第14章:第29話
結局この時も、リディは俺を殺してはくれなかった。
「月が捩け」、「紅い海が湧き」、「蒼く空間が陥没し」、「夜が壊れて膿が零れた」…
あの夜明けを俺は二度と忘れはしないだろう。
あいつを真似て桜の花びらを散らしながら、「また遊ぼうな」と告げた、あの夜を……
囮を使ってリディとの戦場から逃げ伸びた後、山奥の森へと逃げ込んだ。追手が来ないことを確認した後、俺は木陰に身を隠して座り込んだ。心臓がバクバクと音を立て、全身に痛みが走る。だが、俺は身体の痛みよりも外見の方に意識が行っていた。自分の顔を抑え、異形の姿になっていないか確認する。
「顔、変になってなかったよな……身体は変化無かったし、大丈夫やとおもうんやけど」
ブラン聖堂から抜け出す時は呪文抜きで魔法を使用しただけで異形の姿になりかけていたが、リディとの殺し合いの最中は人の形を保てていたようだった。この差は何だったのだろう。そう考えながら、俺は見知らぬ森の中を歩き始めた。まだ日が昇りきっていない朝方の森の中は薄暗く、油断すれば足元すら視えなくなりそうだった。
「今、いつや……ここどこや……」
ひとまず灯りを、そう思って俺はパチンと指を鳴らして光の魔法を使う。すると、掌ほどの大きさの小さな光が目の前に現れた。俺はしばらくその光をじっと見つめた後、自分の顔と身体を照らしてみる。外見の変化は無い。周囲をむやみに破壊することもない。試しに、俺は何度か指をパチンパチンと鳴らしてみた。
「これ、ええかもな……」
指先に光が灯る程度の弱い魔法を試しに何度か使っていた時、遠くでガサッと物音がした。人の気配がする。おそらくリディたちではない。奴ら強者に「隠れる」という回りくどい方法は必要無い。
「誰や、出てこい」
そう呼びかけてみたが、返事は無かった。俺は物音がした茂みに近寄ってみる。だが、茂みの中には誰もいなかった。俺が溜息をついて、再び森の中を歩きだそうとした時、突然木の上から何者かが飛び降りて俺に殴りかかってきた。
「邪魔や」
早速パチンパチンと二度指を鳴らしてみる。一発目は火の魔法。相手の腕に当たり、手に持っていた大きな杖を弾き飛ばした。二発目は水の魔法。相手の脚に当たり、体勢を崩した。極力威力は弱めに調節したつもりだったが、相手は身体を強く弾き飛ばされて地面に投げ出された。
「リディの使い……やないな? 誰や、おまえ。名前は?」
襲い掛かってきた相手は、黒髪で背の低い少女だった。瞳はルビーのように鮮やかな赤色をしており、頭に魔女の帽子を被っていた。少女は憎悪を帯びた目をこちらに向けたまま、悔しそうに唇を噛む。
「名前は? って言っとるんやけど」
「…………」
「ああ、よう考えたら、仮にも年頃のお嬢さんに対して、先に名乗らへんのは失礼やったな。俺はオズ・カーディガルや。んで、お前の名前は?」
少女は数秒黙り込んだあと、小さな声で、
「…………リラ」
と答えた。そう、この少女は後のキラの祖母リラ・ルピアであり、王家エスペレン家の血を引く女性アルフェリラ・エスペレンだ。だが封印から解放されたばかりの俺は当時の王家の事情など知る由もなく、リラの顔や名前を知ったところで「ふぅん」以上の返事はできなかった。
「んで、リラ。今、お前がいきなり殴りかかってきた理由は?」
するとリラは眉を潜めて首を傾げた後、殺意を込めてこちらを睨みつけてきた。
「理由は、だって? お前さん、よくもそんなことが言えるね。あたしゃ見たよ……昨夜の巨大な爆発……ブランも、スカーレスタも、全て吹き飛ばしたあの地獄の業火。あれを起こしたのは、あんただろう?」
脳裏に焼き払われた街の景色が浮かんだ。ようやく、俺は自分がしでかしたことを思い出した。リラはあの時焼き払われた街のうちの一つに住んでいた。彼女にとって俺は、自分の身内や友人を殺し、居場所を奪った……仇だった。
「答えろ。なぜあんなことをした。どんな事情があってあれだけの人を殺した? 多くの人の命と、生活と、未来を奪っておいて……なんであんたはそんな偉そうな顔してられる?」
俺に反論の余地は無かった。これが、リディとの殺し合いに酔いしれている間、俺が捻りつぶしてきたものだった。
「答えないのかい」
正直に答えたら、リラはどのような顔をするだろう。ブラン聖堂から出ようと思ったらああなった。その後、好きな女が俺を殺しに来たから、上機嫌で俺もあいつと殺し合っていた……なんて聞かされたら、激怒どころでは済まないだろう。
「あれだけの人を殺しておいて、反省の言葉も無いのか。……何様のつもりだ。神にでもなったつもりかい?」
──故郷を滅ぼされ、神への復讐を誓った日の俺は、こんな顔をしていたのだろうか。
リラは再び立ち上がり、俺の胸倉を掴もうとした。俺はつい反射的にリラを腕で突き飛ばした。軽く突き放しただけのつもりだったのに、リラの身体は勢いよく弾き飛ばされ、遠く離れた大木の幹へと叩きつけられた。
「え……えっ……?」
リラが叩きつけられた大木まで、軽く数十歩分は距離があった。どうやら、神の血を飲んで強くなったものは魔法の威力だけではないようだった。俺はすぐに倒れ込んだリラのもとに駆け寄った。リラは地面に突っ伏したまま動かない。叩きつけられた衝撃のせいなのか、腕の骨が折れているようだった。
「おい、おまえ、腕……大丈夫なん?」
下手に魔法を使ったり、力加減を誤らないように、慎重に手を伸ばす。だが、リラは折れていないほうの腕で俺の手を振り払った。
「……っ!!」
リラは倒れ込んだまま、小さく震えていた。泣いているようだった。
「兄さん……母さん……大切な友達……全て、あんたのせいで……」
ウィゼートの三分の一が焼き払われた時、リラが何を視たのか、何を想ったのか、俺には永遠に理解できないのだろう。リディとの殺し合いを楽しんでいた俺には謝罪する資格も、赦される理由も無いのだろう。だが、この時はこう言わずにはいられなかった。
「……悪かった」
リラは何も答えなかった。背を丸めて、泣いたまま動かなかった。
「身体、起こしてもええか? このまま倒れてたら怪我だけやなくて風邪引くやろ」
「…………」
おそるおそる、リラに手を伸ばす。触れた瞬間にリラの身体が燃え上がったり、捻りつぶされたりしたりしないだろうかと、悪い想像が何度も頭を駆け巡った。だが幸い、この時は下手に力が暴走することはなく、リラも俺の腕を振り払うことはなかった。ひとまずリラを起こしたあと、俺は早速リラにいくつか問いかけた。
「怪我してるとこ悪いんやけど、いくつか聞きたいことがあんねん。俺、この時代のことも場所のこともなんもわからへんのや」
「……何の冗談だい? 場所はともかく、時代……?」
「信じられへんやろけど、ほんとに何もわからへんねん。まず、今、何年や?」
リラは折れていないほうの腕で顔を拭いながら小さく答えた。
「…………40247年」
「…………………………よん…………まん? 今、四万いうた? ……万?」
「言ったよ。何がおかしいんだよ。40247年。常識だろう」
俺は10秒程何も言えなくなった。俺が生きていた時代は少なくとも4桁だった。それも、1700年代だ。リラの言ったことが本当ならば、俺は数万年はブラン聖堂の地下に封印されていたことになる。
「いや、もう、常識とかわからへんねんけど……まあええわ。あと、ここは? 国名とか、近くに街があるかとか、なんか知らへん?」
「あんた、本気でわからないのかい? ここはウィゼート国だよ。近くの街は……バントアンバーだね。あたしゃ、とりあえずそこに行こうと思ってたんだよ」
「あ、ウィゼートはわかるわ。魔女や魔術師の溜まり場ってかんじの中立地帯やな」
「中立……? なんの中立なんだよ。ウィゼートはエンディルスやデーヴィアと並ぶ三大国家のうちの一つだろう。まあ、魔女や魔術師の国ではあるけどさ」
「エンディルス、デーヴィアってなんやねん……あかん、なんもわからへん」
時代の流れと自分の常識とのギャップに驚き、思わず頭を抱える。俺はようやく、これから自分が立ち向かわなければならない地獄の存在を認知した。これから、俺はこの何一つ知らない時代で生きていかなければならない。
リラは頭を抱えながらうなだれる俺の顔をまじまじと覗き込んだ。
「……なんかよくわからないけど、本気で何もわからないって顔してるねえ?」
「しとるわ。さっきからそう言っとるやろ。あーっ、くそ!」
俺は頭を掻きむしった後、リラに言った。
「ようわからへんけど、まずは寝床! 情報収集! リラ、この近くに街あるって言うたな? お前の居場所を奪った償い……にはならへんけど、ひとまずは怪我させた詫びや。その街まで連れてったる。そのかわりに、もうちょいこの世界のこと色々と教えてくれへん?」
リラは眉間に皺を寄せて暫く黙り込んだ。無理もない。なんせ相手は身内の仇だ。状況が状況とはいえ、共に行動することに抵抗があっても仕方がないだろう。提案は却下か……そう諦めかけた時、リラはこう言った。
「ふん……その提案じゃあ呑めないね。もう一つ付け加えてもいいなら、考えてやらないこともないよ」
「なんや」
「あたしの用心棒をしてくれないかい?」
俺は首を傾げた。「連れていく」と言った以上、用心棒の役割は既に含まれているようなものだ。すると、リラは俯きながら言った。
「ああ、そうだ。その前に説明しなきゃならないね。あたし……人に追われてるのさ。街まで『連れていく』というのなら、当然あんたもあたしの追手に追われることになる。その追手からあたしを護る気があるのなら、あんたの提案、考えてやってもいいよ」
「別にええけど……なんで追われてんねん」
「あたしが、このウィゼート国の王女だからさ」
「せやったら、わからへんのは追われる理由やなくて、お前が逃げてる理由のほうや。お前、何したん?」
「それは、ちょいと長い話になる。道中で話すってかんじじゃあダメかい?」
リラはようやく気分が落ち着いてきたようだった。俺がリラの提案に頷くと、リラは遠くに転がっている杖を指した。
「それじゃ、腕の応急手当てだけしたら、出発しようか。んで、あの杖取ってきてくれないかい? 一応、大事な武器だからね」
俺は言われたとおり、杖を取りに行った。銀の柄、黄金色の宝石……かなり古びた杖だった。俺がその杖を拾い上げようとした時、杖から異様な力の気配がした。メディと同じ力──破壊の力の気配がした。一度大きく息を吸い、自分の力が暴走しないように気を遣いながら杖を拾い上げる。
「……ほら、取ってきたで」
「そうかい、ありがとさん」
杖を取ってくる間に、リラは折れた腕に添木をあて、包帯を巻いて応急処置を済ませていた。俺はリラの杖をじっと見つめる。間違いなくこの杖はメディと同じ破壊の力を持っている。それを、女神とは無関係のリラが持っている理由がわからない。
「お前、この杖はどこで手に入れたん?」
「これ? うちに代々受け継がれて来た杖だよ。女神が創った杖だとかなんとか……そこのところはあたしもあまり詳しくないんだ。護身用として、使えそうな物をとりあえず持ってきただけだから」
どうやら、この時代のこの世界のことだけではなく、あの後のリディとメディのことについても調べなければならないようだった。そう考えている間に、リラの応急処置が完了した。
「よし、まあひとまずこれでいいだろ」
「せやったら、ようやく出発やな。よい……しょっ、と」
俺がリラの膝の下と背中に腕を回してヒョイと持ち上げたところ、リラは怪訝そうにこちらをじろじろと見た。
「……あんた、誰にでもこんなことしてんのかい?」
「こんなことってなんやねん」
「お姫様抱っこ」
言われてみれば、この運び方は俗にいう「お姫様抱っこ」だ。持ち上げてみてから気づいた。そうは言われても、他の運び方は色々な意味で問題が多い。リラは丈の短いミニスカートを穿いていたため、大股を開いて背中におんぶするわけにもいかないし、同じ理由で肩に担ぐわけにもいかない。この持ち上げ方に問題があるというのなら、他にどのような方法で街まで連れていけというのだろう。そう考えていたところ、リラは突然膝で俺の頭を蹴とばし、そのまま俺の腕から飛び降りた。片腕を怪我しているというのに、リラは空中で体勢を立て直して綺麗に着地していた。
「何すんねん、この暴力女」
「脚に怪我したわけじゃないんだ。歩けるんだからそこまでする必要は無いさ」
「朝方の薄暗い森やで、足元不安定やろ。すっ転んで怪我増えたって知らへんで」
「それは……まあ、なんとかなるだろ。あ、そうだ。じゃあ代わりに杖持ってくれ。さすがに両手塞がると体勢崩した時に支えられないから」
俺は渋々杖を受け取る。少しでも油断すれば力が暴走する可能性があることを考えると杖持ち役は避けたかったのだが、リラは自分で歩くと言って聞かなかった。
「ああいうのは安売りするものじゃないって言ってるんだよ」
「ああいうのって、お姫様抱っこのこと言うてんのか?」
「そうそう。せっかく顔だけは色男なんだ、あんたにも惚れた女の子くらいいるんだろ? そういう子の為に取っときな」
「あれくらいで……別に減るもんやないやろ」
封印される前は、お姫様抱っこどころかキスだのそれ以上だの、愛の欠片も無い相手にホイホイとしていたものだ。なので今更「惚れた女の子の為に」と言われてもいまいちピンとこない。……リディは、お姫様抱っこすると喜ぶのだろうか?
「ふーん……やっぱり本命がいるって顔してるね?」
リラはニヤリと笑ってこちらの顔を覗き込んだ。なんとなく不愉快だったので、俺はジトッとした目つきでリラを睨んだ。
「だったら尚更撃ち時は見極めるべきさ。色男なら特にね。何の思い入れもない相手に勘違いさせちまうと、人を不幸にするだろう? 興味無い子だけじゃなくて、本命の子もさ」
「人を不幸にする」という言葉を聞いて、俺はつい黙り込んだ。神とのコネ作りのための金、地位、情報……そういったものの為に、封印される前の俺は好きでもない女性と関係を作っていた。
「なんだい、その『初めて知った』みたいな顔。あーやだ困るねえ、手が早そうなくせに初心だとか。最悪の矛盾じゃないか」
もはや言いたい放題だった。初めて出会った時から、リラのことは「苦手なタイプだ」と思っていた。俺より年下のくせに、人の考えていることを簡単に見透かし、言われたくもないことをズバズバと言い放つ。おまけにすぐ殴るし、蹴る。それなのに、この先50年以上も俺はリラと同じ村で暮らすことになるのだから、運命というやつは本当に理不尽だ。
「あーくそ、何が初心や。そないなもん、とっくに捨てたわ。初対面の癖に無神経な奴やな。ほな、さっさと行かへんと置いてくで。遅れても待たへんからな」
「おやまあ、図星かい? つまらない意地張って、見苦しい男だねえ」
「図星やないわ。なんや、さっきまで泣いてた癖に急に生意気な口利くようになって。くそっ、連れてくなんて言うんやなかった」
「そしたらあんたは、今がいつか、ここがどこかもわからないまま、兵士共に追われることになるねえ。つまらない意地の為に大事な情報を捨てるなんて、『紅の死神』は思ったより頭が悪いんだねえ」
俺はピタリと足を止める。リラと共に行動しなかったとしても兵士に追われるとは聞いていない。それに「紅の死神」とは何のことだ? すると、リラは手をひらひらと振りながら先に歩き始めた。
「あれだけの国土を破壊して、この国の連中が黙っていると思ったのかい? あんた、もうとっくにマークされてるよ。あたしを護衛するなら、あんたは情報を得ながら追われる。護衛しなければとにかく追われる」
「おまえ……性格悪いな……」
「あんたには言われたくないねえ」
情報を多く持つ者は有利。俺はこの時、基本中の基本を再確認した。
ウィゼート国の内陸の街、バントアンバー。リラによると、この街はスカーレスタとアズュールの丁度真ん中に位置する場所らしい。スカーレスタを拠点としていた東陣と、アズュールを拠点としている西陣に分かれた争い「ウィゼート内戦」。その状況下では、この街は微妙な位置に立たされることが多いらしく、街のあちこちから争いの跡が見えた。
「……まともな寝床は期待できなさそうやなあ」
「そりゃそうだろう。長居する気も無いけどね」
俺とリラは荒れ果てた街を歩きながら宿を探す。だが、宿どころか食品や衣類の店すら内戦の影響で営業を止めているところが多く、泊まる場所はなかなか見つからなかった。
「泊まるどころか、物の補充すら満足にできなさそうやな」
「そうだね……おや?」
そう言っていた矢先に、運よく営業している宿を見つけた。一泊二日、二部屋。リラは鞄から金貨を取り出して俺の部屋分の代金まで一緒に払った。リラが王女であるというのは本当のようだった。
それぞれの部屋で少し休憩した後、俺はリラの部屋に行った。リラに聞かなければならないことがたくさんあった。この世界のことはもちろん、この先のことについてもだ。リラの部屋の扉を軽く叩くと「どうぞ」と声がした。扉を開けると、リラは荷物を解きながら不満そうな顔をしていた。
「やっぱり、衝突地域の宿は微妙だね。ベッドも硬いし」
「仕方ないやろ。んで、約束や。情報や情報」
「おや、道中で話したことだけじゃまだ物足りないのかい?」
この時代には、天使の国エンディルス、悪魔の国デーヴィア、魔女・魔術師の国ウィゼートの三国があること。現在俺たちがいるウィゼートでは東西に別れた内戦が起こっていたが、俺が起こした爆発により東陣が壊滅したこと。そして、リラは壊滅した東陣の首領の妹であり、この国の第一王女であること。そこまでは道中にリラから聞いていた。
「足りひん、足りひん。あと聞きたいことは神々のことや。この時代では、人と神の関係はどうなっとるんや」
そう言うと、リラはぽかんとした顔をして黙り込んだ。だが数秒後、リラは声をあげて笑いだした。
「神? 本気で言ってるのかい? 神なんていないよ。神がいるのは古代の神話の中だけさ」
胸の内に黒い靄が湧き上がった。神がいない? これまで神を恨み、憎み、殺し、殺される為に生きてきた俺にとってはこれまでの人生全てを否定するような言葉だった。神が存在しないとしたら、つい昨日俺と殺し合ったリディのことも、この時代の人々は認知していないのだろうか。
「んなわけあるか。お前、俺があの爆発を起こしたって知っとるんやったら、あの蒼い空中要塞も見たやろ」
「ああ、たしかに見たけど。あれ、あんたが出したんじゃないのかい?」
「ちゃうわ! 俺が一人で空中要塞出して一人でソレ壊して暴れたとでも思っとるんか!」
「まあ、たしかに今となっては相手がいると考えたほうが自然な気がするけれど、この国の大半の連中はそう思っているとおもうよ。国土をあれだけブッ壊した化け物に人格があるなんて思ってないだろうね」
俺は眉間に皺を寄せて舌打ちした。リラは俺の表情を見てこう付け加えた。
「それに、もしその相手が見つかったら、この世界の人々はそいつを『神』ではなくあんたと同じ『化け物』とみなすだろうね。『ただ強い魔力を持っている』というだけで神と決めつけることはできないだろう? それが神の条件になるのだったら、お前さんだって神ってことになるじゃないか」
俺は言葉に詰まった。理解した。これが、この時代の「神」の認識だ。神は想像上の生き物、人の生活とは切り離された架空の存在。これ以上、この話をしても無駄だと悟った。
「……もうええわ。せやったら、あとは今後のことや。腕のことはこの後医者を探して治療してもらうとして、その後はどうする? お前、追われてる身なんやろ。行く宛てはあるんか?」
「一応、目指してる場所はある。医者を捜しながら、『ロアル』って村の場所を聞こうと思う」
「そのロアル村って、何なんや」
「あたしやあんたみたいな逃亡者でも受け入れてくれる村さ」
それから、俺とリラは早速医者捜しとロアル村の情報収集を始めた。この街では怪我人がよく出るのか、医者はすぐに見つかった。宿から数分歩いたところにある診療所に行くと、老齢の医者が出てきて、リラの腕をまじまじと見つめた。
「症状は、腕の骨折だけかな?」
「はい」
「ならよかった。骨折のしかたにもよるが、治癒術である程度治せるものだ。今、薬も物資も不足していてね。毒物とかが絡んでいたら治してあげられないところだった」
そう言うと、リラの腕の様子を見た後、早速治癒術で治療した。複雑な折れ方はしていなかったようで、「数日間腕をしっかりと固定しておけば問題無い」とのことだった。治療が終わった後、リラは早速医者にこう尋ねた。
「治療してくれてありがとう。ところであんた、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。ロアル村って知ってるかい? あたしら、そこに行こうと思ってるんだけど、道を知っていたら教えてくれないか」
すると、医者は眉を潜めた。
「ロアル村……? 場所は知らないが、噂なら聞いたことがあるよ。なんでも犯罪者集団の村だそうじゃないか。国が何度も解体を命じているのに反抗し続けている危険な集団だと聞いているよ。君たち、そんなとこに行くのかい?」
「ちょっと野暮用があってね。情報ありがとう」
リラは笑顔でそう言い、診療所を出ていった。
治療が済んだ後は、街を散策して必要な物資を購入しつつ、ロアル村についての情報収集をした。だが、村について知っている人は極僅かだった。稀に知っている人に出会えても、「犯罪者集団」「反社会的危険組織」「ウィゼート国の汚点」など、散々な言われようだった。俺は前を歩くリラに言った。
「……お前の行こうとしてるとこ、メチャクチャやばいとこなんやないか?」
「まあ、村の『外』から見るとそういう扱いになるだろうね。だから、あたしのような者でも受け入れてくれるかもしれないんだよ」
「どういうことや」
すると、リラは人気の無い場所へと入り込み、俺についてくるように伝えた。どうやら他人に聞かれたくない話のようだ。リラの指示に従い、人気の無い空地に辿り着くと、リラはこう話し始めた。
「これは王家にいたころにチラッとだけ聞いた話なんだけどね。ロアル村ってのは、過去にうちの一族……エスペレン家から追放された者が、同じような境遇の者を集めて創った村らしいんだ」
「同じような……ってことは、追放された王族関係者ってことやな?」
「そう、ウィゼートの王家だけじゃなくて、エンディルスやデーヴィアも含めて、権力争いに負けた王家の奴とか、没落した貴族だとか、そういう行き場の無い者が集まって自治体を創っているって聞いている。『犯罪者集団』なんて呼ばれているのは、そうして集まった『行き場の無い者』の中に、ウィゼート国内で罪を犯した者も入っていたりしたんじゃないかと思う」
「ってなると、その村はただの無法者集団ってわけやないんやな。その集団の核にいるのは、きちんと教養を持ち、執政の素質があり、しかも一度国王の候補にも上がったことがある奴ってわけや。……ある意味、無法者集団よりも、国家にとっては鬱陶しい存在やな?」
「そういうことさ。『村』と呼ばれてはいるけど、その実体は『小さい国』だ。ウィゼート国の側から見ると、国の中に更に小さい国がある状態なのさ」
俺は思わず苦笑いする。ただでさえ東西内戦が起こっていた状況だ。国の統一を目指しているウィゼート西陣側としては今すぐにでも消えてもらいたい村に違いない。俺はリラの話を聞いた後、少し考え込む。
「なるほどな。お前は『その村は権力争いに負けた王族たちを受け入れているから、自分のことも受け入れてくれるに違いない』……って魂胆なんやろけど、今までの話が本当やとしたらそのロアル村は尚更俺たちを受け入れたがらないんやないか?」
「どういうことだい?」
「よう考えろ。今この国は内戦中、お前は壊滅した東陣の王女、そして西陣は東陣だけやなくてそのロアル村のことも潰したがっている。お前がこれからロアル村に行くってことはや。ロアル村側からすると争いの種を持ち込まれるってことや。そこはあくまで場所もろくに知られてない小さい『村』なんやろ? 国に本気で潰しにこられたらひとたまりもない。そんな面倒なことを招く要因を受け入れるわけないんやないか?」
そう言うと、リラは唇を噛んで俯いた。自分の考えを伝えただけのつもりだったが、少し言い過ぎたかもしれない。外見より大人びた性格とはいえ、相手はまだ年端もいかない少女だ。この世に自分の居場所はもうどこにも無いのかもしれない──そう思ってしまったのだろう。俺は気遣いのつもりでリラに言った。
「なあ、お前。出頭するつもりは無いんか? 見たかんじ、国王の座を争っていたのはあくまでお前の兄で、お前自身が王になるつもりは無さそうやないか。出頭後に多少面倒な取り調べとかあったり、ちょいと不自由な生活することにはなるかもしれへんけど、『ただ普通に生きていきたい』ってだけやったら、そのほうがええんとちゃう?」
最初、リラは哀しそうに俯くだけだった。だが数秒後、急にリラは大きく目を見開いて顔をあげる。そしてそのまま更に数秒、何か考え込みはじめた。
「……それは、多分できない」
リラは青ざめた顔でそう告げる。
「なんでや」
「あたしは、もうお前と出会ってしまっている」
「どういう……あっ」
「お前があの爆発を起こした犯人だってことは、知ってるやつはもう知ってるんだよ」
たとえリラ自身に西陣に逆らう意志が無かったとしても、西陣側は「生き残った東陣の第一王女」が「東陣を壊滅させ、国土に甚大な被害をもたらした怪物」と意思疎通し、共に森からこの街までやってきたことを危険視するだろう。場合によっては、リラの命令一つで西陣どころか、このウィゼート国全体を壊滅させることができる……そう思われる可能性もある。そうなると、リラはもはやこの国にとって「東陣の王女」ではなく「一声で国の破壊を指示できる起爆装置」に他ならない。もちろん、俺はリラがそう命じたところで言うことを聞いてやる気は全く無いが、これは俺の意志ではなく、西陣側がどう考えるかの問題だ。
「せやったら、どないするん?」
「それはこっちのセリフだ。あんたもどうする気なんだよ。それによってあたしの立ち回りも変わるさ」
つい、溜息をつく。俺がこの時代のことを何一つ知らなくても、手探りで少しずつ情報を集めていかなければならない段階だとしても、もう既にこの世界にとって俺は「大量破壊兵器」として扱われていた。
「あんたは、これからどうしたいんだい?」
自分の未来について考える余裕なんて無い。封印される前でさえ、もうこの先自分が生きていく意味は無いと考えていたくらいだ。見知らぬ時代、場所に突然放り出され、この先どうしろというのだろう。頭にリディの哀しそうな顔が浮かぶ。どうしてあの時に殺してくれなかったのだろう。これでは俺やリディだけではなく誰も報われない。この世界の人も、システムも。だが、俺が答えを放棄したところで状況は進む。俺やリラがここにいることは近いうちに西陣に伝わるだろう。俺のことを排除したがっているのは神々だけではない。まっとうなヒトならば、あれほどの国土を「うっかりミス」で破壊してしまう生き物など存在してはいけないということくらい理解できるはずだ。
「どうしたいなんて……。こんな力、存在するだけで人を不幸にする。それしかわからへんわ」
リラが一瞬唇を噛んで黙り込む。お互い、それ以上怒ることも悲しむこともできずに何も無い足元を見つめることしかできなかった。
「……そう言われても、あんたがどうするかをあたしが決めることはできないよ」
「わかっとるわ。俺も、お前みたいなガキに自分の未来を委ねるほどアホやない」
大きく息を吸い、吐く。胸の内に感情を殺して、俺はリラに淡々と尋ねた。
「とにかく、まずこの世界の状況を教えろ。西陣のトップ……現国王はどんな奴や」
「正直、寛容な王とは言い難いね。あんたの力を知ったら、隣国に対する抑止力として利用するか、あんたを殺す手段を探すと思うよ。まあ、殺す手段なんて無いだろうけど」
「この時代のヒトでも、俺の力を封じ込めるような手段は持ってないってことか?」
「そうだね。あんなバカみたいな力、ウィゼート、エンディルス、デーヴィア、どの国でも手に負えないよ」
「……嫌なことに気づいたんやけど、俺のことを危険視するのって、ウィゼートだけやないんとちゃうか?」
「大当たり。エンディルスとデーヴィアもあんたの存在を無視できないだろうさ。あんたにできることは多分二つだよ。自分の力を一種の『外交カード』としてどこかの勢力に売り込むか、自分を邪魔するもの全てを突っぱね、三国全てを敵に回して何もかも破壊しつくすかのどちらかってとこじゃないか?」
どちらも碌な選択肢ではなかった。自分の無力さに怒り、力を求め続けたかつての自分が懐かしい。これが世界を掌で転がすほどの力を持つ強者の立場ということか。
「正直後者を選ばれたらあたしだって困るし、そしたらここからあんたとは敵同士になるんだが……これまでの様子を見てると、あんた、そういうのは望んでないんじゃないかい?」
リラの話を聞けば聞くほど「やはり俺は死に時を逃したのだろう」という想いが強くなる。俺が欲しかった力は「何も失わずに済む力」だ。奪われなければ、行使したくない力だ。世界を壊したいわけでも、支配者になりたいわけでもない。ただどこか静かな場所で、誰かと共に平和に過ごせればそれでいい──その為に力を求め続けた。それなのに、最強の力を手に入れてもその望みは叶わないのだとしたら、きっと俺はどこかでやり方を間違えたのだろう。ならば、今後どう生きたとしても間違い続けるだけかもしれない。
ならばもう三大国家も何もかも破壊し尽くして、言い逃れのしようがない「悪」になってしまえば、リディがまた現れるのではないだろうか。堕ちるところまで堕ちてしまえば、今度こそあいつが殺してくれるのではないかと……一瞬そう考えた。だが、目の前のリラの顔を見て考えを改めた。終わりの無い破壊の道に走ってしまえば、その過程で故郷を失った時の自分と同じ境遇の人を無限に生み出すだろう。それこそ、これまでの自分の全てを否定することになる。
「……仮に、前者を選ぶとして」
途方も無く長い沈黙の後、ようやく俺は口を開いた。
「ウィゼート西陣に付くとしたら、さっきの話みたいになるやろ。せやったら、エンディルスやデーヴィアに行ったらどうなると思う?」
「そうだね、ウィゼート以上に、あんたを『強力な破壊兵器』として見ると思うよ。昔っからね、エンディルスはデーヴィアを、デーヴィアはエンディルスを侵略することばかり考えてるんだよ。けど、この二国の間にウィゼートって大国がある。ウィゼートからすると二国が争えば間違いなく自国が戦場になるし、二国はウィゼートを敵には回したくない。ってな感じで、この世界は二国の間にウィゼートが入ることでどうにか平穏を保ってる状態さ」
「ってことは、俺がデーヴィアかエンディルスに行くと……そのバランスが崩れる?」
「そうなるね。ただでさえ、ウィゼートは内戦が終わったばかりで不安定だ。そこにあんたみたいなのがやってきたら、高額の報酬を出して、意気揚々と侵略を始めると思うよ」
「物騒やなあ……それもあれやろ。目標はウィゼートの領土をぶん取るとかやなくて、あくまでウィゼートの向こう側にある大国なんやろ?」
「そうなんだよ。あたしゃ、天使や悪魔の考えることはわかんないね」
二国の対立関係の話から、リディとメディの戦争のことを思い出し、少し不快な気分になった。結局どこに付いたとしても、俺は「破壊兵器」としての扱いを受けることになりそうだ。するとリラは空を見上げながら呟いた。
「結局、どこに行ってもあんたは強力な力を持った怪物として見られるだろうね。だからこそ、あんたがどうしたいのかよく考えて決めたほうがいいと思うんだよ」
望みなんて無い。生きる意味はとうに失くし、死に時も逃した。それでも尚存在しつづけなければならないというのなら──
「決めた」
もう戦争は面倒くさいから嫌だ。
「お前が言ってたロアル村。そこに行く。お前も連れて」
リラは少し驚いたようだった。
「へえ、さっき『あっちが受け入れないかもしれない』って話をしたばかりだけど?」
「せやから、『もし国がロアル村を解体しようとしたら、全部俺がブッ殺してやる』って提案する。今の話を聞いたかんじやと、俺達がロアル村に行かなくてもいずれウィゼート国はロアル村を解体しようとするはずや。ウィゼート内戦の目的は『国の統一』やろ。せやったら、東陣が壊滅した今、ロアル村もまた統一の為に邪魔なものや」
「たしかに、内戦の後処理がひと段落したらいずれそっちに手を付けるだろうけどさ……。そのロアル村が王家打倒とかを狙ってたりしたらどうするんだい? あたしは仮初のトップにはうってつけの立ち位置だし、あんたも第二次東西内戦の道具にされるかもよ」
「そのつもりやったら、その場でその村をブッ潰す」
「うわ……」
リラは眉間に皺を寄せながらこちらを軽蔑するような目で睨みつけた。
「……そんな顔せんでも、変にこっちを侵略の道具にさえしなければ、俺かて何もせえへんわ。ただ、行き場の無くした者たちが寄り添い合ってひっそり生きてる……それだけの場所なんやったら、それでええ。お前の新しい居場所にも、なるかもしれへんしな」
「……あんた……」
「とにかく、最終的にどこに行きつくにしろ、まずは動かへんと始まらへんやろ」
「……うん。そうだね」
リラは哀しそうな目で頷いた。それから、俺とリラは再び情報収集を再開した。今は「ロアル村」が自分たちの未来を切り拓くきっかけになると期待するしかなかった。翌日には街から出発し、僅かな手がかりを頼りに北東へと向かった。途中何度も、ふとした瞬間に考えた。「あの時、リディが俺を殺しておいてくれたなら、どんなによかっただろう」──だが、その度に正面を歩くリラの姿が目に入った。
「……たしか、マオもこんくらいの背丈やったかな」
「ん? 何か言ったかい?」
「いや、別に」
俺は多くの人を殺した。それが悪意無く起こった事故だとしても、自分が死なない為には仕方が無かったとしても、無数の屍を生み出し、自分がかつて味わった悲劇を他人に押し付けてきた事実を消せはしない。このまま誰も傷つけずに消えることすらできないのなら、せめてこの災厄の力を自分の中に押しとどめたまま、いつかあいつが結論を下すまでの時間を稼ぐ。
それが、今の自分にできることだと思った。




