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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第34話

図書館に戻った途端、俺は二階へと連行され、大勢のホロに傷の手当てをされた。図書館に居残っていたレティタは俺の怪我を見た途端に顔面蒼白になった。


「え……きゃ、キャァァァ、ちょっとオズ! どういうことなの、一体何をしたらオズがこんなことになるわけ!? やだ、オズ、大丈夫!? 大丈夫よね……これ治るわよね!?」


「あー大丈夫や大丈夫や。なんとかなるて」


すると、ルイーネを乗せたホロが頭の上からのしかかってきた。


「どこが大丈夫なんですか! もう……もうもうもうっバカバカバカッ!!! すみませんレティタさん、下にいるお客様に紅茶とみかんゼリー出してきてもらえますか? 私、ちょっとこのお馬鹿さんの手当てしなきゃならないので!」


「りょ、了解!」


レティタは早速台所に直行し、俺は包帯やら消毒液やらを咥えたホロに取り囲まれた。俺が上着を脱いで血の染みをじーっと見ていたところ、ホロは俺の傷口に消毒液をぶちまけてきた。


「おい、雑やな!? もうちょいこう、丁寧にやれへんのか!」


「オズさんみたいな分からず屋にはこれで十分です!」


「あーあーもー、くそー、このシャツ気に入ってたんやけどなあ……」


ルイーネはホロの上で不貞腐れながらそっぽを向いていた。頬を膨らせるルイーネと、自分が着ている血まみれのシャツを見つめ、ようやく俺はルイーネに随分心配をかけていたことを自覚した。


「はあ、悪かったな。心配かけて」


「……もう、オズさんなんて知りませんから」


「悪かったて」


「…………もう。あの方は、何者なんですか?」


あの方とは、当然リディのことだろう。ルイーネはホロたちに治癒術で傷の治療をさせながら、膝を抱えて小さく丸まっていた。


「あー、なんて言ったらええんやろ。神様……いうてもようわからへんやろし。せやな……俺が『紅の死神』の力を手に入れるきっかけになった奴の一人。ってかんじやな」


「それで、あの方が昔オズさんが言っていた『運命の人』で『怖い女』……ですか?」


俺は思わずギョッとして黙り込んだ。ルイーネとは長年の付き合いなので他の人々のような誤魔化しが通用しないことは多々あったが、まさかこの短時間でそこまで見抜かれるとは思わなかった。


「…………そこまでバレバレなんか?」


「オズさん、その件に関してだけは別人のようにバレバレだってこと、もう少し自覚したほうがいいと思います」


俺は眉間に皺を寄せて黙り込み、大人しくホロの治療を受けることにした。これほど大きな怪我をしたのは久しぶりだった。それこそ、リディとメディの戦乱の時代以来だ。あの時のよりはずっと傷は浅かったが、痛みを感じる度にあの頃の出来事が頭に浮かんだ。概ね応急処置が終わった頃、レティタが一階から上がってきた。


「ねえ、言われたとおりお茶とゼリーを出してきたんだけど……お客様、全然食べてくれないし一言も喋ってくれないのよ。どうしたらいいかしら……」


そういえば、あいつは以前も神としての役割と自身の感情との間で葛藤すると、一言も喋らなくなっていた。俺は身体を起こして、一度リディの様子を見に行くことにした。


「ちょっと、怪我人が勝手に動かないでください!」


「平気や平気や。それに、見知った顔のほうが話しやすいかもしれへんやろ」


「さっき殺されかけたんですよ!?」


「今のあいつなら、市街地の図書館なら暴れへんかもしれん。せやなかったら、わざわざ外で会おうなんて言わへんはずや」


ルイーネの制止を振り切って俺が一階に行くと、紅茶と夏みかんゼリーの前で俯いているリディと、困り果てた顔をしているミラとイクスがいた。


「オズ、動いて大丈夫なのか?」


「あのねあのね、ルシアちゃん全然食べてくれないし、お話もしてくれないの……ゼリーおいしいのになあ……」


どうもその偽名はなかなか馴染めない。本名の方が良い名前だと思う。


「二人共、上で待っててくれへん? 俺が二人で話してみるから。あ、盗み聞きとかしたらあかんで。あ、それとイクス。ルイーネに『こいつは下手な盗聴くらい瞬時に見抜くから絶対にやめとけ』って伝えといてくれ」


「でもオズ、さっき殺されかけた相手と二人で話して大丈夫なのか? せめて誰かついていたほうがいいんじゃないのか?」


「事情のわかる相手にしか聞かせたくないこともあるやろ? いざとなればすぐに合図送るから」


二人は渋々二階へと上がっていき、一階には俺とリディの二人だけが残された。


「リディ、念のため話聞かれへんように結界張っとけ」


リディは黙って頷き、部屋に一瞬蒼い光が舞い散った。これで、二人きりで話をする準備はできたようだ。


「さてと……久しぶりやな。こうやって話をするのは、封印前以来やな。まずは紅茶でも飲んだらどうや。コレは……ああ、ローズヒップやな。色、綺麗やろ。香りもええんやで。味は酸っぱいけど」


そう言うと、リディは少し寂しそうに身を縮こませながら、上目遣いでこちらを見つめた。


「……変わったのね。前は紅茶なんて興味無かったのに」


「メディの血を飲んでから、味覚が変わってきて、物の味がわかるようになったんや。紅茶て、けっこう奥が深いんやで」


リディは牡丹色の液体をじっと見つめ、おそるおそるカップを手に取って飲んでみた。


「……温かい」


「そらよかった」


それからリディはちびちびと紅茶を飲み、夏みかんゼリーにも手を付け始めた。少し気分が落ち着いてきたところで、ようやく本題を切り出した。


「んで、リディ。何しに来たんや」


「何って、ほら。あなたを殺しに来たのよ。やっぱり、神としてあなたを野放しにしてはおけないし」


「それにしては、俺が復活してから随分間が空いたやないか。二十年近くやで。時間経ちすぎやろ」


「それは他にも色々あったのよ。ブラン聖堂が壊れちゃったから、聖堂を立て直さなきゃいけなかったし。でも聖堂だけ瞬時に直したらヒトに怪しまれるから、周りの森と一緒に少しずつ直していったら、結構時間かかっちゃった」


「はあ……というか、ヒトに怪しまれるって、いつの間にそないなこと気にするようになったんや。それにこの時代、『神なんて存在しない』って思いこまれてるみたいやけど、なんでコソコソ隠れるようになったんや」


リディは夏みかんのゼリーをちびちびと口に運びながら、少し肩を縮こませた。オロオロと視線を泳がせながら気まずそうに答える。


「それはー……ちょっと、路線変更したのよ。メディとの戦争のせいで世界樹にちょっと叱られちゃって」


「世界樹って、ブラン聖堂にあったあの透明なバカでかい樹か。あれ、叱るような意思とかあったんやな……」


「ヒトが思い描くような意思とは少し違うと思うわよ? こう、人格があるわけじゃなくて、世界の管理・運営のための基本方針とか規約とかがあり、私達みたいなシステムの端末がその方針から外れると警告を出すの」


「メディとの戦争は、さすがのガバガバシステムでも警告を出すレベルやったってわけか……まあ、世界焼き払ったようなもんやし、ヒトを殺し過ぎたしな」


「ううん、別に世界樹はヒトを殺したことは特に気にしてないわよ? むしろ元々はちょっとヒトを間引きたがってたくらいだもの」


リディはあっけらかんと言った。それを聞いて俺は眉をしかめた。やはり、神は神だった。神どころか、奴らを統括する親玉ですら、ヒトを人とすら思っていないらしい。


「世界樹が咎めたのは、私やメディがヒトに力を与えて天使や悪魔みたいな新たな種族を生み出してしまったことと、ヒトに魔法という新たな力と知恵を与えてしまったこと、そしてあなたのような『神の力を持ったヒト』を生み出してしまったことの三点よ」


三点のうち、最後の一つを聞いてますます俺は眉をしかめる。その『神の力を持ったヒト』とは紛れもなく俺のことだ。


「これらのミスを二度と起こさないように、あの戦争以後は神はヒトの世界から姿を消したの。ヒトの世界はヒトの手で運営する。神はあくまで世界を存続させるためのシステムであり、それ以上でもそれ以下でもない。だから、ヒトと必要以上に関わるな……って新しい方針を定めて」


「なるほど……んで神は歴史の表舞台から姿を消し、ヒトから『神は架空の存在』と思われるほどの年月が経った……ってわけか」


「そういうこと。あれから何度か文明が滅びたり復活したりして人口も大きく増減したしね。ヒトが『神が実在した』という確証を得られるような遺物や資料は殆ど残っていないと思うわ。とはいえ、伝説とかおとぎ話として形を変えて現代に伝わってはいるから、調べたら『リオディシア』って名前くらいは出てきちゃうと思うけど」


「あー、それで偽名なんて使ったんやな」


リディはスプーンでゼリーをぷるぷるとつつきながら神側の事情を説明していたが、夏みかんゼリーに強い興味を持ったのか、途中から説明よりもゼリーをつつくことのほうに集中しはじめた。


「……全然関係無いんだけど、これ、ヒトが食べるお菓子よね。オズもこういうの食べるの?」


「ん? まあ、食うで。それ、美味かったな」


「そう……こういうの好きなのね……」


「好き嫌いでいうたら、もうちょい手で摘まみやすくて見ため華やかなやつが好きやけどな。クッキーとかマカロンとか」


「そうなの? そう……」


リディは眉間に皺を寄せながらじっと夏みかんゼリーを見つめていた。


「あんまそんな皺寄せんなや。美人が台無しやで」


「む……美人だなんて。あまり調子のいいこと言わないで。そ、その……私がいない間に、オズってば随分楽しそうに過ごしているんだなぁって思って……その……」


リディはまた頬を赤く染めながらもじもじと俯いてしまった。その様子を見て、俺はにやにやとほくそ笑む。


「ははぁ、置いてかれたみたいで寂しかったんか?」


「む、むぅ……」


「そーやでー、お前がいない間、この平穏な村でイケイケの順風満帆ニューライフを満喫しとったんやぁ。もう最高やでー第二の人生バンザイやー。いえーい」


「うー、ううう……うううぅ……」


顔を真っ赤にして、涙目になった顔はとても可愛かった。だが、涙で潤んだ瞳をこちらに向けられると無意識に頬が火照りそうになるので、俺は一度咳払いをして話を戻した。


「んで……結局おまえ、これからどうするんや」


そう言うと、リディはまた叱られた子供のように俯いてしまった。


「そ、そう言われても……あなたを殺せないままブランに戻るわけにもいかないし……でも、あなたを殺すことでヒトの世界に多大な影響を与えてしまうなら? そ、そう簡単に殺すわけにもいかないし……」


「ヒトの世界からすると、『俺を殺すことができるほどの強大な力が存在すると困る』んであって、例えば自殺とかに見せかけて勝手に消えてくれる分には問題なさそうな気がするけどな。厄介な兵器が消えてくれてよかったって感じやとおもうけど」


「う、うう……いじわる……」


俺はにまにま嗤いながら涙目でこちらを見つめるリディの頬をつついた。昔は常に切羽詰まった状況だったので気づかなかったが、こいつ、思ったよりもからかい甲斐があるかもしれない。


「オズは、今でも私に殺してほしいって思ってる?」


リディは沈んだ表情で問いかけた。封印される間際の出来事、俺の胸に剣を刺しながら悲痛な表情を浮かべていたリディを思い出した。


「せやなぁ。自分の舞台に幕下ろすなら、お前に下ろしてほしいとは思ってるで。今でも」


そう言うと、リディはあの日と同じような悲痛な表情を浮かべた。


「……けど、すぐ殺してほしいとは思わへんかもな。ほら、今すぐブッ殺されたら、ルイーネとかレティタとかワンワン喚くやろし、ミラとイクスにも迷惑かけるやろしな」


すると、リディは涙を引っ込めて顔を上げた。眼を大きく見開き、じっとこちらの瞳を見つめる。顔をぐいぐい近づけてくるものだから、俺はつい視線を逸らした。


「オズ……本当に変わったのね。ここでの生活は、楽しい?」


リディは眼をきらきらと輝かせながら問いかけた。手元の紅茶とゼリー、机の上のチェス盤やトランプ、俺の好きな本ばかり取り寄せた本棚……図書館の中をぐるっと見回して考えてみる。この力のせいで苦しんだことも、自由がきかないこともあった。けれど、きっと今の自分は「これ以上生きている意味は無い」だなんて考えてはいないのだろう。


「せやろな、多分『楽しい』んやと思うで」


そう言ってニカッと笑った途端、リディは眼からぽろぽろと大粒の涙を流し始めてしまった。予想外の反応だったため、慌ててハンカチを取り出してリディに差し出す。


「お、おい、なんやなんや。なんで泣くんや。お前もう神様というより幼女みたいやで」


「うーうううー……うわぁん……なんでかしら、その悲しいわけじゃないのよ。なんとなく、逆なの。オズを封印する前からずっとずっと、オズがそんなふうに思ってくれたらいいなって思ってたから……」


リディはハンカチで涙を吹きながら、片手を俺の手に添えた。


「自分でもよくわからないんだけど……私、オズと出会って初めて、理解できないヒトがいるって知って、理解したいって思って……そのうち、オズが復讐を遂げて死ぬために生きていることを『悲しい』って感じるようになったの。私、創造の女神なのに、オズは私が支えている世界のことが大嫌いなんだなって思ったら、悲しくて……」


「……アホか。別にお前個人を否定してたわけやないんやで。お前ら、責任感強すぎなんや。もっと怠けて気楽に考えたらええのに。まあ、なかなかうまくできひんから『システム』なんやろうけど……」


「それでね、私、ずっと復讐が終わった後もオズに『生きていきたい』って思ってほしくて、その為だったらなんだってするつもりだったのに、神様の力があっても私には何もできなくて……オズの幸せってなんだったんだろうって。私はどこで間違えたんだろうって。オズが封印されている間、ずっと考えてたの」


「神様の力があっても何もできない」──この言葉は俺自身にも深く突き刺さった。リディでもそうなのか。ずっと、神にヒトは理解できないと考え、恨んでいた。だが、俺も神のことを何一つ理解していなかった。まさか、俺と神が似たようなことで悩んでいたとは思わなかった。リディはハンカチで涙を拭くと、顔を上げて微笑んだ。


「でも……オズは自分の『生きたい』って思える場所を手に入れたのね。不可能じゃなかったのね。そのことが多分、うれしい……『嬉しい』の。変ね。私、ヒトって嬉しい時は笑うものだと記録書で見たのだけど、涙が出るの。これって、何かのエラーかしら。私、壊れてる?」


何も知らなかった。リディがこんな優しい顔で笑うことができるなんて。


「いや、壊れてへんで。嬉しい時に涙を流すヤツもいるもんや」


大戦が終わったあの日、俺との殺し合いの最中でリディは言っていた。「神にヒトは理解できないというのなら、ヒトに神は理解できるのか」──と。ヒトの心を知り、優しい笑顔を浮かべるようになったリディは、この先ヒトをどのように理解し、どう変わっていくのだろう。この時、俺はこの先のリディの変化を見てみたいと思った。そして、これまで誰にも理解されることのなかったリディの心を、理解したいと思った。

だが、リディの優しい笑顔が急にまた悲しげにしぼんでいく。


「殺したくないな……せっかく、オズがこんなふうに笑ってくれるようになったのに」


肩を竦めて俯くリディを見てはいられなかった。俺としても、リディの新たな一面を知った直後に死を迎えるのは切れが悪い。「愛した女に殺されたい」とは願っているが、舞台の幕を下ろすタイミングはもっと美しくなくては、愛した女に殺してもらう意味が無い。


「なあ、今ちょいと思ったんやけどな、お前もここに来てみる?」


気づくと、口からそんな言葉が出ていた。リディは「え……」と声をあげて、蒼い眼を大きく見開く。


「どうせ、殺さないにしても俺を放り出しておくわけにもいかへんのやろ。神の視点で見たら甘い考えかもしれへんけど……俺が勝手なことせえへんように見張っておくって名目で、お前もこの村にしばらくいてみたらええんやないか」


リディは林檎のように染まった頬を両手で抑え、視線を泳がせて困り果てていた。


「わ、私が? え、えっと……そしたら、毎日オズに会えるの?」


「会えるなあ」


「こんな時間を毎日……?」


「こんな時間より、もっと軽くて楽しい時間にしようや。隣町で買い物したり、もっと綺麗な菓子と紅茶いっぱい並べてティータイムしたり……ああ、またチェスしてもええかもな。今度は互いを試すような勝負やなくて、もっと楽しく」


もしこの場面をセイラやイオに見られていたら、俺は女神を誑かした極悪人だと罵られていたのだろう。けれど、心惹かれた女がこの先どのような笑顔を浮かべるのか見てみたい──そう願うことすら「悪」なのだろうか。


「私も……もっとオズと一緒にいたい……。そう願ったら、私は悪い神様かしら?」


「さあ、俺は悪人やから、『別にええんとちゃう?』って言ってまうわ」


「変なの。悪い人なのに、優しいのね」


「そないなこと言ってたら、骨の髄まで溶かされるで。純真なヤツを汚してくのって、ええ娯楽なんやから」


「……素直じゃないんだから。もう少し、自分にも優しくしてあげていいのよ」


自然と、口元が笑っていた。それを見て、リディも暖かく微笑んだ。いつか、互いが殺し合うことなく笑い合える日が来たらいいのに──現実が凄惨すぎて、願う前から諦めていた景色が、今ここにあった。こんな時間がいつまでも続けばいいのに……そう願わずにはいられなかった。



「というわけで、こいつ、今日からこの村に住まわせることにしたから」


ミラ達にリディを紹介し、こう告げたところ、早速大絶叫が返ってきた。先程俺を殺しにきた相手を村に住まわせるとなると、当然の反応だろう。


「え、えええええっ!? だ、大丈夫なのか? だって、その、オズ……殺されかけたじゃないか」


「あ、あたしは反対よ! またオズが傷つくようなことがあったら困るもの!!」


イクスは困惑し、レティタは両手をバタバタと振り回して反対した。一方で、ミラは目を輝かせながらリディの手を握っていた。


「わー、やったあ! ルシアちゃん、この村に住むんだね。あたしね、ミラ・ルピアっていうの。よろしくね!」


「え、ええと……ミラ。よ、よろしくね……」


「よろしく! わーい、新しいお友達ができちゃった!」


リディはミラに随分と懐かれたようだった。リディは困惑しながらも、ミラの話に耳を傾けている。この様子なら、むやみに周囲の人々を傷つけることはなさそうだった。


「な、ミラともうまくやれそうやし。村の中で戦ったり攻撃したらあかんてよう言っとくから。いざとなれば村の奴らにだけは絶対手ぇ出さへんように俺がなんとかするし。な、な、頼むわ……なあ、ルイーネ」


おそるおそる、ルイーネの方へと視線を向けた。先程多大な心配をかけたばかりなのに、怪我の元凶を村に住まわせると言い出したら怒られるに決まっている。そう思って肩を竦めていたが、ルイーネの反応は予想よりも穏やかだった。


「はぁ……仕方ないですね。でも、その方がオズさん並に強いとバレると少々面倒なので、強大な力を使うのは避けて、普通の女の子として過ごしてください。私も、村長には普通の移住者として紹介しておきますから」


「お、おう……わかったわかった」


「なんですか、その顔」


「いや、もっと怒鳴りまくって反対するかと思っとったから」


ルイーネは溜息をついた。


「しませんよ、別に。村を破壊するような殺し合いされるのは困りますけど」


言葉には出していなかったが、ルイーネに何やら気を遣われているようだった。ルイーネと二人でリディの今後について話し合っていたところ、ミラがリディの両手を握りながら尋ねた。


「ねえねえ、今日はどこに泊まるの?」


そういえば、それも考えなければならなかった。


「えーと、俺とリラが来たときみたいに、住まいが決まるまでは村長の屋敷にお邪魔するってかんじやないんか?」


「オズさん、それなんですけどね……」


ルイーネは俺を引っ張って、他のメンバーには聞こえないように耳打ちした。


「あの方が只者ではないことを一番知られたくない相手は村長なんですけど……あの方、村長の屋敷でちゃんと普通の女の子らしく振る舞えますかね……?」


「そらぁ、あいつも昔はヒトを従えて色々やってたしー、ちゃんと……」


「ちゃんとできる」と言いかけて、ミラと初対面の時の対応や、先程二人で話した時の様子を思い出した。


「ちゃんと……できるやろか……」


絶対零度のキリングマシーンのような対応や、神様視点駄々漏れの幼女のような振る舞いになる可能性が無いとは言い切れない。すると、ミラがニコニコしながら言った。


「あのねー、ルシアちゃんはねえ、この図書館に泊まったらいいと思うなあ」


「……は?」


俺は思わず振り返った。この子供、聞き捨てならないことを言っている。リディが少し嬉しそうにぽやぽやした顔をしているところが更にまずい。ミラはこてんと首を傾げた。


「えー、だってここ、部屋余ってるでしょ。知らない人のところに一人で泊まるよりこっちのほうが安心じゃない?」


「年頃の女子がそう気軽に男のいるとこに泊まるもんやないて、ババアに習わへんかったんか」


「ここだって男一人に女の子二人だし、なんなら村長のお家のほうが男所帯だよ。ロシアンと、村長と、ロシアンのお爺さん! 女の人はロシアンのお母さんだけだよ。」


ロシアンとはカルディスの息子のことだ。この件を息子や父が同居している家族と同じように扱うべきではない。


「村長んとこはみんな血ぃ繋がった家族やろ」


「じゃあ、ルイーネやレティタは家族じゃないっていうの? アタノカニンなの?」


「なんや、アタノカニンて、赤の他人やろ。そういう意味やなくて……」


俺とミラがああだこうだと言う様子をリディはきょとんとした顔で見ていた。つい俺は眉間に皺を寄せながら頭を掻きむしる。なぜこういう時に限ってあの過保護な双子がいないのだろう。俺がリディと同居だなんて、あらゆる意味でただで済むわけがない。心惹かれた女と四六時中生活を共にするというのも大概だが、ルイーネとレティタが傍にいるというのも気まずい。そして、もしこのことをあの双子に知られたらこの図書館が俺の処刑場になるだろう。


「男の人がいるところに泊まっちゃいけないんだったら、オズと一緒にルイーネとレティタが暮らしてるのはだめなんじゃないかな?」


「こ、こいつ、俺がこれまで言わへんようにしてたことを……」


この村に来て、この図書館に引っ越そうとした時に、あの先代クソ村長が何食わぬ顔でルイーネに付いて行くように指示したのを見て「正気か?」と思ったことをよく覚えている。


「せやから、これ以上女ばっかになると気ぃ遣うんやて。ルイーネやレティタはまだ掌サイズやからちっこい子供みたいな感じやけど、リ……やなくて、ルシア? はそうもいかへんやろ」


「えー、ちっちゃいとかおっきいとかで差別よくない! ルシアちゃんだって知らない人より、好きな人と一緒に暮らしたいとおもう!」


「だぁー! もう俺とミラで言い合っても結論出ぇへんわ! 第三者に決めてもらうで。んで恨みっこ無しや!」


「お、おー! 誰に決めてもらうの?」


「イクス!」


俺とミラは真剣な表情でイクスの判決を待った。だが、突然話を振られたイクスは困惑して後ずさりした。


「い、いや、それは無理……だってどっちの言い分もわかるから。さっきの様子を見てると知らない人のところに泊まらせるのはまずいと思うし、かといってオズのところに泊まるのはっていうのも……うん」


「えー、じゃあどうするの?」


「ルイーネに決めてもらったら? この子がどこに住むにしても、ルイーネの協力は不可欠だろ」


俺とミラは納得してウンウン頷いた。話を振られたルイーネは暫く腕を組んで考え込んだ。俺は黙ってルイーネの回答を待つ。ルイーネは常にみんなの味方であるような顔をしているが、実際は誰の味方でもない。どのような判断を下すかは全く予想がつかなかった。数秒後、ルイーネははっきりとこう言った。


「……決めました。ここに泊まってもらうことにしましょう」


ミラが大喜びで飛び上がり、俺は顔を皺だらけにして「ハァ!?」と叫んだ。驚いたのは俺だけではない。レティタもルイーネの腕をぶんぶん振り回した。


「ちょ、ちょっと本気!?」


「本気です。まあ、一人増えるだけですよ。たしかに、部屋も余ってますし。オズさんにはもっと気を遣わせておけばいいんです。それに……」


ルイーネは珍しく意地の悪い笑顔を浮かべた。


「オズさん、ほんとは一緒に暮らしたいですよね?」


俺は歯をギリギリ鳴らしながら、鬼の首を取ったような顔をしているルイーネを睨みつけた。一方で、ミラは俺の気苦労なんて微塵も理解していない顔をして、リディの手を握ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。


「わーい、やったやった! オズと一緒だって!」


「オズと、一緒……?」


リディはミラにつられてぴょんぴょん跳ねながら、こちらを見つめて微笑んだ。


「……嬉しいわ。よろしくね」


そんな奇跡でも起きたかのような笑顔を浮かべられると、こちらもそれ以上「駄目だ」と言うことはできなかった。折角こちらが気を遣ってやったのに、ちくしょう。


「もう……ルイーネまでそう言うなら仕方ないわね。じゃあ、さっさとお部屋の準備しましょ。ついてきて」


「やったやった! ルシアちゃん、行こう!」


ミラとリディはレティタに連れられて奥の部屋へと向かっていった。残された俺は深い溜息をつきながら、ルイーネに話しかけた。


「おい、どういう風の吹き回しや」


「言ったとおりですよ。したいようにすればいいじゃないですか」


「せやかて……なんや、さっきのこと、まだ機嫌損ねとんのか?」


「そうではなくてですね。一つは後悔を残してほしくなかったから、もう一つは……この先お二人がどのような道を歩むのか、私自身がちょっと見てみたくなったからです」


ルイーネはそれ以上理由を詳しく話してはくれなかった。ただ、代わりに外を見つめながらぽつりと呟いた。


「ただ、一つだけ忠告はしておきます」


「なんや」


「異生物との恋は、困難ですよ」


これまでの道程を思い出した。戦乱に巻き込まれ、心惹かれた女と殺し合った日々。俺とリディの恋を祝福した人はこれまでに一人もいなかったし、俺自身ですら心のどこかで「ヒトと神が結ばれていいわけがない」と思っている。だからこそ、俺とリディが殺し合う未来は想像することができたが、二人で愛し合って平穏に暮らしていく未来はこれまで想像すらできなかった。


「そら、ようわかっとるわ」


リディがこの図書館で一緒に暮らす。それはもう決定したはずなのに、まだ実感が持てなかった。夢の中にいるかのように、頭がふわふわしていた。


世界を傾けた悪が報われていいはずがない。

ヒトと神が結ばれていいわけがない。

この恋が成就して良いはずがない。


また罪を重ねた俺は、いつかひどい罰を受けるのだろう。


「わかってるなら、もう少し喜んでくださいよ。奇跡みたいなものなんですから。いつものワガママで傲慢なオズさんはどこに行ったんですか」


罪を罪だと自覚しながら、それでも俺は終わらない舞台で「陽気で傲慢で自信家のオズ」を演じ続ける。いつか妹と見たサーカスに出てきた「オズの魔法使い」のように華やかな虚構で自分を彩りながら。



その日の真夜中。皆が寝静まった後、俺は一階の窓から満月を見上げる。満月を見ると、封印された日にリディと殺し合った時のことを思い出す。あの時の自分は間違いなく正気ではなかったが、蒼い月の下で紅に染まった世界はとても美しかったと思う。俺はふと、昼間斬られた傷の場所に手を添えてみる。傷自体は痛まなかったが、アディに植え付けられた魔法陣のある場所が熱を持っていた。また、力が溢れそうになる。ルイーネは寝静まった後だ。血を分けて対処することはできない。また洗面所に血を流そうと思い立ち上がった時、一階にリディが降りてきた。


「オズ……寝ないの?」


「俺は悪い子やから、毎日夜更かししとるんや」


そもそも殆ど寝ることができないことは黙っていた。


「毎日夜更かし……か。こんな素敵な場所で、素敵な人達に囲まれて。これからここで、あなたと一緒に過ごせるなんて……夢みたい」


リディは嬉しそうに頬を染めながら、俺の隣に座った。醜い現実の影ばかりが気になって、素直に喜べずにいる俺とは違い、リディは幸せそうに微笑んでいた。


「……夢やろ。お前、こんなん本当に許されると思うんか。善であるべき神と、悪に成ったヒトが、仲良くこんなとこで暮らすやなんて」


「許されない……かも、ね」


「一応、自覚はあるんやな」


「でも、誘ったのはあなたのほうよ」


「…………せやったわ」


「後悔してる?」


リディは少し不安そうな表情で俺の顔を覗き込んできた。溜息が出る程滑らかな肌、羽のように柔らかい髪、海のように深い蒼の瞳。そんな少女に見つめられたら、


「しとるわけないやろ」


こう答えるに決まっていた。生憎、俺は相手の純粋さにつけ込んだ罪悪感に苛まれるほどのお人好しではなかった。


「そう。でも変なの。『村に住んでみればいい』って自分で言っておいて、『図書館に一緒に住む』って話が出た途端に、急に現実的なこと言い出すんだもの。この二つって、そんなに大きな違いがあるの?」


「はぁー…………やっぱそうやったか……」


やはりこいつ、男女が一つ屋根の下で暮らすことの危険性をあまり理解していなかった。だから一応気を遣ってやったというのに。二度目は無いぞ。ちくしょう。


「あ、そうだわ。これはお詫びとお礼ね」


そう言うと、リディはそっと俺の背中に手を触れた。蒼い光が散り、昼間斬られた箇所から背中全体に冷たい感覚が広がる。すると、ずっと自分の精神を蝕んでいた破壊衝動が収まり、今にも暴走しそうだった力が急に弱まり、コントロールが利くようになった。


「何……した?」


「うーん、ものすごく弱い封印術のようなものかしら? ヒトならば全身を動かせなくなって、魔力を完全に封印されるような魔法なんだけれど、オズには丁度いい力加減だったみたいね。器に対して強すぎる力が抑えられて、ちょっと楽になったでしょ」


「そら、まあ、なったけど」


「よかった。本気で外そうと思えば壊せちゃう程度の軽い封印だから、あまりカッとならないように気をつけてね」


そう言うと、リディは俺の隣に椅子を持ってきて座った。


「私がここにいる間は、オズが暴走しかかっても止めてあげる。オズがメディの血を吸って得た力は『破壊』の力。私は『創造』の女神。だから、止められるわ」


触れるだけで人が死ぬのではないか、声を出すだけで人がバラバラに砕けるのではないか。封印が解けてからというもの、ずっと胸の内に燻っていた恐怖が静かに引いていった。昼間、小刀で切りつけて血を流した手でそっとリディに触れる。触れられたリディは傷つくことも砕けることもなく、少し嬉しそうに微笑んでいた。


「なぁに?」


キョトンとした顔で首を傾げるリディを、俺は無言で抱き寄せた。


「……ふぇ? ええええっ!?」


途端に、リディが頬を薄桃に染めながら慌てふためいた。俺はリディを片腕で抱き寄せたまま、本を読んだりサイコロを積み上げて遊んだりしていた。


「あ、あの……オズ? これは……その、そろそろ離してほしいんだけど……」


「あと二時間このままな」


「ふぇ、え……どうしてそんなことするの。ひどいわ。は、はなしてよう」


「どこが酷いんや。初日から寝室連れ込んで服引っぺがしたりしなかった俺は超が百回くらい付くエクストリーム超紳士やろ」


リディは頬を押されたり、こてんと横に倒されて頭を俺の膝の上に乗せられたり、まるでクッションのような扱いをされていた。頬、腕、腹、脚、何もかもが白くて柔らかかった。


「はぅ……ぁあ……あの、私、なにか、怒らせるようなことをしたかしら……」


「怒ってへんけど、お前はずるいから気に食わへん」


そうだ、気に食わない。こちらがこれほど神経を擦り減らしてお前との関係に悩んでいるのに、ぽやぽやと緊張感の無い顔をしているところが気に食わない。それなのに、こちらの苦痛を和らげ、恩を売ったような顔をしているところが益々気に食わない。


「ご、ごめんなさい……」


「謝らんでもええけど、一つだけ覚えとけ。ヒトの社会の暗黙のルールや」


またリディの頬が林檎のような色に染まるのを承知の上で、俺は唇同士が触れそうな距離まで顔を近づけた。


「軽率に他の男の家に泊まったらあかんで」


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