第14章:第31話
翌日から、早速移住の準備が始まった。
まずは村の中を案内してもらった後、住居はどうするか、仕事はどうするかなど、この村で暮らしていくために必要なことを相談していった。リラはテキパキと準備を進めていったが、俺は全く別のことで悩んでいた。俺はそもそも、この村のこと以前に、この時代のこの世界のことから碌にわからないのだ。本当に大まかなことだけリラから教わったものの、この先しばらくはここで生きていかなければならないかもしれない状況で、自分のいる世界のことを何も知らないのはあまりにも恐ろしい。とはいえ、折角移住の許可が出たのだから、まずは移住の準備が先であるのは間違いない。ひとまず後回しにするか……そう考えた時、小さな薄汚れた小屋が見えた。
「ここは、何なんや?」
「ああ、図書館です。今は殆ど使われていなくて、書庫みたいなものなんですが……」
俺は数十秒ほど、その薄汚れた小屋を見つめた後、案内役の村人に言った。
「俺、ここの2階に住む」
ちなみに、当時の図書館に2階は無かった。
図書館に住むと言い出した直後は村人たちに「職場と住居を間違えていないか?」「2階なんて無いぞ。幻覚でも見てるのか?」などと散々言われたが、村長に申し出たところ驚くほどあっさりと図書館に住む許可が出た。どうやら、偶々村長も村に一つしか無い図書館が廃れているのは勿体ないと思ったらしい。ただし、増築には一か月ほどかかるとのことだった。さすがの俺もいきなり大工に転職はできないため、増築が済むまでの間は何もすることがない。あまりにも時間を持て余していたため、リラの引っ越しの準備でも手伝おうとしたところ、こう言われた。
「大変申し訳ないのですが……アルフェリラ様の移住につきましては、村の者が手伝いますので、オズ様はゆっくりとお寛ぎください」
……つまり、また「オズとリラを会わせるな」という指示が出されているわけだ。先日の国との会談で、どうにかリラと村を護ることはできたものの、あの会談は村にも国にも「アルフェリラ姫と紅の死神の二人組を自由にしておくとまずい」という印象を植え付けたようだ。俺が不貞腐れながら部屋の隅に転がっていると、ルイーネが部屋に入ってきた。
「おはようございます、オズさ……って、なんで床に転がってるんですか。汚いですよ」
「俺は埃や。埃やから床に転がってて当然や」
「何を馬鹿なこと言ってるんですか。ところで、聞きましたよ。図書館に住みたいと言い出しているとか。大丈夫なんですか?」
俺はきょとんとした顔をする。
「大丈夫て、何が?」
「住まいと仕事場が一体になってると、ストレス貯まりませんか? 結構ヒトはそういうことあるって聞きましたけれど」
数十秒ほど「うーん」と考えたあと、俺はこう答えた。
「俺はあの図書館でとりあえず24時間本を読むことしか考えてへんかったから、そないなこと一切気にしてへんわ」
ルイーネが硬直する。
「バカなんですか!? 村長、完全に図書館の仕事をオズさんにやらせる気でいますよ?」
ルイーネがああだこうだと騒いでいると、当の村長が部屋にやってきた。村長が直接ここまで会いに来るのは珍しい。
「ルイーネ、どうしたんじゃ。支度はできたのか?」
「ああ、すみません。もう少しだけ待ってもらえますか?」
二人はどこかに出かけるらしい。すると、なぜか村長は俺にも支度をするように促した。行き先を尋ねると、村長はこう答えた。
「なに、近隣の街への挨拶周りじゃよ。ちょっと事情を説明しなきゃならないじゃろう」
そう言って村長は俺とルイーネを連れ、ロアルの隣にあるヴェルトという街に向かった。先頭に特大のホロ、二番目に村長、三番目に俺とルイーネの順で森の中を歩いていく。道中、村長はこんな話を始めた。
「そういえば、まだきちんとルイーネの紹介をしていなかったのう。もう知ってはいるとは思うが、彼女は我が村の一員、ルイーネ。ホロという魔物を操る可愛い可愛い小悪魔の女の子じゃ」
「そうわざとらしく『可愛い』言うってことは、なんや裏があるって捉えてもええってことか?」
「本人の前でそうデリカシーの無いことを言ってはいかんぞ。とはいえ、可愛い薔薇には棘があるのも事実じゃ。この小悪魔の姿はあくまで『器』に過ぎん。『ルイーネ』の本体はこの器の内側に巣食うホロのほうなんじゃよ」
そう言うと、村長は正面を進んでいく特大のホロを指した。ヌルリとした巨大な身体に無数の赤い目が埋め込まれており、頭を横一文字に割いたような大きな口で敵を喰らう──可憐な小悪魔の少女とは似てもつかない姿だ。
俺がルイーネのほうを見ると、ルイーネは肩を竦めながら俯いて顔を隠した。
「そうだ、ルイーネ。人気が無いうちに、一度その眼帯の下を見せてやりなさい。この先、彼を監視することになるのじゃ。彼も事情は知っておいたほうがよいじゃろう。」
たしかに、ルイーネは右目に黒いリボンの眼帯を付けている。ルイーネは最初はもじもじと顔を伏せていたが、しばらくして少し恥ずかしそうに眼帯を取った。その眼帯の下には、本来在るべき眼球が無かった。そして、ぽっかりと空いたアイホールから小さなホロが数匹出入りしていた。
「ホロは、他の生物に寄生する性質があるんじゃよ。寄生先の生物の脳を乗っ取り、自我を奪い、自分の身体とする。『ルイーネ』はそんなホロの集合体によってできるクイーンホロウという特別な存在でね。その女王様はこのロアル村の土地に取り憑いているんじゃ。じゃから、この村にはどこにでもホロが出る。ロアル村は、ルイーネの家のようなものなんじゃよ。そしてその美少女の器は、この土地から吸い上げた力を使って年月を経ても老いぬように朽ちぬように仕上げられた女王様特性の器なんじゃよ」
俺は村長の話に素直に感心し、じっとルイーネの顔を見つめた。只者ではないとは思っていたが、まさか土地に取り憑く魔物が存在するとは。アディがもし生きていたら大変喜んだだろう。よく見ると、右目を隠している点といい、柔らかな白髪といい、外見が少しアディと似ている──これは気づくべきではなかった。俺が少し眉間に皺を寄せると、急にルイーネは縮こまって謝った。
「す、すみません!」
「は? なんで謝んねん」
「その、私の姿のせいで、その……怖がらせてしまったかと思って……」
すると、俺はそれを聞いて大笑いした。
「怖い? お前が? 言い方はアレやけど、俺は紅の死神さんやで。それがなんで目玉お化け程度で怖がらなあかんねん」
「で、でも……」
「それにお前、ほんまに怖い女ってもんを知らへんのやな」
ルイーネは再び眼帯を付けながら首をこてんと傾げる。懐かしい記憶に想いを馳せながら、俺はこう話した。
「ほんまに怖い女はなあ、『彼がきっと一緒にいたらオズも喜ぶとおもうの!』って言うて完全な善意で俺の友人の遺体送りつけてくるんやで」
「え……えっ。悪意ではなく……?」
「悪意ならまだええやん。こいつ喧嘩売っとるなーブン殴ったろーって理解できるやろ。ほんまに怖い女は善意が怖いねん。『幸せになってほしい』って言ったくせに人のこと破壊神を釣る為の餌にするし、『殺したくない』って言ったくせに大陸をブチ抜くような大砲こっちに撃ってくるってのを、キラッキラの善意純度100%でやるんやで?」
それを聞いたルイーネは青ざめ、あの小狡い村長まで黙り込んでしまった。
「……じょ、冗談です、よね?」
「冗談やったらよかったなあ」
「真偽はともかく……怖いですね。オズさん、もしかして……女運悪いんですか?」
今語った「怖い女」と歩んだ道のりを思い出してみる。アズュールのレストランでのやり取り、アンゼレの城の中庭で見た微笑み、ブラン聖堂で告げた意地悪な願い──長くにわたる封印を経た後でも、鮮明に頭に焼きついている。そして、互いの全力を出して殺し合った──世界を生贄にして、グシャグシャになった感情をぶつけた夜は、溜息が出るほど美しかった。
「女運が悪いか……いいや、逆やで」
「逆?」
懐かしい女の顔を思い出して、少し笑った。
「女運、ええんや」
なぜなら、世界を贄にしてたった一人のヒトに恋をするほどに、恐ろしく、美しく、強い女はきっと……殺されても消えたりしないだろうから。
「まあそんなやから、ほんまもんの怖い女に比べたら、お前なんてそこらのお嬢さんとなんも変わらへんで」
「…………」
俺がルイーネに笑いかけると、ルイーネはようやく顔を上げ、じっとこちらを見つめてきた。試しに俺が小さいホロを指で撫でてみようとしたところ、即座に指に噛み付かれた。
「うんうん、楽しそうなところ悪いんじゃけど、話を戻してもよいかのう?」
村長の声でハッと我に返る。俺が頭を掻きむしってそっぽを向いたところ、村長は急に立ち止まり、俺に小さな木箱を一つ渡してきた。木箱には何やら妙な魔法陣が刻まれていた。
「なんやこれ」
「これを君に渡しておこう。もしもルイーネの力を普段以上に引き出したくなった場合は、これに器を入れておきなさい。国との約束によって君自身が攻撃魔法を使うことができなくなると、困ることもあるじゃろうからな」
「まあ、たしかに……んで、この木箱、どういう仕組みで、何が起こるんや」
「その小悪魔の器はあくまで端末のようなものでな。本来の力を発揮するためには一度器から出たほうがよいのじゃ。本体が器の外に出てる間、長いこと器を放っておくと徐々に器が腐ってしまう。それを防ぐための魔法具がその木箱じゃよ」
「魔法具……」
「あまり馴染みが無いかのう? 魔法具は、道具に魔法陣を仕込んで、ちょっとした魔法を簡単に使えるようにした道具じゃ。まあ、とにかくそれは君が持ってなさい」
受け取った箱をじっと見つめ、次に視線を横にずらす。これまでのやり取りで、ルイーネが心優しい性格だということは既にわかっている。下手に口うるさい兵士などに監視に付かれるよりかはルイーネが監視にあたるほうが幾分気は楽だったが、それでも監視は監視だ。ルイーネはいざとなれば感情を捨てて村の為に非情な手に出ることもできるということも知っている。どこまで気を許してよいのか考えものだ……そう考えていたところ、村長は急に冷めた声で言った。
「……さて、ルイーネ。くれぐれも頼んだぞ。先日の使者はなんとか追い返すことができたものの、村にとってはこれからが正念場じゃ」
「どういう意味や」
俺が尋ねたところ、村長は先日と同じく蛇のような目で嗤う。
「なぜ奴らは君とアルフェリラ姫の移住を認めたと思う? ……奴らは、この村はすぐに君のことを手に負えなくなると踏んだからじゃよ」
「……ああ、だから保護観察中の待遇は村側に任せることにしたってわけやな。こちらの間で話し合う事柄が多いほうが揉めやすそうやもんな」
「そういうことじゃ。村が君を持て余し、追い出そうとすればすかさず国が拾い上げるつもりなんじゃろう。君が村からいなくなれば……いや、国側に付けば、この村を潰すのなんて容易じゃろう。もしもこの村にいる間に第二のスカーレスタみたいな出来事が起これば国にとっては更に都合が良い。復興支援と称して土足で村に入り込んでくるじゃろうしな。そうならぬよう、こちらも全力で君を大人しくさせなければならぬ。その為の女王じゃ」
そう言うと、途端に村長は蛇のような目をひっこめ、柔和ににへらにへらと笑いながらこちらに手を振った。
「まあ、安心してくれ、鞭ばかりでは君は尚更暴れ出すタイプじゃろうことはわかっておる。ルイーネならうまいこと飴と鞭を使い分けてくれるじゃろ。頼んだ、村の命運は君たちにかかっておるぞぉー」
「す、すみません村長! そこまで言われると、私、とってもプレッシャーがかかるのですがぁ!」
ルイーネが慌てながら村長の腕に縋りついた。村長はニコニコしながらルイーネの頭を指で撫でていた。どうやら村長はルイーネのことがお気に入りのようだった。
「おうおう、安心するのじゃ。まずは君や村人のみに負担がかからぬよう、外から村を支える関係作りをしていこうのう。さあて、まずはヴェルトからじゃ」
「外から」という言葉から考えて、ロアル村は密かに近隣の街とやりとりし、国からの干渉を和らげることができるように根回しをしていたと考えられる。決して若くはないというのに、村長は森の中をずかずかと進みながら、ロアルの隣町ヴェルトへと進んでいった。
挨拶回りはヴェルトの街から始まり、何日か泊りがけで周辺一帯の地域を回った。その土地の領主に挨拶するだけかと思いきや、その街の商店街にある老舗の店や、郵便局、医療施設などなど……様々な場所に顔を出すことになった。村長に聞いたところ、一部の村人と古くから関わりのある人々がいるそうだ。そういえば、ロアル村の住人の中には権力争いに負けた王族や没落貴族もいると聞いた。国と激しく対立しているにもかかわらず、どうやって村人の生活を維持しているのか不思議に思っていたのだが、どうやらこうした隠れたコネをたくさん活用していたらしい。
「……思ったんやけど。この村、やっぱりメチャクチャ真っ黒い村なんとちゃう?」
挨拶回りを終えて再び村に戻ったところで、俺はルイーネに問いかけた。
「まあ、オズさん。国と対立している時点で真っ黒い村だって気づかなかったんですか?」
「お前も村長も、そういうとこあるよなぁ……」
挨拶回りの際、村長は俺の紹介をしつつ、「何か彼に手伝えることがあるようでしたら、いつでもご連絡ください」と相手先に伝えていた。村の外から、俺を特別に名指しして手伝いを求めるようなことは、神の血によって得た強大な力か、あるいは云万年前の過去の知識、どちらかを借りたい時くらいだろう。大国の三分の一近くを破壊した危険生物でも容赦なく村の運営の為のカードとして使うつもりだ。俺は苦笑いしながら「あの村長も結構狂っている」と思った。
村長の屋敷へと戻る途中、同じく屋敷に向かうカルディスを見つけた。ルイーネの表情がぱぁっと明るくなり、カルディスの背中に飛びついた。
「カルディス、数日ぶりです!」
「ルイーネか。挨拶周りはどうだった?」
「無事に済みましたよ。カルディスはここ数日は何をしていたんですか?」
偶々俺とカルディスの目が合った瞬間、カルディスは眉間に皺を寄せながら俺に怒鳴った。
「おい、紅の死神……いや、もう村の一員だからオズでいいな。オズ、あの暴力姫はなんだ。あの馬鹿力はどうなっている!」
「なんや、リラのとこ行ってたん?」
「そうだ、偶々年が近いからか、ここ数日はあいつの引っ越しを手伝ってやれと言われた。だというのにあいつときたら、『姫様姫様ってうるさいんだよ!』から始まり、うっかり怒らせたら拳一つで家の壁に穴を開けた。人がせっかく手伝っているというのに!」
「あいつ、お姫様やからって護られたり助けられたりするの嫌がるもんなぁ。この村来てから、俺の動き封じるための人質みたいな扱いが続いとるから不満が溜まっとるんやろ」
リラとは先日の会談以降、殆ど会っていない。ひとまずリラが処刑される危機は去ったものの、未だ人質扱いは続いていると考えてよいだろう。俺は少し黙り込んだ後、カルディスに尋ねた。
「お前、リラに会ったんやったら聞きたいんやけど。あいつ、調子はどうやった?」
「ん? そりゃあもう元気すぎてもう少し大人しくしてほしいくらいだ。暴力百倍、食事の量も百倍。お前が碌に食べない分、あいつの方が滅茶苦茶食べるから、使用人たちが悲鳴を上げている」
「ふぅん、ならええわ」
俺の隣でルイーネが何か言いたそうにじっとこちらに視線を向けていた。その時、遠くからカルディスと同年代の少女がこちらに歩いてきた。栗色の滑らかな髪にぱっちりとした瞳、美人といって差支えない容姿だった。
「まあ、カルディス。おかえりなさい」
「ああ、ソマリ。悪い、遅くなった。じゃあルイーネ。先に戻っていてくれ。少し寄り道していく」
そう言って、カルディスはソマリと呼ばれた少女と去っていった。二人が過ぎ去った後、俺はルイーネに訊いた。
「あれは?」
「あ、その……ソマリさんという方で、カルディスの婚約者の方です」
「ふーん」
ルイーネは二人が去った方向をしばらくぼうっと見つめていた。二人は婚約者同士、仲睦まじく言葉を交わしている。そして、この数年後、ソマリはカルディスと結婚し、妻となるのだった。俺はルイーネに屋敷に戻るよう声をかけようとした。だが──その衝動は突然訪れた。急に頭の中で「殺せ」という声が響いた。胸が強く痛み、呼吸が苦しくなった。……一瞬でも気を抜けば、ふとした瞬間に力が暴発しそうだった。
「オズさん? ど、どうしたんですか。すごく顔色が悪いですよ!?」
異変に気づいたルイーネが声をかける。俺は足早に屋敷の方へと向かった。
「ルイーネ……ひとまず戻るで。んで、一つ手伝ってもらえへんか」
「構いませんが、何を……?」
「俺の魔力をお前に分け与えるって話、村長からもう聞いとる?」
「聞いてますが……まさか、今ですか? いえ、あれは時々で構わないオマケ程度の条件で、オズさんの体調が悪い時に強要するものではないですよ! 村長もそんなことは考えていないはずです!」
メディの血を吸った直後のように、話すだけでも何かを壊したりしないか、誰かを殺したりしないか肝が冷えた。破壊衝動をこらえようとすると頭痛がする。頭を抑えながら、俺はルイーネに言った。
「いや、逆やねん。自分の中の魔力を含んだものを、少しでも外に出さないとマズい。お前がいらへんのなら捨てるけど……」
「え、えええ? そんな、ひ、ひとまずお部屋に戻りましょう!? ホロが取り込める分の魔力はこっちで貰いますから!」
俺は黙って頷き、部屋に戻った。そこからは自分の力を抑えることだけを考えた。小刀を借りて血を少しホロに分け与え、吸血鬼栄養剤を飲んだ後は安静にして気分を落ち着ける。メディの血を吸ってからは殆ど眠ることができなくなっていたが、この日は無理にでも眠ろうと布団に潜ってみたりした。その間、ルイーネは俺が頼んだ物を取ってきたりしてせわしなく働いていた。ようやく少しこちらの気分が落ち着いた頃、ルイーネも一仕事終えて部屋に入ってきた。
「あの、オズさん……」
「近づくな」
俺が冷たく言い放つと、ルイーネはビクリと震え上がり、扉の影に隠れて頭だけちょこんと出した。そして、そっとこちらの様子を伺いながらこう言った。
「あの、その様子……もしかしてなんですけど、内戦を終わらせたあの爆発って……オズさんが意図的に起こしたものではなかったりします……?」
「……せやったら何や」
「いえ……その……」
「あれが意図的かどうかなんて、どうでもええことや。突然あの爆発が起きて、国土と人が焼けた。その時点で、俺は怪物なんや」
ルイーネは「怪物」という言葉を聞いた途端、暗い表情で俯いた。
「ええから、失せろ。今すぐ。これ以上のお節介は無用や」
俺がルイーネに低い声でそう言い放つと、ルイーネは震え上がって立ち去った。……それでいい。ルイーネが去ったのを見て、俺は安心してまたベッドに倒れ込む。部屋の中も窓の外も夜闇に包まれていたが、一向に眠れそうになかった。ホロに血を渡す為に小刀で切りつけたはずの腕を見つめる。治癒術すら使っていないにもかかわらず、傷口は完治しており、切りつけた跡すら消え去っていた。
「なんや云万年ぶりくらいにチビとガキに囲まれてワイワイしたから、自分が普通になったような錯覚しとったわ……そんなはずないのにな」
目を瞑れば、また「殺せ」「潰せ」「破壊しろ」という声が聞こえてきた。もしも誰かが傍にいる時に力が抑えられずに暴走するようなことがあれば、かつてのリンドウの死のような悲劇が繰り返されていたのだろう。復讐を目論み、破壊の力を手に入れて、多くの人々を殺した──その境遇のわりに、俺は知り合った人たち全てにすぐ情が移る傾向があるのかもしれない。そんなことを続けていれば、この先ふとした拍子に何人の命を奪ってしまうかわからない。封印される前の時代のことを思い出してみる。マオ、スマラクト、ヴェルデ、ハンナ、マチカ、リンドウ……誰もが次々と死んでいった。その悲劇が繰り返されるくらいなら、もう誰も近づけず、精神を氷のように凍らせて無為に時間を過ごすほうが幾分マシかもしれない。そう考えながら瞼を閉じようとした時──
「オズさん。ちょっといいですか」
再びルイーネの声がした。気がつくと、ルイーネは俺のすぐ傍にいた。俺は身体を起こして再びルイーネを睨みつける。
「失せろと言ったはずやけど」
「知りません。……大丈夫ですよ。あなたが怪物なら、私も怪物ですから」
その優しさが傷に沁みる。よく考えたら昔からそうだった。俺がどうしようと、何故か人は勝手に俺の傍に寄ってくる。そして次々と死んでいく。そういう連鎖だった。すると、ルイーネは赤銅色の液体が入ったカップをサイドボードに置いた。
「あの、あったかい紅茶淹れてきたんです。一口だけでもどうですか。少し気分が落ち着くかもしれませんよ」
「いらへんわ。昔から他種族の食べ物飲み物はゲロの味しかしないんや。今はゲロを口に含む気分やない」
「香りだけでもどうですか? それに、指先を温めるだけでも何か変わるかもしれませんよ」
何度「失せろ、消えろ」と言ってもルイーネは退かなかった。とうとう諦めて、紅茶の入ったカップを手に取ってみる。暗闇の中、白い湯気がほわほわと漂い、柑橘系の香りがした。
「アールグレイティーですよ。もしかしたら、あまり馴染みは無いですかね。甘酸っぱい香りがするのはベルガモットが入ってるからです」
「一応知っとる」
昔、紅茶の知識だけは多少頭に入れ、女を誑かす際に少し話題に上げたこともあった。あの頃は他人と共に過ごす為だけに味わえもしない物について学び、吐瀉物のような味の物を日常的に口に入れ、そのことを「苦しい」とすら感じなくなっていた。今思うと、相当歪んだ行いだった。そう考えながら、おもむろにカップの中の紅茶を口に含んでみる。
「ん……?」
これまで吐瀉物のような味しかしなかったはずの物が「美味しい」と感じるようになっていた。ベルガモットの爽やかな香りと、少しの苦味、砂糖の甘みが合わさって、口の中で広がった。
「やっぱり……お口に合わなかったでしょうか」
「……いや、別に。こっちの味覚がちょいと前と変わってきたらしい」
「そう……ですか」
もう一口、紅茶を飲んでみた。温かくて、優しい味だった。ルイーネはソーサラーの隣に膝を抱えて座りこんだ。
「あの、オズさん……あまり、自分を『怪物』だなんて言って、傷つけないでください」
俺は鼻で嘲笑ってルイーネを見下した。
「そう見えたか?」
「……見えますよ。苦しそうです」
「せやったら、俺もまだまだ未熟者やな」
「お言葉ですが、出会った時からオズさんは無駄に偉そうなお子様にしか見えません」
思わず笑いが溢れた。俺がこういう性格だから、多くの人が死んでいったのかもしれない。だが、こういう性格だったからこそ、常人なら精神が壊れそうな経験を経ても、まだ笑うことができるのかもしれない。ルイーネは俺の肩に停まり、暖かく微笑んだ。
「ですから、その……オズさんはもう少し、外面と同じくらい、自分に自信を持ってもいいとおもいますよ」
俺もルイーネに笑い返してみた。
「……アホばっかやなあ」
そう言って、カップの中の紅茶を全て飲み干した。そのことにルイーネが驚いている隙に、ひょいと背中を摘み上げて頭を撫でてみた。
「うわーん、オズさんの意地悪! 下ろしてください!」
「ははは、チビの分際で偉そうなこと言うからや」
「チビじゃないですよ! 本体こっちですから! ホロですから、オズさんよりおっきいんですからねっ! えへん!」
ルイーネをサイドボードに下ろすと、俺は窓の外の星空に目を向けながら呟いた。
「……ありがとな」
ルイーネは「はい」と嬉しそうに頷き、カップの片付けを始めた。
「じゃあ、今日はこれで失礼します。オズさん、早めに休んでくださいね。明日も、よろしくお願いします」
カップを片付けて去っていくルイーネを、手を振って見送った。先程まで、米粒程の光も無いように思えた空が、明るく見えた。星の名前には詳しくなかったが、赤、青、白……空には様々な光が瞬いており、美しかった。
そして翌朝から、食事の際には吸血鬼用栄養剤と一緒に、一杯の紅茶が付いてくるようになった。




