第14章:第20話
部屋の中はまるで劇場のような造りになっていた。打ち合わせはもう始まっているようで、リディとヒトたちの声がする。俺は二階席の最前列から下を覗き込んだ。半円形のテーブルの辺の方にリディが座り、孤の部分に数名のヒトが座っていた。若い青年兵士もいれば、厳格な顔の老人もおり、端正な顔立ちの女性もいた。彼らは何らかの部署の幹部のようで、リディに対して近況を報告しているところのようだった。年齢や性別関係なく幹部を採用するところは、神の柔軟性と言うべきだろうか。
俺は席に座って、大人しく話を聞き始めた。
「ブラン制圧作戦の準備は順調です。予定通り、明後日には作戦を開始できるかと思います」
「そう、よかった。じゃあ予定通り、陽動と、ブランの占拠。二段階の作戦でいきましょ」
ブランという言葉に、俺は首を傾げた。当時の俺がブランについて知っていることは、リディとメディ、両者の勢力の丁度狭間に位置しており、戦闘が絶えない危険地域であること。それと──アディが初めてメディと出会った場所がブランの付近だということくらいだった。
すると、出席していた兵士の一人が手を上げた。
「二段階の作戦という方針に異論はありません。ただ、女神様が自ら戦闘に参加するというのは、あまりに危険かと……」
「わぁ、心配してくれているの? ありがとう。でもここは、私が出なきゃ駄目なの。ブランだけは、メディも本気で取りに来るから」
「しかし……」
「大丈夫。私にはみんながついているわ。私だけではメディには出力が及ばないけど、みんなの力を合わせれば、力でメディを負かすことができなくても、十分な結果を残せるはずよ」
リディが選んだ幹部達は、良くも悪くも素直すぎる者ばかりだった。神に期待をかけられた幹部たちは神の言葉を噛み締めて、胸を張った。
「じゃあ、一度作戦を確認しましょうか」
そう言うと、リディは机に地図を浮かび上がらせ、自軍と敵軍を示す駒をいくつか置いた。
話によると、メディの軍は現在のデーヴィアにあたる地域を勢力下に置き、ウィゼートの南東部を通ってブラン侵攻の機会を伺っているようだった。
メディはアディが死んだ後、軍の方針を変えたらしい。メディはそれまで以上に残虐に、横暴になっていき、敵どころか味方まで廃人になるまで使い潰してしまうそうだ。この戦いでメディが勝利すれば、ヒトは全て彼女の奴隷のように扱われて滅びてしまうだろう。リディの下に集った人々は、現状を憂い、悪逆の破壊神に抗って、未来を切り拓こうとする強さと優しさを持った人ばかりだった。種の存続という面で考えると、たしかにメディよりリディに味方するという選択は間違ってはいないのだろう。
今のメディは「ひたすら破壊する」ことだけを考えているそうだ。兵糧にはあまり関心を持たず、ほぼ自身の力だけで東部地域を支配していた。侵略される側も、する側も、皆平等に奴隷として搾取され、救われない。それがメディの世界だった。
「だからこそ、私とメディの戦闘の際は他の兵を周りに置きたくないわ。辺境の補給地を攻めて、敵の雑兵はそちらの対応にあたらせる。あとは、私がブランにたどり着くまでの道作りをしてほしいわ──それはもう、取り掛かってくれているのよね」
「はい、仰せのとおり、ブランへのルートの確保は完了しております」
「よかった、ありがとう。とにかく、メディより先にブランにたどり着かなきゃならないわ。私は素の力がメディには及ばないから、世界樹の力を借りなければね」
すると、幹部の一人が手を上げた。
「あの、単純な戦力で破壊の女神に勝てないのであれば、尚更女神様お一人では危険なのではありませんか? 純粋な一騎打ちに持ち込めば、それこそ互いの力の強さが勝敗を決める要因となります。策を練り、一騎打ちは避け、集団で攻撃を仕掛けた方がよいのではありませんか?」
すると、リディは首を振った。
「下手に人数を増やして、こちらの兵を取られたり、巻き添えになることの方が困るわ。ほら、あの子、悪戯にヒトを洗脳するし、ヒトを化物に変えることもあるらしいし」
話を聞きながら、メディに洗脳されたヴェルデは瞳や肌が化け物のように変色していたことを思い出していた。
「化物に……!? 破壊の女神は、そのような残虐なことをするのですか?」
「するんじゃないかしら。実際、あの子の軍はそういうヒトや魔物たちの集まりでしょ?」
幹部たちは黙り込んだ。彼等は何を思っているだろう。破壊の女神への恐怖か、怒りか、それとも、ここで食い止めねばという使命感か──どれにしても、彼等はメディを悪の概念そのものと捉えているように思えた。実際、ヒトの価値観でを基準とするならば、メディの行いは紛れもない悪だろう。だが、俺は絶対的な悪の対となる絶対的な善を見つけられなかったため、メディ一人に悪を背負わせているこの状況に居心地の悪さを感じていた。
リディは険しい表情を浮かべる幹部達に微笑みかけた。
「そんなに怖い顔しないで。みんなには、メディ達との対決の場作りをやってもらうから。これも大事な役目、いえ、これが勝敗を分ける可能性もあるわ」
「承知しております。……女神様、私達は、勝てるでしょうか?」
「勝つわ。私を信じて」
幹部達には、そう言った時のリディの瞳はどのように見えていたのだろうか。声は確かに鈴の音のように優しく、「善」の体現のように聞こえた。だが瞳は、言葉を目当ての結果を引きずり出す為の手段として活用する──神の瞳にしか見えなかった。
「大丈夫……その為の『土地作り』はしてあるから」
特に、最後にそう付け加えた時だ。リディの目は初めて俺とチェスをした時の目とよく似ていた。
その後、リディ達計画の確認と共有、原状の不安点の洗い出し、それらへの対策の確認を行った。そして会議の最後、リディは幹部達にこう呼びかけた。
「じゃあ、みんなよろしくね。メディを倒して、この争いを終わらせるわよ」
すると幹部達は敬礼をして、声を張り上げた。
「承知しました。我等に勝利を!」
俺はその様子を二階席から見つめながら、「やはり、戦争は肌に合わない」と思った。とはいえ、今更その程度の嫌悪で足を止められるはずもない。間もなく、ブランを巡って両軍がぶつかり、リディとメディの直接対決が起こるだろう。俺は二人の争いを可能な限り利用して、復讐への足掛かりを作るだけだ。
「……気に食わへん」
そう呟きながら、俺は会議室を出て、部屋へと戻った。
会議室のある棟から離れ、部屋へと向かう途中、俺はまたマチカと出会った。
「オズ殿、おつかれさまです!」
この城の人々と話していると、時々どっと疲れが押し寄せることがある。ここの人々は素直すぎる。リディがそういった人々を集めているのか、それとも偶然そうなったのかは知らないが、ここにいると自分がとてつもなく薄汚れているように感じるのだった。
「先程はお騒がせして申し訳ありませんでした」
「なんで謝っとんねん。それより、ちょいと聞きたいことがあるんやけど。ブランの戦況って、お前知っとる?」
マチカは頷くと、こう話し始めた。
「創造神と破壊神の争いの中心ともいえる程の危険地域ということくらいですね。ブラン周辺で両者は何度も戦闘を繰り広げております」
「そのへんに住んどる民衆にとっては、たまったもんやないやろなあ」
「ええ、犠牲者も数多く出ております。ただ、そのような戦闘を重ねた結果、住民の殆どは他の地域に避難してしまったので、現在あのあたりに住んでいる人はほとんどいないかと……」
「なるほどな。ところで、ブラン周辺の地形に関する資料ってあらへん?」
「さあ、どうでしょうか……資料室はございますので、そこの者に聞いた方が早いかもしれません。どうぞ、こちらです」
俺はマチカに案内されて資料室に向かった。リディが呟いた『土地作り』という言葉が頭に引っかかっていた。
ブラン周辺の地域の資料をかき集めてみたが、メディとの争いを左右しそうな要素は見つからない。わかったことといえば、元々豊かな土地で農業が盛んだったことと、激しい争いの末に現在は人口が減り、その地域は荒れ果ててしまったことくらいだ。地形に何か手がかりが無いか探ってみたが、ブラン周辺は平地ばかりでとりわけメディ打倒に繋がりそうな要素は無かった。
資料探しを始めてしばらく経ったころ、リディがやってきた。
「探したわ、ここにいたのね。突然どうして資料探しなんて始めたの?」
「ちょいと気になったことがあってな。それより何の用や」
「少しあなたと話したくて。ちょっと、場所を変えない?」
俺は苦笑いをした。この台詞は、相手がリディでさえなければ甘い恋の一節に聞こえるのだろう。だが、相手は明日殺し合いに向かう神だ。
どうせ、争いの話にしかならないのだろうな。俺はそう思いながら本を閉じた。
リディに案内された場所は、白い花が咲き誇る中庭だった。池の水音が時を刻み、月明かりが二人を照らす。リディの白い肌と滑らかな髪を際立たせる、幻想的な場所だった。
──ああ、やっぱりな。予感が的中して、俺は溜息をつく。
「会議は見てくれたわよね。今の戦況と、私達のこれからの予定は理解してくれたかしら」
開口一番、リディは色気の欠片も無いことを言った。城の女性たちの「あんなに可愛いのに、どうして恋しないの?」という言葉に、今なら僅かに共感できるかもしれない。
「まあ、だいたいは。それでなんや。明日のドンパチに俺がどう関わればええか……って話か?」
「いいえ、オズの出番はまだよ。明日の戦いに勝って、メディを追い詰める最終段階で活躍してもらうわ」
この女、明日のメディとの殺し合いに勝つ前提で俺に声をかけたらしい。そういった強気な発想は嫌いではない。俺はリディの顔を覗き込みながら嗤う。
「へえ、随分自信があるやないか。もし俺の出番の前にあいつに負けたりしたら、格好つかへんなあ、女神様」
以前メディに自分の勢力に加わらないかと誘われた時、あいつは「あいつをブッ倒して捕らえたら、あなたの好きにしていい」と言っていた。今思うと、それも悪くなかったかもしれない。俺はリディの髪の毛先を指で梳いてみる。指先に触れてみる。リディは、人に触れられる意味など想像すらしていない──といった表情をしていた。
「そんなに自信満々というわけではないわ。勿論、勝つ前提で策を考えてあるけれど、負けそうになった時は別の形で手を貸してもらうわ。どう転んでもいいように次の手を考えておくのは普通のことでしょう」
「お前は冷静やな。メディやったら、多分負けた時のことなんて考えてへんで」
「それはそうだわ。だってメディは…………強いもの」
最後の言葉が出る直前の沈黙が重かった。出会った時からそうだ。リディはメディの話になると、喉に何か詰まったかのように苦しそうな表情をする。
「ずっと気になっとったんやけど、お前、結局メディをどう思っとるん?」
このような世界を巻き込む争いを起こしている以上、好いているということはないだろう。だが、おそらくリディがメディに向ける感情は俺がメディに向ける憎悪とは異なる。メディと混同されることを嫌う癖に、メディと瓜二つの姿形をしている点といい、その想いは憎悪よりもより複雑で……タチが悪いものだ。
「わからないわ……私には、コレをどう表現すればよいか、わからない。ただ、どうして私はメディのようになれない欠陥品なのか……私はずっと、自分を生み出した世界樹に問い続けているわ」
「欠陥品? どこがや」
「前に言ったでしょう。私は最大出力がメディより低いの。まだ生まれたばかりの頃は、そのせいでメディに迷惑をかけたし、気も遣わせてしまったわ」
その時、俺はなぜ二人の女神が「感情」という癌を得たのかようやく理解した。創造と破壊、二人は対なる性質の同等の力を持つ存在であるはずだった。しかし、二人の間には生まれつき差異があり、それが感情を生む引き金となったのだろう。神はエラーを許さない。リディは生まれた瞬間から自分の内にあったエラーについて、考えて、考え抜いて、メディとの力の差を人を使って埋める在り方に行き着いたのだろう。
「なるほど、それで少しでもメディに近付こうとお前なりに努力した結果が、この都市とその姿か。最初はお前のこと、憎いくらいに神らしいと思っとったけど……なんや、思ったより可愛げあるやないか」
「……そんなことで褒められてもね」
リディは俯きながら呟いた。
「正直、メディに勝てるかというと……確率が高いとは言えないわ。私はメディより劣っているから……」
俺はこのように落ち込んでいる少女の慰め方をよく知っていた。この状況で正しい慰め方をすると、相手が自分に対してどのような感情を向けるようになるのかも、この数年でよく学んだ。ヒトではなく神にそれをするとどうなるか……脳が警報を鳴らしている。「それをすると、いつか必ず後悔する」──そう思っていたはずなのに、どうしてあんなことを言ってしまったのか、俺は今でもわからない。
「やっぱ、神ってろくなこと考えへんわ。何が最大出力や。お前らの物差しは暴力しか無いんか。散々ヒトを尊重するやなんや言うといて、何も学んでへんやないか。頭に屑詰まったカカシ以下の脳味噌やな」
「何が言いたいのよ」
「……なんで、力の強さだけで価値を決めんねん。その点で敵わないとわかってたから、お前は別のとこで努力したんやろ。なんでそこを勘定に入れへんねん。物差しは一つやないやろ」
リディは顔を上げて、サファイアのような瞳をこちらに向けた。俺はリディの目など見えなかったふりをして話し続けた。
「お前らの言う『神の価値』と俺らの言う『神の価値』は違うんやろけど……こう、つまり、あれや。お前は別に……劣ってへんで。メディとは得意不得意が違っただけや。だからこう、あんま気にすんな」
ああ、今の芝居は0点だな。咳払いをしながら僅かに視線を右に逸らすと、リディと目が合った。蒼くて丸い瞳に、今にも吸い込まれそうだった。
「ええ、と、その……ありがとう。多分、これは……励ましてくれているのよね?」
俺は数秒も目を合わせていられなくて、柄にもなく目を背けてしまった。薄く色づいた頬と、おろおろと落ち着かない声色と、キョロキョロと動き回る視線と──こうして見ていると、神でもなんでもない普通の女の子のように見えた。リディが少しずつ少女らしくなっていくところを見る度に、脳裏に昼間のセイラとイオの言葉が過ぎって溜息をついた。
多少手懐けておいて損は無いだろうが、相手は神だ。あまり近づきすぎるのも良くないだろうな──リディと真反対を向きながらそう考えていると、温かい何かが触れた。リディの白い手が俺の右手の上に重ねられていた。
「なんだか、勝率の計算をし直したほうがいいような気がしてきたわ。下を向いている場合ではない気がするの。あなたの言葉のおかげかしら」
「回りくどい言葉の選び方やな。素直に元気になって言えへんのか」
「『元気』? そう、これが? ふふ、そうなの、あったかくて素敵な感じね。ありがとう、オズ。感謝しているわ」
リディは俺の右手を両手で掴み、月明かりのように優しく微笑んだ。
「私、頑張るわ。だから見ててね」
俺はぐっと唇を噛んだ。きっと、少し視線を右にずらせば、宝石のような笑顔が見えるのだろう。しかし、その微笑みが彩るものは血と屍が溢れる戦乱の時代だ。今はメディとの決戦前夜で、リディが「頑張る」と言ったものはメディとの殺し合いだ。そう考えると、途端に虚しい気分になってしまった。
「知るか、せいぜいメディに潰されへんようにすることやな。俺は安全地帯で見物させてもらうで」
俺が冷たくそう言い放つと、リディは俺の真正面から顔を覗き込んだ。
「本当に、オズって不思議ね」
「何がや」
「励ましてくれたかと思ったら冷たいことを言って。かと思えば、さっきみたいに子供っぽいところもあって。万華鏡みたい。どれが本当のあなたなの?」
最後の一言が、思いの外、自分の胸に深く刺さった。
「さあ、どれやと思う?」
まるで道化師のように妖しく挑戦的に微笑みかけてみたが、それはどちらかというとリディにではなく自分自身に向けた言葉だった。
どれが本当の自分なのか──そんなものがわかるなら、自分の思考と感情と行動と表情が乖離なんてするはずがない。「どれかしら?」と目を輝かせながら考えるリディは、もはや少女というより幼子のようだった。
俺は苦笑いしながら「これはあの双子に殺される」と思ったが──少し考えた後、復讐が終わるまで生き延びられればあとはどうでもいいか、という結論に行き着いた。
その途端、気分が落ち着き、思考と行動と表情が一致した。
「さあ、どれかしら。でも、私はどのあなたも興味深いと思うわ」
リディは嬉しそうに笑うと、俺の手を握って言った。
「世界が平和になったら、もっともっと、あなたの話を聞かせて」
俺はその手を握り返して、
「かまへんで」
と嘘をついた。言葉も表情も容易く思考に従ったのに、感情だけは胸の奥で燻ったまま顔を見せなかった。
リディと別れた時にはもう城の廊下からは殆ど人の姿が消えていた。人どころか、灯りも殆ど消えており、夜の闇が辺りを支配していた。
部屋へと戻ろうとした時、俺はまたマチカとすれ違った。
「あ、ええところにおったな」
「オズ殿、どうかいたしましたか?」
「今の時間、開いてる帽子屋ってあらへん?」
マチカは二十秒くらい黙り込んだ後、
「…………へ?」
と変な声をあげた。
「せやから帽子屋や帽子屋、開いてるとこあらへん?」
「さすがにもう真夜中ですから難しいかと……諦めて明日にしませんか?」
「いややー、俺は今すぐ鍔付きのかっこええ帽子が欲しいんやー緊急やー」
マチカは困惑した顔で呟いた。
「あの……どうして突然、帽子がいるんですか……」
俺は散々ふざけたことを言ってはぐらかし、結局その質問には答えなかった。




