない奴は他にもいくらでもいたの。

城から逃げ出した直後、まず幼い頃に世話になった乳母の家に行ったの。そしたら乳母はニコニコしながら憲兵を連れてきたわ。次に父様に仕えていた貴族の家。笑って出迎えてくれたけど、出されたお茶に毒が入ってたの。危なかったわ。次に……」


ルルカはウィゼートにたどり着く前に頼ろうとした人物を次々と挙げていった。ルルカを助けてくれた人は誰一人いなかった。期待が裏切られる度にルルカの脳裏にはあの日のネビュラの言葉が浮かぶのだ。ルルカは言った。


「クーデターを起こした現国王達は勿論憎いわ。でもね、他にも赦せない奴はいくらでもいるの。憎い奴が多すぎるの。片っ端から潰してたらきりがないのよ……。

だから……もういい。そんな奴ら全部潰して、結局何になるの。殺すのだって楽じゃないのよ。何人も何人も……潰すのにかかる時間の分だけ新しい憎い奴ができるだけ。もう、疲れたのよ。復讐すら、めんどくさい……」


ルルカの手が止まった。水底に貯まった泥を吐き出した後のような感覚だ。何も知らない無邪気なお姫様の姿を未だに忘れられない自分が憎かった。

テルルがルルカに問いかけた。


「では、なぜネビュラ様だけ……」


その言葉は思いのほかルルカに深く刺さった。どうしてだろうとルルカ自身も不思議に思った。過去の記憶が映画のように脳裏を走りつづけた。

答えは意外と早く出た。あの日ネビュラに裏切られた時、きっと一番最初に生まれた想いは憎しみではなく絶望だった。城じゅうが敵に回っても、いつも一緒に遊んでいたネビュラなら味方になってくれるのではないかと期待していた。

世界中が敵に回っても、幸せな時代が崩れ去ってしまっても、誰か一人くらい昔と変わらずルルカの味方でいつづけてくれるのではと期待していた。けれどあの日の言葉はルルカの期待を何度でも殺しつづけるのだ。『騙されてくれてありがとう、お姫様』──と。

殺してしまいたいのはネビュラ本人ではなくてあの言葉なのかもしれない。ルルカは再び弓を構えた。テルルが叫ぶがもう手は止まらない。矢の先とネビュラの頭が重なった。

力ずくでも止めてやる。そうテルルは思ったのだろうか。無数のダーツを媒体に魔方陣を編み上げ始めた。だがその時、ネビュラがぽんとテルルの肩に手を置いた。


「おつかれ、テルル。もういいよ」


テルルとルルカの手が止まる。テルルが震える声でネビュラに言った。


「な、ど、どういう意味ですか……?」


「もう帰っていいよってこと。俺は自分の言いたいことを言い切る前に殺されたくはなかったんだ。だからテルルに来てもらったんだ。でも、もう俺が言うべきことは言えたから、お役目終了。お疲れさまーってこと」


ネビュラは疲れた顔で満足げに言った。テルルの表情が凍りついた。


「ダメです、やめて、そんな悲しいこと言わないで! そんなことしたら……」


「いいんだ、もう。俺も後悔するのに疲れたんだ。あの日、ルルカの魔法を喰らった後、俺は病院のベッドで目を覚ましたんだ。その時思ったよ。『なんで生き延びちゃったんだろう』って。

それからずっと思ってたんだ。あの時殺されてたら、楽だったのになって。だから、もう、いいよ」


その時、ルルカは狙いを変えてテルルの方へ矢を放った。狙いはダーツの矢が入ったポシェットだ。白い光を帯びた矢はポシェットを破くと中のダーツを全て焼き尽くした。


「これで、もう邪魔はできないわね」


ショックで座り込むテルルを尻目にルルカは再びネビュラに弓矢を向けた。頭痛が止まなかった。何度も何度も暗示をかけるようにあの声がした。


『ほらどうぞ、早くやっちゃいなさいな。ウフフフ……』


矢の先に居るネビュラは疲れきった顔をしていた。もはやルルカの方を見もせずに俯き立ち尽くしていた。


「逃げないのね。あなたが命乞いするところ、見たかったのに」


「ルルカと同じだよ。命乞いするのすら、もう疲れたんだ。ああでも、殺されるのは怖いな」


ネビュラは抑揚の無い声で言った。不思議な時間だった。長年の怨みと後悔がぶつかり合う瞬間だというのにルルカにもネビュラにも覇気が無かった。静かだった。遠くでテルルの無意味な声とあの女の声がノイズのように鳴っていた。


「さっさとしなよ」


「そうね、じゃあ、さよなら」


ルルカは呪文を唱えた。あの日、友人が敵になった日にお姫様が唱えた呪いの言葉と同じだった。

矢は光を纏って首を刈り取る牙となる。これで全てが終わるはずなのに心は重くなる一方だった。

どこかで笑い声がした。艶めいた女の笑い声だった。同時にテルルの声がした。鼠が泣くような力の無い声だった。


「ダメです、そんなの嫌だ……そんなの、私が見たくないんです。誰か止めて、やめてください……!」


無意味な声は夜の闇に溶けて消えていった。

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