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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第9章:ある王女の幻想曲
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第9章:第20話

今日になって、急に一人を寂しいと思った。ルルカは枕や服が散らばった部屋を少しずつ片付けていた。時折息苦しくなって、手を止めて、窓の外を見てはまた掃除に戻った。

紅茶とお菓子の香りがまだ部屋に残っていた。ルルカは先程ティーナとキラが来た時の事を思い出していた。


「後で散歩にでも行こうかしら。やっぱり一度外の空気を吸った方がいいかもしれないわ」


ルルカはそう呟くと床に転がった杖に手を伸ばした。今までずっと共に闘ってきたこの杖を床に放置しておくわけにもいかなかった。杖を机の上に置くと、ルルカはぽつりと呟いた。


「私は……どうしたいの……」


海の底のような青が目に入る。勿論これをネビュラに渡す気などなかった。だが、このままネビュラから逃げつづけるわけにもいかなかった。何らかの決着をつけなければならない。

頭の中をあの日の景色が駆けてゆく。一瞬にして全世界が敵に回ったあの日。信じていた人に裏切られたあの時。泥のような醜い感情が心を蝕んでいった。

逃亡を始めた当初、ルルカは王女時代に世話になった人々のもとを回った。この人ならきっと助けてくれる──そう信じて逃げ回った。期待は悉く裏切られた。

ネビュラだけではない、ルルカは様々な人に裏切られてきた。その度にルルカは頭の中で裏切り者達を殺してきた。中には本当に殺した人も居る。矢で頭を貫いて。

今までしてきたことと同じ事をするだけ──それだけのはずなのに何を躊躇っているのだろう。ふとキラとティーナの言葉が頭をよぎった。二人は今のルルカをどんな想いで見守っているだろうか。

その時、艶めいた声がした。


『やるなら早くした方がいいわよ。──邪魔が入る前に』


ルルカは素早く杖を手にとり、辺りを見回した。部屋の中には誰も居ない。胸の鼓動を必死で抑え、部屋のあちこちを捜したが人の姿は無かった。


『うふふ……お友達も言ってくれたでしょう。あなたが本当にそれを望むなら、殺してしまってもいいって。優しい子達ねぇ、あのオズの企みからあなたを守ってくれているのよ』


女の声だった。なぜかその声は自分の中から聞こえてくるような気がした。紅茶の香りがした。オズの姿が脳裏を掠めた。言われてみればそうだ。この状況でオズが何も企んでいないはずがない。ゲームの駒のようにルルカを操ろうとしているはずだ。

ディオンとゼオンが出会ったあの時のように。ルルカはそう考えた時に気づいた。今のルルカとネビュラの状況はあの時とよく似ているのだ。


『そう、今の状況はあの時とよく似てる……あの時、オズは何をしたかしら。あなたはよくわかるはずよね、あの時オズとセイラに使われたあなたなら』


オズとセイラの笑い声が耳の奥を駆けていった。セイラの束縛の魔法の痛みとオズの高笑いを思い出す。あの二人の思い通りに事が運ぶのは気に食わなかった。


『あなたの過去への決断はあなたが下すべきだわ。誰にも邪魔されたくない──そうじゃない? 何も怖がることないわ。今までと同じように、思ったとおりやればいいのよ。ウフフフ……』


思わずルルカは杖を持ったまま部屋から飛び出した。自分の心の内を見透かすように囁く声が不気味で仕方が無かった。一体どこから、誰がルルカに話しかけているのだろうか。

ルルカが部屋から出ると、声は一旦収まった。ルルカは少し安堵した。そういえば先程散歩に行こうと考えていたところだったので、ルルカは階段を下りて外に出た。そこでルルカは杖をどうするべきか迷った。今からまた部屋に戻って置いてくるのは面倒だ。ルルカが短い呪文を唱えると、杖は透明になってふわりと消えた。必要になればまた呪文を唱えて呼び出すことができる。

ルルカは村の中央の広場へと向かった。もう夜になっていた。真っ暗な道を街灯の明かりだけが照らしている。もう通りには人一人歩いておらず、梟の声だけが聞こえていた。

中央広場にも人が居なかった。


「散歩なんて明日にすればよかったかもしれない……」


ルルカは自分に呆れていた。人の気配すらない夜中に散歩してもあまり気分は晴れなかった。その時、足音がした。ルルカは警戒しつつそちらを睨む。暗闇の中、誰かが近づいているのがわかった。


「誰?」


そう言うと、冷めた声が返ってきた。


「その声、ルルカか?」


それはゼオンの声だった。ルルカは警戒を緩めたが、先日のことを思い出すとどうももやもやと心が曇った。 街灯の明かりがゼオンを照らした。


「どうしたんだ、こんな夜中に」


「ちょっと外に出たい気分だったのよ。貴方こそどうしたの」


するとゼオンはむすっと不機嫌そうに一冊の本を取り出した。


「図書館に本返しに行くとこ。ロイドに押し付けられた。全く、なんで俺がこんな夜中に……」


「貴方だってたまに同じ事やるじゃない。自業自得よ」


「そうだったか?」


「忘れたの? 春の終わり頃よ、貴方に図書館の本押し付けられたの。もう、図々しいんだから」


「そうか、忘れてた。悪いな」


「全く……ほんと、ティーナはこいつのどこがそんなに好きなのかしら……」


その時、北風がルルカとゼオンの間を駆け抜けていった。枯れ葉がカサカサ音を立てている。ふとゼオンが言った。


「春か……早いもんだな」


「何が?」


「この村にやって来たのは春だっただろ。あれからもう半年以上経ったのか……」


言われてみると確かにそうだった。あの時と比べるとこの村にも随分馴染んできた。


「そういえば貴方達とももう随分長い付き合いよね」


「そうだな。お前と初めて会ったのは2年くらい前だったか」


「そうね、私がウィゼートに渡ってすぐだったから、多分それくらいよ」


ルルカはゼオンとティーナに初めて会った時のことを思い出していた。初めて会った時、二人はちょうどウィゼートの兵士達に追われているところだった。あの時二人に出会った瞬間にルルカは気づいた。「同類だ」と。


「自分と同い年の逃亡者は結局貴方達しか見なかったわね」


「こっちもそうだったな」


「でもまさか、いきなり貴方達の追っ手を押し付けられるとは思わなかったわ。兵士に『人違いだった。申し訳ない』だなんて謝られた上にお詫びのキャンディまでもらったのは初めてよ。なんでキャンディよ、子供じゃないったら……」


思い返すと懐かしくなってくる。ウィゼートに入ってすぐの頃だ。まだこちらの地理もわからず、たまたま寄った町で地図を探していたところでゼオン達と出会った。ゼオンはすぐにルルカが逃亡者だと気づいた。同い年ということもあって、ルルカはゼオン達と街を歩きながら話していた。

ゼオン達側の追っ手が来たのはその時だった。ゼオンとティーナは物影に隠れて突如ルルカに言ったのだ。「居たぞ、そいつだ!」と。あまりの出来事にルルカは唖然とした。その時たまたまルルカはマントを羽織り、フードを被っていた。そのせいでウィゼートの兵士達はルルカがゼオンとティーナのどちらかだと勘違いしたのだった。

ルルカも長年の逃亡生活のせいで、兵士がやって来た時は逃げる癖がついてしまっていた。おかげで誤解を解くのに時間がかかった。初対面だったからこそ、その時のゼオン達の裏切りのショックは小さかったが、後で再びゼオン達に会った時はくどくど怒りをぶつけてやったものだ。


「あの時は大変だったのよ?」


「でも結局捕まったり本国送還はされなかったんだな」


「髪を切ったせいで兵は私が元王女だと気付かなかったし、エンディルスはウィゼート側に私の捜索願を出してなかったの。フードを取ったら解放してくれたけど、それまでどれだけ走って逃げ回ることになったと……」


「そうか、まあ、悪かった」


「反省の色が全く見えないんだけど。ほんと貴方は真面目そうな顔して図々しいんだから……あの時は貴方達と手を組むなんてありえないと思っていたのに、まさかこんなことになるとはね」


ルルカはそう言って村の真上の空を見上げた。漆のような闇に月が静かに浮かんでいる。ルルカは冷えた手を袖の内側に隠した。こんな山奥の村に住み着いて、ティーナやゼオンやキラと時々なんとなく喋って暮らす──そんな日常が訪れることを少し前のルルカは想像できただろうか。

きっとできなかっただろう。お姫様を辞めた直後のルルカは涙をこらえて逃げるだけで精一杯だった。

それは自分自身なのか、それとも他の誰かだったのだろうか。ふと誰かが問い掛けたような気がした。

『今の生活を気に入っている?』と。

その時、急にゼオンが険しい表情で立ち上がった。ルルカもすぐに警戒して辺りを見回す。


「どうしたの」


「前方だ。誰か来る」


ちょうど村長の家がある方角だ。暗闇の向こうから足音がする。ルルカはいつでも応戦できるよう、あの杖を呼びだし、強く握りしめた。広場の敷地まで影が近づいた時だった。ゼオンが「待った」とこちらに合図を出した。そして影に対して呼びかけた。


「リーゼ?」


その人影には見覚えがあった。水色の髪の少女──たしかキラの友人のリーゼという少女だ。だがその時のリーゼは様子がおかしかった。虚な目をして、ふらつきながらこちらに向かってきた。

リーゼは二人の前にたどり着くと、ルルカに白い封筒を差し出した。ルルカは恐る恐るそれを受けとった。その瞬間、リーゼは糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。ゼオンが受け止めたので大事には至らなかったが、リーゼは気を失ったまま目覚めなかった。


「どういうこと……? 様子がおかしかったけど……」


「……わからない」


ゼオンはそう言って黙り込んでしまった。ルルカはリーゼからもらった封筒を開いた。ゼオンが監視するようにその様子を見ていた。ルルカは中の手紙をゼオンに見せた。


『君に話したいことがある。今から村の入り口まで来てほしい。 ネビュラより』


ゼオンはすぐにこう言った。


「すごくわかりやすい罠だな。それ、リーゼの字だ。たぶん『誰か』がリーゼに書かせたんだろうな……」


「……そうね」


ルルカは手紙を封筒にしまった。髪を切ったあの日のネビュラの顔が脳裏に浮かぶ。ルルカは杖を握りしめたまま、近くのベンチに座って夜空を見上げた。釘を刺すようにゼオンは言った。


「どうするつもりだ?」


「わからないわ……。行くといったら、あなたは止める?」


「そりゃあ、行くべきじゃないとは思う。俺はそれがお前の為になるとは思わない。でも最終的にはお前次第だ。好きにしろ」


「好きにしろ……ね」


ネビュラへの恨みと憎しみが煙のように渦巻いた。しかし、この気持ちをどんな形でぶつければいいのかわからなかった。先程部屋で聞こえた声がまだどこかで囁いているような気がした。

ゼオンは呟いた。


「一応俺の考えを言っておくなら、お前がお前に責任とれる選択をすべきだと思う。……どれを選んでも、きっと誰かの手の内だ。なら、後悔しない道がいい……ような気がする」


それはルルカにというよりは自分に言っているように見えた。ゼオンは一体何を見たのだろうか。ルルカはいつだって事実を見抜けず、真実を隠すように張り付く嘘に怯えて、目に見えるものを常に疑ってきた。そんなルルカに否応なしに真実が見えてしまうゼオンの考えることなどわからない。しかし、これはゼオンが自分の見てきた真実から導き出した言葉なのだということは感じ取れた。


「本当に、私はティーナがどうして貴方にこだわるのかさっぱりわからないわ。貴方はいつだって優しい言葉を選んではくれないんだもの」


「うるさいな。……こっちだって、思いつくもんならそう言う……」


その時だった。突然頭を貫くような痛みがルルカを襲った。思わず頭を押さえて座り込んだ。脳を振り回すように目眩がして、目の前の景色が歪んでいく。なぜ、どうして急に。ルルカの動揺も足掻きも全て痛みにかき消されていった。手に持ったあの杖が焼けるように熱かった。その時、部屋で聞いたあの女の声がした。


『さあ、行きましょうか……お姫様』


手が勝手にゼオンに狙いを定めていた。唇が呪文を唱えていた。ルルカ自身の意識が薄れて闇に溶けていく。

その時、リーゼにもらった封筒から何かが落ちた。紅色の水晶がカランと音をたてて煌めいた。

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