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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第35話

それから数日後、ミラは再びイクスを連れて図書館にやってきた。なぜか大きな鞄を肩にかけ、手には──かつてリラが武器として持っていた黄色い宝石の杖が握られていた。


「こんにちはー! ルシアちゃん、元気ー?」


ミラは図書館に入ってくるなり、リディの両手を握ってニコニコと笑っていた。


「ミラ。うん、私は元気よ」


リディも微笑み返す。どうやらリディもだいぶミラに慣れてきたようだった。その様子をじっと見つめていると、イクスが俺に声をかけた。


「やあ、オズ。あの後、どんな感じだった? ルシアは問題無くここで暮らせてる?」


「一応な。ルイーネやレティタともだいぶ慣れてきたみたいや。まあ、最初はいろいろあったけど……」


「え、何があったの。大丈夫だった?」


「大丈夫。そないな深刻なことやないんや。ただ、風呂の入り方がわからん言うて俺を風呂場に連れてこうとしたり、料理しようとして鍋焦がしたり……まあ、生活能力皆無なんやわ。予想はしとったけど」


ルイーネやレティタの前で「え、お風呂? どうして湯を全身にかけたりするの? 汚れた皮膚と髪を取り換えればよくない?」と言われた時は肝が冷えた。こんな異生物を村長の屋敷に預けることになったら、どのような騒ぎになっていたことか……。ひとまず家事などをさせることは諦め、まずは三食きちんと食事を取り、夜は眠るというヒトの生活の基本中の基本を真似させることから始めている。だが当の本人は料理に強い関心を抱いてるようで、時々台所に入り込んでは鍋や包丁をじっと見つめていた。そのうちまた鍋を焦がす騒ぎが起きるかもしれない。


「ところで、ミラ……その杖、なんでミラが持っているの?」


リディはミラが持ってきた黄色い宝石の杖を指した。リディが驚くのも当然だろう。俺も初めて見た時は鳥肌が立った。あの杖には間違いなくメディと同じ破壊の力が秘められていた。


「あれな、ミラの母親、リラの持ち物や。リラは元ウィゼート王族で、あの杖はその王家が持ってた物なんやて」


俺がリディに説明したところ、ミラが杖を持ってくるくる回りながら言った。


「そうそう、おかーさんがくれたんだよ。倉庫にしまってあったから、これほしいって言ったらくれたの! きれいでしょ!」


「ハァ!? アホか、あのババア! なんでそないな危ないもん、娘に譲っとんねん!」


「危ない? おかーさん、そんなこと言ってなかったよ?」


よく考えてみると、リラはその杖に秘められた力の正体について何も知らないようだった。俺もその杖については「破壊の力が秘められている」ということ以外何もわからなかったため、詳しい話はしたことがない。視線を横にずらしてみると、リディはミラが持つ杖をじっと見つめていた。俺がリディに「おい、あとでちょいと話が」と言うと、リディは無言で頷いた。


「それよりそれより、早く出発しようよ!」


ミラはこちらの不安なんて気にも留めずにこのようなことを言い出した。


「なんや、出発って」


「あのね、ルシアちゃんに私のお気に入りの場所、見せてあげたいの! 森の中にね、キレーな湖があるんだよ。みんなで遊びに行こうよ!」


「あの森、魔物とかもいっぱい出るし、危ないで」


「だいっじょーぶ! そのためにおかーさんの杖、もらってきたんだもん。魔物が出てもドカーンバコーンって殴ればイチコロだよ!」


どうやらルピア家の女に「杖=魔法を使うための道具」という認識は無いようだ。


「せやったら、俺も行くか。お前になんかあったらババアがうるさいやろし」


「わーい! やったね、ルシアちゃん。オズとお出かけだよ!」


ミラとリディは手を取り合ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。それにしても、やはりその偽名は慣れない。俺にとって、彼女は「ルシア」ではなく「リディ」だった。


「オズ。お出かけするの……?」


リディは何も知らない子供のような顔で首を傾げた。


「せやで。そういや、お前とこうして遊びに行くのって初めてかもな」


「あそび……そうね、ヒトがそのようなことをするのは知っているけれど、ただ特定の場所に移動し、時間を潰し、戻ってくるだけの活動に、何か意味があるの?」


「そら、あるわ。メチャクチャ楽しいって意味がな」


リディはきょとんとして首を傾げる。どうやら彼女は「遊ぶ」という行為自体、初めて行うようだった。俺はリディの背中を押して、ミラのほうへと向かわせた。


「ま、実際やってみるのが早いやろ。ほな、行こか」


こうして、俺、リディ、ミラ、イクスの四人での遠足が始まった。





夏の初め、白い入道雲が眩しい昼下がり。今日は正に遠足日和だった。深い森の中をしばらく歩いた先に、その湖はあった。湖面が鏡のように光を反射して煌めいている。小鳥と風の声が聞こえ、俗世のことなど忘れてしまいそうなほど穏やかな気分になる。


「とうちゃーく!」


ミラは湖を見つけるなり、嬉しそうにくるりと回って駆け出した。


「なんとか無事にたどり着けたね。二人とも、道中の魔物退治ありがとう」


イクスが安堵してオズとリディに礼を言った。道中、三度ほど魔物に出くわした。一度目と二度目は俺が防御魔法を出しながら睨みつけたところ、魔物はすぐに逃げ出した。三度目はリディがすぐに追い払った。


「ええってええって。その為についてきたんやしな。ほな、目的地にも着いたことやし……って、どないしたん?」


リディが自分の手をじっと見つめて、何か腑に落ちない顔をしていた。


「うーん、オズ。この周辺の土地、何かある?」


「何かって? 何もないとおもうんやけど」


「なんとなく狙ったとおりに力が出せてない気がするの。でも自分自身に何か異変が起きたかんじはしないし……なんか、この地域の土地のほうがおかしいかんじ?」


「さあ……。俺にはわからへんわ」


「そう、まあいいわ。ここで全力を出さなきゃいけないことはないと思うし」


俺がリディと話していると、突然ミラがリディの背中に突撃してきた。


「ねえねえ、何話してるの? あっちのほうに行ってみようよ。あっちにね、カメさんがいるんだよ!」


そう言うと、ミラはリディの手を引いて湖のほとりへと駆けだしていった。


「あんま遠くまで行ったらあかんでー」


俺は離れていく二人に大声で言った。まるで子供たちの引率の先生のような言葉だった。

大昔に帰ったような気分だった。故郷で子供たちを連れて遊びに言っていたあの頃のようだ。懐かしい気分に浸りながら、俺は同じようにミラに置いてきぼりにされたイクスに声をかけた。


「ミラのやつ、あいつのこと随分気に入ったみたいやな」


「そうだね。僕らはこのあたりで様子を見守ってようか」


「せやな。それにしても、お前はミラと同い年とは思えへんくらいしっかりしとるんやな」


「そう? どっちかっていうとミラがちょっと幼いんじゃないかな」


思えば、イクスときちんと話をするのはこれが初めてだった。イクスと出会った日とリディが襲来した日が重なったせいだろう。こうして話してみると、年はまだ幼いが、身なりや仕草からどことなく育ちの良さを感じた。

イクスは荷物を置いて近場の岩に腰掛けると、俺にこう尋ねた。


「そういえば、さっきミラのお母様が元王族だって言っていたけど、それって本当?」


「そうやけど……なんや、知らへんかったんか? この村じゃ、わりと有名やで。ウィゼート内戦東陣唯一の生き残り、アルフェリラ・エスペレン。今の名はリラ・ルピア」


「なんとなく、そのリラさんって只者じゃないんだなってことは周りの人の話を聞いててわかってたんだけど……へえ……そっか、そうなのか……」


イクスは少し困惑したような顔をしていた。


「……もしかしてお前、わりと最近村に来たんか?」


「そうだよ。ここに来たのは数か月前くらいだ。元々は別の地域に母と二人で住んでたんだけど、その母が病で亡くなってね。あちこち彷徨ってここに辿り着いたんだ。感謝してるよ、この村には」


そういった経緯でこの村に住み着く者もいるのか。正直、この村のことはコールタールを五重に塗りたくったような暗黒の村だと思っていたので、純粋に「身寄りの無い者」の救いの場として機能していたとは思わなかった。


「……意外だな。君がミラと仲良くしてるなんて」


「そうか? まあ、あいつの母親とはこの村に来た頃からの知り合いやからな。その繋がりでってとこや」


「そうか……そう、なのか」


イクスはそう呟きながら、湖で遊ぶミラをぼうっと見ていた。リラの旦那、ウルファは曇りの無い快活な若者という印象だったが、ミラが選んだ王子様はウルファと比べると線が細くどこか影があるように感じた。あの二人の未来は一筋縄ではいかなさそうだ。そう考えていた時、急にミラがこちらに向かって走ってきた。


「もー、二人とも! なんで来ないの、こっちで遊ぼうよ!」


「俺らはミラみたいなお子ちゃまと違ってクールな大人なんや。水遊びで喜ぶような年やないんやで」


「えー、やだ。みんなで遊ぼうよ!」


そう言ってミラはイクスの手を引いて湖へと駆けだそうとした。その時、袖口から一瞬黒い刺青のようなものが見えた。パシン、と音がする。イクスは咄嗟にミラの手を振り払った。イクスは振り払った自分の手を見て唖然としていた。


「あ……」


「え……あ、なんか、ごめんね」


ミラがシュンと俯いて手を引く。


「ち、違うんだ、別に嫌だったわけじゃなくて……その、こっちこそ、ごめん」


イクスも気まずそうに謝る。急に場が静まり返ってしまった。俺は俯いてしまった二人の間に入り、ミラが持ってきたバスケットを指した。


「水遊びがあかんのやったら、ミラのバスケットの中身でも漁ってみよか」


「え、バスケット? えー、勝手に見ないでよ!」


「せやったら、あの中身何なん? 中身が気になるわーなんや美味そうな臭いがするなー俺一人で全部喰いたいわー」


「あーん、もう、オズの意地悪! あの中身はクッキーだよ! みんなで食べようと思って作ってきたの!」


ミラは素直に食いついてきてくれるので本当に扱いやすい。普段の調子が戻ってきたところで、俺はニヤリとミラに笑いかけた。


「せやったら、自慢のクッキー、はよイクスに見せたれや。なあ?」


ミラの表情がぱあっと明るくなった。


「うん、そうだね! イクスにも見せるし、みんなでおやつにする!」


どうやらミラは完全に元気を取り戻したようだった。よかったよかった……そう思った時、背後からか細い声がした。


「あの、ミラ……水遊びは終わり?」


振り返ると、髪や服に水をかけられてずぶ濡れになったリディがいた。濡れたスカートからは水滴が滴り、細い脚を伝って降りていく。濡れた白い布地の下から肌色が透けて見えそうだ。神の威厳とやらはどこへ消え失せたのだろう。リディは濡れたスカートの裾をきゅっと握りしめながら、こちらを見つめていた。


「お、ま……狙っとんの?」


「え……何を?」


リディはきょとんと首を傾げる。目の前の少女と、世界を戦乱に陥れた冷酷な女神が同じ人物とは到底思えなかった。思わず、顔から足先までじっとリディの姿を見つめると、リディは少し気恥ずかしそうに視線を逸らす。そんな表情もできたのか──


「えーいっ、どーん!」


突然、俺は背後からミラに突進された。突き飛ばされた俺はリディとぶつかり、二人はまとめて湖の浅瀬へと放り込まれた。ぼしゃんと良い音がして、頭から水をかぶった。


「おい、こら、ミラ!」


「だって、ルシアちゃんはオズと遊びたそうだったんだもん! 私、おやつの準備してるから二人で遊んできなよ」


「ったく……この年になって今更水遊びやなんて、子供やないんやし……」


ぶつくさと文句を言いながら立ち上がり、濡れた手をハンカチで拭いてから、同じく水辺に突き飛ばされたリディに手を差し伸べた。リディは背中から水に飛び込んだせいで、髪の毛まで水に浸かってしまっていた。リディが俺の手を掴み、俺がリディを引き上げる。羽根のように柔らかかったはずの白いミニドレスは水を含んで重くなり、ぴったりと身体に張り付いてしまっていた。スカートで隠れていたはずの身体のラインがくっきりと浮き出ており、インナーと肌の色が完全に透けている。


「あ……」


「オズ、どうしたの。みず……あそび?」


「いや、身体拭くのが先やわ」


きょとんとしているリディを陸まで連れていき、予め持ってきた荷物の中からタオルを持ってきてリディの頭から被せた。わしゃわしゃとリディの頭を拭いた後、顔回りと髪の水分を取った。ここまでは子供の面倒でも見ているような気分で濡れた身体を拭いていたのだが、胸から下にさしかかろうとした途端、手が止まった。


「ひゃ……はぅ……」


「…………」


「オズ、どうしたの……?」


白いタオルに包まれた頬は、良く熟れた桃のような色をしていた。数秒考え込み、ちらりと横目でイクスとミラを見た後、タオルをリディに手渡した。


「あとは自分でやれ」


「……身体を拭くの?」


「そうや。ずぶ濡れやと風邪ひくやろ……ああ、神は風邪ひかへんか。でも、ま、とりあえず拭いとけ」


「あの……ずっと思っていたんだけど、なぜそんな非効率的なことをするの。要は水に浸かったことで付着した水分を除去すればいいのよね?」


そう言うと、リディはその場でくるりと一回転した。すると、蒼い光が舞い、瞬時に濡れたスカートが渇いて柔らかさを取り戻した。髪も身体にも、水滴は一つも着いていなかった。


「……俺のこの数十秒、返せや」


ボソリとそう呟いた。俺の精神と理性に多大な負担をかけた女神は、白いタオルをきゅっと掴み、どぎまぎしながらこちらを見上げていた。かつて世界を贄にして俺と殺し合ったとは思えない、「ただの少女」の顔だった。


「なんか……怒ってる?」


「もう怒る気も失せたわ」


「そ、そう? でも、湖の中に入ってみたのは少し新鮮な感じだったかも。水って冷たいのね。初めて経験したわ」


リディはそう言って目を輝かせた。俺は「へぇ」と声をあげる。あの戦闘兵器のような思考をしていたはずの神が、このような遊びに関心を示すとは思わなかった。


「水が冷たいて、当たり前やろ。お前、水に入ってみたことなかったんか。ブラン聖堂にも水辺くらいあるやろ」


「ブラン聖堂の水は、液体のような抵抗感があるだけだから。ブラン聖堂にある物って、多少私の都合の良いように操作できるから、水に触れた時ってつい温度を感じないように弄っちゃうのよ。『冷たさ』って、水が水として成立するための必須条件ではないでしょ。ぬるま湯だって水の一種だし」


「はぁ、何言ってるか全くわからへんけど、要はお前、数万年も生きといてまともに水遊びもしたことない世間知らずってことなんやな」


「それはそうだわ。そもそも遊びなんて非効率的なこと、したことないって言ったでしょ」


それを聞いて、俺はニヤリと笑う。これはからかい甲斐がありそうだ。俺はリディの腕を引いてまた湖の方へと駆けだした。水に足が浸かるたびに、「ひゃっ」とリディが小さく声をあげた。


「ど、どうしたの。急に駆け出したりして」


「いや? お前が効率効率言うから、そんなお前に子供の遊びみたいな非効率的なことたっぷり教え込んだるの、おもろそうやなあと思て」


「なあに、それ。そんなことして、何の意味があるの」


「前に言うたやろ。純粋なヤツを汚してくのって、ええ娯楽なんやて。無垢なシステムに悪いこと教え込んだらどないなことになるか、楽しみやわあ」


「大げさなこと言うのね。たかが水遊びでしょ」


リディはそう言って髪をくるくるといじっていた。リディが油断している隙に、俺は岩場の影に隠れている小さな蟹を見つけて拾い上げた。蟹を後ろ手に隠したまま、リディに声をかけてみる。


「おい、リディ」


「なあに?」


俺はすかさず小さな蟹をリディの頭の上に乗せた。


「え、なに、ひゃっ!」


リディが驚いて後ずさりした瞬間、小さな沢蟹は頭から滑り落ちて水の中に落ちていった。落ちた蟹をじっと見つめて、リディは呆れた顔をする。


「オズの言う『悪いこと』って、コレ……?」


「あ? そらあくまで一例やで」


「他の例は?」


「せやなー、お前が座る椅子の上にブーブー言うクッション置いとくとかー、深夜にバケツプリン作って食うとかー、図書館の本を積み上げて城作るとかー」


リディは眉間に皺を寄せながら呟いた。


「よ、幼稚……」


「わからへんやつやなー。こういう幼稚な悪事が世界で一番おもろいんやで。せや、今度お前に深夜に食うバケツプリンの素晴らしさ教えたるわ」


「結構よ。一応夜はヒトの習慣に合わせて眠ることにしてるし」


「へぇ」


リディがつれないことばかり言うものだから、俺はついリディの耳元に唇を近づけて囁いた。


「のんびり眠っとる隙に、またお前の血でも奪ったろかな。首筋に気ぃつけや」


リディはビクッと震えあがり、顔を真っ赤に染めて後ずさりした。その反応を見て俺は思わず声をあげて笑った。最強の女神の名に相応しくないほどにいじらしい反応ばかりするものだから、何度でもからかってやりたくなってしまう。

リディの頬に手を当て、また少しからかってやろうかと企みかけた時、遠くからミラの声がした。


「おーい、二人ともー! おやつの準備できたよー!」


その声を聞いて、俺は我に返った。


「……残念。ご馳走はお預けやな」


リディの首筋を指でなぞると、リディはパシンと音を立ててその指を振り払った。


「神の血なんてこれ以上飲んだら、何が起こるかわからないのよ?」


「でもアレ、最高に美味かったで。お前、クソ不味い飯と最高に美味い毒があったら、どっち食いたい?」


「私に食欲なんてものはないけれど……己の機能を阻害、あるいは停止するような物質を自ら取り込むなんて狂ってるわ。自殺行為よ」


「つまらへんやつやなあ。死んでも食いたい毒こそ、世界一美味いご馳走やのに」


そう言って俺は水辺から上がり、ハンカチで手を拭き、綺麗になった手をリディに差し出した。


「口では完璧なシステム気取っとるけど、実際はもう膝あたりまで甘い欲に浸かっとるように見えるけどな。なぁ、お嬢さん?」


リディは険しい表情を浮かべながら、こちらに手を伸ばす。だが、指が触れる直前にその手を引いた。


「オズって……変なの。悪そうな顔してるけど、完全に勢いで物を言ってるわよね?」


「そらそうや。人生勢いが全てやで」


「でも、それで何かしくじったら後悔するんでしょ。馬鹿なことしてるって思わない?」


「思うけど、馬鹿で結構や。俺の経験上、後悔なんてもん怖れて勢いが鈍るヤツは死ぬからな。死ぬ賢者と生きる馬鹿やったら、生きる馬鹿の人生送るほうがおもろいやろ」


「……呆れた。死ぬより生きるほうがマシっていうのならまだ理解できたのに、判断基準は『面白い』なのね」


リディはそう言うと、俺を置いてミラたちのもとへと戻っていった。俺も後を追うと、甘い香りが漂ってきた。ミラがバスケットを開き、イクスとリディに手作りのクッキーを差し出していた。


「わー、オズ! おかえり! ほら、クッキーだよ!」


「へえ、ええやないか。これ、自分で作ったん?」


「うん! おかーさんに作り方、教わったんだ。がんばったんだよ。オズも食べてよ!」


「せやったら、お言葉に甘えて、一つもらおうか」


早速、クッキーを一つ摘まんで、口の中に入れる。サクッと音がして、ふわりと甘味が口の中に広がった。クッキーを呑み込んだ瞬間、思わず笑みが零れた。くどすぎない味、軽い食感、リラが作る料理の味とよく似ていた。


「はは、ったく……お前んち、みんな似たような味のもん作るんやなあ」


「え、えええーっ! なにその感想。なんか悔しい!」


「なんでや。美味いって褒めとるんやで」


「ううう、全然褒められてる気がしない! 次、作る時は絶対食べた瞬間に美味しいって言ってもらえるもの、作るからね!」


俺とミラのやりとりをリディが横目でじっと見つめていた。リディも同じようにミラのクッキーを食べてみた。


「サクサクで……甘い、味? ミラ、これはどうやって作ったの?」


「ええっとねー、薄力粉と卵と、お砂糖と、バターを混ぜてー……あ、そうだ!」


ミラはパチンと手を叩いてリディの手を握った。


「作り方が気になるんだったら、今度一緒にクッキー作ってみようよ!」


「え、わ、私が? でも私、そんなわざわざヒトのやり方をしなくても……」


「えー、やろうよ! きっと、一緒に作ったらもっと美味しいクッキーができるよ!」


ミラに誘われたリディは困惑して俺のほうに視線を向けた。助けを求めている目だ。俺はにまにまと笑いながら二人に言った。


「ええやないか。 ミラ、こいつ料理全然できひんから、お前が教えたってや」


「わーい、やったー! いいよ、私がしっかり教えてあげる!」


「ちょ、ちょっと、オズ!」


戸惑うリディの頬をぷにぷにとつつきながら、俺は意地悪く笑った。


「ええやないか。少しは生活能力身に着けてこい。お前だけずっと家事当番免除ってのも不平等やし」


「む、むぅ……し、しかたないわね」


リディは肩を竦めながら小さく頷いた。その時、イクスが声をあげて笑い出した。


「あは、ははは……!」


「なんや、そんなおかしいか?」


イクスは手元のクッキーを見つめながら微笑む。


「まあね。二人が出会った時、互いに殺し合ってたっていうのが嘘みたいだ」


「…………」


「なんかこういうの、楽しいね。こんな時間、初めてかも」


ふわりと風が吹き、小鳥の声が響き渡った。怪物と女神、そしてただの少年少女が同じお菓子を頬張りながら笑い合っていた。もしも過去の自分に、「このような未来がいずれ訪れる」と告げたら、きっと嘲笑されて殺されるだろう。過去の自分には想像することもできなかった暖かい日々。そんな都合の良い幸福が長続きするはずないことはわかっていたはずなのに、それでも「こんな日常がいつまでも続けば良いのに」というありふれた願いを抱かずにはいられなかった。


「……そうね。楽しい、かも」


リディが隣でぽつりと呟いた。俺も小さく頷いた。ミラはクッキーがたくさん詰まったバスケットを抱えながら、太陽のように眩しく笑った。


「うんうん、たのしーよね! またみんなで遊びに行こ! いーっぱい遊ぼうね!」


きっと、俺たちは常にミラの明るさに引っ張られてきたのだろう。この時期の穏やかな日々の記憶は、今も宵闇の中の一等星のように、胸の中で輝き続けている。





「……ってなわけで、リディのやつ、来週ミラんとこにクッキー作りに行くんやって」


図書館に戻ったあと、俺はルイーネに今日の出来事を話した。


「わぁ、それはいいですね。ミラさんのおかげで、リディさんもだいぶこちらの生活に馴染んできたみたいですし、感謝しないといけませんね」


「せやなぁ。…………ん? ルイーネ、お前、なんであいつの名前……」


すると、ルイーネはにやにやと意地悪く笑った。


「わあ。オズさんともあろう方が、たった今、自分で『ルシアさん』の本名を明かしたことにも気づかないとは。これまでオズさんに振り回されてきた借りを返すどころか、おつりができそうなネタが降ってきましたね」


「ルイーネ、お、ま……クソっ。お前、あいつが来てから人外の顔が隠しきれてへんで」


「いいんですよう。たまには本来の顔を思い出さないと。器に影響されすぎて精神が戻らなくなるのも考えものですから。ふふ、こうしてお二人の様子を観察してると、この村が出来たばかりの頃のことを思い出します。人間観察って楽しいですね」


ルイーネはそう言うと、ソファに腰掛けてホロと戯れているリディに視線を向けた。リディはなぜかホロたちのことが気に入ったようで、よくホロたちを捕まえてクッション代わりに抱きしめたり、おやつをあげたりしていた。俺がリディの様子を遠目で見つめていると、ルイーネは俺の横顔を見てまた笑った。


「……なんや、その笑い。不愉快やな」


「あはは、すみません。こうしてると、オズさんも普通の少年なんだなーと思いまして」


「なんやそれ。しかも少年てなんや少年て。そんなガキの年齢やないで」


「夜中に大喜びでバケツプリンを食べるような人は、立派な子供だと思いますけどねえ」


思わず自分の眉間に皺が寄る。ルイーネは一人でグラスにお酒を注いで飲み干しながら、ニヤリと笑った。


「いいじゃないですか。オズさんもたまには本来の顔を思い出したほうがいいですよ。オズさんだって、元は普通のヒトでしょう? 一度、異物と精神が混ざり始めたら、元の自分を思い出せる機会って案外無いですからね」


俺はぶすっとした顔のまま、ルイーネの背中を摘まみ上げて頬をぷにぷにと引っ張った。


「あー、もうっ、やめてください! オズさんのバカーっ!」


ルイーネをそのまま放り出すと、俺は立ち上がってリディの傍へと向かった。


「よう。そんなにホロのこと、気に入ったんか?」


俺が声をかけると、リディはホロを抱きしめながら嬉しそうに笑った。


「そうね。ホロちゃんやルイーネちゃんは、なんか親近感が沸くから好きよ」


「意外やな。お前、もっと、見た目キラキラほわほわの乙女チックなものが好きなんかと思っとった」


「たしかに何かヒトに協力してもらう時はそういうもので自分を着飾るけど、それは好きというよりただの手段だし……ホロちゃんやルイーネちゃんは、そういうのとはちょっと違うかんじ」


「ふーん……お前も変わったな」


そう言うと、俺は昼間のクッキーの残りを皿に乗せて差し出した。リディはクッキーを嬉しそうに頬張った。


「今日は、楽しかったか?」


「うん……とても楽しかったわ」


「そっか……せやったら、まあ、よかった」


俺はそっとリディの手に自分の手を重ねながら、窓の外に目を向けた。リディは一瞬驚いて声をあげたが、すぐに大人しくなり、頬を赤く染めて俺と反対方向を向いた。

その日は星が綺麗だった。天の川がはっきりと見えており、その両岸で二つの星が眩く光っていた。




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