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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第17話

最古の魔法使い、死す。そのニュースが大陸中に広まってから、三年程の月日が経った。天使と悪魔、創造神と破壊神の戦争は、収まるどころか日に日に激しさを増していた。

 天使は西に、悪魔は東に、それぞれ都市を作り、侵攻の拠点としていた。この二つの都市が、後のエンディルス、デーヴィアの二つの国の原型だ。

 また、同時期に発達し始めた都市がアズュール──後のウィゼードの原型だ。

 この頃のウィゼードは魔女•魔術師の国というよりは、リディとメディ、どちらにも属さない第三勢力の色が強かった。なので、この時期のウィゼードには魔術師の他に獣人や吸血鬼などの少数民族も属していたし、穏健派の天使や悪魔も度々出入りしていた。


 そして勿論、ウィゼードは俺にとっても格好の隠れ蓑だった。秋の初め頃、アズュールの細い通りの小さな酒場に笑い声が響いていた。

 辺境から来た獣人、飲んだくれの魔術師、行き場を失くした天使や悪魔が集う。ここでは、身分も種族も関係無い。俺はそんな酒場に居た。


「んねェ、オズー。今度はあたしと遊んでよ」


「まあ、ずるい。あんた、都合のいいこと言っちゃって。私が先に目を付けたのよ」


 魔女と悪魔の女達が群がる。香水の香りと甲高い声が鬱陶しい。白墨を塗りたくったような厚化粧顔が並んでいて気色が悪い。だが、俺はそんな本心に蓋をしたまま女達に微笑みかけた。


「順番や、順番」


「なら、あたしが先!」


「あのねぇ」


鳩の餌の奪い合いのような光景だった。女達が喧嘩を始めたあたりで、俺は密かに集団を抜けて、カウンターへと向かい、熊に似た体格の男の隣に座った。


「相変わらず、モテるねえ」


「せやろか。気にしてへんかった」


俺としては本当に、女に好かれることなど「使える道具が増える」程度にしか考えていなかったのだが、男は眉間に皺を寄せていた。


「ところでオズ、お前って女居たよな。俺が知ってるだけでも三人」


「居るけど」


「名前、なんだっけ」


「さあ、忘れてもうた。『地位』『コネ』『財布』やったかな」


「うっわ、サイテーだな」


そう言いながら、男はけらけら笑っていた。師を殺し、施設を抜け出して三年。アズュールの片隅での生活にも慣れてきた時期だった。昼は働き、夜はこうして遊びながら「情報収集」を繰り返す生活だ。施設に居た頃よりも「死」からは益々遠ざかったはずなのに、精神はむしろあの頃よりも薄汚れていった。

熊のような体格の男と他愛もない話をしていると、痩せぎすの男が一人、その会話に加わった。


「おう、オズ。あの女の子達、かまってやらなくていいのか?」


「別にええやろ。うるさくて面倒やし。あれに構っとると、こっちと話せへんし」


「おまえ、女癖悪いのに、女嫌いなのがタチ悪いよなあ」


「いや、嫌いやないで? 阿呆なら使い捨てしやすいし、顔が良ければ慰み者くらいの価値はあるしな」


「そういうとこだよ、そういうとこ。いやあ、こんなに最低なのにこいつがモテるんだから、世の中理不尽だよなあ」


 すると、酒場の娘がやってきて、酒とつまみと、酒によく似た色のお茶を持ってきた。俺は迷わずお茶を手に取った。

 娘はさりげなく三人の会話に加わった。栗色の巻き毛で目はぱっちりとしており、白いエプロンがよく似合う、所謂「清楚系」といった雰囲気の娘だった。


「でも、女の子達がオズさんに惹かれる気持ち、わかるような気がしますよ。優しいし、かっこいいし。今は大きなお屋敷の家庭教師してるんですよね? なんだかしっかりしてそうに見えますから」


「えぇ、じゃあハンナちゃんもオズみたいなのがいいのか?」


「うーん、私はさっきのお話を聞いちゃったからちょっと……」


「よ、よかったあ。じゃあ、俺にもチャンスあるってことだよな?」


酒場の娘はクスッと笑って、再び仕事に戻っていった。熊のような男と痩せぎすの男は、何故か闇の中で希望を見出したような顔をしていた。


「オズもさ、ああいう清楚で健気な感じの子にしてみたらどうだ? 純真さに癒やされて、一途な愛に目覚めるかもしれないぞ」


「でも今、フラレたとこだぞ?」


俺は酒場の娘の背中を目で追ってから、鼻で嘲笑った。


「いや、ああいうのはどっちかってと嫌いなタイプや」


「なんで?」


「殺したら死にそうやから」


二人は数秒間、沈黙した。


「……いや、ハンナじゃなくても、殺したら誰だって死ぬよな?」


「だよな」


 二人は唖然とした後、また中身の無い話を始め、それから先程の女達に誘われてどこかへ去っていった。

 俺は一人カウンターに残った後、アルコールの入っていない茶を飲みながら酒場の様子を見渡す。すると、酒場の主人が話しかけてきた。


「飲めない癖に、毎度よく来るな」


「なんやかんや、情報収集にはええからな」


「相変わらず、天使連合に取り入ろうと躍起になってるのか? 女を使おうとするのも、そういうことだろ」


俺は群衆に背を向けて、酒場の主人に話しかけた。


「半分くらい正解ってとこやな。女も使うが、男も使う。連合の騎士団の誰かと知り合いになれへんか、探っとるとこや」


「まあ、あの近辺は経済的には豊からしいから、生活しやすいが……お前さんの種族的には、このあたりの方が差別も厳しくなくていいんじゃないか? ……天使共は、他種族には厳しいらしい」


 主人の話を半分くらい聞き流しながら、俺は吐瀉物のような味の茶を笑って飲み干した。

 酒場の主人の話は半分間違えている。一つは、俺は利用できるものは男女問わず何でも利用する。二つ目は、生きやすさを目的にして天使たちに取り入ろうとしているわけではない。三つ目は、そもそも天使に取り入ろうとしているわけではない──目的は、それらの頂点に居る存在、創造神リオディシアだ。

 ふとした瞬間、背中が痛んだ。あの日アディが死んだ瞬間に残した魔法、アディの研究を継ぐ者である証の魔法陣だ。この魔法陣を起動し、神と並び立つ力を得る為には、創造神と破壊神、両方の血が必要だった。


「探し物が天使共の方にあるねん。差別はキツいけど、なんとか誤魔化して生きてくつもりや。今みたいに、な」


 そう言って、俺は吐瀉物の味しか感じない茶をもう一杯頼んだ。俺はこの酒場の主人以外には種族は悪魔ということで通していた。

 それから、主人に天使達の情報について尋ねようとした時だ。突然、背後からどよめきが聞こえた。俺は近くにいた男に尋ねる。


「何事や」


「なんか、すっげぇ美人が来た! どこのお貴族さんちの令嬢か知らねえけど、こんな酒場には似合わないタイプの美少女!」


「へえ」


最初はさほど興味が無かった。だが、後から「顔だけ見ておこうか」と思い、身を乗り出した。そして人混みの隙間からその「美少女」の顔が見えた時、俺は笑っていられなくなった。薄桃の滑らかな髪、雪のような肌──その顔はメディと瓜二つだった。


「まさか、メ…………」


 メディ、と言おうとしたところで少女がこちらを向き、俺は間違いに気づいた。少女の瞳はサファイアのような深い蒼だった。仕草にもメディには無い気品と奥ゆかしさがあった。

 しかし、初対面かと言われるとそうとも思えない。あの深い蒼の瞳をどこかで見たような気がする。


「な、なあそこの人。なんでったってこんなところに? 店、間違えてねえか?」


「可愛いね、一杯飲んでかない?」


「名前は? どこ住み?」


男達は蝿のように群がり始めていた。一方で、女達はどこか冷ややかな目つきで、遠巻きに少女を見つめていた。


「私、ルシア•グリンダといいます。人探しをしているの。仕事を依頼したくて」


「おおぉ、手伝うよ! どんな奴? 名前は?」


「ありがとう、優しい方ね」


ルシアと名乗った少女は優美に微笑んだ。事態をオズと共に見つめていた酒場の主人が呟く。


「流石ご令嬢、って感じだな。笑顔一つ取っても、酒場のゴロツキ共とは違う」


「いや、あれは……」


 演技だ。俺は「同類」の気配を本能的に感じ取った。その時、ルシアが言った。


「オズ•ガーディガルという人を探しているの。ここに居ると聞いたのだけど、知っているかしら」


 再び群衆がざわめいた。表情は崩さなかったが、俺も多少動揺していた。なぜ、この少女は俺のことを知っている? あれは何者だ?

 メディと瓜二つの顔を見て、「まさか」と思った時、ルシアと目が合った。人混みが割れて、ルシアの下へ一本道が出来上がった。逃げ場は無かった。


「はじめまして……ではないわね。こんにちは、オズ」


「……俺と、どこで会ったって言うんや」


「あなたがまだ14歳くらいの頃、サーカスの帰りで」


もう、あの日の記憶は錆びついていた。共に行った子供達の顔も、サーカスの流れも、マオ達とどのような話をしたのかも。ただ今の一言で、サーカスの帰り、グリンダとよく似た真白のドレスの女と出会ったことは思い出した。その女が、目の前の少女と同じ蒼の瞳だったことも。


「エメラルドの瞳は捨ててしまったのね」


「……何の用や」


「あなたに頼みたい仕事があるの。場所を変えて、少し話を聞いてくれるかしら」


そう言ってルシアが俺に手を差し伸べると、再び周囲がどよめいた。すると、数名の女がルシアに怒鳴りかかった。


「何アンタ。突然出てきて、何色目つかってんの?」


 その時、ルシアの背後で別の女が、並々と水が入ったグラスをルシアに投げつけた。


「おい……!」


 俺が手を出す間も無かった。グラスは放物線を描いてルシアの頭上へ向かったが、何故か途中から来た道を引き返して、グラスを投げた女の顔に当たった。女は瞬く間に水浸しになった。

 すると、女の前に人形のような子供が二人現れた。


「キャハハハ、ねえ見てよ。白い絵の具塗りたくったような顔がドロドロになってる」


「言ってやるな。無力で他人に媚を売るしか能の無いヒトの足掻きだ。そう言うと益々惨めに見えて笑えてくるだろう? クスクス……」


 名前を知るのは相当後の話になるが、この性格の悪い男女の双子は、当時創造神と行動を共にしていたイオとセイラだ。そして、「ルシア」と名乗るこの少女の正体は──勿論、あの女だ。


「邪魔が入ったわね。さあオズ、行きましょう」


俺は少女に手を引かれて酒場を出ていく。酒場の人々の視線が一点に集中する中、俺は少女に問いかけた。


「お前、何者や」


少女は答えなかった。代わりに、酒場の出入り口に手を翳して、少女は言う。


「少し遠くへ行くけど、驚かないでね」


 酒場の扉に魔法陣が浮かび上がる。なんの変哲も無い木の扉が、全く別の場所へと繋がっている。「どこへ行く」と尋ねようとした瞬間、俺は扉に引き摺り込まれた。

 内臓が浮遊するような感覚が数秒続いた後、両足が床に着いた。たどり着いたところはおよそヒトが生きる場所とは思えない空間だった。天井にも地にも無限の星空が広がっている。その中に硝子のような透明な板が浮いており、俺たちはその上に立っていた。空間の中央には、白と黒の格子柄のテーブルと椅子があり、テーブルの上には何故かチェス盤があった。


「……リディよ」


移動を終えた途端、少女は唐突にそう名乗った。


「さっきはルシアと言ったけど、あれは偽名。本当の名前は創造神リオディシア。リディと呼んでくれて構わないわ」


そう言って、リディは証拠を見せつけるかのように機械と水晶でできた翼を広げた。星空の光を受けた翼はこちらを惑わせるかのように輝く。陶器人形のような顔を僅かでも「綺麗」と思った瞬間──脳裏に仇の顔がちらついた。


「じゃあ……リディ。俺に何の用や」


「それは酒場で言ったとおりよ。頼みたい仕事があるの」


「……なんで、俺なん?」


すると、再びリディと目が合った。酒場で出会った時の笑顔や柔らかな口調は抜け落ちており、機械のような無機質な表情をしていた。


「それは、あなたが一番理解しているかと思っていたけれど。最古の魔法使いと呼ばれる人……アディリシオを殺したのは、あなたでしょう」


師の名前を聞いた時、今、俺は再び人外の世界に招き入れられたのだと気づいた。目の前の女神は、立ち振る舞いこそメディよりも穏やかだったが、目の奥がおよそヒトとは思えない程に冷たかった。


「そうやけど……なんで知っとる」


「記録書で見たから。アディリシオを殺せたあなただからこそ頼みたいことがあるの。どうぞ、座って」


そう言って、リディは俺を中央の椅子へと座らせた。座った途端、イオとセイラが背後から顔を出した。


「ねえねえリディ。こいつはロクなことしないよ。やめときなよ」


「同感だ。仕事を頼むどころか、ここで排除すべきだな。それほどの悪人だ」


 そう言いながら、二人は俺とリディの前にグラスを置いて行った。外見は子供だが、どうやらこの二人は従者のようなものらしいということは理解した。

 リディが俺の前のグラスを指すと、血が並々と注がれた。


「……何のつもりや」


「ちょっと血を創っただけよ。なんてことはないヒトの血という設定で。あなたの喉を潤すくらいはできるはず」


そう言って、自分のグラスには白ワインを注ぎ、一口飲んだ。俺も恐る恐る自分のグラスを手に取り、口をつけた。神の手によって創られた血はとびきり甘く、美味かった。


「一局、どうかしら。先手は譲るわ」


 そう言って、リディはチェス盤を指した。俺は渋々頷いた。奇妙だった。何故メディといい、神はヒトを真似たがるのだろう。目の奥、表情、所々機械が無理矢理人の動きをするような不自然さが抜けていないのに、「相手の種族に配慮した飲み物を勧める」ような気遣いはやけに人間的で気味が悪かった。

 俺はポーンを手に取り、二マス進める。


「なあ、ここ、どこや」


 リディがポーンを手に取って進める。


「私が創った空間」


「なんでチェスなんてするんや。仕事の依頼やなかったんか」


 蒼の瞳が、こちらを捕らえる。思考の隅まで見透かすように囁く。


「あなたにとっても、その方がよいかと思ったからよ。これは、『自己紹介』のつもり。口で語るより、よほど正確でしょう」


 次の駒を掴む手が一瞬、止まる。つまりこのゲームをしながら、リディは俺を試している。笑いがこみ上げてきた。純白の衣に身を包み、まるで善意の化身のような顔をしているが、やはり神は神だった。

 俺は相手の手を可能な限り予測する。陶器人形のような顔が歪む瞬間を想像して、次の駒を手に取り、盤面に置いた。


「……そう、負けず嫌いなのね」


 リディは即座に次の手を打って、そう呟いた。

 数十分、互いに黙々と駒を動かし続けた。最初はなんてことない世間話や、俺を選んだ理由を尋ねていたが、次第に無言で指し続けるようになった。

 リオディシアは鬼のように強かった。序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように指せ。チェスにはそんな言葉があるが、リディは全てをそのとおりにこなす完璧な機構のような存在だった。

 その一戦を通して、俺も幾らか読み取れたことがある。リディはメディよりも余程無機質で、神様らしい価値観を持っている。だが一方で、人の願望を掬い上げて誘うことに関しては、メディと同じく長けていた。


「……チェックメイト」


 数十分後、俺はクイーンの駒を盤面に置き、リディにそう言い放った。リディは能面のような表情のまま言った。


「私の負けだわ。強いのね」


俺はグラスをテーブルに叩きつけた。


「確かに、『自己紹介』には最適やったわ。……お前、わざと手ぇ抜いて負けたやろ」


「誤解だわ。ご挨拶程度のつもりだっただけよ」


「物は言いようやな。そして今、俺はこう思っとる。『花持たせたつもりか、ふざけんなド畜生クソ女神。本気で来やがれ、もういっぺんやらせろ、その上でボコボコにしたる』……ってな」


「わぁ、怖い」


 リディは無機質な目をしたまま、鈴の音のような声でそう言った。


「そしてお前は、わざと手を抜くとこうして俺が苛立つということを知った上でそれをやっとる」


俺の彼女への印象はこの数十分で一変した。あの酒場で、一瞬でも彼女を外見通りの清楚で心優しい少女のように錯覚したことを謝罪しよう。これは紛れもなくメディと同類の神だ。人の欲望を掬い上げ、指一本動かさず全てを思い通りに操る狡猾な神だ。

 仇との類似点を見つけて苛立つ反面、俺はこうとも思っていた──『やはり、神はこうでなくては』と。怒りと期待が同居するこの感情を何と表現すればよいかわからないまま、俺はリディに問いかけた。


「なんや、俺のこと幾らか知っとるみたいやけど、その情報、どこで知った?」


「記録書で見たから」


「記録書……?」


「そう。詳細は省くけど、私はあなたの過去を大体調べてきたわ。そう例えば、初めて私があなたと会った日……あの後、あなたが帰ったら、村はメディの襲撃を受けて壊滅状態だったこととか。あなたはその時、メディと最古の魔術師への復讐を誓ったこととか……辛かったでしょう。ご家族を失ったのは」


 今更錆びついた記憶に触れられても怒りはしなかった。だが、眼前の女神が貼り付けたような同情の言葉を並べてきたことには苛立った。

 リディはこう尋ねた。


「最古の魔術師、アディリシオを殺したのはあなたね。そして、次はメディを殺そうとしているのでしょう?」


「……何が言いたい?」


「私と、手を組んでほしいの。私達はメディの軍を切り崩し、彼女を仕留めます。そして、この長くにわたった戦争を終わらせます。その為には、あなたの力が必要なの。これは、あなたにとっても大きなメリットになる話かと思うけど」


 リディの話は正しかった。創造神の軍の後ろ盾があれば復讐を遂げられる可能性が高まるのは確かだし、そもそもそれが俺が天使たちに近付こうとした理由の一つだった。

 だが、俺はリディの言葉の端々から「神の手口」を感じ取っていた。相手の提案がこちらの望みを叶えるかのような言い回しが気に入らない。俺はすぐに話には乗らずに、こう尋ねてみた。


「へえ。今、お前……自分の望みを叶えるために『仕事』を頼もうとしてる癖に、なぜ俺のメリットを提示した?」


すると、リディはまるで慈愛に満ちているかのような声色でこう答える。


「だって、自分の望みを叶える為にヒトの力を借りたいなら、まず相手の望みを叶えるべきじゃない? 自分だけじゃなくて相手のことも考えて、みんなで協力するのが一番いいわ」


「……随分生温いこと言うんやな。メディは暴力でヒトを無理矢理洗脳して従わせてたで」


「私はメディのやり方には賛成できないわ。だって、結果的に効率が悪いもの」


「……効率?」


そこで俺は一瞬息を止め、目を細めてリディを睨んだ。一瞬、神の片鱗がみえた気がした。


「ええ。だって、洗脳って、魔法を使ってするのでしょう? それって、魔法が解けてしまったらおしまいだわ。それに、暴力で服従させたら怨恨が残るわ」


「せやろな」


そして、リディは聖女のように柔和に微笑んでこう言った。


「ならそんな美しくないやり方は止めて、魔法なんて使わずに行う方がよほど効率的じゃない? 言葉は魔力という資源を消費しないから、口で説得して、心の底から私に共感してもらって力を借りる。これが一番効率的だと思うの」


 背筋がゾクリと震え上がる。怒りと、憎悪と、欲が炎のように燃え上がる。心臓の鼓動が告げている。コレは紛れもなく世界を掌で転がす強者の言葉だ。

 耳障りの良い言い回しに騙されてはならない。今、この神はこう言ったのだ。


「『人を洗脳し、服従させるのに暴力も魔法も必要無い。言葉一つで身も心も効率良く掌握できる』……って言いたいんか?」


「えっ……? 私は、そんな美しくないこと言った覚えは無いわ。私はただ、ヒトたちの記録から最適な手段を計算しただけよ」


「計算……か。なら、その計算式には、悪鬼が宿っとるな」


 リディはまるでこの世の穢れなど触れたことも無いような顔をしていた。俺は椅子に深く座り直し、身を乗り出し、リディの顎を引き寄せて低い声で呟く。


「この、神どもめ……ヒトを何やと思っとる」


 今すぐ硝子玉のような瞳を潰してやろうかと思った。陶器のような頬に爪を立て、絹糸のような髪を引きちぎってやりたかった。

 リディは俺の顔を食い入るように見つめていた。


「あなた……不思議な表情をするのね。そんな表情、初めて観測したかもしれないわ」


「黙れ」


「怒り、憎悪、苛立ち……言葉にはそういった感情が含まれているのに、なぜあなたは笑っているの?」


 白魚のような指が頬に触れた。俺は思わず手を引っ叩いて距離を取った。リディは叩かれた手を見つめて沈黙した。

 鏡が欲しかった。風船から空気が漏れるかのように、自分の笑い声が微かに聞こえた。

 その時、イオとセイラがリディの隣でこう言った。


「リディ、リディ! 黙ってないで、交渉するならさっさと済ませようよ。こんなクズでも、使い道があると思ったからここまで来たんでしょ!」


「身の程知らずにも程がある。お前の復讐を遂げる為にはこちらの力が必要不可欠だというのに、よくそんな無礼な真似ができるな」


 やけに小綺麗な格好をした双子が滑稽に見えた。俺は怒りと同時に、確かに「楽しい」と感じていた。だが、胸の奥は何故か泥のような憂鬱が渦巻いていた。それらの矛盾した感情を抱えた瞬間、俺は「神の舞台に戻ってきた」と実感した。

 純白の女神は、今にも汚したくなるような微笑みを浮かべながら手を差し伸べた。


「誤解があったのなら謝罪するわ。でも、私も本当にあなたを必要としているの。私は、最大出力がメディには及ばないから……みんなの協力が不可欠なのよ。だから、お願い」


 俺は半分ほくそ笑みながら答えた。


「今は、断る。泥道歩いたこともないような真っ白な格好して気色悪い。ボロ布着て、地べた這いずり回るヒトの身にでもなってから物を言え、クソ女神」


 俺は乱暴にそう言った。リディはそっと手を引っ込めた。数秒前まで赤子のように無邪気な表情をしていたリディが、急にしゅんと肩を竦めた。


「どうして、笑いながらそんなこと言うの。私、何か間違えたかしら。何か、それほどあなたの気に障ることを言ってしまった?」


「いや? 神らしくて胸糞悪かっただけや」


「そんなに、私とメディは似ている?」


 虚を突かれたような気分になり、俺は思わず黙り込んだ。一方のリディも、唇を噛んで俯いた。初めて、リディの感情が動いた瞬間を見たような気がした。


「……別に、お前に手を貸す気が無いってわけやない。ただ、まだお互いどういう奴かもわからへん状態で返事はできひんってだけや。チェス一回だけやとちょいと物足りないやろ。だから、こう……もう少し時間かけろって、そういう話や」


急に、俺は罪滅ぼしのようにそう言った。俯いているリディは、触れただけで壊れてしまいそうなただの少女に見えた。俺はほんの少し、リディをメディと重ねて見ていたことを後悔した。


「あークソ、鬱陶しい。今日の交渉はこれで終わりや。まだ続ける気があるんやったら日を改めて来い。ええな?」


リディはまだどこか哀しげに黙り込んでいた。俺は溜息をついて席を立ち、リディに背を向けると、正面にイオとセイラが立ちはだかった。見たことが無い魔力を感じた。二人の目には確かな殺気が籠もっていた。


「これだけの無礼を重ねて、生きて帰れるとでも思っていたのか?」


「キャハハ、ねえねえ、バラバラとグチャグチャ、どっちがいい?」


その時になってようやく、「まずい、言い過ぎた」と実感した。この場所は外界と隔絶された閉鎖空間。俺は相手が用意した鳥籠の中で好き勝手暴れたようなものだ。檻の中の鳥がうるさければ、黙らせられるのは当然のことだった。


「いいえ二人共、やめて。オズはこのまま帰します」


「リディ、なぜ止める!?」


セイラが困惑した様子で聞き返した。


「当然だわ。交渉相手を殺したら元も子もないでしょう」


リディは顔を上げて俺に言った。


「オズ。次は明後日に会いに行くわ。都合は合いそうかしら」


「……空けとく。交渉は続行ってことか?」


「ええ。今日は、突然押しかけてごめんなさい。さようなら」


 そう言うと、突然風が吹き荒れ、光が視界を覆った。純白の女神の姿は霞み、俺は思わず瞼を閉じた。そして再び目を開けた時、俺は自宅の前に居た。リディの姿も、グラスもチェス盤も、滑稽な双子の姿も消えていた。

 俺は悲しそうに俯くリディを思い出し、唇を噛んで近くの小石を蹴った。

 三日月が煌々と輝く夜。「運命」と呼ばずにはいられない程、今後深く自分の生涯に関わっていくことになる少女に出会った。



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