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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第23話

一度アンゼレの街を見てしまうと、東の町はどこも生きる力を失った土地のように見えてしまう。どの街も荒れ果てており、人の共同体としての機能を失っていた。秩序が崩壊した街には暴徒が蔓延る。脆弱な人々は彼等に頭を下げながら、影で怯えながら暮らしていた。

天使と悪魔、西と東、人々の暮らしの差をこのように見せつけられると、リディを善良な女神として崇めていたアンゼレの人々に僅かに共感できるようになってくる。アンゼレを「天国」に例えるなら、メディの支配下にある東の土地は正にこの世の「地獄」だった。


「あいつ、相変わらずワンマンプレイやなあ……」


俺は、今まさに餓えと病で衰弱死しようとしている少女を見下ろしながら呟いた。助けようとは思わなかった。しかし、介錯をする理由も無かった。

その時、一人の男が俺に話しかけてきた。


「この街の制圧は終わった。お前の情報通りだった。『ダフネ』といったか。天使共の情報を持っているというのは本当のようだな」


『ダフネ』という偽名で呼ばれた俺は、死にかけの少女に背を向けてその男のもとへと向かった。


「俺の情報が役に立ったようなら何よりだ。んで、前に話したとおり、ちょいとそのへんの管理しとる奴に掛け合ってくれないか?」


「試してはみるが……期待はしないほうがいい。基本的に話が通じないヤツばかりだからな。もし自分の腕に自信があるなら、お前が自分で殴り込みに行ったほうが早いかもしれん。シンプルな暴力で語るのが一番速い」


アンゼレでは暴力で物事を解決することは固く禁じられていた。権力者の支配が行き届いていない無法地帯ならまだしも、女神のお膝元でもこの事態──正にリディが治める世界とは正反対だった。


「女神サマのお膝元で殴り合いなんてしたら、灰にされるんじゃないか?」


「されるだろうな。無理なんだよ。新入りがアレの管理場所に入り込むなんて。もう少し自由が利くような地位を手に入れてからにしな」


「地位、か……神サマに跪いて頭を垂れろと?」


「こっちの陣営じゃ、それができなきゃ、地位を手に入れるどころか存在しているだけで殺されるぞ」


例え芝居でも、メディに服従の意を示すことは自分のプライドが許さなかった。しかし、ここで自分の感情に安易に身を任せてしまったら、リディから請け負った「仕事」を果たすことができない。

俺は数秒考え込んだ後、答えを決めた。


「神の裏をかこうと考えているなら諦めな。じゃないと……ふがッ!?」


男がそう言った時、男は胸部を無数の巨大な棘で貫かれていた。


「わかった。なら、まずお前の地位をもらうことから始める」


男の口から血が吹き出し、地面を濡らした。地には紅の魔法陣が広がり、無数の棘が男を何度も貫いて痛めつけた。

数十秒後、男は石のように動かなくなった。俺は男の死を確認してから、持ち物を漁った。俺はメディへの忠誠の証である紋章、魔物や狂化した人を操る術式が刻み込まれた薄い本を奪い取る。そして早速本に刻まれた術式を発動し、魔物達を集めて男の死体を喰わせた。

俺は全ての仕事をただ淡々とこなしていった。先程まで自分と話していた男が、へし折られ、引きちぎられ、食い尽くされていく姿を見ても何の感情も沸かなかった。

一仕事終えて、魔物と狂人達を連れて立ち去ろうとした時、背後から少女の声がした。


「外道……最低……まるで、死神、ね……」


先程の衰弱死寸前の少女が、地面に横たわったまま俺を見上げていた。


「せやな」


そう呟いて少女の顔を見た時、既に少女は息を引き取っていた。




あの日、ブラン聖堂でリディから依頼を受けた後、俺はメディが支配する東部地域──現在のデーヴィアにあたる地域へと向かった。

依頼内容はメディの陣営への潜入と、洗脳装置の破壊の二つ。報酬はリディの血だ。この作戦と平行してリディは東部への侵略を行い、最終的にメディを仕留めるつもりのようだった。

ブランでの戦いがリディの勝利に終わった後、天使達はメディを追い詰める為に東部への侵攻を進めているところだった。一方の悪魔達は侵攻を止める為に領土の防衛にあたっている。今、俺がするべきことは、天使達が侵攻する予定の場所や、彼らの作戦を悪魔達に流しながら、メディへと近づく足掛かりを作ることだった。


「しかし、こんなんで本当に正体隠せてるんやろか……」


俺は民家の窓ガラスに映った自分の姿を見て呟いた。菫色の髪は金髪に、真紅の瞳は褐色に、顔の形や鼻の高さも本来の自分の顔から変わっている。俺は左手の人差し指に嵌められた指輪をじっと見つめた。リディから貰った指輪の力のおかげで姿は変えられたが、相手は万能を謳う破壊の神だ。外見を変えた程度で騙しきれる自信は無かった。現状はできる限りメディからは離れた場所で仕込みを続け、直接の接触は避けるべきだろう。

まずは現状の手札の確認からだ。俺は先程の男から奪った魔本を開く。中には様々な生物を洗脳し、操る為の魔法の使い方と、発動の為の魔法陣が描かれていた。

最初に現在操作できる魔物を全て集めてみた。すると、数十体の魔物が俺の周囲に集結した。次に、人を操る為の魔法の項目に目を向ける。人体実験施設にいた頃から噂は聞いていたが、実際にその魔法を見るのは初めてだった。


「冥府に伝わりし闇の力よ……傀儡を我が元に呼び寄せよ……アプレ・ラ・マリオネット!」


本に書かれた呪文を唱えると、十数人の兵士が俺の前に集まってきた。どの兵士も目に光が無く、石像のように立ったまま動かなかった。


「お前ら、名前は?」


そう尋ねると、兵士達は順番に自分の名前を答えた。「年は?」と尋ねるとそれぞれの年齢を、「出身地は?」と尋ねると、それぞれの出身地を答えた。

俺はしばらく黙り込んだ後、「好きな女のタイプは?」と尋ねてみた。すると、全員一言も答えなかった。つまらない奴らだと思った。

洗脳された兵士たちにあれこれと指示を出して実験していた時、突然背後から声をかけられた。


「あまり無駄に働かせすぎないほうがいい。食料の備蓄は多くないから、無理をさせると死人が出る」


ちょうど俺と同い年くらいの青年がいた。一般的な兵士のような服装をしていたが、先ほどの言葉を聞いたかぎり、おそらくこの青年は洗脳されていないのだろう。だとすれば、先ほど殺した男の部下だろうか。俺が一瞬身構えると、青年は溜息をついた。


「いや、べつに上司を殺したことを責めはしないよ。上が誰だろうと、俺に火の粉がかからなきゃどうでもいい」


「前の上司は、火の粉をかけてくるやつだったのか?」


「そうだな。気に入らない奴がいると魔物の餌にしたり、奴隷兵士に袋叩きにさせたり、ひどいやつだったよ。今度の上司はそうではなさそうで安心した」


「今度の上司」とは俺のことを指しているのだろう。その「ひどい上司」を無残に殺した人物に対して、呑気なことを言うものだ。俺は鼻で嗤いながら尋ねた。


「どうして、俺はひどいやつじゃないって思うんだ?」


「さっき、洗脳された兵士たちに女の趣味を尋ねただろ。あいつらに個人としての人格を求めている証拠だ。なにを自虐的になってるのか知らないが、お前、自分が思っているよりも多分いいやつだよ」


そう言われ、俺は悪態をついた後にしばらく黙り込んだ。自分が魔物に人を殺させた狂人である自覚はあった。だが殺人者に対して「いいやつ」という言葉を投げかけるコイツも十分狂っている。


「お前、名前は?」


俺が尋ねると、


「リンドウだ」


相手は素っ気無く答えた。どうやらリンドウに敵意は無いようだったが、不可解な点は多い。俺は早速リンドウにいくつか質問をした。


「そういや、どうしてお前は洗脳されてないんだ?」


「破壊の女神に逆らう気が無いからだ。さっきの上司もそうだけど、破壊の女神の狂信者だったり、女神に従順に従う奴は洗脳されないんだ。」


「さっきの奴が、女神の狂信者?」


「そうだ。だから、もしさっきお前があいつを殺してなかったら、あいつは女神に『逆賊がいる』って密告して、お前は女神に消し炭にされてた。ちなみに、顔がいい奴の場合は消し炭じゃなくてボロ雑巾だ」


俺は苦笑いすることしかできなかった。あの憎たらしい神に跪かなければ、洗脳されるか消し炭かボロ雑巾の三択しか道が無い世界。俺はこの地獄とアンゼレの街を比較し、「そりゃ人々がリディに手を貸し、救世主のように崇めるわけだ」と納得した。

すると、今度はリンドウの方からこう尋ねてきた。


「俺からも訊きたいんだけど、お前、天使たちの情報を知っているんだよな? アンゼレには行ったことあるのか?」


「あるけど」


「どんな街だった?」


俺は首を傾げた。破壊の女神に仕える悪魔であるならば、確かに敵の拠点の話に興味を持つものだろうが──その時のリンドウの目は、遠方のリゾート地の話でも聞いているかのように輝いていた。


「どんな……って、綺麗な街だったな。人もいいやつばかりだったし、生活には不自由してなさそうだった。面白い店も多かったな……あ、この帽子とかアンゼレで買った」


「スゲーぇ。他には、どんなことがあった? 飯とか美味いのか?」


急にリンドウが子供のような反応をしはじめた。このあたりで、俺はようやくリンドウは純粋にアンゼレの街に憧れを抱いているのだと気づいた。


「お前、アンゼレに行きたいのか?」


「……そうだよ。悪いか」


「悪くないけど、それでよく洗脳されずにやってこれたな」


「……親が破壊の女神を崇拝していたからな。まあ、そのせいでアンゼレに行きたくても行けないんだけど」


そう言った時、リンドウの背中から漆黒の翼が生えてきた。「悪魔」の特徴である翼──元々、悪魔はメディに忠誠を誓った者が、天使はリディに忠誠を誓った者が翼を授けられて生まれた種族だと聞いている。だが、リンドウは生まれながらの悪魔族のようだ。おそらくリンドウの親はメディから翼を授けられ、その子供は生まれながらの悪魔族となったのだろう。

かくいう俺も生まれながらの吸血鬼だ。女神が地上に現れ、天使と悪魔が生まれ──ヒトの世は、生まれた種族によって天国か地獄か定められる世界へと変貌してしまったわけだ。


「つまり、お前は純粋に良い生活がしたいわけだ?」


「まあ、そういうわけだ」


「お前と似たようなことを考えているやつは多いのか?」


「さあ……けど、探せばいるんじゃないか? 親のコネのおかげでどうにか正気を保っているが、実際はこの地獄から抜け出したくて仕方がない『二世』がさ」


俺は自分の左手の指輪をじっと見つめた。一つ、メディの懐に潜り込むためのアイディアが浮かんだ。リスクの高い案ではあったが、成功した場合、メディの陣営を壊滅寸前まで追い込むことができるだろう。


「なあ、リンドウ。一つ提案がある。お前、メディレイシアを敵に回す覚悟はあるか? お前一人ではなくて、お前と同じことを考えている同志、そして、リオディシア率いる天使軍と共にだ」


「詳しく事情を話せって言ったら、話してくれんのか?」


「ああ。率直に言うとな、俺は天使側のスパイだ。リオディシアの軍を進軍させて、メディレイシアを討ち取るためにこうして小細工しにきた。お前に手ぇ貸してほしいんだよ」


リンドウは眉をひそめながら尋ねた。


「貸したら、俺に何の得があるんだ」


「戦後のアンゼレでの生活を保障してやる。直接リディに掛け合ってやるよ。どうだ?」


俺はリンドウに右手を差し伸べながら微笑んだ。左手には先程盗んだ魔本、俺の隣には洗脳された魔物がズラリと並んでいた。リンドウは険しい表情で呟いた。


「そりゃ、俺に拒否権無いだろうがよ……」


リンドウは大きく深呼吸した後、すぐに両手を上げて「降参」の意を示した。


「わかったわかった、協力する。どうせどう転んでも死ぬんだ。最後に博打に乗ってやるのも悪くない。ただ一つ、条件として聞きたいことがある」


「なんだ」


リンドウは大真面目に言った。


「お前、好きな女のタイプは?」


俺は思わず笑い声をあげた。脅迫されているも同然のこの状況で、冗談を言う馬鹿は嫌いではない。だが同時に「どうせこいつも死ぬんだろうな」と、どこか冷ややかにその様子を見つめている自分もいた。


「そりゃあ、俺を飽きさせない女だ」


そう答えた時、純白のドレスの少女が脳裏に浮かぶ。もはや何度拭っても拭いきれないほど、「彼女」の存在は頭にこびりついていた。




壊れた街の路地裏で、俺はリディの「使者」に向けて告げる。


「──せや、俺は内から掻き回す。お前らは外からぶち壊せ。そうあいつに伝えてくれ」


「使者」としてやってきたセイラは気だるい口調で言う。


「お前の要望に答えるのは釈だが……一応リディに伝えておこう。おそらくリディも拒みはしない。要望は先程の二点だけか?」


「ああ。一つは戦後のアンゼレへの移住希望者の生活の保障、もう一つは『生贄』を一人くれ。その二点や」


セイラはこちらを値踏みするような目つきで頭の先から足の先へと視線を動かした。こちらもついじろじろとセイラの服装とひなびた路地裏の景色と見比べる。フリルとリボンがふんだんに使われたセイラの服はこの地獄の街と全く合っていなかった。


「全然関係ないんやけど、お前、その格好やと下品なゴロツキとかに絡まれたりせぇへん?」


「確かにそのような輩は度々現れるが、私がヒト如きに遅れをとると思うのか」


どうやら、これまでセイラをか弱い幼女と勘違いした輩は皆、力で捻じ伏せられてきたようだった。最初は「大人しくその場に合った服を着ていたほうが面倒が無いのでは」と思ったが、すぐに「どのような服を着ていたとしても、女子供というだけでなめられるので大差ない」ということに気づいた。このお人形のような可憐なドレスは、セイラがこの地獄の中でも自由を奪われずに闊歩できる、圧倒的強者の証となっていた。


「で、お前の要望についてだが……」


そこで俺は我に返って、再びセイラの話に耳を傾けた。


「これは私の予想なのだが、アンゼレへの移住希望者を受け入れること自体は可能だ。しかし、その後移住希望者たちが望むような生活を送れる可能性は低いと考える」


「ほぉ、お前からヒトの生活なんて言葉が聞けるとは思わへんかった」


おそらくセイラの予想は正しい。移住希望者が何人いるかはまだ把握できないが、街にも許容できる限度というものがある。大量の移民が来れば物資の不足、物価の上昇などは避けられない。加えて、アンゼレの住民にとって、移住希望者は「悪しき女神の元下僕」だ。漆黒の羽という差別にうってつけの外見的特徴もある。アンゼレ内にいると気づきづらいが、街の外では「あの街では種族による差別が激しく、天使族以外の種族が暮らしていくことは難しい」と有名だった。

移民の増加によってアンゼレ住民の生活が不安定になれば、その不満が移民にぶつけられることは想像に難くない。

せめてアズュールが無事だったなら、彼等をリディとメディのどちらにも属さない中立地帯に逃がすこともできたのだが、生憎先日の神同士の殺し合いで焼けたばかりだ。

そのことを理解したうえで、俺はセイラに言った。


「わかっとる。表面だけハイハイと頷いてくれればええんや。要はこの地獄に不満を持ってる連中に『希望』を抱かせられればええねん。後で奴らが何をしでかそうと、お前らならどうとでもなるやろ。メディを討ち取った後なら、奴らに後ろ盾はなんもない。煮るなり焼くなり、荒野に放置するなり好きにせえ」


「わかった。そのように伝えよう。ただしその場合、こちらはお前の身の安全は保障しないが、構わないか?」


俺は即座に縦に頷いた。


「かまへんで」


その時は、メディさえ討ち取れれば、あとは自分の身がどうなろうと構わないと思っていた。しかし、数秒後に後悔した。全てが終わった後、自分がどのように死ぬのか想像してみる。目の前の幼女に串刺しにされるか、それとも手酷く利用した移住希望者達に殺されるか──メディを倒すことができたとしても、自分に平穏な人生が訪れるとは思えない。俺はこの復讐の為にあまりに多くの人を踏みにじりすぎた。

どのみち、先は無いというのなら……そう考えた時、ブラン聖堂の地下で自分の顔をじっと覗き込んでいたリディのことを思い出した。

この世の穢れを穢れとすら思わない美しき人外は、俺が死ぬ時にどのような顔をするだろう。涙を零すだろうか、それとも笑顔で見送るだろうか。俺はその表情を「見たい」と思った。

その為には、リディ以外の誰にも殺されるわけにはいかなかった。


「ほな、伝言は以上や。あまり長々と話しとると怪しまれる。ガキはさっさと失せるんやな」


「威勢の良い猫だな。全てが終わった後もその澄ましたツラを保っていられるように祈るよ」


セイラは皮肉たっぷりにそう言い放つと、ブツブツと何か呟いた後、突然姿を消してしまった。

それを見届けた後、俺は路地裏から出て再びリンドウのもとへと向かった。俺は戦で破壊された街を隅々まで見つめて溜息をつく。家屋の窓は徹底的に破壊され、蛆が湧いた泥状の食べ物が地面にぶちまけられており、街のあちこちに白骨化した遺体が転がっている。正に「地獄」だ。俺はこれまで、メディを殺し、地獄の再生産を繰り返すこの世界を壊すことしか考えてこなかった。だが、俺は今、この地獄で新たな光を見つけた。

その時、こちらにむかって手を振っているリンドウが見えた。


「……とりあえず、言われたとおり駒達を集めて休息を取らせたよ。しかし、どんな非道をやらかすかと思いきや、いきなり休息とはね……」


「そりゃ、動けない駒はただのお荷物にしかならないからな。前任者の扱いがさぞ悪かったんだろう。あんな疲労困憊状態じゃ、使えるもんも使えなくなるからな。あ、お前は休んだか? 見張りはやっとくから、ちゃんと睡眠取れよ」


「それを言うなら、お前も寝てないだろう」


「俺はわりと寝なくても平気なほうなんだ」


正しくは、「眠ることがあまりできなくなってきた」だ。リディの血を飲んで以降、眠気を感じなくなったし、ほぼ睡眠を取らなくても疲労を感じなくなった。それだけではない。心なしか感情の起伏が乏しくなったようだ。これまで「楽しい」と感じたことも「赦せない」と感じたことにも心が動かない。全て「ありふれた出来事」として受け止めるようになっていた。これが、「人」をやめていくということなのだろうか。


「そういや、まだ聞いてなかった。お前はどうして破壊の女神を倒したいんだ? いや、まあこんな地獄誰だって終わらせたいだろうけどさ。戦なんて創造の女神に任せて逃げ回ることだってできるだろ。こんなリスクの高い役割を引きううけるほどの『願い』ってなんなんだ?」


『願い』という言葉を噛みしめる。きっと、これまでの俺なら「メディの死を見届け、復讐すること」だと答えていただろう。だが、今は少し願いが変化していた。


「たいしたことじゃない。俺の願いなんてありふれたものだよ」


「へえ」


俺は決して手の届かない青空を見上げて笑った。


「『ある女の傍で眠りたい』──それだけだよ」



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