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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第26話

創造神と破壊神の争いをかいくぐり、ようやく竜の攻撃を振り切って洞窟の入口らしき場所に潜り込んだ時には、既に二人の争いは大陸全土を巻き込んだものとなっていた。紅の竜と蒼の空中要塞が撃ち合い、殴り合い、殺し合う。その巻き添えで地上の街は片っ端から焼き払われ、大陸が火の海と化していた。

俺が辿り着いた洞窟の入口は、小高い丘の中腹にあった。おそらく、俺が閉じ込められていたあの場所へと続く入口だろう。メディに見つからないように身を隠しながら、二人の戦いの様子を見守る。一見すると両者互角か、若干メディが優勢のように見えた。前回の戦いを経て、先程の不意打ちを喰らっても尚、リディの空中要塞に対して優位に立てるあたり、やはり単騎の実力ではメディが勝るのかもしれない。俺は唇を噛みながら蒼の空中要塞を睨む。しかし、俺にできることはない。どれほど運に恵まれようと、リディの血を得ようと、俺は脆弱なヒトの身だ。今、飛び出していっても足手まといにしかならないだろう。この手でメディを殺してやりたいという想いはあったが、この際仕方がない。俺にできることは、リディの勝利を信じ、この争いの結末をこの目で見届けることだけだった。


「ったく、ここまで人をこき使っといて、負けたら赦さへんで」


そうして戦況を見ていた時、外から人の声がした。青年一人と幼い少女一人、聞き覚えのある声だった。少し洞窟から身を乗り出してみると、遠くにリンドウとセイラの姿が見えた。


「は? おい! お前ら、なんでここに!」


リンドウは俺を見つけると大きく手を振った。


「オズ、無事だったのか! あ、なんだその洞窟、入れてくれ!」


それはこっちの台詞だ。喉元まで出かけた言葉を呑み込んで、俺は二人に向かって手を振った。どうやら、二人はリディ達の争いに巻き込まれないような隠れ場所を探していたようだった。洞窟の中に駆け込むと、リンドウは俺の肩を叩きながら言った。


「いや、ほんとよく生きてたな。捜したぞ。俺が小屋から出た後、何があったんだ?」


「メディに連れ去られた」


「メ……っ、破壊の女神が!? あー……たしかにお前、遊ばれそうだな……」


リンドウは憐れむような目つきでこちらを見ていた。そうは言いつつもリンドウは俺の無事を喜んでいそうな顔をしていたが、もう一方の幼女は俺の顔を見た途端、眉間に皺を寄せて冷たくこう吐き捨てた。


「チッ、メディが仕留め損ねるとはな。おかげでこちらが殺す手間が増えた」


俺は笑顔を引き攣らせながら歯をぎりぎり鳴らした。


「いやぁ、無事で悪かったなあ、このクソ幼女。よくもこの俺を騙しおったな。えぇ? 依頼内容が違うのは勿論のこと、リディのやつ、随分お早い到着やないかあ?」


「騙してはいない。1~2日ほど余裕をもって稼ぐべき日数を伝えただけだ。私はギリギリのスケジュールで動くほど子供ではないからな」


子供にしか見えない性悪女は、髪を整えながら横目でこちらを嘲笑っていた。俺は指をぼきばきと鳴らしながらセイラを睨み返す。二人の間でリンドウが困惑していた。


「まあ、邪魔者が残ってしまったのはもう仕方がない。リディも復活したし、布石も打った。もうお前に用はない。あとは好きにしろ。全て終わった後に改めて始末するだけだ」


セイラがそう言って近くの岩に腰掛けると、リンドウが遠慮がちに声をかけた。


「あー……おっかない話してるとこ悪ぃんだけど、猫のことはもういいのか?」


「猫?」


俺が聞き返すと、リンドウは両手で肩幅くらいの大きさの楕円を描きながら、これまでの経緯を説明した。


「いや、お前がいなくなった後、この幼女とまた会ってさ。こーのくらいの大きさのでかい猫を捜してるって言ってたのさ。その猫がお前の居場所も知ってるっていうから、一緒に猫を追ってここまで来たんだよ」


俺とメディの居場所を知っていた猫について、一つだけ思い当たる節があった。


「あー……エルメスやな。あいつ、悪運強いなあ……にしても、エルメスのことよう知っとったな?」


セイラに尋ねると、セイラは俺の顔を指す。


「お前の記録書に載っていたからな。最古の魔術師やメディについて知っている貴重な者だ。念の為に確保しておこうと思った。だが、それはまあオマケのようなものだ。見つからなければそれはそれで構わん。それよりも重大な争いが目の前で起こっているからな」


セイラは洞窟の外で繰り広げられている争いをじっと見つめていた。竜と要塞がぶつかり合い、殺し合う。その余波で地は抉れ、海は割れ、空は捻じれ、街も人も吹き飛んでいく。俺とリンドウは一歩洞窟の奥へと下がった。しかし、セイラは逆に一歩外へと踏み出した。


「……行くんか?」


「ああ。私はリディに仕える者だからな。この争いがひと段落した後の準備をせねばならない」


「おまえ、幼女らしくないというか、こう、男前やなあ」


「それは稀に言われる。が、意味がわからん。『幼女』とは、お前たちの中では脆弱なヒトの幼体の女という意味を含んでいるようだな? 自分たちは首が取れただけでも機能停止するくせに、なぜヒト共は自分たちより私のほうが少し質量が小さいというだけの理由で、私を侮ったり庇護しようとしたりするのだろうな」


セイラにこちらを嘲笑う様子はなく、純粋に自分の扱いに疑問を持っているようだった。この頃のセイラは、キラ達と出会い、打ち解け、散っていった時期のセイラとはかなり性格が違う。この時期のセイラは「世界を維持する為のシステム」であり、ヒトに対する慈悲も関心も薄かった。そしてこの頃の俺も、後の俺と比べるとまだまだ青く、セイラの言葉を聞いた時は眉間に皺を寄せながら舌打ちをしていた。


「ふん……まあええけど。にしても、争いがひと段落した後の準備って、随分余裕やな。いくらリディが策士といえど、今からもう勝ったつもりで戦後の後始末の準備やなんて、ちょいと油断しすぎとちゃう?」


「いや、戦後のことではない。メディを無力化させた後、戦後処理に至る前のことだ。封印をしなければならないからな」


そう、この頃の俺は本当に青くて、幼くて、迂闊だった。相手には騙そうという気すらなかった。これは本当に単純な確認不足が招いた悲劇だ。リディ達と俺の目的が最初から食い違っていたことに、この時になってようやく気づいたのだ。


「は……? 封……印……?」


間の抜けた声で聞き返す俺を見て、セイラは「何をいまさら」とでも言いたげな顔をしていた。


「そうだ、封印だ。リディと私達とで話し合った結果、そう決めた。メディを打ち倒すことができたならば、世界をこれほどまでに搔き乱してしまった罰として、メディの肉体と精神を切り離し、肉体を封印して無力化しようと決めた。そして、私達やリディも歴史の表舞台から姿を消そうと……そう決めている。よかったな、神嫌いの若造。これでお前は大嫌いな神と二度と出会わずに済む」


俺は咄嗟にセイラの胸倉を掴んだ。


「おい待て、話が違う。リディはメディを仕留めるっていうてたやろ。封印ってことは、殺さずに封印するってことか?」


「そうだが?」


「俺の目的がメディへの復讐だということを承知の上で、それを今更言うたんか?」


「……なんだ、その顔は。リディはメディを仕留めた後、肉体を封印する予定だということを伝えなかったのか? だとしても、お前の『復讐』に差し障りは無いだろう。肉体を封印してしまえば、メディはもはや何もできん。お前の故郷の悲劇を繰り返すどころか、指一本動かすことも蟻一匹殺すこともできん。それはメディ……いや、神にとってこれ以上無い屈辱だと思うが?」


腹から心臓へ、心臓から脳へ、脳から全身へ、怒りがこみあげてきた。もう幾度となく繰り返してきた言葉を、再び胸の内で繰り返した。やはり、神に人は理解できない。俺はセイラの小さな身体を岩壁に押し付けながら低い声で囁いた。


「いいや、人外ども。お前らはヒトの『復讐』を微塵も理解してへん。殺してやらな、怒りは収まらへん。いや、殺したとしてもきっと憎悪は燃え続ける。俺の妹が、両親が、友人が、これまで死んでいった奴らと同じ目に遭わせて、謝罪されても、惨めに転げまわって命乞いされたとしても、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して…………自分の精神さえ擦り切れて死に絶えるくらいまで殺し尽くして憎悪をぶつけてやらな、意味がない。神の被造物め、容易くヒトのことを知ったような顔をするな」


その時の俺はどんな眼をしていたのだろう。セイラは化物でも見たかのような険しい表情をした後、普段通りの仏頂面に戻り、冷静にこう語った。


「まるで、自分がヒト代表であるかのような言い草だな。言っておくが、メディを殺せば世界も滅ぶしヒトも滅ぶぞ」


「は?」


「リディが『創造』、メディが『破壊』を司る神であることを忘れたのか? メディを殺すということは、この世界全ての『破壊』を行い、制御する力が失われることと同じだ。『創造』と『破壊』のバランスが崩れ、世界という器の大きさに見合わない質量が生まれ、世界に注ぎ込まれてパンクする」


俺はグッと黙り込み、唇を噛む。「一旦、落ち着け」と思考が感情に命令したが、感情はもはや首輪の外れた狂犬のように暴れ出したまま止まらない。震える右の拳を左手で抑えながら、俺はセイラに尋ねた。


「意味がわからへん。メディが死ぬと、具体的に何が起こる?」


「まず、全ての生命が死ななくなる」


俺はぽかんと口を開いたまま、何も返せなかった。傍で話を聞いていたリンドウが言った。


「それ、まずいのか? 生まれた種族や場所によっては呼吸してるだけでも死ぬかもしれない世の中だ。常に死を覚悟してる俺達からすると願ってもない話のように聞こえるんだけど」


「生命が死ななくなるとは言ったが、増殖しつづける生命に耐えうるほどのキャパシティがヒトにも世界にもあるとは言っていないぞ?」


「抽象的すぎてわかんないな。もっと具体的に、どうなるんだ?」


「例えば、頭を破壊してもヒトが死ななくなる。頭が破壊された血みどろの状態のまま、少しずつ失われた部位を再生しながら世界を闊歩するようになる。他には、捌いた魚や焼いた肉も死なない。その魚や肉をヒトが食べると、ヒトの体内で魚や肉が元の形に再生する」


そのあたりから、ようやく事の重大性が見えてきた。リンドウも同じことに気づいたようで、険しい表情でこう尋ねた。


「え、じゃあ破壊の女神が死んだ後、たとえば俺が魚を捌いて切り身の一部を焼いて食ったら、腹の中で元の状態の魚に戻るってことか?」


「そうだ、身の一部のみを食ったとしても、尾びれからエラまで元通り、焼け跡まで消え去った生魚になる。肉でも、野菜でも、そうなる。単純に、腹の中で食った物の質量が増えるだけでも、ヒトとしては辛いだろう。魚一匹程度の質量ならまだ耐えられるかもしれんが、牛の肉で同じことがおこったらどうなる?」


「う、わ……」


「勿論、食した生物にのみ起こる現象ではない。いや、そもそも生物を食せる状態に加工することも難しいだろうな。いや待て、おそらく食物以前の問題になるな。身体を構成するあらゆる組織が死ななくなる。メディが死んだ瞬間から、あらゆる生物の全身を構成するもの全てが無限増殖を続ける癌になる」


リンドウの顔から血の気が引いた。セイラはさらに考察を続ける。


「ヒトもその他の生物も、老いても心臓が止まっても、皮や肉を失って骨だけになっても死ねない。そもそも生物の形を保てない。それどころか、死者が蘇ることもありえる。それに加えて、」


「まだあるのか?」


「もちろん。これは生物の機能としての話だ。しかし、ヒトは群れとなり、社会の中で生きていく生物だろう? ヒトを含む全ての生命にこのような異常が起きれば、当然ヒトの社会にも大きな影響が現れる。ただでさえリディとメディの争いの影響で不安定な世の中だ。都市部でもその他の地域でも、突然の異変でパニックが起きるだろうな。私達やリディですら対応できない事態だ。世界のシステムに関わる権限を持たない人々に対処できる事態だとは思えん。他にも様々な問題が起こると考えられるが、まだ聞きたいか?」


俺もリンドウも一言も言い返せずに黙り込んだ。俄に信じがたい話だったが、ブラン聖堂の地下に存在する世界樹、そしてリディとメディ、『創造』と『破壊』の圧倒的な力を目の当たりにした今となっては、頭ごなしに否定することもできない。ようやく静かになった俺たちを見て、セイラは最後にこう言った。


「これが絶対に起こしてはならない事態だということはお前たちにもわかるだろう。この点に関してはお前たちヒトと私たちシステムの利害は一致していると思うのだが?」


「……………………」


「だから、世界の『破壊』を管理・破壊するシステムであるメディの存在は維持したまま、メディがこれ以上お前たちヒトの世界に干渉しないように身体を封印する」


「そないなことができるんか?」


「できる。微妙なさじ加減になるが、リディはそのための封印方法を長い時間をかけて創り上げた。オズ、もうお前の故郷のような惨劇が繰り返されることはない。この世界が滅ぶこともない。私はこれ以上の落としどころは無いと考えるが、それでもまだメディを殺したいと願うか?」


身体と思考と感情の矛盾はまだまだ止まらなかった。思考は「セイラの言うとおりだ。これが最良の妥協点だ。落ち着いて考えればわかるはずだ」と言った。感情は「なにが最良なものか。止まるものか、この憎悪が消え失せるまで殺し尽くさずにいられるか」と言った。身体は、両者の間で板挟みになり、動くことも言葉を返すこともできないまま立ち尽くした。

数秒後、身体の動きを妨げる思考と感情を振り払うかのように、岩壁を一発殴って歯ぎしりした。そして、俺はよろよろと洞窟の奥へと歩いていった。

リンドウが困った顔で声をかけた。


「おい、オズ。どこに行くんだ」


「……ちょいと頭冷やしに」


一方のセイラはこちらには見向きもしないで洞窟の外へと出ていった。きょろきょろと両者を見つめているリンドウを置いたまま、俺は暗い方へ暗い方へと進んでいった。



俺はずっと憎悪を糧に生きてきた。両親が死んだ。妹が死んだ。友が死んだ。これまで世話になった何人もの人々が死んだ。大切な人が死んだ怒りに震え、彼等を殺した神を憎むのは、ヒトとして当然の怒りだと思っていた。神を殺せば、世界が滅ぶだなんて、誰も教えてくれなかった。

いや、本当にもっと早く知っていれば、それで済む話だったのか?

足元すらろくに見えない洞窟の奥底で、俺は足を止めた。気づけば、もうリンドウやセイラの姿は無く、声も聞こえなくなっていた。誰もいない。急かす者も止める者もいない。そのはずなのに、頭の中で誰かの声がする。血が欲しい。喉が乾く。殺せ。手が震えた。胸が苦しい。その時に気づいた。世界が滅ぶことを知ろうが知らなかろうが、俺が選ぶ道は変わらなかった。心臓がドクンと鳴った時、胸が張り裂けそうな痛みが走り、俺は膝をついてしゃがみこむ。殺せ、殺せ、血が欲しい──だがこれは本当に、俺自身の意志なのか?


「ぶにゃあ」


当然、間の抜けた声が静寂を裂いた。なにかモフモフとした丸い物が俺の脚に身体を擦り寄せている。暗闇で姿が見えないが、多分エルメスだ。俺がおもむろに頭を撫でると、エルメスは「ぶにゃーぶにゃー」と声をあげながら俺の膝によじ登った。


「アホやなあ……」


エルメスの背中を撫でながら、胸の痛みに耐える。暗闇の中で、俺はようやく自分自身を疑った。背中が焼けるように熱い。これは何だ? なぜ、俺はセイラの提案に納得できなかった? メディを殺してやりたい。これまで抱えてきた全ての憎悪を吐き出してしまいたい。この衝動をなぜ抑えられない?

この殺意に身を任せて世界を滅ぼしてしまったら、俺はきっと後悔するだろう。世界が滅ぶ瞬間、これまで関わってきた人々が死んでいくのを見て、どうせ俺はまた悲しむのだろう。その結末がわかっているのに、なぜ俺はセイラの提案に頷けないのだろう。何度も何度も胸の痛みに耐えていくうちに、段々と自分の意思が何かに蝕まれつつあるのだと気づいた。きっと、師が背中に植え付けた魔法陣がその「何か」の正体だ。そしてリディから貰った血が、俺の背に取りついたものの意思を全身に伝えている。背中が焼けるように熱くなり、胸が痛む度に頭の中で声がした。殺せ、殺せ、血をよこせ──と。

乾いた嗤いがこみあげてきた。大切な人々を失い、倫理観を失い、人の道を踏み外した末に、自分の意思ですら自分のものではなくなるのか──そう思いながら、痛みに耐え続けているうちに意識が朦朧としはじめ、いつのまにか俺は瞼を下ろして眠りに落ちた。



再び目が覚めた時、エルメスは姿を消していた。背中や胸の痛みも消え去っていた。俺は立ち上がり、再び洞窟の奥へと進んでいった。静かだった。頭に響く声も消え去り、外の争いの音も聞こえない。リディとメディの戦いはどうなったのだろう。そう思った時、遠くに紅の灯りが見えた。そこは、メディに連れ去られた後、俺が最初に目覚めた場所だった。地面には洗脳装置の欠片が散らばっており、メディに甚振られた時の爪痕がくっきりと残っていた。周囲の岩にはまだ紅の水晶が残っており、ぼんやりと光を放って洞窟内を照らしていた。俺は虚ろな目をしたまま空を見上げた。天井に空いた穴から月が見える。いつのまにか真夜中になっていたようだ。煌々と輝く月を背景に、竜と空中要塞が互いを引き裂き合っていた。両者共に満身創痍だった。既に竜は右前脚と左後脚をもぎ取られ、破れかけた翼のみで移動している状態だった。一方の空中要塞も殆どの駒を失い、本体の主砲と副砲のみで応戦している状態だった。どちらが勝つのだろう。それすら、もうどうでもいいと感じた。

その時、竜が左前脚で空中要塞の主砲に掴みかかり、へし折ろうとした。だが、竜が主砲に牙を立てた時、地上から無数の蒼い光が空中要塞に向けて昇っていった。地上で何が起こっているかはわからない。だが、その蒼い光を受け取った空中要塞は月に向けて透明な枝葉を伸ばし、枝先に桜のような蕾を付けた。その蕾が花開いた時、その花の中心には小さな砲が付いていた。一本の透明な桜の樹に付いた花の全てが竜に向けて銃口を向ける。幾百万の銃口を向けられた竜は苦悶の表情を浮かべながら桜の樹の頂上を見上げた。そこには、月明かりを浴びながら穏やかに微笑む純白の女神がいた。


「さあ、これで永い争いはもう終わり。ねえ、そうでしょう……?」


一瞬リディが俺に視線を向けたような気がした。自分の頬に、一筋の涙が伝った。その時、空中要塞は集中砲火を始め、竜の翼に無数の穴が開いた。翼はその役割を失って、竜はゆっくりと地にむかって落ち始めた。だが、左前脚が主砲を掴んだまま離さない。リディは竜の口の中を指した。主砲はその指示に従った。そして、最後の一撃が放たれた。


ずっとこの時を思い描いてきた。諸悪の根源が倒され、長い争いが終わる時、そこにはどんな凄惨な光景が広がっているのだろうと考えてきた。現実は妄想よりもずっと美しかった。竜の身体が空から地へと落ちていく様子は、まるで月が涙を流しているかのようだった。竜の身体は四つにちぎれて散らばった。その破片のうちの一つが、見慣れた少女の姿になって──俺がいる洞窟へと落ちてきた。

目の前に落ちてきたメディは大人しかった。瞼を閉ざしたまま動かなかった。頭と胴体だけがどうにか形を保った状態で、腕や脚は再生しきれず、どろどろと溶けだしている。俺はずっと殺したいと願い続けてきた仇の傍らにしゃがみこんだ。俺が手を下すまでもなく、死んでしまったのではないかと思うほど静かだった。俺が手を伸ばした時、背後で声がした。


「止まれ」


セイラの声だった。天井に開いた穴の淵に腰かけ、地上からこちらを狙っていた。


「お前がメディを殺す気なら、お前は私がここで殺す。すぐにメディから離れろ」


今にも殺されそうな状況だというのに、何の感情も湧いてこなかった。メディを殺して世界を滅ぼすか、妥協してメディを引き渡す道を選ぶか。その二者択一すら、もはやどうでもいいと感じた。瞼を閉じて眠るメディの横顔は、リディとよく似ていた。喉が乾いた。そう思った時には、俺は既に手をメディの首筋へと伸ばしていた。


「……そうか。なら、後でリディに恨まれることは覚悟しよう」


そう言って、セイラは宙に蒼い魔法陣を描き、中心から光の剣を放った。その時、また背中が焼けるように熱くなった。すると、防御魔法を使った覚えも無いのに、セイラの放った剣が弾かれた。


「……なっ、」


セイラは自身の攻撃が弾かれたことと、その時の俺の行いに驚愕の声をあげた。俺はメディの首筋に牙を立てて、血を吸った。普通の人間ならば失血死してもおかしくない量を、吸えるだけ吸い尽くした。仇を殺せば全てを失い、殺さなければこれまでの人生の意味を失うというのなら、命以外の物を奪おう。これが俺の考えた「妥協点」だ。そう考えてその血を喉に送った瞬間、心臓が破裂しそうなほど痛み、焼けそうなほど熱い背中から翼が生えた。翼は骨と紅の鉱石を継ぎ合わせたような形をしており、自分の身体の二倍はありそうな大きさに肥大化していた。


「なんだあれは。おい、お前、聞こえているか!?」


困惑するセイラの傍を別の影が通り過ぎ、背後から光の鎖鎌を俺の首に向けて放った。僅かに振り向いてみると、セイラとよく似た顔立ちの少年──イオがいた。


「全く、セイラは甘いなあ。お片付けはもっと手早く済ませなきゃ」


イオは俺の正面に回り込み、パチンと指を鳴らす。地面から新たに二つの鎖鎌が生え、背後のものと加えて三方向からこちらの首を狙っていた。俺は防ごうとすら思わなかった。だが自分の意志に反して周囲に紅の魔法陣が多数現れ、鎖鎌を破壊した。何が起こっているのだろう。そう思い、イオのほうへと視線を向けた。その瞬間、翼が勝手にイオを弾き飛ばした。


「え……」


俺は吸えるだけの血を吸い切り、顔を上げた時、イオは洞窟の岩壁に身体を叩きつけられ、頭から血を流していた。相手が神の被造物なのでまだ息があったが、もし普通のヒトだったならば死んでいるであろう出血量だった。


「くっ、そおおおお! なんだよお前、その力、その姿、お前何をやらかした?」


イオの苛立った声もろくに耳に入ってこなかった。体中が痛い、熱い。何をやらかしたのか、こちらが教えてほしいくらいだ。呼吸をするたび、新たな魔法陣が生まれ、自分を阻むもの全てを破壊した。きっとこれが、新たな力が湧いてきた証拠なのだろう。俺は目を瞑り、かつて師に渡された資料の内容を思い出す。『創造』と『破壊』、二人の女神の血を得た時、ヒトの手で創られた新たな神が生まれる──今がその時だ。


「十中八九、最古の魔法使いが行った実験の影響だろう。体勢を立て直せ。私も加勢する。こいつは今ここで殺さねば、世界に大きな癌を残すことになる」


「メディの血のせい? セイラ、これどういうこと?」


「わからん、最古の魔法使いの人生とその著作物の内容はメディによって既に『記録書』に残らないよう細工されている。奴に一体何が起こってるのかは私にもわからん」


「よくわかんないけど、とにかく殺さなきゃとんでもないことになるってことだね」


セイラとイオが何か言っている。二人が空から多数の矢を放ったり、地面から化物を呼び出したりしている様子を、俺はぼうっとしたまま見つめていた。全身の痛みに耐えかねて「痛い」と呟いた瞬間、空の矢は全て撃ち落され、地面から這い出てきた怪物は全て殺された。背中の翼と無数に広がる紅の魔法陣が、俺を殺そうとするもの全てを駆逐していた。「何が、」と呟いた瞬間、イオの胴体が引き裂かれた。「え?」と驚きの声を漏らした途端、セイラの両脚が切り刻まれた。その時になってようやく、俺は我に返り、まともな思考が戻ってきた。


「おい、お前ら! なんやこれ、制御が……できない……」


一瞬正気に戻ったのも束の間、すぐに意識が薄れ始めた。殺してやる。全て破壊してやる。たとえ世界が滅ぼうと、何もかもを破壊しつくしてやる。段々とそのような思考に取り憑かれ、俺は手始めに周囲の岩壁を手あたり次第に破壊した。

今の自分はおかしい。俺の目的はあくまで復讐だ。こんな無意味な破壊を望んではいない。まともな意識が薄れていく中でそう叫ぼうとしたが、自分を殺そうとしていたはずのセイラとイオですら岩陰に隠れて自分の身体の再生を待つのが精一杯の状態で、今の俺を止められそうになかった。


「なんだこの化物……こんなやつ、殺さなかったらボクらもヒトも大変なことになるよ」


イオの声が微かに聞こえた。俺はそのとおりだと思った。血を吸い尽くされて地面に横たわるメディを見つめた。俺は破壊を止めない右手を左手で抑えながら、「もう十分やろ」と呟いた。それから、空を見上げた。蒼の空中要塞がまだ頭上に浮かんでいた。今こそ、約束を果たしてもらう時だと思った。そう思い、俺は肥大化した翼を広げて地上に向けて飛び立った。

地上は穏やかな風が吹いていた。洞窟の上は小高い丘になっており、低地のほうで無数の蒼い光が蛍のように瞬いているのが見えた。静かな夜とは裏腹に、俺の背中の翼は今も成長を続け、近寄るもの全てを破壊しつくしていた。俺は両手を広げて、夜空に浮かぶ空中庭園を見上げ、リディの名を呼ぼうとした。その時──


「おい、オズ!」


自分の名前が聞こえて、俺は思わず振り返った。「来るな」と警告する暇すら無かった。こちらに駆け寄るリンドウの姿が見えた。肩から脇腹にかけて、胴体を袈裟斬りにされ、血を噴き出して死んでいく瞬間だった。俺の足元の魔法陣から鞭のようにしなる刃が一仕事終えて消えていく。


「リン…ドウ……?」


俺の足元には、内臓と骨が剥き出しになった遺体が転がっていた。思わず遺体に手を伸ばそうとした時、さらに追い打ちをかけるように、紅の魔法陣から刃が伸びて遺体を切り刻んだ。その瞬間、ずっと張りつめていた糸がぷつん、と切れたような気がした。それきり、もう目の前の遺体を見ても、これまでの出来事を思い返しても、「辛い」とは思わなくなった。

俺が呆然と立ち尽くしていると、空から鈴の音のような声がした。


「オズ……?」


純白のドレスが風に揺れる。桜の花弁のような髪が月明りに照らされていた。リディの顔を見た瞬間、再び頬に涙が伝った。俺はリディに「殺してほしい」と言おうとした。以前した約束を果たすためという理由もあったが、あの双子の言うとおり、この強大な力を自分で制御できないのであれば、もう俺は殺されるべき害悪でしかないと思ったからだ。だが口を開いた時、自分が伝えたいこととは全く違う言葉を言っていた。


「殺してやる」


もはや自分で自分がわからなくなっていた。身体も心も思考の言う事を全く聞きやしない。頬には涙が伝うのに、顔は笑っており、心には憤怒の炎が渦巻いていた。

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