第9章:第13話
キラは考えた末にこう言った。
「辛いお気持ち、話してくれてありがとうございます。けれど、あたし思うんですけど、今すぐ杖をルルカから取り上げる必要無いと思うんです。確かにあの杖には人を消す力があります。けれどすぐにあの杖がルルカを消そうとするとは限らないし……無理に取り上げようとする方が余計悪いことになっちゃう気がするんです。
あの……もしネビュラ様がルルカを裏切ったことを後悔しているんだったら、今言ったことをルルカに直接伝えたらどうですか? ネビュラ様の本心を伝えたら、ルルカだってもしかしたら赦してくれるかもしれないし……」
ネビュラはため息をついた。
「おばかさんだね。さっきのやり取りも見てただろ。ルルカは俺の言うことなんて信じないさ」
「で、でも、奪い取るのはなんか違うと思います! それじゃあネビュラ様を利用してる謎の声の人の思い通りじゃないですか! ルルカからもし杖を奪い取ったとして、それであなたは後で本当に後悔しないんですか?」
キラの言葉はネビュラの勘に障ったらしく、ネビュラは刺のある口調でこう言った。
「じゃあ聞くけどさ、あんな杖、ルルカは持ちつづけて平気なのか? ルルカだけじゃない、君だってルルカと同じ杖を持っているんだろ。あの危険な杖を手元に置きつづける度胸は本当にあるのかよ?」
キラはぐっと黙り込んだ。脳裏に杖に身体を喰われたサラの姿が広がった。
サバトから杖を受けとった時、キラは確かに自分の意思で杖を手にしたはずなのに、キラはすぐに答えることはできなかった。
「ほら、やっぱり君も怖いんじゃないか」
ネビュラはキラを蔑むような目で見ていた。するとゼオンが窓の外を見ながら言った。
「それでもその怖いものを自分が持つべきだと、そう思った奴だって居るかもしれないだろ」
ネビュラはゼオンを横目で睨んだ。ゼオンは窓の外しか見ていなかった。そこで会話は途切れ、不快な沈黙が流れた。すると急にセイラが口を挟んだ。
「少しよろしいでしょうか。どうやら皆さんあの杖を持っていたら自分が消されるんじゃないかと怖がっているようですが、あれだっていつでもどこでも人を消せるわけではないんですよ。」
ネビュラの視線はゼオンからセイラへと移った。
「君、何?」
「申し遅れました。私はセイラといいます。以後お見知りおきを」
「ふぅん。で、君は何かあれについて知ってるのか?」
「ええ、私はあの杖についてゼオンさん達なんかよりずっと多くのことを知ってますよ。……あの杖が人や物を消失させる現象、あれが起こる条件も」
するとゼオンがセイラに言う。
「何だ急に。それ、教えてくれるのかよ」
たしかにキラもなぜ突然セイラが口を出してきたのかわからなかった。セイラはクスクスと笑いながらゼオンに言った。
「ええ、教えてあげましょう。どうやらそうすべき時のようですので。結論から先に言いますと、あれが人や物を消失させた黒い闇──あれが出現する条件は、一つはその杖を手にしている人物の精神状態揺らぎです。もう一つはあの杖に身体を乗っ取られた状態の時です。
あの杖に宿っている力は破壊の力。持ち主の精神状態が悪化した時、杖の力が杖の持ち主に及んで精神汚染を助長させるんです。精神汚染が進めば進むほど杖の力が増し、持ち主を支配していきます。その時にまずあの杖が持ち主の身体を乗っ取るのです。
そしてそれが更に進行していった時にあの黒い闇が現れるんですよ。そしてあれが全てを破壊、消滅させてゆくんです」
セイラは迷いも無くすらすらそう述べた。するとゼオンはキラを指差しながらこう言った。
「突然そう言われても納得しづらいな。確かにサラ・ルピアの時はその二つの条件に当てはまっていたが、兄貴がこの村に来た時にこの馬鹿が杖の力で暴走した時はどうなんだ。あの時のあいつがそこまで情緒不安定だったようには思えない。あの時暴走を引き起こしたのはオズの魔法だったはずだ。」
セイラのクスクス笑う声が途切れた。そしてこう言った。
「そちらの方法についてはまたいずれご説明しますよ。なぁんにも知らないゼオンさん達に今全てを言ったところでファンタジーにしか聞こえないでしょうから。大丈夫、慌てなくてもいずれ否応無く巻き込むことになるでしょうしね……」
そこまで言ってセイラは口を閉ざした。突然ややこしい話が飛び出してキラの頭はこんがらがっていた。少しずつ頭の中を整理していってから、キラは言った。
「えっと、人が消されるのは杖が人の身体を乗っ取ってる時で、杖が人の身体を乗っ取るのは持ち主の精神状態が悪くなった時だから、結局持ち主の精神状態が悪くならなければ消されたりもしないってこと?」
「そういうことです。キラさんにしては理解が早いですね」
セイラはにっこりキラに笑いかけた。どうも馬鹿にされているようにしか見えなかった。
セイラの態度には少しムッとしたが、今の話それ自体にはキラは素直に感心していた。そしてそれから先程のルルカの様子を思い出した。
どう考えても今のルルカの精神状態は良いとは思えない。キラはセイラに言った。
「……えっーと、今の話が本当だとしたら、ルルカ、今、やばいんじゃないかな……」
「はい、その通りですよ。このままだとあの反乱の時のようなことが再び起こるかもしれません」
セイラはあっさりそう言った。口には出せなかったが、キラの胸の奥がズキンと傷んだ。キラは俯きながら膝に置いた手で自分の服をギュッと握った。あのようなことが繰り返されるのなんて見たくはない。
セイラはきつい口調でネビュラに言った。
「私はあなたがルルカさんを裏切ったこともその後罪悪感怖さに色々小細工したことも責めません。そんなの私の知ったことではありませんし、勝手にしてくれって感じです。
けど一つ忠告しておきますと、あなたがルルカさんから杖を奪い取ってもあなたの望む結末は絶対に得られません。むしろあなたが杖を奪おうとすることが最悪の結末への引き金を引くきっかけになるでしょう。それだけは理解してくださいね」
気のせいだろうか。その時のセイラの話し方は初対面相手にしてはやけに厳しく感じた。
ネビュラは苦虫をかみつぶしたような表情で黙り込み、それから小さくこう言った。
「じゃあ、じゃあどうしろっていうんだよ……」
セイラは呆れたようにこう吐き捨てた。
「さあ、そんなこと自分で決めてください。こうしろだなんて命令するならこんな臆病者の甘ったれよりもっとめんどくさくない人にしてますよ」
その一言が思ったより応えたのか、急にネビュラは叱られた犬のように静かになってしまった。
そのまま黙り込んでしまったネビュラを見て、キラは今日はこれ以上ネビュラを追い詰めない方がいいように思った。
ネビュラはずっと険しい表情のままだった。キラは立ち上がってネビュラに言った。
「あの、とりあえず今日はこれくらいにしませんか? お話は聞けたし、ネビュラ様もそろそろ疲れたんじゃないかと思うんです」
「そっちが満足したっていうなら俺は構わないけど」
「よかった、じゃあ今日はありがとうございました! あと、やっぱりルルカの杖をいきなり奪うのは止めた方がいいと思います。ルルカのことはまたいつでも相談に乗りますから! ね、みんなもそれでどう?」
キラはぐるっと周りを見回して言った。するとゼオンが言った。
「別に、構わないけど。セイラもその方がいいんじゃないか?」
そう言われてセイラは少し驚いたようだった。
「私がですか?」
「そうだ」
セイラは目を見開き、それから何か考えこんでから答えた。
「わかりました。今日はお開きということでよろしいかと」
セイラの返事を確認してからキラはネビュラにお辞儀をして言った。
「今日はありがとうございました!」
ネビュラはぎこちなく立ち上がった。
「ああ、そう。じゃあね」
そっけなくそう言って、ネビュラはすぐに図書館を出て行ってしまった。扉の閉まる音が寂しく聞こえた。すると、まだ図書館に残っていたテルルがキラに言った。
「こちらこそ今日は色々とありがとうございました。ネビュラ様の代わりにお礼申し上げます。すみませんね、ネビュラ様、物の言い方が乱暴で」
「あ、いいえ、大丈夫です。気にしないでください」
「あまり悪く思わないでくださいね。ネビュラ様、多分少し不器用なんです。
きっと、辛くても泣けなくて、自分も周りも嫌でイライラして、一人で抱え込んで空回りして……それでもなかなか強くはなれないんだと思います」
テルルの優しい言葉は何故かよく響いた。テルルはキラに深くお辞儀をして、静かにネビュラの後を追っていった。
キラはテルルが去った後の扉をしばらく見つめていた。




