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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第18話

宣言どおり、彼女はその翌々日に再び姿を現した。




「オズさん、本当に辞めてしまわれるの?」


 仕事先の屋敷の婦人は、目に涙を溜めながら俺の手を握っていた。金糸雀が囀る玄関先で、俺は俯きながら沈んだ声で答える。


「ええ。身内の事情で。私の父がどうしても後を継いでほしいと言いまして」


「けど……私、寂しいです」


「まだ、今月中はこちらに居ますから」


「けど……私達、あんなに愛し合ったのに」


俺は婦人の手を握り返して微笑んだ。


「引越したら、手紙を書きます。新しい場所での生活が落ち着いたら……必ず迎えに行きます」


その一言で、婦人の頬が赤く染まり、瞳が輝いた。底なし沼の中で一筋の光を見つけたような、希望に満ち溢れた顔をしていた。


「ああ……私なんかに、そんな……信じています。必ず、迎えに来てくださいね」


「勿論です。じゃあ、また明日」


「ええ……また明日」


 婦人の熱の籠もった視線を背に、俺は屋敷を出た。ここはアズュールの一角、富豪の家が建ち並ぶ通りだ。俺は扉を閉め、屋敷から離れると、すぐに婦人に握られた手をハンカチで拭いた。


「ったく、うるさいババアやな……」


 「父の後を継ぐ」というのは真っ赤な嘘だし、迎えになど行く気も無ければ手紙を出す気も無かった。婦人の実家がリディを警護する天使達と繋がりがあると聞いたので、少し良い顔をしていたのだが、一昨日の件を考えると身軽に動けた方がよいと感じた為、身の回りを整理しているところだった。

 屋敷のある通りを離れた時、曲がり角でボロ雑巾のようなものとぶつかった。恐らくスラム街から来た貧民だろうと思っていたのだが、相手の顔を見た途端、俺は思わずこう呟いた。


「えっ、はぁ……? おま、なにしとんねん、リディ」


ボロ布の上に人形のような綺麗な顔がついていた。シミも傷もない顔にボロ布の服は全く似合っておらず、全く別の写真を継ぎ合わせたような違和感があった。

リディはすまし顔のまま答えた。


「何って、前回会った時に言っていたでしょ。『ボロ布を着て、ヒトの身になってから物を言え』と」


「あれは……そういう意味やなくて、言葉のあやというか……」


俺は頭を抱え、一昨日の悲しげな表情を思い出した。ボロ布のおめかしをした少女は不安そうにこちらを見つめていた。


「あー……もうええ、着替えてこい、普通の服に」


「どうして? せっかくヒトに合わせた格好で来たのに」


「ええから。代わりの服ならそこいらで買うたるし」


「ええ? その必要は無いわよ。着替えなら……ほら」


リディが指を鳴らすとボロ布は光に包まれ、瞬く間に純白のミニドレスへと変わった。


「お前な……ガワだけとはいえ仮にも年頃の女の姿しとるんやから、通りのど真ん中で、男の目の前で着替えるのは止めた方がええんとちゃう?」


「ヒトが着替えを見られるのを避ける傾向があるのは承知してるけど……別に、目の前で裸になったわけではないし、隠してたし、さほど問題ではないかと思うけど……?」


「おい、神に羞恥心とか貞操観念は無いんか。やっぱお前……」


 「メディと同類の神やな」と、言いかけた寸前で飲み込んだ。そういえば、前回はメディの話が原因で言い過ぎたのだった。

 リディは俺の顔を覗き込みながら尋ねた。


「顔色が良くないけど、また私、何かミスをしたかしら……」


「いや、なんでもない。それより、準備できたなら行こか」


そう言って、俺はリディの手をそっと引いて歩き出した。


「どこに行くの? 場所ならまた私が……」


「いや、今日は俺が用意する。ええからはよ来い」


リディはきょとんとしたまま首を傾げていた。俺は溜息をつき、頭を掻きながらぼそりと呟いた。


「その……この前、言い過ぎた詫びや。神のお気に召すかはわからへんけど、とりあえず来い」


リディは困惑した顔で頷き、黙って俺と共に歩き出した。リディの手は白く、細く、少し力を入れただけで壊れてしまいそうだった。実際は腕力一つ取っても俺より遥かに強いことくらい理解していた。だが、どこか浮世離れした性格が余計に儚げな印象を植え付けていた。

リディの手や横顔をまじまじと見つめていると、ふと目が合った。俺はさり気なく視線をそらして、リディの一方前を歩いた。


「……複雑な人」


リディはそう呟き、弱々しく俺の手を握った。




 その日は、アズュールの中でも五本の指に入る程の人気店を予約していた。決して安い店ではない為俺も滅多に行かない場所だったが、今日は少し奮発することにした。


「予約した席、二名で」


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


ウェイトレスが先導して案内をし、俺はリディの手を引きながら後をついていった。


「……わからないわ」


「何がや」


「ここは吸血鬼向けの店ではないでしょう。あなたの味覚には合わないはずだわ。なぜ、この場所を?」


「……詫びって言うたやろ。それとも、神って味覚無いんか?」


「一応あるわ。ヒトの感覚は記録書を参考に推測•計算して保存してあるから」


淡々と語るリディを見て、奮発し甲斐の無い奴だと思った。

 案内された席は、アズュールの街を一望できる個室だった。陽が沈み、藍色に染まった街に、家屋の灯りが星空のように並んでいる。一方で空を見上げると、こちらにもガラス玉を並べたような星空が広がっていた。


「神って、食物の好き嫌いあるん?」


「私は無いわ。注文はあなたに任せるわよ」


 「私は」ということは、メディにはあるのだろうか。そう考えながら、俺は予約時に注文しておいた料理を頼んだ。暫くすると、春野菜に木苺のソースを絡めた前菜が出された。

 リディは早速それを口に運ぶと、少し嬉しそうに笑った。


「……うん、適度な甘みと酸味、程よい歯ごたえと噛み砕いた際の音声を検出……そうね、『美味しい』。多分これはそういう感覚だわ」


「そらよかった」


「それにしても……随分気にさせてしまったみたいね。」


「いや、あれは俺がくだらんミスをしただけや。悪かった。そないなことより、こないだの『自己紹介』の続きやろ」


リディは首を傾げた。


「自己紹介はこの前したけれど? お互いの内面はなんとなく掴めたでしょう?」


「『内』はな。まだ外側の紹介が残っとるやろ。まずは言葉で、オーソドックスに自己紹介や」


「『外』について、それほど深く説明する必要があるかしら。あなたのプロフィールは既に大体把握しているわよ。その人当たりの良さで、数多くの人を騙したり、女性を使い捨ててきたこともね」


「だからや。『外』と『内』の落差が激しいほど、その『外』を選んで演じるのには意味があるんや。例えば……」


俺はリディの薄桃の髪を指で漉きながら囁いた。


「メディと混同されることを嫌う癖に、お前はなんでメディとそっくりの姿を選んだんや?」


「……それを、知りたいの?」


リディのフォークを持つ手が止まり、表情が険しくなった。窓からふわりと風が舞い込み、薄桃の髪が揺れた。


「いや、別に。気が進まへんなら言わんでええ。せやけど、お前がその姿でいるのにも理由があるってのはわかるやろ?」


「つまり、『外』にもそれなりの意味があるから、普通に自己紹介しましょう。って言いたいの?」


「そういうことや」


 俺はニッコリ笑って、吐瀉物のような味の前菜を口に運んだ。リディは前菜を食べ終えると、ハンカチで口元を拭いてから話し始めた。


「そういうことなら、構わないわ。私はリオディシア。創造を司る神で、破壊を司るメディとは対の存在よ。今は天使達を率いてメディ達と戦っているわ。これでいいかしら」


「あかんあかん。普通自己紹介ゆうたら、趣味とか、好きなもの嫌いなものとか言うもんやろ」


「そう言われても……趣味なんて無いし、好き嫌いなんてわからないわ。私には搭載されていない機能よ」


リディは心の底からそう思っているようだった。メディにはかなり明確に好き嫌いがあった。だがリディは物の好き嫌いどころか、感情の起伏もメディより乏しいようだ。だが、表情や言動には木偶人形に人革を貼り付けて動かしたような生々しさがあった。


「機能、搭載て……なんや、他人に作られたみたいな表現するんやな」


「だって、実際そうだもの」


俺は目を見開いて驚いた。それまで、俺は神達は世界の頂点に君臨する絶対的な主体者だと思っていた。


「そういえば、神の仕組みについて話してなかったわね。私達は世界の根源である世界樹に、この世界の存続と、それを邪魔する物を排除する為に生み出されたのよ」


「世界樹……そういや、メディもチラッとだけ言うてたな。世界を一つの生物に例えたら、神は世界を守る抗体で、ヒトは癌細胞やて」


「半分正解で、半分はずれ……だと思うわ。神の役割は抗体と脳の一部分、ヒトは正常なもの癌にもなりうる細胞だと、私は捉えているわ。メディがどう考えているかは知らないけれど」


「なるほど……それで、その目的から外れる機能は搭載してへんと」


 リディは深く頷いた。俺はリディの顔をまじまじと覗き込んだ。安い嘘をついている様子は無い。だが、今の話は本当に正しいのだろうか。一昨日、メディの話が出た時の反応や、ヒトの真似事とはいえ『美味しい』と感じることができるあたり、「目的から外れる機能を搭載していない」とは思えない。だとすれば──単純に自覚が無いのか?

 俺は少し意地悪を言ってみた。


「目的から外れる機能を搭載してへんて言うんやったら、そもそもヒトの姿を取る必要は無いんやないか? 外敵の駆除とか、そない弱々しい姿やとやりにくいやろ。もっとでかくて強そうなドラゴンとか、ヒトになるにしても筋肉隆々の男とかの方がよさそうやないか?」


「まず、人の姿を取る理由ならあるわ。私達『神』の成り立ちに由来しているの。そのあたりはまた後日、相応しい場所で話すわ。次に、大きなドラゴンとか、筋肉隆々の男とか……わざわざそんな質量の大きそうな姿を選ぶ理由が不明瞭だわ。無駄じゃない?」


強さを外見で示すことを「無駄」と切り捨てるあたり、やはりヒトとは感覚が違うようだ。


「きちんと出力を維持できれば質量を大きくする必要は無いでしょう。ただ戦うのではなく、ヒト達の協力も得ながら戦いたいから、外見はなるべく無駄が無く、且つヒトを惹くことができる容姿にしておき、咄嗟の戦闘にも対応できるような端末は残しておく。これが最効率だと思うの」


「……で、その可憐なお嬢ちゃんの容姿か。お前の言う『効率』は独特やなあ」


「そうかしら。私から見れば、あなたも相当に独特の価値観を持っているように感じるけれど」


その時、ウェイトレスがトウモロコシのポタージュを持ってきた。リディは次の料理に手を付ける前に、俺に告げた。


「じゃあ、そろそろあなたの番にしない? 私も、あなたの話が聞きたいわ」


俺は頷き、自分の話を始めた。


「かまへんで。名前はオズ•ガーディガル。年は今年で20で、種族は吸血鬼。出身は東のヴィランシア山脈越えたとこにあるのロッソって地域や」


「6年程前に壊滅した地域ね」


「せやな。故郷は最古の魔術師と破壊神の襲撃で壊滅した。俺はその時の生き残りで、16の時まであいつらが運営してた実験施設に居たってわけや」


「そして、最終的に最古の魔術師を殺して脱出したのよね」


「だいたいそのとおりやな」


「どうやって、メディの目をかいくぐったの?」


その時、表には出さなかったが俺は少なからず驚いた。俺の過去を全て調べてきたような顔をしていたのに、なぜそれをわざわざ尋ねるのだろう。まさか、そこについては知らないのか? 俺は笑いながらこう答えた。


「ちょっとした目くらましをして……な。あいつが呼び出した魔物達が俺の居た屋上ぶち壊して大変やったんやけど、瓦礫に身を隠してなんとか逃げ延びたんや」


 俺は嘘をついた。あの時、メディは自分で魔物を呼び出してなどいない。屋上はメディ自身の手で壊された。俺は不味いポタージュを飲みながら返答を待つ。


「そう、メディってば、人も魔物も無理矢理暴れさせるものね」


 リディは嘘には全く触れてこなかった。本当に気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているかは不明だが、「どうやってメディの目をかいくぐったか」質問をしてくる以上、相手には何か目的があるはずだ。


「せやなあ。メディの奴、人を誘惑して洗脳して、ろくでもない使い方しとった」


「人を誘惑……? 洗脳しているっていうのは知ってたけど、メディってば、そんなことをしているの?」


「せや、一際下品で、人間的な誘惑や。そういや、お前はそないなことには興味無さそうやなあ」


リディはきょとんとした顔をしながら首を傾げていた。


「その誘惑の意味はわからないけど……まあ、後で他の関係者の記録書をあたってみるわ。あとは……そうね、最古の魔術師と呼ばれていたアディリシオってどんな人?」


この辺りから、リディは「情報収集」をしているのだと気づいた。確かに自己紹介と言っているのに隙を逃さず大事な情報を掴もうとするあたり、「効率重視」という言葉は正しいかもしれない。

だとしたら、彼女が掴もうとしている「情報」とはどの部分なのか? そう考えながら俺は話を続けた。


「あのクソ師……いや、ア……クソ所長は、まあ一言で言うとクソ野郎や」


「クソが多すぎて少し分かりづらいわ」


「まず所長の癖に施設のことは全部部下に投げ出すとこがクソやろー、人の話を全く聞かへんとこがクソやろー、あとは勝手にモフモフを拾ってくるとこがクソやな」


「モフモフ?」


リディは首を傾げた。アディがいつも「モフモフ」と呼んでいたのでついその言葉を使っていたが、言われてみれば擬音語だけではその言葉が指すものが何か伝わりづらいだろう。


「あー……あれや。毛がモフモフしとる魔物のことや。あいつ、そういう動物集めるのが趣味だったんや」


「そうだったの。へえ、最古の魔法使いがそんな趣味を持っていたなんて知らなかったわ」


その言葉に俺は強い疑問を抱いた。俺のことはやけに詳しく知っているのに、アディについては詳しくないのか? はっきり「情報収集」とは言わないが、目的を伏せながら情報を集めようとしているのなら、「知らなかった」と口にしてしまうのは少々迂闊だ。俺は思い切ってこう尋ねてみた。


「お前、メディやアディについての情報が欲しいんか?」


「ええ。二人については、あなたみたいに情報を集める手段が無くてね……」


その言葉を聞いて、相手の目論見の片鱗が見えてきた。


「つまり、その二人の情報が欲しくて、俺に協力を持ちかけた?」


「理由の一つではあるわ。もう一つは純粋に、あなたの力に期待してのことよ」


つまり、俺の持つ情報と神の魔術、その二つを使ってメディ討伐への足がかりを作れれば、もう俺に用は無いというわけだ。

リディがヒトをどう扱うかはまだ情報不足だが、場合によっては途中で切り捨てられる可能性もあることは頭に留めておこう。


「さて、お前からもう俺に質問は無いか?」


「そうね、大丈夫よ」


リディが聞いてきたことはメディとアディのこと、つまり彼女の目的であるメディ打倒に関わることばかりだった。真面目な奴だと思った。本心ではヒトへの関心や愛着など全く無い癖に、神として正しく機能する為に、微笑みを貼り付け優しい言葉をかけるところが実に「神」らしくて憎らしい。

所詮、神にヒトを理解することはできないということか──そう思った時、リディは唐突にこう言った。


「そうだわ、一つだけ……ねえオズ。あなたはどうして、悲しい時や辛い時に笑うの?」


しんと、空気が静まり返った。何を言われたのかわからなかった。グラスの水面に映った自分は笑っていた。だが、俺は今の自分の感情がわからなかった。


「私……何かおかしなことを言ったかしら」


「いや、別に……お前、なんでそれを訊いた?」


「え? それは、その、気になったから……」


リディは少し不安そうに肩を竦めた。


「あなたと話していると、私、妙にミスをしてしまうみたいだったから。あなた、とても複雑なの。表情と感情が一致してないみたいで、理性と感情のバランスもころころ変わって、なかなか想定通りにいかないのよ。これまでヒトと会話する時は、その人の人格と経歴に応じた刺激を与えれば大抵想定通りに事が運んだから……あなたとだと、どうしてうまくいかないのかなって」


リディの言葉を聞いていると傷口を擽られたような気分になった。つい攻撃的な言葉を吐きそうになったが、不安そうな表情でこちらを見つめる姿が儚く見えて、思いとどまった。


「さあ、俺もわからへんわ。さっきお前が言うたとおり、俺は人を騙したりもしてきたから、そういうとこで身に着いたのかもしれへんな」


「そう……」


リディはしんみりとそう呟いた。その言い方が、なんだか憐れまれているようで気に入らなくて、俺はグラスの中の水を一気に飲み干した。

ちょうどその時に、次の料理が運ばれてきた。ヴィオレ港で取れた魚のポワレだった。リディはその料理をじっと見つめながら尋ねた。


「それにしても、いつもこんなお洒落なお店で食事をしているの?」


「流石にいつもやないわ。他人の相手する時だけや」


「それって、女の子を連れ込む時?」


リディは何の遠慮も無しにそう言い放ったので、俺は少し呆れた。


「まあ、そうやけど」


「ふうん。ヒトの価値観だと、多数の女の人と関係を作るのはあまり良くないことだと聞いていたけれど、あなたは結構思い切ったことをするのね」


「大胆さやったら、お前もええ勝負やと思うで……」


「でも、あなたの場合は仕方ないかもね。そうでもなければ、なかなか食事できないものね」


俺はまた黙り込む羽目になった。リディの言うとおり、多数の女性と関係を持ちながら、時々血を吸うことがあった。多くの種族は、吸血鬼族が他者の血を吸うことを「気持ち悪い」と捉える。なので、吸血鬼族は普通に「食事」をする機会を作ることすら難しかった。


「やっぱり、美人の血は美味しいの?」


「味自体は顔や外見に左右されへんけど、ほら、料理も見た目がええ方が気分ええやろ?」


「確かに、ヒトはそう感じるのでしょうね」


「やっぱ、むさ苦しいオッサンよりかは顔のええ若い女の血のほうが美味そうって思うかな」


食事の話をした途端、妙に腹が減ってきた。家に血のストックは残っていたかな……そう考えた時、リディの首筋がふと目に入った。きめ細かく、滑らかな肌だった。細くて、柔らかそうで、先日の酒場の男達が色めきだっていたのも少し理解できる気がした。きっとこの少女の血は、とてつもなく美味いのだろう。


「だとしたら、この姿で来たのは少し迂闊だったかしら」


「少しどころか相当迂闊やと思うで」


「わあ、悪い人」


リディの声はただ綺麗なだけで、全く感情が籠もっていなかった。


「でも、女タラシ相手やったらその姿の方が話進めやすいと思てその姿で来とるんやろ? 神ならどうせ俺が血を吸おうとしても指先で払い除けられるんやし」


「さあ、どうかしら」


まるで蝶のような女だった。思わせぶりなことを言っては煙に巻き、決して捕まらない。あの絶対的な強者であるメディと対等に渡り合う創造神リオディシア──これはメディ以上に底が読めない相手だと感じた。


「さて、互いの自己紹介も終えたし、そろそろ本題に入りましょうか」


チェリーのソルベを食べ終え、メインディッシュのステーキが出てきた頃、リディはそう切り出した。


「せやな。メディを打倒するとして、お前が俺にどういう役割を求めているのか、もうちょい詳しく聞かせてもらわへんとな」


「そうね。まあ一言で言うと、スパイをしてほしいのよ」


リディはそう言ってステーキを一口頬張った。簡単なことかのようにさらりと言ってのけたが、これは難しい話だ。


「スパイか。せやったら俺以外の別の吸血鬼の方がええんちゃう? 俺はあいつからクソ所長を奪ったんやで。スパイどころか、顔見た瞬間に殺されるやろ」


「そこは私がばれないように細工してあげる。あなたじゃないと開けない『鍵』があるのよ」


「鍵?」


そう言った瞬間、銀色の蝶が現れ、二人の周りに蒼銀のヴェールを創り出した。


「ちょっと大事な話をするからね。盗み聞きされないようにさせてもらったわ」


それから、リディは皿の上のステーキをフォークで指した。ステーキの周りには赤ワインのソースで円が描いてある。


「メディの軍勢は、大半が暴力で屈服させた後、魔法で洗脳した人や魔物よ。その洗脳する力の源はメディ本体から切り離されて保管されているの」


「つまり俺がすべきことは、その洗脳装置の破壊か?」


「そういうこと。恐らくその装置のある場所には鍵がかかっているわ。それを解く為に必要なものが、あなたが使える神の魔術……破壊の力よ」


「そして装置を破壊して、メディの軍勢を無力化する……か」


リディはソースで描かれた円の一箇所をフォークで壊し、中央のステーキを頬張り、天女のように微笑んだ。


「そういうこと。言ったでしょ。魔法はね、どんなに強力でも解けたらおしまいなのよ」


愛らしい笑顔でえげつないことを言う奴だと思った。自然と頬が綻んでいた。正直意外だった。神とは自分の圧倒的な力を誇り、鼻にかける奴だと思いこんでいたが、まさか「ヒトの世界という環境を利用し、したたかに相手の急所を突く」という弱者の戦法も使えるとは思わなかった。


「なかなかおもろいこと考えるやないか。せやけど、相手はメディや。ばれないように外見を変えても見抜かれる可能性はあるし、ちょいとまだ実現への道が安定してへんように見えるな」


「ああ、それなら大丈夫よ。メディなら、たとえあなたがオズだと知っていても招き入れるわ」


「なんやて?」


リディは感情の欠片も無い「神の目」のまま、顔の皮だけで微笑んだ。


「あの子はそういう子だもの。一度逃した獲物は自分の懐の内まで誘い込んでから捕らえるはずだわ。自分の手の内で身も心も壊すのがあの子のやり方。でしょ?」


聞けば聞くほど笑いがこみ上げてきた。人外の辞書に、ヒトの倫理などという言葉は無い。この怪物が外面だけでも可憐で清楚な少女の姿をしていることが滑稽で仕方がなかった。


「随分危険なこと要求してくれるやないか。せやったら、相応の報酬もくれるんやろな?」


「別に生贄になってだなんて言わないわ。『それでも生き残る』と見込んだ上で頼んでるわよ。それはそれとして、報酬は地位でもお金でも力でも、できる限りのものを用意するわ」


俺はリディを指して囁いた。


「いや、俺が欲しいのはそれやない。吸血鬼が求めるものなんて一つしかないやろ。リディ、お前の血や」


リディは数秒考えた後、ふんわりとした口調で言った。


「わあ、思い切ったこと言うのね」


「そうか? 正当な報酬やろ。まあ、今すぐとは言わへんし、大量にとも言わへんわ。検討してくれへん?」


「そうね、そうしましょう」


リディはそう言って、最後の一切れのメインディッシュを口に運んだ。


「じゃあ次に会う時だけど、そろそろ私達の国に来てほしいの。私の仲間達にも紹介したいし、今の戦況についても知ってもらいたいしね。二週間後にどうかしら。今月中に会えると嬉しいわ」


「できればもう数日待って来月にしてほしいんやけど……せやな、なんやおもろそうなことでもあるんやったら、今月中にしてもかまへんで?」


リディは「うーん」と首を捻ったあと、パチンと手を叩いた。


「そうね、じゃあまたチェスでもしない? 今度は全力でお相手してあげる」


俺はくつくつと嗤った。


「なるほど、かまへんで」


 春風が部屋に吹き込み、白いレースのカーテンを掻き乱して去っていった。自己紹介、依頼内容、次回の打ち合わせの日取り──今回の目的が概ね達成されたところで、ウェイトレスがデザートを持ってきた。木苺と桃をあしらった薄桃色のムースは、リディの髪の色とよく似ていた。


「前菜からデザートまで、ヒトはエネルギー補給に途方も無い手間暇をかけるのね。この景色もただで手に入るものではないでしょうし……」


そう言って、リディは窓の外を見つめた。地平線を境に、空には星が、地では民家や商店の灯りがチカチカ輝いていた。ここはアズュールの一等地。土地代だけでもかなりの額になるだろう。


「一時の食事の為だけにこんな土地まで用意するたぁ、無駄とでも思うたか?」


「いいえ、不思議だなあと思っただけ。私はヒトのそういう感性を否定しないわ。きっと私を創った世界樹は、ヒトのそういうところを脅威とみなして私達を創ったのでしょうね。だからこそ、ヒトの特性はきちんと把握しておかないと」


 この時、俺は神が何故人を真似たがるのかなんとなく理解した。彼女達は、ヒトという脅威への対応の為に生み出され、人を制御しなければならない義務感があるからこそ、ヒトに惹かれすぎたのだ。

 どうやら、この世界を支えている「世界樹」というやつは途方も無い馬鹿のようだ。下手に自我なんて持たせ、「義務感」なんて得てしまうから「感情」などという最悪のエラーが生まれるのだ。そのエラーが膨れ上がった結果、メディのような女神が出来上がってしまったのだろう。そりゃあ世界は残酷で慈悲も希望も無いわけだ。俺はそう思って溜息をついた。


「あなたがこの場所に私を誘った理由もなんとなくわかったわ。ここからの夜景と、ここの料理の盛り付けが、綺麗だったからでしょ」


また、俺は虚を突かれて黙り込んだ。違う、そんな理由じゃない。ただ、ここが人気の店だから選んだだけだ。訂正しようかと思ったが、この程度の些細な誤解をムキになって否定しようとする自分に苛立ち、また黙り込んだ。


「もしかして、自覚が無かったの? 本当に不思議ね。本来感情なんて必要ない私が気づいて、こんなに感情豊かなあなたが気づかないなんて」


そう言って、リディは口元を押さえて暖かく微笑んだ。その笑顔が綺麗で、憎らしくて、今すぐ頭を潰してやりたい気分になった。


「あなた、人と話すのが好きなのね。だから、料理やお酒の味なんてわからないのに酒場に顔を出すんでしょう」


「……ちゃうわ。脳に塵屑でも詰まっとるんやないか」


「ふふ、素直じゃない人。でもありがとう。今日は楽しかったわ」


気のせいだろうか。その「楽しかったわ」には、確かな感情が籠もっているように聞こえて、俺はずっと窓の外に逃がしていた視線を咄嗟にリディへと戻した。

月明かりの中で微笑むリディは、ごく普通の「少女」に見えた。脳裏で仇の顔が重なる。規格外のヒトと出会ってエラーを起こし、その間違いを修正しようとして果てしなく壊れていった破壊の女神のことを思い出した。

もしかして、俺はとんでもないことをしでかそうとしているのではないだろうか。一瞬の躊躇いを灰にして、俺はリディの白い手に自分の手を重ねた。


「こないな別嬪さんに喜んでもらえたなら、光栄やな。ほな、デザートも食ったことやし、そろそろ行こか」


俺はリディの手を取り、食事代を払って、店を出た。指が細い。腕も細い。軽く捻ったら折れそうだ。一瞬でも気を抜けば、この少女が世界を掌で転がす女神だということを忘れそうだった。一方で、俺は偽りの笑顔を貼り付けながら、如何にこの女神を利用してやるか考えていた。自分の手と繋がった白い手を、じっと見つめていると、リディは急に立ち止まった。


「じゃあ、今日は本当にありがとう。また二週間後ね」


「せやな、また今度」


 そう言って、俺はその白い手を引き寄せて、指先にそっと口づけた。神相手に、なにやってるんだろうな。偽物の笑顔を貼り付けたまま、心の内で自分を嘲笑った。


「うん……さようなら」


リディは優しく微笑み、くるりと背を向けて去っていった。俺はリディの姿が見えなくなるまでその背中を見つめていた。


「ありがとう……か。阿呆らし」


リディと繋いでいた手を見つめながら、ぽつりと呟く。鈴の音のようなリディの声を思い出す度に、メディの妖艶な声と重なった。軽く捻っただけで折れそうな細い腕は、マオの腕と重なった。

憧憬と憎悪、二つの相反する感情を抱えたまま、俺はふと民家の窓硝子を見つめた。


『どうしてあなたは、辛い時や悲しい時に笑うの?』


硝子に映った青年は、造り物のような薄い微笑みを浮かべていた。


「……知るか。『辛い』なんて気持ちもわからへんのに、答えられるわけないやろ」


そう言って自分で自分を嗤いながら、俺は道端の小石を蹴った。

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