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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第9章:ある王女の幻想曲
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第9章:第15話

翌日は風が強かった。雲が斑に広がる寒い日だった。一晩悩み、考えた結果、キラは再びルルカの居る宿屋に向かった。宿屋の扉を開けて中に入ると、数日前と同じように宿屋の女将らしき人が優しく挨拶をした。

キラは軽く会釈してから2階に向かう。2階の廊下はしんと静まり返っていた。キラがルルカの部屋の前に立ち、ノックしようとした時、すぐ近くのティーナの部屋の扉が開いた。


「あ、キラ。どうしたの、ルルカの様子を見に来たの?」


「うん、そんな感じ。」


そう言うと、ティーナは寂しそうに笑った。その些細な仕草で、キラはルルカの様子を察した。


「やっぱり、ルルカはまだ閉じこもったままなんだ……」


「うん、そういうこと」


ティーナはルルカの部屋の扉を見つめて呟いた。扉の向こうからは声一つ、物音一つ聞こえなかった。

ティーナはキラに言った。


「あの王子、いつまで居る気だろうね?」


「わからない……でも多分、このまますぐ出て行ってはくれないと思う」


キラは正直にそう言った。ティーナは何も答えなかった。息の詰まったような沈黙が数秒、それからティーナはこう言った。


「ねえ、もしキラがルルカと同じ立場になったらどうしてると思う?」


ティーナはキラから顔を背けていた。キラはすぐには答えられなかった。もしキラが親友だと思っていた人に裏切られ、リラやサラが殺されたらどう思うだろう。もしその裏切り者の親友が目の前に現れたらどう思うだろう。

その親友が「本当は裏切りたくて裏切ったんじゃなかったんだ」と言い出したらどう思うだろう。考えた末に、キラはこう言った。


「わかんない……でも多分……とりあえず怒ってる。一発殴っちゃうかも」


「それだけ?」


「えっ? うん、そう、だと思う。ティーナは違うの?」


キラは驚いて聞き返した。ティーナはキラから顔を背けたままだった。腕を組み、指の爪を腕に食い込ませながら、低い声でこう言った。


「あたしなら、もっと痛め付けてやらなきゃ気が済まない。まず脚を斬る。んで片腕も斬る。それからもう片方の手の爪を一枚ずつ剥いでやる。爪を剥ぎ終わったら、次は歯を抜く。歯が終わったら腹を刺す。内蔵引きずり出して、それから……」


キラの背筋に寒気が走った。毎日会っているはずのティーナがキラの全く知らない人のように見えた。

ティーナが淡々と語っているのは紛れもなく「拷問」の方法だった。キラは思わず震え上がった。キラはそこまで人を憎むことはできなかった。ティーナは言った。


「めいっぱい苦しめてやる。それで一番最後に殺すの。あたしの大切な人達を傷付ける奴は赦さない」


ティーナは背中を向けたまま、低い声でそう語った。それから、震えた声でキラに言った。


「ごめん、あたしはこういう人なんだよ。キラみたいに優しくはなれないや。ルルカにあいつを憎むな、殺すな、赦してやれなんて言えないんだよ。それが誰かの企みのうちだとわかっていても、それで最後に苦しむのがルルカだとわかっていても……」


キラは思わず俯いた。「優しい」という言葉が頭に引っ掛かって離れなかった。誰が優しいのだろう。誰が優しくないのだろう。キラはネビュラがやってきた当日のティーナの様子を思い出していた。ルルカの部屋で、お茶を飲みながらお菓子を並べて話したことを思い出した。

ティーナは自分を「優しくない」と言ったが、キラにはあの時のティーナが「優しくない」ようには思えない。キラは呟いた。


「優しいって、何だろうね。わかんないや。でも、あたしはティーナは優しいと思うよ」


ティーナはようやくこちらに顔を向けた。そして少し疲れたような笑顔を見せた。


「やっぱりキラみたいにはなれないなあ。ありがと」


それからティーナは再びルルカの部屋の扉に目を向けた。相変わらず扉は固く閉ざされたままだ。


「少しルルカの様子見てみようか」


キラはティーナの後に続いて扉の前に向かった。扉をノックしてみた。返事は返ってこない。もう一度ノックしてみた。それでも返ってこない。ティーナは言った。


「ルルカー、ちょっと中入っていい? キラが来たんだけど、一緒にお茶しない?」


すると低く弱々しい声がした。


「放っておいてくれない? 帰って」


「ちょっと何か食べたり飲んだりするだけでも気分転換になると思うけどなー。ずっと閉じこもってなーんにも食べてないんでしょ。食欲無いならお茶だけでもさあ。いい茶葉持ってまっせ、お嬢さーん。ちょっと開けてよ」


「部屋が汚いのよ。お茶なんてできないわ」


「いやいや、ルルカの部屋があたしの部屋より汚かったことなんてないし、そのくらい大丈夫大丈夫」


「帰って」


「そこをなんとか」


「なんとかならない」


ルルカが冷たくそう言い放つと、ティーナは、途端に弱々しい声でこう言った。


「そ、そっか……ごめん。あたし、余計なことしちゃったみたいだね。じゃあ、あたし部屋戻るね。何か用があったら部屋来てよ」


そしてティーナはその場で足踏みし始めた。初めははっきり足音を立てて、徐々に弱く。まるで扉から遠ざかっていくように。その時、扉が開いた。


「待って……あっ」


ティーナは扉から出てきたルルカに微笑んだ。勿論ティーナは扉から一歩も遠ざかってなどいない。ルルカは少しつまらなさそうにティーナを睨んだ。


「……卑怯者」


「ごめーんね、ルルカ」


ティーナはぺろっと舌を出して笑った。ルルカはため息をついて渋々扉を開けた。


「もう……少しだけよ」


ようやくキラ達は部屋に入ることができた。部屋の様子は前に来た時とは大分違っていた。壁際には凹んだクッションが転がっていて、床には服や空のカップ、破れた紙やペンなどが散乱している。

今のルルカの不安感が部屋の様子から見てとれた。ルルカは散らかっていたテーブルの上を片付けはじめた。なぜかテーブルにあった枕を退けて、置きっぱなしだったサバトの手紙をベッドの側の棚の上に置いた。

サバトの手紙だけはシワ一つ無い状態のままだった。サバトが今のルルカやネビュラを見たらどう思うだろう。そう考えてキラは少し悲しくなった。

ティーナは部屋にあったカップ一式を並べながら、周囲を見ながらボソッと呟いた。


「これでもあたしの部屋よりずっと綺麗なんだよねー……」


「えっ」


キラはティーナの部屋を見るのが少し怖くなった。部屋を片付け、お茶とお菓子を用意して二度目のお茶会が始まった。図書館からくすねたお茶とお菓子は今日も最高の味だった。

しかし前回のお茶会の時とは何もかもが確実に違った。前回よりも静かでルルカもティーナも口数が少ない。得に前回と決定的に違うのは、ティーナがネビュラの話題だけは絶対に口に出さないところだった。

最近のゼオンのかっこよさや、宿屋の女将さんのことや、近頃学校の門の鍵が新しくなって侵入しにくくなったことなど──ティーナはそんな話を次々ぺらぺらと話していた。

そうしてしばらく時間が経って、ルルカは不意にこう言った。


「ネビュラのこと、今日は何も言ってこないのね」


ティーナの手が止まった。


「そうだね、今日はその話は無しのつもり。様子見に来ただけだから。なに、それとも、何か話したいことでもあるの? なんでも聞くよう、どんとおいでぇ、ルルカちゃあん!」


「違うわよ。余計なことを言われないなら都合がいいってだけ」


ルルカはツンとすました様子でそう言ったが、顔色はあまり良くないし、目はどことなく赤く充血してるように見えた。キラはルルカの目を見て「泣いていたのかな」と思った。

お茶を飲みながら、キラは自分の封印された記憶が蘇った時のことを思い出していた。あの瞬間から数日のキラは、もはや自分が自分なのかと疑うくらいに荒れていた。

不安で仕方がなかった。何を、誰を信じればいいのかわからなかった。今のルルカも同じなのだろうか。そんなことを考えながら、キラはティーナに話を合わせることしかできずにいた。

結局その日は本当に他愛のない話だけでお茶会は終了しようとしていた。食器の片付けを済ませ、キラ達は部屋を出ていこうとしていた。


「じゃあ、またね。用があったらあたしの部屋来てよ」


ティーナは食器を抱えながらルルカに笑いかけた。キラもルルカに笑って手を振った。ルルカは椅子に座ったまま、ぼんやりとこちらを見つめていた。不安はあった。だが、今日はこれでいい。無理にネビュラの話題に触れる必要はない。そう思った時だった。


「私は……どうすればいいと思う?」


澄んだ声は、震えながら確かにそう尋ねた。キラとティーナは振り向いた。ルルカは俯いて顔を隠しながら、うずくまっていた。何についてかなんて聞く必要はない。無言の声が聞こえた。「助けて」と。

キラはティーナを横目で見た。唇が震えたまま、声が出てくることはなかった。そう、だってキラ達ですらわからないのだ。どうするのがルルカにとって一番良いのかわからないのだ。

キラもなんて言葉をかければよいかわからなかった。それでも何か言ってあげたくて、悩みに悩んだその時、ティーナがはっきりと言った。


「もうなんか、いっそザクッとやっちゃえばいいんじゃないかな」


キラはぽかんと口を開けたまま言葉が出なかった。そんなことを言っていいのだろうか。それは復讐を肯定しているも同然だった。とてもじゃないがアズュールの戦いで復讐を止める側に居た人の言葉とは思えない。

ルルカは顔を上げた。ティーナの口調にもう迷いは無かった。


「ルルカが本当に本当に心底あいつが憎くて仕方ないなら、それでもいいと思う! 残念だけどあたし、善人でも平和主義でもなくってね。あたしが気に入った人しか幸せになってほしくない酷い奴なんだよ。だからもう好きにしちゃえ! 躊躇うな!」


それはルルカにというよりは、ほぼティーナ自身への鼓舞だった。ルルカは水をかけられたように呆然とその言葉を聞いていた。キラは初めはティーナの言葉に驚いた。だがやがて、それが一番ティーナらしい言葉のように思えてきた。

キラやゼオンの前での明るく愉快な姿と、「敵」を目にした時の残虐で容赦無い姿が、この時初めて矛盾無く繋がったように思えた。


そして、キラからもルルカに一言こう送った。悩んで、悩んだ末に出てきた言葉はこれしか無かった。


「どうすればルルカにとって一番いいのか……あたしもずっと悩んでる。ずっとわからないでいるんだ。でもね、ルルカがどんな答えを出したとしても、あたしはルルカの友達で居たいと思ってるよ」


キラはそう言って微笑んだ。ゼオンにもティーナにも、オズにもセイラにも決して真似できない太陽のような笑顔だった。

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