第14章:第32話
図書館に二階が完成し、引っ越しを終えて数年が経過した。村にもようやく馴染み、俺はルイーネと二人で図書館の仕事にあたっていた。最初はわからないことだらけで戸惑っていたが、徐々に仕事にも慣れ、今では立派な図書館館長に……
「オズさぁぁぁぁぁぁぁあん!!! 仕事してくださいって言ってるじゃないですかぁ!!!」
なっているわけがなかった。そもそも図書館に住もうと思った理由はそこにある本を片っ端から全部読み尽くそうと思ったからだ。仕事への興味なんて微塵も無い。そもそも仕事とは、生きるために必要な衣食住を確保するため、そのための金銭を得るためにするものだ。俺は今なら素っ裸でウィゼート、エンディルス、デーヴィアの大軍隊の衝突場所に一年坐禅していても生き残る自信がある。仕事をしなくても生きていける。つまり、仕事なんてしなくてもいい。完璧な理屈だ。この名言を後世に残すべく、額に入れて飾ろう。
「つべこべ言わずに仕事してくださいよう!!」
「しとるしとる。館内の本をきちんと把握するのは大事な勤めや」
「それは他の書類仕事を片付けてからしてください!! 村の仕事は勿論、近隣の地域から地脈の調査の依頼とかも来てるんですよぅ!」
俺は今日もルイーネの罵声をBGMとして、大量の書類を下に敷いて本を読み漁っていた。ここ数年で読めた本の数は、館内の所蔵数の四分の一ほど。全てを読破するのはまだまだ先になりそうだ。
「ルイーネ、紅茶が無い。茶菓子も無い。すぐに用意してくれへん?」
「どっちも切らしてるんですよう。だから後で買い物に行くんじゃないですか」
「えー、そやったっけ。ホロの口で紅茶淹れるくらいできへんの?」
「できるわけないじゃないですか、もう! 紅茶の前に仕事してください!!」
他愛の無いやりとりがどこか懐かしく思えて、少し笑いが溢れた。それでも、ふとした瞬間に悍ましい力が溢れそうになる。この身体は一体どうなっているのだろう。この身と精神はいつまで「俺」のままでいられるのだろう。時折、窓の外を見つめながら、あの白いミニドレスの女神のことを思い浮かべたが、あいつについての情報は村では全く掴めなかった。
「……オズさん? 急に静かになって、どうしたんですか?」
ルイーネが肩に停まって、こちらの顔を覗きこんだ。どうやら少し心配させたらしい。
「いや、別に。それより、紅茶無いんやろ。ちょいと早いけど、買い物行こか。他の物も色々見たいしな」
「え、はい……って、仕事がまだ片付いてないじゃないですか! 仕事したくないだけでしょ、オズさんってばぁ!!」
「はははー聞こえへんわぁー」
俺は帽子とコートを手に取り、暴れるルイーネの背中をつまみながら早速買い物に向かった。
冬が明けたばかりのヴェルトの街には、各地の旬の食材が揃っていた。だが料理は殆どしないため、生鮮食品にはあまり用が無い。今回の目当ては季節のフレーバーティーだ。市場の前で様々な茶葉の香りを嗅ぎ比べてみる。
「なあ、ルイーネ。チェリーとかはどや。あ、桃も買おうや。お、バニラとかあるで。ルイーネっぽくてええんやないか」
「多いですよ、もう少し絞ってください! というか女子みたいな好みですね!」
「つまらへん奴やなあ。お前はなんやオススメとか無いんか?」
「えぇ……? そうですね、ローズヒップとかどうですか? 甘酸っぱくて美味しいですよ」
「嫌やー却下やー酸っぱいのは嫌やー」
「人に聞いておいてなんて言い草ですか!」
ルイーネの文句を尻目に、上機嫌で次々と茶葉を購入していった。その後、ランプ用の油や、石鹸、布巾用の布など、生活に必要な物を買ったあと、衣料品関係の店が並ぶ場所に出た。布はともかく、きちんと仕立てた衣料品の店がヴェルトまで来るのは珍しい。店先に並べられた立派な背広をまじまじと見つめていると、店の主人に声をかけられた。
「そこの帽子が似合うカッコいいお兄さん! どうですか、シャツやネクタイ、コートとかもありますよ。白いシャツに黒い上着は定番ですが、こういったグレー系のベストや柄の入ったシャツと合わせてもオシャレですよ」
主人の話にふむふむと耳を傾けながら、コートから革靴まであれこれと試着してみる。そして鏡に映った自分の姿を見ながらほくそ笑んだ。
「さすが俺。なんでも似合う」
傍でルイーネが眉間に皺を寄せながら見守っていた。
「なんや、似合わへんかったか?」
「……いえ、似合いますよ。悔しいことに。けどオズさん。それ一式全部買うのはやめてくださいね?」
「えー」
「えーじゃありません! お金、そんなにたくさんないですからね!?」
三十分ほど悩んだ末に、シャツとベストのみを購入することにした。新しい服も買い、買い物袋が膨らみ始めた頃、ふと俺は足を止めてルイーネの服をじっと見つめた。今度の目当てはルイーネの服だった。だが、これがなかなか見つからない。そもそも小悪魔が他の種族と同じ立場で暮らしていることも、小悪魔の為の服を見繕うことも珍しいことらしい。先程のような既に仕立てられた服は全く売っていなかった。眉間に皺が寄りはじめた俺を見て、ルイーネは呆れながら声をかけた。
「あの、オズさん。もしかして、私の服探してます? 別にいいですよ。着るものならありますし」
「お前、普段どうやって着る物調達してたんや」
「あの、話聞いてますか? えっと、服ならオーダーメイドでしたけど……。あとは村長の手作りとか」
「手作りィ!?」
よく考えてみると、ルイーネは村長にかなり気に入られているようだった。あの蛇のような目をした狡い村長が手縫いでちくちくと掌サイズの服を作っている様子を想像してみる。完全に怪しい人だった。
「そういやあの村長、お前のこと可愛い可愛い言っとったよな……お前、大丈夫? クソジジイにやらしい目とかで見られてへん?」
「大丈夫ですよ。村長はそんな方ではありませんし」
「セクハラ許したらあかんで。ちゃんとワン・ツー・スリーで顎にアッパーカットキメるんやで」
「えぇ……オズさん、私の何のつもりでいるんですか」
呆れ顔のルイーネを連れて、今度はオーダーメイドの仕立て屋に足を踏み入れた。「小悪魔の服を」と言うと、最初は驚かれたが、なんとか了承してもらえた。採寸の間、俺は店内の服を見ながら店員とルイーネの服の相談をしていた。
「今ですと、花のモチーフが人気ですよ。こちらの薄桃色の布で花弁のような形のスカートとかを仕立ててはいかがでしょうか?」
「花弁のような……ええな、悩ましいな。今のバルーンスカートもええけど……。あ、せや、夏用のサマードレスも欲しいんやけど」
「はい。でしたらこちらの白い布で、肩の部分をオフショルダーにして、ここにフリルをこう……リボンをこんなふうに付けて、こんなデザインはいかがでしょうか?」
「よーし、それや。ええやないか、白ワンピ。あ、せやけど肌もう少し隠せへんかな。胸元とかもうちょいしっかりガードしてくれへんと困るわ」
相談を重ねること一時間。ようやく春用のワンピースと夏用のサマードレスの大まかなデザインの方向性が決まり、注文を終えた。そして、その足で次は玩具店の人形のコーナーに向かう。俺が見本のアンティーク人形が付けているヘッドドレスを真剣に見つめていると、ルイーネがじとっとした目つきでこちらを見ていた。
「あのー、オズさん? もしかしてですけど、そのヘッドドレスとか、私に付けようと思ってます?」
「そらそうや。服だけやのうて、頭から足先まで気ィ遣ってこそのオシャレやで」
「そこまでしてオシャレしなくてもいいんですが」
「でもあかんなあ。やっぱこういうのはそのお人形さんに合わせたデザインやわ。やっぱさっきの店で頭飾りも注文しとけばよかった……」
「だから、そんなとこにそんなにお金使わなくてもいいって言ってるんです!!」
とぼとぼと店を出ようとした時、ふと小さな少女のアンティーク人形が目に入った。紫色でふわふわの髪にエメラルド色の瞳、頭に可愛らしい花飾りが散りばめられていた。数十秒、その人形を見つめた後、俺は黙って店を出た。
最後に、俺たちは洋菓子の店を見て回った。以前は、菓子なんてどうせゲロの味のくせに外見ばかり華やかに飾って鬱陶しいと思っていたが、味がわかるようになってからは一気に印象が変わった。見て楽しい、食べると甘い。日々の生活をより豊かにする物だと感じた。
「おい、ルイーネ。ケーキ買おうや、ケーキ。あれとか見た目もええし」
「えー、ケーキは日持ちしませんよ」
「おい、あのチョコ、薔薇の形や。あれ買おうや。おっ、あのクッキー、小鳥の形しとる。あれも買おうや。おい、あれなんやったっけ。あのパイっぽい生地にクリーム入れたやつ。全部買おうや」
「だからぁ、買う物は絞ってくださぁい!! そんなに買って誰が食べるんですか! 私とオズさんしかいないのに!」
すると俺は得意げに笑いながら答えた。
「そらぁ、俺とルイーネが食うやろ。あとホロにも食わせるやろ、あとあれや。お前、カルディスやクソ村長にも持ってったらええわ。たまにはゴマ擦ってもええやろ。それと……」
もう一人、名前を挙げようとしたが、言いかけた途中で口を噤んだ。
「いや、なんでもない。ケーキは二人分、あとクッキーだけ買おか。まあそんな多くなくてええやろ」
ルイーネは注文をしている俺の背中を、少し気まずそうに見つめていた。会計をしようとした時、珍しくルイーネが口を出した。
「クッキーの数……少しだけ増やしましょうか」
村に戻る頃にはもう陽が沈みかけていた。図書館に荷物を下ろし、購入した物を片付けると、ルイーネは急にまた出かける支度を始めた。
「あの、私、ちょっと村長に用があるので屋敷まで行ってきますね」
そう言って、ホロも連れてそそくさと出かけてしまった。早速買ってきたケーキを食べようと皿やカップを出そうとしていたところだったので、俺は少し不貞腐れ、また本を読み始めた。
しばらく経ったころ、急に外からバタバタと誰かが走る音が聞こえた。
「大丈夫、追われてはいないみたいだ。あいつ、出払ってるのかもね」
「そうか、じゃあササッと行ってこいよ」
十代と思われる男女の声がした。不審に思っていると、扉が開き、リラと見知らぬ少年が図書館に入ってきた。
「やあ、オズ。久しぶりだね」
「リラ? どないしたん、突然。ってか、よう来れたな。邪魔されへんかったんか?」
「されたさ。ここに来てからずーっとね。いや、もう周りの奴ら、何を怯えてるのかさっぱりわからないけどさ、図書館に近づこうとする度にあれやこれやと理由付けてあたしを行かせようとしないんだよ。おかげで引っ越し祝いにも来れなかった」
リラは以前よりも少し背が伸び、顔つきも大人びていた。顔色も良く、生活に苦労している様子は無さそうだった。
「でもさ、今日は偶々ルイーネの監視が甘くてさ。やっとここまで来れた。見たところ、あんたも元気そうだね。安心したよ」
その時、俺はようやく突然ルイーネが出かけた理由に気が付いた。多分、俺に気を遣ったのだろう。あいつも監視役という立場と良心の板挟みで苦労することがあるのかもしれない。俺はリラの誤解を訂正することなく、先程買ったクッキーと茶葉を手に取った。
「せや、立ち話もなんやし、紅茶でも淹れよか? クッキーもあるで」
「へえ、驚いた。あんたが紅茶なんて淹れるようになったのかい? 前は食事になんて一切興味無かったのにね」
「ま、いろいろあったんや。ほな、そっちの連れもどうや?」
そう言って、リラと共にやってきた少年に目を向けた。リラとは対照的に背が高く大柄、獣の毛のような褐色の髪と赤い瞳が印象的な少年だった。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて……あ、俺はウルファ・ルピアといいます」
「オズ・カーディガルや。よろしく。あ、タメ口でええで」
「そうか、じゃあよろしくな。オズ」
それから、今日買ってきたばかりのチェリーの紅茶を三つのカップに淹れ、小鳥の形のクッキーを並べてお茶会をした。ウルファは陽気で社交的で少し間の抜けたところのある気の良い人だった。話の中でウルファがリラを褒めると、リラは少し照れくさそうに俯いたり、頬を染めて慌てだすこともあった。その反応を見て、俺はこの二人の関係を概ね察した。
「そういや、引っ越ししてからの生活はどうやった? あの会談の後やったから、村の連中もクソ村長になんか命じられたりと思うんやけど、なんや変なこととかされへんかった?」
「いや、特に……あ、一つだけあったね。引っ越して少し経った頃かな。見合いを勧められたんだよ。それもちょっと強引にさ。それで少し困ってたところを……」
そこで急にリラは口ごもり、視線を泳がせながら横目でウルファのほうを見た。すると視線に気づいたウルファは笑いながらハキハキと言う。
「そうそう、そんなこともあったな! リラが困ってたから、俺がいい加減にしろって追い払ったんだよ。でもあれ以降、そういう奴らは近づかなくなったよな。よかったよ」
俺は二人の様子を見てにやにやと笑う。これは天然気味の旦那にリラが苦労しているパターンだろう。先はまだ長そうだが、どうやら村での生活は順調のようだった。お茶会を終えて二人が帰ろうとする間際、俺はリラを引き留めてクッキーと紅茶の入った袋を渡した。
「これ、土産。紅茶はバニラのやつや。旦那と二人でな。あと、式には呼んでな」
「だっ……旦那ってなんだよ!」
「へえ、ちゃうのか? 実は旦那に相応しくない外道とか? そらあかんなぁ、姫様にそないな畜生が付いてたらあかんわぁ。村長に頼んで見合い話でも持ってってもらおうか」
「ああもう、好き勝手言うんじゃないよ。それに、あいつは外道じゃあじゃないからね」
年頃の女の子らしく、どぎまぎしながら慌てふためく姿を見て、思わず笑いが零れた。
……もしも生きていたならば、マオにもこんな顔をする日が訪れていたかもしれない。そんなことを考えながら、俺はリラに尋ねた。
「お前から見て、あいつはええやつか?」
「まあ……その、信頼できる奴だとは思うよ」
「……そっか」
そう言うと、俺はリラの頭をくしゃくしゃと撫でた。するとリラは眉間に皺を寄せた。
「あんたさぁ、あたしのこと何だと思ってるんだい?」
「そら、素手で扉を破壊するお転婆暴力女や。……って、ああ。たしかにさっきのは旦那の前でやることやなかったな。すまんすまん、堪忍なあ」
「だから、旦那じゃないって言ってるだろう!」
リラが慌てながら怒り狂っていると、ウルファは何も事情を知らないままリラの手を引いて図書館を出ていく。──しばらく見ないうちに、リラは前よりも女の子らしくなった。俺は笑いながら手を振って二人を見送った。
二人が出て行ってから三十分後、俺は机の上にカップ二つとケーキ二つを並べてルイーネを待ち構えていた。ルイーネはすぐに何食わぬ顔で図書館に戻ってきた。
「ただいまです……あら、これどうしたんですか?」
「どうしたやないわ。ケーキは日持ちせえへんのやろ。さっさと食わなあかんやん」
「…………オズさん、お腹いっぱいじゃないんですか?」
早々にルイーネが尻尾を出したので、思わずニヤリと笑う。俺はお湯の用意をしながら、今日買った茶葉をルイーネの前に突き出した。
「やっぱり、さっきはわざと監視の手を抜いて、リラたちをここまでおびき寄せたんやな」
「ああー……まあ、そうですよ。私はずっとリラさんのことも監視しつつ、リラさんがオズさんに近づかないようにホロに追い払わせてました。本当にすみませんでした」
「すみません」と言いつつ、ルイーネの声には全く反省の色が見えなかった。ルイーネはこういうやつだ。一見誰にでも心優しく従順に接しているが、自分の意志をはっきり持っている。村の方針に従うべきと考えた時は簡単に個人を裏切るし、逆に己の良心に従うべきと判断した時は村側も簡単に裏切る。女神たちほどではないにしろ、ルイーネも立派な「怖い女」のうちの一人だろう。
「まあええわ。お前にも立場があるやろしな。せやけど、詫びとしてこれからケーキやで、ケーキ。俺、このケーキ楽しみにしとったんやで。せやのに、いきなり出ていくなんて、なんてやつや」
「もう、ケーキもリラさんと一緒に食べちゃってもよかったんですよ?」
「あいつ、男連れて来てたんやで。ケーキ足りひんやん。それに、これはお前との時間を楽しむ為に買ったケーキや。リラたちにやるもんやないやろ」
「……前から薄々思ってたんですけど、オズさんって誰にでもそんなこと言ってるんですか?」
「似たようなこと、前にリラにも言われたわ。何があかんねん」
「はぁ……なるほど、きっと世の中にはオズさんに泣かされた人がたくさんいるんでしょうねえ。よくわかりました」
「おい、なんでそうなるんや」
それから、ルイーネが二人分のチェリーティーを淹れ、二人でシトラスの香りが漂うチョコレートケーキを食べた。先程自分で淹れた紅茶とは比べ物にならないほど香りも味も良く、紅茶の淹れ方に関してはルイーネには一生敵わないだろうと思った。
暗くなり始めた空を見上げながら、俺とルイーネはぽつぽつと話し始める。
「なんや、だいぶ落ち着いたってかんじしてきたな」
「こちらでの生活が、ってことですか?」
「そういうことや。リラもええ男見つけたみたいやし。あ、そや、ルイーネ。知ってたら教えてほしいんやけど……」
ニヤリと嗤いながら、俺はルイーネに小鳥のクッキーを一枚手渡した。
「村の連中……ってかクソ村長は、リラに早く家庭を持たせようとしとる?」
ルイーネは肯定も否定もせず、にっこりと微笑みながら貰ったクッキーを一口齧った。
「……一応言っておきますけれど、ウルファさんは村の中枢とは何の関係も無いですよ。リラさんが自分自身で選んだ方です。そこは勘違いなさらないようにしてくださいね」
「ははーん、見合いさせてさっさと結婚させようと思たら、あっちが勝手にええ男見つけたからまあええかって様子見とるとこか……。相変わらず真っ黒い奴らやなあ。そんなに俺らが怖いんか?」
「私は別に怖くはないんですけど、怖いと思う人もいるみたいです。すみませんね、私たちは村の皆さんの生活を守らなければならないんですよ」
後ろめたいことを隠そうとする時、ルイーネはいつにも増してにこやかに微笑み、礼儀正しい言葉遣いをする。一方では俺と共に図書館での生活を楽しみ、もう一方では村長からの指示に従い、リラを引き離して俺の行動を封じる。たしかに見事な飴と鞭の使い分けだった。
「オズさんが暴れずに大人しくしていれば、リラさんの生活は安泰です。オズさんも、リラさんの幸せを壊したくはないですよね。……って、これを知ったオズさんは、怒りますか?」
「そらもう、激おこおこのぷんぷんや。火山が爆発するで」
「あはは。じゃあ、ロアル村は第二のスカーレスタになりますかね?」
「ならへんて。わかっとるくせによう言うわ」
そう言って、自分の手を見つめる。この力は「何も失いたくない」から望んだ力だ。多くの人の命と生活を奪うことに興味は無い。リラを盾にするような陰湿な脅しをしなくてもこの村を壊したりはしないというのに、村は未だにそのことを理解してはくれないようだった。
「村を壊すつもりはないけど、俺はおこおこのぷんぷんやから、ちょいと話に付き合え」
「はいはい、しかたないですねえ」
「……お前さ、人を殺したことある?」
ルイーネは紅い目を大きく見開き、かぷりとクッキーをまた一口齧った。
「また急に話が飛びましたね。まあ、ありますよ。私、魔物ですから。オズさんが来るまでは人をバリムシャ食べてました」
「おい……俺、殺したかは訊いたけど、食ったかは聞いてへんのやけど。思ったより過激というか、結構最近まで食ってたんやな」
「はい。ほらこの村、国と対立してるんで、時々国の密偵とか兵士とかが近づいてくるんですよ。だから、ちょうどいいご飯でして……」
「あかん、俺が思った以上にエグい話になってきた。……あ、もしかして、村長がお前に魔力分けたれって言うてたのはそれが理由か。国の奴らが不用意に近づかなくなったらお前の飯が足りなくなるかもしれへんから、その分を補填しろってことか」
「そのとおりです。オズさん、そのへんの頭の回転は良いですよね」
予想の数倍はインパクトがある答えが返ってきたため、俺は苦笑いしながら紅茶を啜った。さらに話を聞いていくと、ルイーネはロアル村ができる前からこの土地に取り憑いており、その頃のこの地域は「災いの土地」と言われていたらしい。長いこと人が寄り付かない土地だったが、敢えてそのような土地を隠れ蓑にしようと考えたのが初代ロアル村村長だったそうだ。ルイーネは敢えてすぐに彼等に手を出さず、暫くの間彼等の暮らしを観察した。すると、彼等を狙って国の刺客などが次々とやってきた。「ロアル村の村人をここに住まわせておくと、食料が勝手に外からやってくる」──そのことに気づいたルイーネはロアル村の人々を敢えて生かすようになり、ロアル村はホロたちの力によって百年近く続き、現在に至るそうだ。これは人と魔物の共生関係と呼んでよいだろう。
「いや、なんや思ったより奥の深い話やな……おかげで自分が何を話そうとしてたのか忘れたわ。でもあれやな、話聞いとると、あくまで無意識のうちに出来上がっていた共生関係なんやな。ってことは、今みたいに器創って全面的にこの村に協力することになったのってわりと最近のことなんか?」
「そうですね。今みたいな関係になったのはここ10年くらいのことですよ。それまでは、お腹が空いた時は村の領域の外側にいる人を見つけ次第食べていたので、間違えて村の人を食べてしまうこともありました」
ルイーネは膝を抱えて肩を竦めた。動物として当然の本能だったとしても、ルイーネにとってそれは後悔のうちの一つのようだった。
「なんや、きっかけとかあったんか?」
「はい、カルディスと知り合ったのがその頃でして。カルディスってば、あの時はまだ6~7歳の子供だったんですけど、運悪くホロに食われかけた村人を護るために、巨大なホロの姿の私に交渉を持ちかけてきたんですよ。それでちょっと『面白い』って思いまして。器を創って交流を始めていったら、仲良くなりました」
「なるほどなぁ。なんや、背伸びしがちなあいつらしい行いやな」
「でしょ。ふふっ、でもあの頃はカルディスも無邪気で可愛かったんですよ。……人と共に生きていこうと決めたのは、それからです」
ルイーネは何かとても暖かいものに触れたかのようにニコニコと微笑んでいた。だが、すぐに自嘲気味な笑いを浮かべた。
「調子が良いですよね。少し前まで人を食べていたのに、キラキラした顔して、人と生きていこうだなんて言って。過去に私に喰われた人は、きっと私を恨んでいると思います」
「でも、まあ、しゃあないやろ。殺してもうた時点で、何してもその罪は消えへんで。あと選べるのは、前向きにキラキラしながら生きるか、しょぼくれながら無為に時間をドブに捨てるかくらいなんやし。後者を選んでも恨まれながら生きなあかんのは変わらへんから、せやったら面白おかしく生きてくほうがええと思うけど」
「そんなこと言う人は珍しいですよ。やっぱりこう、似た者同士なのかもしれませんね」
ルイーネはしんみりとした表情で空になったカップをじっと見つめていた。それから、ルイーネは二杯目の紅茶を淹れ始めた。今度はバニラティー。ミルクを入れるとよりまろやかな味になってとても美味しかった。
「オズさん。私からも一つ、どうでもいいこと聞いてみてもいいですか」
「なんや?」
「オズさんは、『運命の人』って信じるほうですか」
俺にとって「運命の人」とは、頭空っぽの恋愛中毒者が自分の妄想に酔っている時に使う軽い言葉という印象が強かった。
「せやなぁ、恋愛対象という意味での『運命の人』は信じへんなあ。俺、どうでもええ女100人くらいに運命の人て言われたことあるような気ィするけど、そいつらの顔も覚えてへんもん。そないな安い繋がり、『運命』って言葉に失礼やないか」
「はぁ、とりあえずオズさんが女の敵だということはわかりました。サイテーです」
「ははは、聞こえへんかったことにしといたる。せやけど、『自分の未来を決定的に左右する人』って意味やったら、ちょいと信じてみてもええかもな」
「そういう解釈は初めて聞きましたね。それだったら、別に恋愛対象に限ったことではないかもしれませんね」
「せやな。そもそも運命って、本人の意志を超えてそいつの幸・不幸を左右する定めって意味やで。色恋沙汰に限る必要無いやろ」
バニラの香りの紅茶を飲みながら、窓の外の星に目を向け、あいつのことを思い出してみる。世界中の美しいものをかき集めたかのような蒼い空中要塞、その頂点で月の光を浴びながら微笑む女神。今日みたいな夜空なら、きっとあいつの白いドレスがよく映えるだろう。破壊の女神の血を飲み、世界を焼き払うほどの力を手に入れ、俺は罰を受けて死んでいくはずだった。だが、その「運命」はあいつの手で捻じ曲げられた。だとすれば、俺にとっていつかまた向き合わなければならない「運命の人」とはリディのことなのだろう。
「そういやお前、なんでそないなこと聞いたん?」
「いえ、オズさんにもそういう人がいるのかなぁと思いまして。オズさん、時々複雑そうな表情でぼーっと空を見る癖があるんですよ。気づいてます? ちょっと嬉しそうな時もあれば寂しそうな目で空を見てる日もあるので、単なる好きな人って言葉じゃ表しきれない『運命の人』とかがいるのかなあって思ったんです」
「……さあ、どうやろなあ」
──ルイーネは意外と人のことをよく見ているようだった。ルイーネにはまだリディのことを話してはいなかった。そもそも「神は実在しない」と信じられている時代だ。リディのことは話題に上げたところで面倒な方向に話が進みそうだったので、まだこの時代の誰にも打ち明けてはいない。
「オズさん、その人に会いに行きたいって思うことはありますか。この村……いえ、私は、オズさんの足枷になってたりしませんか」
「なんや、そないなこと気にしてたんか」
「……ええ、まあ。虫が良すぎるじゃないですか。私がリラさんを人質にして、オズさんに脅しをかけて、この村に縛り付けているようなものなのに……そんな私がオズさんに、ワンピースやサマードレス買ってもらったり、美味しいケーキをいただいているなんて」
ルイーネは膝を抱えて座り込み、俯いていた。俺は指でルイーネの頭を撫でた。ルイーネは苦労しやすそうな性格をしている。人らしく生きるには冷徹すぎる。怪物らしく生きるには優しすぎる。「いっそどちらかに振り切ってしまえば楽になるのに」と何度も思ったが、俺がこの言葉をかける資格は無い。たとえ苦労すると知っていても、結局ルイーネはその道を選びたくて選んだのだろう。
「リラの件はどっちかってとお前やなくてクソ村長の意志やろ」
「それでも、実行したのは私ですよ。そしてきっと、私はこの先も平気でオズさんを騙すし裏切るのだろうと思います。それは私の立場上仕方ないことではありますけれど……オズさんには怒る資格くらいあると思うんです」
「お前、俺が怒ってへんとでも思っとったんか。おこおこのぷんぷんやって言うたやろ」
「あはは……馬鹿な人」
言葉は辛辣だったが、声は優しかった。こちらがクッキーをもう1枚勧めてみると、ルイーネは素直にそれを受け取った。
「アホやなあ。なんでそんな蝿に撫でられた程度のことでお前を恨まなあかんねん」
「蝿……ですか」
「そうや。まさか俺が脅されたから大人しくするほど優しい奴やとでも思っとったんか。お前は知らへんかもしれへんけど、昔の俺は自分の目的の為なら例え親しい奴でも邪魔するなら殺すし、友人の死体を道具にするような奴やったんや。本当にその気になれば、手と感情を切り離して怪物になる奴やで、俺は」
「手と感情を切り離して……ですか。私と同じですね」
「せやな。きっとその気になれば、俺はリラのことなんざ八つ裂きにして、この村も灰にして飛び出せる。俺が今この村でのほほんと過ごしとるのは、俺自身が今の生活も悪くないと思っとるからや。せやからお前は、遠慮せずケーキでもクッキーでもたらふく食ったらええし、大人しく白いフリフリのサマードレス着てたらええんやて」
「はあ、不器用な人ですねえ。もう少し素直に優しいこと言えないんですか」
「言うかバーカ」
子供のようにあかんべえをする俺を見て、ルイーネは楽しそうに笑い始めた。それを見て、俺は「それでいい」と思った。ルイーネも、リラも、カルディスも、クソ村長も、村の奴らも、隣町のよく知らない店の奴らも、笑って生きていてくれればそれでいい。多少俺に火の粉がかかろうと、俺はその程度では消えないから大丈夫。
もう何も、誰も失わなければ、それでいい。
「それで、本当に『運命の人』とやらに会いにいかなあかん時が来たら、俺は枷なんて勝手に引きちぎるて。俺は国の三分の一近くを滅ぼした怪物やで。お前なんて、いつでも土地ごと八つ裂きにできるんやから」
「だから、引け目なんて感じる必要無いって言いたいんですか。本当に……馬鹿な人」
「これからも、よろしくな」
俺がそう言って笑うと、ルイーネも俺の目を見て笑い返した。
「……はい、オズさん」




