第14章:第21話
翌日、俺は朝一番で、帽子を二つ購入した。
「オズ殿は肝が座ってますね……」
後ろでマチカが溜息をついていた。
「お前も相当やろ。みんなの女神様の出陣やってのに、俺についてきてええんか?」
「私は今回の作戦の担当ではありませんので」
「今回の……か」
城の一室で、俺は早速購入した帽子を被り、鏡を見ていた。一つはよそゆき用の黒いシルクハット、もう一つは大きなつばが付いたキャップだった。顔に影が落ちるほどにシルクハットを深く被り、鏡に映った自分を見ながら
「……やっぱ、帽子があった方がええな」
と呟いた。すると、マチカも手を叩きながら
「よくお似合いですよ、オズ殿! やはり素材が良いと帽子も映えますね!」
と無邪気に褒め称えた。あまりに直球な褒め言葉に、俺は多少困惑した。あのリディの部下らしいといえばそうだが、こうも素直な性格で兵士という役職が務まるのだろうか。
「……おまえ、ガキっぽいとか言われたことあらへん?」
「え、失礼ですね。よく言われますけど」
「やっぱりな……」
マチカに限らず、この城に勤める人々は良くも悪くも「善良」な人々ばかりで、俺は時々対応に困っていた。
その時、都市全体に鐘の音が響き渡った。腹に魔法陣を描かれた小鳥が数十羽廊下を飛び回ってアナウンスをする。
『まもなく、アンゼレ全域に防護結界を展開いたします。安全のため、市民の皆様は屋内に避難してください』
その時代、魔法とは個人の力で使用するものであり、複数人の魔力を用いる魔法や、魔力を込めた魔法具はあまり普及していなかった。それがその頃の常識だったので、都市全体を護る結界と言われても俄には信じがたかった。
「全域に結界なんて、できひんやろ」
「いえ、これが女神様から授かったお力のおかげでできるのです。世界には幾つか魔力の源となる力が湧き上がる箇所がございまして、その場所で取れる鉱石を城壁の幾つかの地点に埋め込み、複数の者でとある特殊な魔術を使用すると、この都市全体を護ることができるのですよ」
そう話している間にも、空は白い結界に覆われ始めていた。マチカの言うとおり、結界は都市の周囲を取り囲む城壁付近から順に広がっているようだった。
「はあ、たいしたもんやなあ。せやけど、なんでこないなことするん? 戦場はウィゼートのあたりやろ」
「女神様のご命令……だそうですよ。相手がメディなら、たとえ大陸の隅にいたとしても安心はできないと……」
「ほう……」
その時、東の空が黒く覆われていることに気づいた。どうやら始まったらしい。ブランから遠く離れたアンゼレで戦いの影響が見えることに驚いてはいたが、この時の俺はまだ神の力を甘く見ていた。
結界が完全に都市全体を覆い、戦地の空の色は結界に遮られて薄まって見えた。アンゼレからブランまでは普通に移動すると二日以上かかる。さすがにブランの戦況がアンゼレにまで影響することはないだろう──そう考え、俺が再び鏡を見ながらを帽子を替えた時、神が本領を発揮した。
都市の上空を極太の光線が通り過ぎていった。もし光が地面に沿って放たれていたら、おそらくアンゼレは跡形も無く消え去っていただろう。
「なあマチカ、ブランって……ここから二日以上かかるよな……?」
「は、はい……そのはずですが……」
「なんでビーム飛んでくんねん」
「さ、さあ……女神様が本気で戦闘に臨むのを見るのは初めてですので、私共にも……」
乾いた笑いがこみ上げてきた。俺はこれまで、このような化物を殺そうとしていたのか。戦地の方の空には、ブランを覆い尽くすほどに巨大な空中要塞と龍のような化物が現れ、死闘を繰り広げていた。
「神々が本気で殴り合うにはこの世界は狭すぎるってか……ほんま、狂っとるわ」
アディを殺した時、俺は心底メディに舐められていたんだな──肉眼でも確認できるほどに巨大な龍と空中要塞を見つめながら、俺は苦笑いした。前回は相手が勝手に手加減してくれたが、次回はそうはいかない。それでも、この復讐を続けるか? そう自分に尋ねてみたが、この胸の内の憎悪は全く収まる気配が無かった。
すると、マチカが不安そうに呟いた。
「女神様は勝てるでしょうか……?」
「勝ってもらわなあかんわ。俺の報酬がパァになる」
すると、マチカは鎧の中から蒼い石を埋め込んだペンダントのような物を取り出し、両手で握って祈った。
「なんやそれ」
「兵士全員に支給される魔除けのお守りです。敵の精神干渉の術などを防いでくれるんですよ。女神様が勝利を掴めるよう、祈りを捧げようと思いまして」
よく見ると、城の警護にあたっている兵士の中にも、似たようなペンダントを握って祈りを捧げている者が数人いた。なるほど、リディは人から見ると正に慈愛を持って人に接し、人を導く「神」というわけだ。
「はあ、神にも色んな面があるんやなあ。ヒトから見た表の顔と人外としての裏の顔か……」
争いは夜まで続いた。結界の張られたアンゼレ内の人々でも、その日生きた心地がした人はいなかっただろう。空は拗け、大地は抉れ、街を潰すどころか地形さえも容易く書き換えそうな質量が飛び交う。街に被害こそ無かったものの、世界の中で人がどれほど小さく、弱い存在なのか徹底的に見せつけられた。
俺はその戦いを一瞬も目を離さずに観続けた。おそらく紅色の龍のような怪物がメディで、蒼の空中要塞がリディだ。リディは多数の駒を従えて集団で攻撃を仕掛ける一方で、メディは絶対的な個の力で駒達を蹴散らす。
「チッ、あの女、何もたもたしとんねん……」
俺は小声でぼそりとそう漏らした。総力がメディに及ばないならば、長期戦になればなるほどリディは不利になる。使える駒が多いうちに仕留めなければジリ貧になるはずだが──秘策の「土地造り」とやらは効果を発揮しなかったのだろうか。
ちょうど、月がブランの真上に昇った頃のことだった。ブラン周辺の土地が眩い光を放ち始めた。
異変を感じた紅の龍が動きを止め、蒼の空中要塞がその隙に一斉攻撃を放つ。俺は硝子に張り付くようにその様子をじっと見つめていた。
「なんやあれ……おいマチカ、オペラグラスとか持ってへん?」
「そんなものありませんよー……」
星空のように輝く大地は美しかったが、その光はメディを追い詰める為の凶器だった。蒼の光は紅の龍を四方八方から切り刻み、地へと落とそうとしていた。その時、怒りを表すかのように龍の爪が鎌のような形に変化し、唸り声で空が震えた。そして自らを焼く蒼の包囲網を強引に潜り抜け、空中要塞に掴みかかった。両腕で要塞を取り押さえ、爪で大砲達を砕き、中央にそびえ立つ塔を大顎で噛み砕こうとした時──
塔の屋根が割れて、龍の頭と同じ大きさの主砲が現れ、龍の口の中へと狙いを定めた。
そして真夜中だったはずの世界は数秒間真昼のように照らされ、創造と破壊──二人の女神の争いはそこで中断した。
翌日、アンゼレの街は歓喜に包まれていた。明け方に蒼の空中要塞が従える駒の一つが戻り、無事リディがブランを占拠したことを伝えたからだった。
人々は安堵し、兵達は次の作戦の為に士気を高め、神々の思惑通りの道具として動いていく様子を、俺は客室の窓からじっと見つめていた。
すると、後ろからマチカが笑いながら声をかけた。
「いやー、本当に、女神様がご無事でよかったですね!」
マチカもまた、リディの忠実な手駒の一つだ。ここまで単純な性格だと、細々としたことに気づいてしまうよりかはむしろ生きやすいかもしれない。
呆れ半分、妬み半分を込めた溜息をつきながら、俺は早速マチカに尋ねた。
「そら、あいつがやられるよりかは余程マシやけど、浮かれてられるような状況でもないんやないか?」
「おや、そんなに女神様が心配ですか?」
「…………というより、昨日の戦い見た限り、リディ側の損害も結構なもんやし、むしろ今メディに再度ブランに攻め込まれたら、お前らの女神様、やっぱあかんのとちゃう?」
「た、たしかに……」
マチカが不安そうに俯いた後、俺は話題を変えた。
「そういや、昨日の戦いの周辺地域への被害状況ってどんなもんなんやろ」
「え? あ、えっと、やっぱり世界中あちこちで被害が出たみたいですよ。特にウィゼートは被害が大きいみたいです。アズュールとかハイドランジアとか、あのあたりが運悪く直撃してしまったらしいです」
「アズュールが……?」
つい先日の出来事が脳裏を走る。酒場の連中との他愛の無いやりとり、酒場の主人や看板娘ハンナとの会話、リディと夕食を食べたレストラン──歯を食いしばり、感情を抑え、俺は何事も無かったかのように
「そうか」
とだけ呟いた。また一つ、俺は想い出の場所を亡くした。
これだから、弱い奴等は嫌なんや──そう心の中で呟いてから、帽子を深く被って立ち上がった。
「どこに行くんですか?」
「ちょいと買い物や。案内はいらへんで。たまには一人でぶらぶらしたいからな」
そう言ってマチカにひらひら手を振って、俺は部屋を出ていった。
だが部屋から一歩足を踏み出した時、既に俺には感傷に浸る時間すら残されていなかった。黒髪の双子が俺の行く手を塞ぐように待ち構えていた。二人は似合いもしないお辞儀をした後、俺にこう告げる。
「オズ•ガーディガル。リディが呼んでいる。ついてこい」
「逃げたら殺すし、逃げなくても殺すからね、キャハハ」
俺は頭を抱えて溜息をつき、
「あーはいはい、ついてけばええんやろ。あ、殺されるのは勘弁な」
大人しく従うことにした。
前にセイラ、背後にイオ、まるで囚人の護送のような体制で、俺はアンゼレから少し離れた岩山に連れていかれた。
岩山は丁度ブランとは真反対の方向にあり、とてもリディが待っているとは思えない場所だった。この双子、いよいよ本気で俺を排除しに来たか? そう疑い始めた頃、岩で覆われた斜面の一部に裂け目がある場所が見えた。洞窟だ。
「入るぞ、ついてこい」
「靴も服も汚れるし、こういうの嫌なんやけどなあ」
「ぐずぐず言うな。命があるだけいいと思え」
洞窟に足を踏み入れた瞬間、湿った空気が漂ってきた。一見普通の洞窟のようだが、所々の岩肌が蒼や紅に染まっている箇所がある。その蒼や紅に染まった岩には見覚えがあった。アディの研究室にあった紅の鉱石、マチカのペンダントに嵌っていた蒼の鉱石──俺は、その鉱石とこれまで様々な場所で関わってきた。
「この鉱石……こんなとこになんであるんや」
「この山は所謂『地脈』というやつの上にある。世界樹は『創造』の力を生み出して世界に巡らせ、『破壊』へと変換された力を吸収しているのだが、この山はその流れが特に活発な場所だ。この場所でなら、私達もより強い力を使うことができる」
洞窟は地下深くへと繋がっていた。奥に進めば進むほど、周囲の蒼の鉱石の数が増えていった。それと同時に鉱石が発する妙な魔力も強まっていた。これがセイラの言う『創造』の力だろうか。リディが魔法を使う時に感じるものとよく似た魔力だった。
数時間かけて洞窟の最深部へと降りていくと、地下水が溜まっている場所へとたどり着いた。天井は蒼く輝く鉱石で埋め尽くされており、洞窟の奥なのに昼間のように明るかった。
その場所までたどり着くと、イオとセイラは向かい合って手を合わせ、今にも唇が触れるのではないかと思うほど顔を近づけて互いに囁いた。
「じゃあいくよ。来たときと同じやつ」
「ああ、わかっている」
「病める時も健やかなる時も」
「私達は二人で一つ、だろう?」
下手な恋人同士よりも熱い囁き合いを俺は蚊帳の外で呆然と眺めていた。俺に「リディに余計なことを吹き込むな」と忠告しておきながら、自分達は随分好き放題やっているようだ。ますます、リディが感情を知ったのは事故ではなく必然だったように思えた。
俺が苦笑いしていると、突如足元に蒼の魔法陣が現れ、セイラとイオを中心に風が吹き荒れた。
「この世を創りし蒼き瞳の女神よ……貴女の呼びかけに応じ、我等はその御前に馳せ参じよう! アンヴォカション・パ・ラ・ディエス!」
陣の内と外を区切るように光が壁を造り、俺とセイラとイオの三人は光に包まれていった。
再び瞼を開いた時、真っ先に視界に入ったものは頭上に浮かぶ水晶の要塞だった。砲台が付いた駒たちが宙を漂い、焼け野原となった街を護っていた。
この空中要塞は、あの戦いの最中にアンゼレから見えたリディの要塞だ。俺は周囲を見回した。民家の焼跡が並び、まともな建物は何一つ残っていない。だが、そもそもこの街は随分前に放棄されたようで、建物の損傷のわりに人の死体はほとんど無かった。
そして、一際大きな聖堂の焼跡に目を向けた時、薄桃の髪が風に揺れるのが見えた。
「待ってたわ、オズ。ようこそ、ブランへ」
リディは子兎のような足取りで俺の傍に駆け寄った。
「おっかない女神様やな。あのメディと殴り合ってピンピンしとるたぁ」
「でしょう、と自慢したいところだけれど、残念ながらそうでもないわ。主砲を壊されちゃったし、駒も結構減ってしまったわ。しばらく回復に専念しないといけないわね」
「せやけど、今追撃せぇへんとメディにも回復させる隙を与えることになるし、また泥沼になるんやないか?」
「そのとおりよ。だからあなたに来てもらったの。いよいよあなたの出番ってこと」
華々しい戦勝の直後だというのに、リディは可憐に微笑みながら淡々と次の作戦の話をする。たまにはもう少し可愛げのある話でもすればいいのに──陶器人形のような顔を見つめながらそう考えていると、リディは急に俺の手を握って駆け出した。
「でも、その話の前に、ちょっとついてきて! あなたに見せたいものがあるの!」
俺は手を引かれるがまま聖堂の跡地へと向かった。そこには一際複雑な蒼の魔法陣が描かれていた。
「世界の心臓を見せてあげる」
俺とリディは蒼の光に包まれ、ブラン聖堂地下へと潜っていった。
瞼を開くと、俺はエメラルドグリーンの海の中にいた。つまり、水中だ。ここはどこだ、水面からどれくらいの位置だ、浮上するまで息は続くか、突然の出来事に頭をフル回転させて生存の策を練っていたが、数秒後にそのような策は不要だと気づく。水中でも息ができる──その事実に気づいた途端、周囲の景色が全く違って見えた。玉虫色の魚たちが螺旋を描いて泳ぎ、金色の珊瑚が陽の光を受けて煌めき、虹色の鯨が悠々と目の前を通っていく。この様子を人は「美しい」と言うのだろう。その時、俺は再び手を引かれて海底に沈んでいった。
「こっちよ」
そう呟くリディの姿を見て、俺は目を見開いた。腰から足先が乳白色の魚の尾のような形になっていた。
「このほうが泳ぎやすいと思って」
そう言って、リディは微笑む。普段とは違った姿に俺が釘付けにされている隙にリディは俺を海底の扉へと引きずり込む。息を呑むような美しさも、それを武器に人を誘惑して海に沈める点も含めて、まるで人魚のようだと思った。
次にたどり着いた世界は、陸も海も無い青空の世界だった。リディは宙に浮かぶガラス板のような板に俺を乗せると、人魚のような下半身を元の脚へと戻して俺の隣に降り立った。
「ここに戻るのも久しぶりだわ。オズ、これがブラン聖堂よ。不思議なところでしょ?」
「不思議なんてレベルやないやろ。地学と物理勉強してこいってかんじのトンチキワールドやな」
「そう……楽しくなかった? こういう一般的な常識から外れた適度に害が無くて視覚的に多彩な色や現象を見せてくれる場所を、ヒトは『楽しい』と認識するかと思ったのだけど」
「……別に楽しくないとは言うてへんやろ」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、一瞬沈みかけていたリディの表情が柔らかくなった。その様子を見て、俺も少し安心した──その時、強い殺気を感じて俺は思わず振り返った。
そこには、鬼のような形相でこちらを睨みつけるイオとセイラがいた。「うちのリディに手を出したら殺してやる」と言わんばかりの顔で、指先で雷をバチバチいわせている。針の絨毯の上にでも立たされている気分だった。
「あの子たちには邪魔をしないように言ってあるから大丈夫よ。ほら、行きましょ」
全く信用できねえ。そう思いながら、俺は言われるがままリディに手を引かれて歩いていった。
しばらく歩くと、空から雛菊の花が降ってきた。顔を上げると、次は山百合の花が降ってきた、桜、椿、沈丁花、山茶花、彼岸花、秋桜……あらゆる花々が風に揺られて青空を飾った。
「ふふ、変わった場所でしょ」
色とりどりの花弁がリディの周りをふわふわと舞っていたので、
「せやな……綺麗やな」
と明後日の方向を見ながら呟いた。後ろでセイラがガミガミと何か言っていたが、聞こえなかったふりをした。花々が降り注ぐ空を見上げながら、俺は淡々とリディに尋ねた。
「それより、お前のゆうてた『世界の心臓』って何なん?そのために来たんやろ」
すると、リディは青空の彼方を指した。青白い水晶が枝葉のように天空へと向けて伸びていた。幹から葉まで全てが水晶でできた樹木。その樹の色はリディの翼とよく似ていた。
「あれが世界樹。世界の『創造』の力を生み出して『破壊』の力を吸収して均衡を保つもので、私とメディを生み出した存在よ」




