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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第28話

瞼を開いた時、キラは見知らぬ劇場の観客席にいた。舞台のほうを見ると、ちょうど幕を下ろしている最中だった。だが、観客席にほとんど客はおらず、キラと、オズの記録を記したノートだけがじっと舞台を見つめていた。


「オズ・カーディガルの物語、第1幕の終了ですね。キラさん、具合はいかがでしょうか?」


ノートがセイラの声でキラに問いかける。その瞬間、先程の「オズの物語」の一部始終が脳にフラッシュバックした。オズの激情、リディの涙、焼け落ちる世界──まるで、キラ自身が記録の中のオズと一体化したかのように、オズの細かな心情まで脳に流れ込んできた。キラは思わず頭を抑える。気がつくと、目からぽろぽろ涙が零れていた。あくまでキラではなくオズの物語であるはずなのに、そこに登場するあらゆる人々の悲しみを想うと、涙を流さずにはいられなかった。

静かにすすり泣くキラを見て、ノートはこう言った。


「まあ、たしかにキラさんには少し負担の大きい話でしょうから、ここで一度休憩といきましょう。気分が落ち着いたら声をかけてください。続きはまた後日……というようでしたらそれでも構いません」


「うん……ありがと。というか、まだ1幕ってことは、2幕があるの?」


「はい」


「なんか、今まで見た記録の中でも一番重たいんだけど……オズ、こんな辛い経験してるのに、今まであんなふうに笑ってたんだ……」


キラは顔を上げ、一度大きく深呼吸した。そしてもう一度、今観た物語を振り返ってみる。キラと同じく誰かを護る為に強くなりたいと願っていた少年が、復讐を誓い、世界を滅ぼしかねないほどの力を得る物語。故郷を失った後、オズは様々な人に出会い、親交を深めていったが、その相手は次々と殺されていった。辛かっただろう。苦しかっただろう。そのはずなのに、記録の中のオズは一度も声をあげて泣き出したりはしなかった。


「もう、オズの馬鹿。ああいう時は、もっと泣いて喚いて悲しんでいいのに……」


気がつくと、キラの目からぽろぽろ涙を零れていた。キラはずっと、悲劇を目にした時にすぐに泣き出してしまう自分が嫌いだった。だが、今日はなぜか「この涙を止めるべきではない」と思った。


「馬鹿、なんだ、オズって馬鹿だよ。今まで、もっと頭良いって勘違いしてた。こんなの……『好きな人に殺されて、思い出に残ること』が望みだなんて、悲しすぎるよ……。そりゃリディさんだって理解できるわけないよ。当たり前だよ……!」


これまでセイラやイオから聞いてきた過去の話は全てオズが「悪」として扱われていた。たしかに、世界を基準に考えると、一夜で世界を焼け野原にし、且つリディに「恋」という感情を与えて生き延びたオズはたしかに「悪」なのだろう。しかしこの記録を見てしまった今、キラは誰が正しくて誰が悪いのか、悪いものが罰されるべきなのか幸福を得るべきなのか、わからなくなってしまった。ただ、自分の中で「このまま放ってはおけない」という想いだけが騒いでいる。その想いを一度グッと抑え、キラは一度これまでのオズの振る舞いと今の記録を照らし合わせてみた。すると、キラがこれまで抱いてきた「なぜオズは自分が悪者とみなされるように振る舞うのか」という疑問のヒントが見えてくる。一番オズのことを「世界の為に排除すべき異物」とみなしているのはオズ自身だった。だから、キラたちにも村人たちにも「異物らしく」振る舞っているのかもしれない。


「騙されたよほんと……。だってオズってば、あんなワガママなんだもん。そんなこと考えてたなんて、わかるわけないよ……」


そう呟いた瞬間、また一粒涙が零れた。だが、本当にオズは自分の運命を悲観し、死を望むだけの異物なのだろうか。そう考えると、まだ腑に落ちない点が残る。オズが最後に残した「絶対這い上がってやる!」という言葉が頭に響いた。あれは叛逆を誓う言葉だ。絶望の言葉ではない。そしてあれから長い時を経て、オズは本当に封印を破って這い上がってくるはずだ。キラたちの生きる時代から約50年前、ウィゼート内戦の時代にオズはこの世界に再び現れ、ロアル村にやってくるはずだ。


「まだ先がある……そうだよね、最後まで目に焼き付けなきゃ。そこまでやらないと、あたしのやりたいこともできないもん」


キラは両手でパンパンッと自分の頬を叩いた。オズは言っていた。「神にヒトは理解できない」と。リディはこう言っていた。「理解したい」と。理解とは、なんだろう。相手の事情を知り、共感することだろうか。相手と同じ思考回路を持つころだろうか。キラには「この世界には様々な人がいて、他人を完璧に理解することは難しい」ということしかわからない。けれどキラはいつだって、他人の視点に可能な限り近づいてみて、喜びも苦しみも分かち合い、少しでも相手が善い方向へと向かえるように、共に歩いていきたいと願っている。

キラは両手を広げて軽く身体を動かしたあと、隣の席にあるセイラのノートに声をかけた。


「よーし、セイラ……じゃなかった。ノートちゃん……うーん、しっくりこないな」


「どうしましたか。準備はできましたか?」


「ノートちゃんってさ、今の話について、何か質問があったら答えてくれたりとかするの?」


せっかくセイラが残してくれた「希望」だ。引き出せる情報は、どんどん引き出していこうと思った。


「『セイラ』が所有していた記録、記憶、知識の中に答えがある質問であれば」


キラは「おおっ」と声をあげた。さすがセイラが創り上げた魔法だ。キラは早速、先程見た話を思い返しながら、質問をしてみた。


「オズさあ、哀しいことが続きすぎて段々感情を正しく表に出すことができなくなっていったところもあるけど……それだけじゃなくて、メディさんの血を飲んだ後から急に考え方が過激になったよね? 神の血って、精神面にも影響があるの?」


「はい、そのとおりです」


「なんとなく、メディさんに近い性格になった気がするのって、気のせいかな」


「気のせいではないでしょうね。メディの破壊の神としての性質を、オズさんも得た。ということなのでしょう」


「じゃあ、あたしたちを散々振り回してきた今のオズも、メディさんの血に影響されている部分があるわけだ?」


「はい、そのとおりです。性格だけではありませんよ。身体、力、心……オズさんのあらゆるものが常に神の血に蝕まれ続けていると考えてよいでしょう。にもかかわらず、ヒトと共に生活できるように力を抑え、自分を見失わずに好き勝手やれているのは、それだけオズさんの自我が強いということですよ」


ふむふむ、とキラは頷いて考え込む。そういえば、ゼオンが味覚を失っていることを指摘した時、「神の血はゼオンを永遠に蝕み続ける」と言っていた。あれは、自分自身が神の血に蝕まれているからこそ出た言葉だったのか。続けて、キラはこう尋ねる。


「自我が強いから……かあ。限界とかってないの?」


以前、オズの感情が昂った時に、図書館の窓ガラスが一斉に割れたことがあった。あれはおそらく、ふとした拍子に力を制御しきれなくなった。ということなのだろう。


「もちろん、ありますよ。いくらオズさんの自我が強かろうと、いずれその時は来るでしょう。ヒトとしての心を失って、衝動のままあらゆる物を破壊しつくす死神に成り果てる時が、いつか必ず来ます」


「あー…………なるほどなあ。ちょっとわかってきた気がする」


キラの貧弱な語彙力では何が「わかった」のか伝えきれなかったが、オズが抱える矛盾と激情を紐解くヒントが見えたような気がした。最後に、キラは神々について尋ねた。


「あとリディさんとメディさんってさ、なんであんなにヒトより優れていないといけないなんて使命感持っちゃっているの? 」


二人の思考回路はオズより難解だ。その中でも特に難しいのが、二人が持つ神とヒトの関係についての考えだった。


「それは、二人が『世界を維持し続ける』という目的の為に生み出されたモノだからですよ」


「モノだなんて、ひどいなあ……」


「モノは生き物とは違って、役に立たなければならないのです。肉や野菜を切れない包丁に意味がありますか? 穴だらけの傘が役に立ちますか? 二人が『神』という立場にあれほど固執するのは、自分の存在意義がかかっているからではないかと思いますよ」


自分の「存在意義」なんて考えたこともなかったな。そう思えるキラは、ある意味恵まれているのかもしれない。ヒトからみると、理解できない他人が存在することくらい、何もおかしなことではない。しかし神の場合、一人でも理解できなければ自分のことを「穴だらけの傘」と同類だと捉えてしまうのなら、それはとても不幸なことかもしれない。


「質問は以上でしょうか?」


ノートの問いかけに対して、キラは深く頷く。


「うん、いろいろありがとう。それで、あと5分だけ待って。 もう1回今の話を振り返ったら、先に行くから!」


そう言って、キラは目を瞑ってもう一度オズの物語に想いを馳せた。

ヒトだった青年と二人の神。三人は一体どのような目線を持ち、何を想っているのだろう。

キラはこの悲しみの連鎖に対して何ができるのだろう。過去の出来事を目に焼き付けて、今自分に何ができるか、考えていこう。



◇ ◇ ◇



オズさん、ちゃんと仕事してるでしょうか。

ルイーネは窓の外を見つめながらぼんやりとそう考えた。空は曇り、粉雪が降り始めている。気温が低く、誰もが屋内に籠りがちになる天気だ。──不味い状況ですね。そう考えながら、ルイーネは現在操作できるホロの数を数え始めた。その時、誰かがルイーネの頭をぽんぽんと指で軽く叩いた。


「あのぅ、ルイーネ? そんなに四六時中、私についていなくてもいいんですのよ。あなたも他の仕事があるでしょうし……それに、オズのことは本当にいいんですの?」


ペルシアがじっとこちらの顔を覗き込んだ。ここはカルディスの屋敷の中のペルシアの部屋。図書館を出てから、ルイーネは主にこの場所を寝床にしていた。


「いいんですよ、オズさんのことは。たまにこういうことしないと、普段私がいることのありがたみをちっともわかってくれませんから」


「そ、そういうものなんですの……? でもよかったですわ。オズに愛想尽かしたわけではないんですのね」


「それは少し違います。オズさんに愛想振りまいたことなんて一度もないですよ。『この人ほんとだらしないですね』って諦めただけです」


「そうですの? 村の者は『ルイーネはオズに気に入られたんだ』とか『ルイーネがオズに惚れこんだんじゃないか』って、よく言ってますけども……」


ルイーネは少し苦笑いした。これはオズが村に来て数年経ったあたりから散々言われている話だ。二人の外見が若い男女なので、そういった発想に結びつくのだろう。ルイーネは窓ガラスに映り込んだ自分の顔を見つめながら、「この器、時々こういう面倒があるんですよねえ……」と考える。

おそらく本来の姿で生活すれば、このような噂が流れることはなくなるのだろう。だが人と共に暮らしていくとなると、小さくて可愛らしい小悪魔の姿のほうが何かと都合が良かった。


「そんな関係ではないですよ。恋愛の話となると、オズさんはずっと別の人のことしか見ていませんしね。そもそも、私とオズさんは全く別の種族ですし」


「でも、私が生まれる前から、ルイーネはオズと一緒にいたんですのよね。村の他の者は『オズといるなんて、俺だったら5分で無理』って言ったりしてますけど、ルイーネはそういった苦労はありませんの?」


「5分で無理」という言葉を聞いて、ルイーネは思わず笑ってしまった。オズは気に入らない者は5分どころか数十秒で図書館から追い出そうとするので仕方がない。余程オズと反りが合わない人だったのだろう。


「それはもちろん、私だって苦労しましたよ。オズさんってば、昔っから仕事全然してくれませんでしたし。でもオズさんって、追い詰められてる時ほど攻撃的になって一人になろうとするところありますから、『5分で無理』とか言われがちだからこそ、放っておけなくなっちゃうんですよねえ……」


「そうなんですの……というわりに、ルイーネはオズを図書館に置いてきてしまってますけれども」


「今の図書館は私とオズさんの二人ぼっちじゃありませんからね。レティタさんがいるからこそ、私も安心してこっち側のことに手を付けられるというわけです。キラさんたちも最近また図書館に来てくれるようになったみたいですし、昔より賑やかになってよかったですねえ」


ルイーネはしみじみと呟く。周囲に浮かぶホロたちも深く頷いていた。

その時、背筋がぞわりと震えあがった。嫌な気配がした。ルイーネはすぐにホロに窓の外を確認させる。目に見える異変は特になかったが、先程感じた「嫌な気配」が近くまで迫っていた。窓を開け、数匹のホロを偵察に向かわせる。


「侵入者……でしょうか……」


雪のせいで視界が悪かったが、かすかに足音が聞こえる。屋敷の裏のほうだ。何か武器を構えている。あれは銃か? 武器を所持しているとなれば、こちらも黙ってはいられない。ホロをかき集めて合体させ、侵入者に襲い掛かった。侵入者は雪のような髪の少年で、銃口はペルシアの部屋へと向けられていた。


「させませんよ」


ホロが大きく口を開けて少年の足に噛み付こうとしたのと同時に、少年は引き金を引いた。ホロが襲い掛かったせいで少年はバランスを崩し、銃弾はペルシアの部屋の中ではなく、窓に近くの壁にめり込んだ。


「気づかれちゃった。これは退散かな。あっちに合流しなきゃいけないし」


少年が走り去る瞬間、ホロの目が少年の顔を捉えた。菫色の瞳をした童顔の少年──おそらく、キラのクラスメイトであり、イオ達の仲間の一人であるロイドだろう。


「ふう……取り逃がしてしまいましたが、被害が無くて何よりです」


ロイドが立ち去ったのを見て、ルイーネはほっと胸を撫でおろした。ペルシアを守れなければ、わざわざオズから離反するふりをしてまでこの屋敷に留まっている意味が無い。


「あの、ルイーネ……? 何かありましたの?」


狙われていたお嬢様は、何も知らない顔でルイーネの顔を覗き込んでいた。


「ああ、その、屋敷の裏に侵入者がいたみたいで。さっき追い払いました。あとでカルディスに報告しなければいけませんね。ああ、その前に一つやらなきゃいけないことがあります」


ルイーネはホロのうち一体を銃弾が当たった壁に向かわせた。蒼く輝く鉱石の銃弾が、屋敷の壁の中で輝いていた。


「この弾に込められていたもの、気になりますね」



◇ ◇ ◇



誰かに「封印されてる状態ってつらいの?」と言われたことがある。俺の体感としては、意識が無い間は辛くはないが、解けかけは少し辛い。意識があるにもかかわらず、全く身動きが取れない状態で何年も過ごした経験がある人はあまり多くはないだろう。しかも封印状態となると、肉体を分解して魔力の結晶に閉じ込められている状態であるため、まず五体満足な自分の身体が存在しない。その状態で、毎日毎日同じ景色を見続け、会話する相手もいないとなると退屈で殺されそうになる。だが、「封印」の真の辛さは、封印されている最中ではなく、封印が解けた先にあった。


リディに封印されてから、俺の意識は何千年も途切れていたが、ある時から微かな声が聞こえるようになった。誰かが自分の名前を呼んでいる。夢の中のような意識が朦朧とした状態ではろくに頭が働かなかったが、声の主の正体は誰かはすぐに察した。


「オズ……オズ……」


もしも肉体が存在したら思わず溜息をついていただろう。あれからどれほどの時が経ったのかわからない。それなのに、あいつはまだそんな泣きそうな声で呼びかけているのか。


「私、どうすればよかったのかしら……なぜあなたをわかってあげられなかったの……」


あいつのすすり泣く声が聞こえる。苛々する。存在しないはずの胸が痛い。徐々に意識がはっきりしてくる。まるで、長い夜が明けていくかのように。そして、俺はこう答えた。


「ああくそ、泣くなリディ、今行くから!!!」


その時、目が醒めた。

最初に視えたものは、暗闇の中に垂れ下がる緋色の鎖だった。次に、激しい痛みが全身を襲い、その時に今の自分に「身体が存在する」ことに気づいた。腕は鴉のように黒く、竜のような鱗と爪が生えていた。背にはリディと対峙した時と同じような骨と鉱石の羽が生えており、胸から全身を紅の鉱石が覆い尽くそうとしていた。

「俺やばい、人の形をしていない」──そう気づいてからは、とにかく自らの力を抑えることに必死だった。目を瞑り、大きく深呼吸をし、感情を落ち着ける。すると、少しずつ身体に生えた鉱石や鱗が消え始めた。それを見て、俺は安心して脚の力が抜け、地面に座り込んだ。人の形に戻った手で自分の顔を触ってみる。幸い、顔に異形の物は生えていないようだった。


「あいつ、一応ガワはお嬢さんやしな……あんま酷い顔は見せられへんわ」


封印されている最中に聞こえた声と、意識を失う直前に立てた誓いを思い出す。原因はわからないが、自分の意識が戻っており、身体がここに在る──これはリディにかけられた封印が解けたと考えてよいだろう。だとすれば、俺にはやらなければならないことがあった。


「待ってろ、リディ」


そう呟いた時、胸に生えた鉱石が完全に消え去り、俺は普通のヒトの形に戻った。だが、それと同時に地面が激しく揺れ始める。俺はゆっくりと立ち上がり、よろよろと暗闇の中を歩き始めた。緋色の鎖が千切れている。紅の魔法陣が壊れている。赤と黒で覆われた世界を少しずつ進んでいくと、やがて、七色に輝く光の柱が視えた。よく見るとそれは水晶と歯車でできた幹──この世界の内側に毛細血管のように蔓延るモノ、いわば世界の心臓「世界樹」だった。


「これに沿って昇っていけば、たぶん……」


そう呟いた時、世界樹の歯車が勢いよく廻りだし、水晶の幹が深紅に染まった。幹はもちろん、壁、地面、あらゆる場所から血潮のような色の棘が生えてこちらに迫る。どうやら俺はとうとう世界の心臓にまで「悪」と認識されたようだった。

それでも──


「行かなあかんとこがあるねん。そこを通せ……! この世を壊す紅き瞳の女神よ……死の刃にて行く手を切り拓け。フォシーユ・モール!」


やるしかない。緋色の棘に向けて手を伸ばし、力を解放する。骨と血肉で出来た鎖鎌が迫りくる棘を凪払う。過剰に何かを破壊することも、自身の外観が変わることもない。丁度いい塩梅の威力だった。


「よし、制御できる……!」


だが、更に背後から追手がやってきた。天体模型のような形状の物体が月の形の刃を戦輪のように振り回してこちらに迫る。俺はもう片方の手を後ろに伸ばして同じように骨の鎖鎌で凪払おうとした時、左手が黒く染まり、異形の形となる。


「うわ、あかん!」


そう思った時には既に遅く、深紅の獄炎が周囲のあらゆるものを破壊し、世界樹の幹に大穴を開けた。緋色の棘も天体型の敵も一瞬で消え去ったが、既に俺の背からは骨と鉱石の翼が生え始め、破壊の獄炎を纏ったまま地上に飛び出そうとしていた。


「クソッ、消えろ、落ち着け……!」


暴走する力を鎮めている間に、頭上では透明な枝葉が網目のように張り巡らされ、罪人の逃亡を防ごうとしていた。ようやく左手が元の形に戻り始めた頃、透明な枝葉はするするとこちらに伸びてきて俺を捕獲する準備を始めていた。俺は腕を天井に伸ばす。どうすれば力を暴走させることなく、あの網を突破できる? 考えた末に、俺は敢えて呪文を一から十まできちんと唱えてみた。


「この世を壊す紅き瞳の女神よ……煉獄の炎よ、敵を喰らえ。フラム・グルートン!」


すると、深紅の獄炎は行く手を遮る枝葉のみを破壊し、世界樹の幹や周囲の壁は傷つけなかった。


「手間かけるときちんと制御できるってことか……まあええわ。次は翼やな」


この骨と鉱石の翼のままでは無限に翼が肥大化し、周囲を破壊してしまう。俺は純粋な吸血鬼だった頃の自分の翼の形をイメージし、それと同じ形に変えようと試みた。すると、色は以前と異なる紅色になってしまったが、形は意外なほどあっさり昔と同じ形になった。イメージしたものが元々の自分の姿だったからだろうか。ようやく自分の容貌が安定したところで、俺は深紅の翼を広げて地上に向けて飛び立った。

同時に、世界樹の枝葉も俺を追って緋色の棘や刺客の兵器を放つ。最初は先程と同じように呪文を唱えて対応していたが、相手が多すぎた。徐々に行く手と退路の両方が塞がれていく。


「呪文唱えな、また無差別に破壊する……せやけど唱えると追っつかへん……どうする……」


純粋なヒトだった頃、俺は圧倒的な力を持つ神を恨み、憎んでばかりいた。強大な力を持つ者にとって、「壊さない」ことがどれほどの苦行なのか、神の力を得てようやく思い知った。長ったらしい呪文など唱えずに魔法が使えるなら、そのほうが圧倒的に効率が良い。しかし、呪文が無ければ力の調節が利かない。これまで呪文とは自身の力を外に引き出す為の扉を開く鍵のように捉えていたが、どちらかというと猛獣に対する鞭のようなものだったのかもしれない。呪文があることで制御ができる、発動のタイミングが図れる。ならば、呪文よりも短く、且つ自身に対する「合図」の役割を果たすものはないだろうか。

その時、自分のすぐ目と鼻の先に透明な枝葉が掠めた。早く脱出しなければ……この上にはブラン聖堂があるのだろうか? ならば、早く聖堂を破壊して逃げないと──そう思った瞬間、歴史を変える悲劇が起こった。


「早く脱出したい。けれど、異形の姿になることだけは避けなければならない」──そう思っただけだった。

たったそれだけで、俺はウィゼートの三分の一を生贄にした。

少し小石に躓いた程度の油断。ほんの小さなきっかけで、ドミノ倒しのようにヒトも世界も次々と死んでいく。この時ようやく、俺は「強者」の視点に立った。


爆音と獄炎が世界を包む。まだ見たことも無い世界が光に溶けて消えていった。自分が何をしたのか、何が起こっているのかもわからないまま、自分の手の向こう側で殺されていく世界を呆然と見つめていた。

目も耳も潰れかねないほどの地獄の時間の後、夜の闇と静寂が降りてきた。だが、俺はまだ現実を拒絶していたい気分だった。それなのに自分の心を折ることもできず、いざとなれば感情を殺して自分の身体に鞭打って動き出すことができてしまう性分だったからこそ、俺は「死神」になってしまったのだろう。

俺は顔を上げて辺りを見回した。世界樹の幹や枝葉どころか、自分が昇ってきたはずの穴すらどこにも存在しなかった。俺は焼け果てた更地の真ん中に立っていた。消し炭になったヒト、崩れた家屋、壊れた生活用品……ここはどこかの街だったのだろうか。


「ここは……」


その先は言葉にならなかった。今がいつなのか、ここはどこなのか。何一つわからないが、数秒前までここには人が住んでいて、まもなく消し炭になることなど知らなかったのだろう──ということだけは推測できる。俺は自分の左手で右腕に爪を立て、唇を噛んだ。


「……オズ」


あの鈴の音のような声がした。反射的に背筋が伸びる。振り返ると、銀色の月が見えた。ふわり、と暖かい風が吹いた。水晶の空中要塞の上で、薄桃の髪が揺れ、純白のドレスが光を浴びて波打つ。あの夜と同じ景色。しかし、あの日よりもリディの表情は冷たく凍り付いていた。


「なん……だ……これ……」


更地になった世界と、リディの表情を見つめて俺は呟く。


「なんで……って、あなたがやったのよ。全てあなたの力」


「なんで……俺は、聖堂だけを壊すつもりで……こんな……つもりは……」


「神の血の力のせいで魔力のキャパシティも一度に放出する量も跳ね上がったのね。今のあなたなら、指先だけで人を殺せそう」


リディは出会ったあの日と同じように、「無機質で完璧な神」を演じているつもりだったのかもしれない。しかし、冷たい表情の下に押し込めた感情を隠しきれていない。苦しそうだ。涙を零すことすら出来ずに淡々と言葉を並べる姿を見ているのは、泣き顔を見るよりもずっと辛かった。


「そうか……そうか、とうとうそうなったか……」


リディは俺を殺し、俺はリディに殺される。この関係はもう二度と変えることができないのかもしれない。それはそれで嫌な関係ではなかったが、流行りのレストランで夜景を見ながら食事を取り──城の中庭で悩みを打ち明け──そんな他愛のない時間はもう二度と戻らないのだと想うと、ほんの少し寂しかった。


「……どうしたの。あなたが望んで手に入れた力じゃない。誰にも負けない、神にも世界にも負けない最強の力が欲しかったんでしょう」


俺が封印されてからこれまでの間、リディは何度責められ続けたことだろう。なぜ殺さなかったのか、なぜ封印という措置を取ったのか。イオやセイラはきっと同じことばかりを繰り返しリディに言い続けたのだろう。間違いではない。世界のシステムにとっても、この世界に住むヒトにとっても、俺は存在してはならない世界の毒だ。

だが頭ではそう理解してはいても、心を凍らせた彼女を見ると自分の心が痛んだ。「どうせ何もかも死ぬ」と言った俺に対して「私は消えないわ」と言い放った女には、背景に浮かぶ満月のように生意気な笑顔が似合うと思った。

俺は嘘の微笑みを創って、自分に貼り付けてみた。


「久しぶり。相変わらず透き通るようなべっぴんさんやなあ。こんな洒落たモーニングコールがついて来るとは思わんかったわ」


今にも自分が自分でなくなりそうな状態だというのに、あいつの氷のような表情を崩したくて見栄を張った。すると、思いのほかあっさりと彼女の氷は溶け、頬を真っ赤に染めて言い返してきた。


「何がべっぴんさんよ、モーニングコールよ、今は夜よ。も、もう、口先だけは達者なんだから」


「そりゃ堪忍。ま、俺よりお前の方が百万倍達者やと思うけどな」


そう言った時、自然に笑顔が浮かんだ。数秒後にはまた殺し合いが始まると理解していても、リディとの再会を喜ばずにはいられなかった。だがその直後に虚空から声が聞こえた。


『リディ。何をしてるの。どうして早く殺さないの。今こいつが何をしたのかわかっているの』


メディの声がした。だが、姿が見えない。俺はあの後リディがメディに対してどのような封印を施したのか知らなかったため、今のメディが「実体を失くしており、直接俺に手を出せる状態ではない」と気づくまでしばらくかかった。


「わかってるわよ……あまり口出さないで」


『だったら早く為すべきことをなさいな。神の血の力を手にした怪物がどれほどの脅威かわかったでしょう? 放置しておけばいずれ手に負えなくなるわよ。ほら早く』


メディに囁かれるたびに、リディの表情は曇り、頭を抑えて苦しそうに俯く。思わず自分の頬が引き攣った。どうやら、メディは俺の許可も無く勝手にリディを苦しめているらしい。そう考えている間に、巨大な水晶の駒たちが俺を取り囲む。俺は指をボキボキ鳴らしながら、あくまで笑顔を崩さずにメディに話しかけた。


「相変わらず乱暴やな、メディ。やり方が綺麗やない。奴を殺されたこと、未だに根に持っとるのか?」


「奴」の部分をこれでもかと強調し、皮肉たっぷりに言ってやったつもりだったが、メディの反応は薄かった。


『はぁ? まさか。あれに未練なんて無いわよ。むしろ消してくれて感謝してるくらい。私は今恨みを晴らすのではなくて秩序の味方をしているの。世界を狂わせる害虫を排除しなきゃ……ってね』


「はぁ、あの不埒な奴が、いつのまに真面目になったんやな。ああ、実体無くしたら不埒なこともできひんのか」


メディから「秩序」などという言葉が飛び出すとは予想していなかったので素直に驚いた。だが、直後に低い声でこう返ってきたあたり、「未練が無い」という言葉は嘘だったのだろう。


『お褒めにあずかり光栄だわぁ、この罪人、害悪、怪物。さっさと消えてくれない?』


俺は周囲を取り囲む駒たちを見つめる。ここであの日と同じようにリディと戦えば、今度こそ彼女は俺に引導を渡してくれるだろうか。どこまで「罪人」らしく破壊を重ね、世界に「害悪」をもたらす「怪物」に成り果てれば、彼女は俺を殺してくれるだろうか。


「なるほど、罪人、害悪、怪物……確かに否定できひん。俺は悪人やからな。そんなら、ほな、あの日の鬼ごっこの続きをしよか、リディ。もしお前が俺を捕まえられたら、その時は……」


今度こそ、殺してほしい。

そう願いを込めて、空に手を伸ばし、少し恰好つけてパチンと指を鳴らしてみた。その途端、空が緋色に裂けて溶岩が流れ落ちてきた。対して、リディがサッと手を振ると、大地が一文字に割れて水が湧き上がり、洪水が起きた。それを見て、俺は安堵した。こちらが殺しにかかれば、あいつも必ず殺し返してくれる。


「逃がさないわ……!」


「そうこなくちゃな」


無慈悲で、冷酷で、美しく、消えることのない、そんなあいつが好きだ。

俺一人のために世界も人も押し潰し、自分の恋心を抑えて容赦なく殺しに来てくれるあいつが大好きだ。

俺と殺し合う運命に胸を痛め、涙ぐむあいつを見るのはとても楽しい。けれど、あいつには涙以上に笑顔が似合う。

いつか、俺たちが殺し合わずに済む日が来たなら──何気ない世間話に花を咲かせて、笑ってほしい。

そんな言葉を口にすれば、今度こそ神の奴隷にされ、永遠に生き続けることになる気がした。

だから、結局一度も伝えていなかった。けれど、いつか言ってやりたい。


いつか、あいつが俺を殺す時、勝ち誇った笑顔で「好きだ」と伝えて、

消えない傷を、創ってやる。



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