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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第16話

メディレイシアはヒトの感情を知りすぎた。

 その結果、俺は間一髪のところで生き延びている。彼女の欠点は遊びに時間を割きすぎるところだ。一撃で殺せばいいところを、必要以上に残虐に嬲り、屈辱的な目に遭わせて楽しむ癖がある。

 メディがそういった「隙」を持ち併せていなければ、「偽の遺体を用意し、時間稼ぎをする」──などという単純な罠に嵌めることなどできなかっただろう。


「追っては、こないか……一先ずは成功……っ、い、たい……!」


廊下を走っている最中、突如肩に強い痛みが走り、思わず蹲る。策は成功したが、こちらも無傷とは言えない。

俺は傷口に手を当て、呪文を唱える。紅の神の魔術──現在は紅のブラン式魔術と呼ばれている術の扱い方は掴んだ。それを応用し、俺は一時的に傷口周辺の痛覚を「破壊」する。


「この程度で止まってたまるか……マオは、スマラクトは、父さんと母さんも……きっと、もっと辛かった。この傷より深くて痛かった……だから、」


 術が発動した途端に痛みは引き、走り出せるようになった。そうだ、これでいい──と俺は自分を正当化する。俺の痛みを殺してでも、仇は殺さなければいけない。

 痛覚が死んだ傷口に風が当たった。もう痛みは無かったが、傷を擽られるような気味の悪い感触がした。そこからふと、以前アディがメディに右目を抉られた話をしていたことを思い出した。


「たとえ痛覚死んでても、なんもないわけないやろ……やっぱあいつ、頭おかしいわ」




 施設は崩壊寸前、研究者も被験者も魔物もほぼ皆殺し。そんな悲惨な状況であるにもかかわらず、アディの部屋の前は春の日だまりの下のように穏やかだった。

 俺は部屋をノックする。「入れ」と声がする。そして、俺は部屋に駆け込み、アディの胸倉を掴んで仮面を剥ぎ取り、蒼の水晶に覆われた右目に紅の魔力を纏ったナイフを突き刺した。

 一瞬の出来事だった。ナイフが深々と刺さった様を見て、何故か俺の方がたじろいだ。これほどあっけなく、相手に防がれもしないとは思わなかった。


「なんで……防がないんや。メディほどではないとはいえ、お前が今のを防ぐこともできへんほど弱いわけない」


すると、アディは右目から血を流しながらこう言うのだ。


「なんのことだ?」


そうして、アディは普段通り、エルメスを抱きかかえながら、梅と山椒の香りの茶を啜る。


「そういえばオズ、最近エルメスの毛がよく抜ける。ブラシを一つ用意しろ。あと床はまめに掃除しろ」


 アディはまるで何事も無かったかのようにそう呟いた。

 その隙に、俺はアディの机にあった蒼の水晶が入った小瓶を破壊し、捨てた。俺の見立てでは、この小瓶と、右目に埋め込まれた蒼の鉱石。この二つがアディの不老不死の理由であり、魔力の源だった。

 俺の行いはアディもしっかりと見ていたはずだが、アディはただ黙ってエルメスを撫でるだけだった。

 俺は困惑していた。思えば最初から、俺はメディよりもアディを畏れていたかもしれない。相手の思考も感情も理解できない。仇に最高の絶望を味わわせる為に殺してやりたかったのに、右目にナイフを刺されてもアディは慌てもしなかった。


「そうだ、たしかお前に用があるんだが……なんだったかな、忘れてしまった。ところでオズ、この右目のナイフは抜いても構わないか? 意外と長さがあるので視界が狭まってつまらん」


 右目を刺したことも、鉱石を破壊したことも、確実にアディを死へと近づけている。態度に変化は無いものの、身体の動きは確実に鈍っており、決してこちらの攻撃が「効いてない」わけではなさそうだった。俺の見立てでは、あとは普通のヒトと同じように、相手の心臓を止めればアディは死ぬ。にもかかわらず、アディはこの調子だった。


「オズ、許可は?」


「……いや、それを俺に聞くような状況やないって、わからへんのか?」


 俺はとうとう耐えきれずにそう言った。全身が「そうじゃない、俺が見たいものはそれじゃない」と言っていた。悔しかった。


「さあ、知らん。興味無い。刺したお前が決定を下さんのなら、私が決めて構わんな? ならこれは抜く」


そう言って、アディは目に刺さったナイフを抜いた。その途端、右目部分からは更に大量の血が溢れ出た。


「今、自分が殺されようとしているって、わからへんのか?」


「いや、理解している。先程のように紅の魔力をナイフに纏わせ、それで刺せば、私は死ぬだろう」


アディははっきりとそう言った。俺は、師匠のこういうところが嫌いだった。


「……なんで、理解してて防がへん。お前達が故郷を滅ぼした時、俺がお前を殺そうとしたらお前は防いだ。抵抗する強さは持っとるはずや。なのに、」


「そうだな……わりと、満足してしまったからだろうか。私が命を延ばしてでも見たかった『可能性』を見ることができた。そんな今、自分の生き死になど興味が沸かん」


 俺は、復讐の方法を間違えていたことに気づいた。いや、本当は俺も薄々気づいていたはずだ。命を奪われたところで、このクソ師匠は「知らん、興味無い」しか言わない。

 ならば、最適の復讐方法は何か? それもまた明白だ。まずはアディの膝で寝転んでいるエルメスを殺せばいい。それから、この部屋の研究資料を焼き払えばいい。

 そのはずなのに、何故かそれができなかった。ナイフの方向を僅かにエルメスにずらしてみたが、殺せなかった。「無関係の者を殺す」という一線など、とうに踏み越えていたはずなのに。


「そういえば、オズ。この先の実験資料はそこの戸棚にある。持っていけばいい」


アディがふと発したその一言で、俺は我に返った。


「なんで、俺にそんなことを言う?」


「メディから聞いた。それを必要としているのだろう?」


俺は唇を噛んだ。言われるがまま戸棚の前に、向かい、資料を手に取る。神の魔術の発現、創造と破壊の神の血について──そこにはアディの研究の全てが記されていた。


「俺がどうしてお前を殺そうとしているのか、さっぱりわかってへんのやな」


「当然だ。全く興味が無い」


「俺が……これを必要としていると思ったんか?」


資料を燃やせばいい。自分の研究が水の泡となった状態で死ねば、それはアディにとって「絶望」になるはずだ。そのはずなのに、何故かそれができない。

自分で自分がわからずに困惑していたその時、アディはその理由を言い当てた。


「お前は、神の力を得たいのだろう?」


俺は茫然となった。復讐の為、アディとメディを殺す為の力が必要だった。そして、たとえここでアディを殺せても、メディを殺せていないならば、この資料を捨てることはできなかった。


「ならば、お前は私の研究の後を継ぐ者になる。だとしたら、理に逆らって延ばし続けたこの命、そろそろ世界に還しても構わんだろう」


 俺は悔しくて仕方がなかった。俺の全てを奪った仇はもっと悪い人であってほしかった。憎むに足る残虐な仕打ちをしてほしかった。俺の大切な人達と同じ痛みを「痛い」と感じて、みっともなく命乞いをしてほしかった。そして、絶望と後悔を抱えながら惨めに死んでほしかった。

 それが叶わないと知った今、俺にできることはもう一つしか残されていなかった。


「もういい、消えろ」


そう言って、紅に輝く刃をアディの胸に突き刺した。その瞬間、アディはふとこう呟いた。


「ああそうだ、もう一つ、お前に託しておくものがある」


 その時、部屋全体が一つの術式になった。蒼の紋様と文字が床から天井まで埋め尽くし、光が視界を覆った。

 そして、胸から背中にかけて激しい痛みが襲った。外傷があるわけではない。死の危険も感じない。だが、全身を別のものに書き換えられているような不快な感覚だった。

 強すぎる光で視界が遮られる中、手探りでアディの服を掴み、ナイフで滅多刺しにした。だが光が弱まり始めた頃、背中に焼けるような痛みを感じ、手からナイフが零れ落ちた。

 光が収まってからどれくらいの時間が経ったのかわからない。身体に異常は無い。だが、確実に背中に「よくないもの」が残されていることは理解できた。


「おい、おまえ、なにを……」


 そう尋ねようとした瞬間、もう全て手遅れだと気づく。アディは全身から血を流して地面に倒れ込み、もう瞼を開くことはなかった。

 俺はアディが残した資料を抱きかかえながら唇を噛む。俺は仇を殺すことはできたが、師には勝てなかった。

 ようやく身体を起こすことができるようになった頃、少女のか細い声がした。


「ア、ディ……?」


 メディが居た。加害者と被害者を前にして、万能の神が茫然とその場に立ち尽くしていた。その時、アディが見せてくれなかったもの全てをメディが見せてくれた。


「あ、はは、は……」


乾いた嗤いがこみ上げてきた。俺から全てを奪った仇が「少女」の顔をしていた。指先一つで俺を殺せるはずなのに、床に倒れたアディを見つめて動かなかった。

困惑、動揺、怒り、絶望、虚脱感。俺が与えたかったもの全てがそこにあった。


「はは、ははははは、ははは!」


嬉しいのか哀しいのか痛いのか、なにもわからなかった。ただ、顔は感情に反して笑い、口は心に反して言葉を紡いだ。


「ざまあみろ! どうや、鼠と見下した被験者に足元を掬われた気分は! 何が神や、万能や! 焦がれた男を手に入れる前に失う気分は!」


 「演技」を定義づけるものは何だろう。役者ではない俺には答えを出せないが、この時発した言葉は全て本心に蓋をする仮面から紡ぎ出されていた。無理にでも強気な自分を演じなければ壊れそうだった。

 そして、俺はメディの胸ぐらを掴んで低く囁いた。


「ヒトの心、思い知れ」


 そう残して、俺はアディの資料を持ったまま翼を広げ、窓から飛び去った。何年ぶりかの施設の外の世界を直視することもできずに、逃げて逃げて、逃げ出した。



 そうして数時間後、人気の無い廃墟にたどり着いた時、俺は正気に戻った。辺りはすっかり夜闇に包まれていた。

 一人になった途端、今日一日の出来事が走馬燈のように襲ってきた。被験者や研究員の悲鳴、人を貪り食う魔物、蝋人形のようなメディの顔、そして、資料を託した時のアディの顔が浮かんでは消えていった。そしてようやく、自分がしでかしたことの重さを自覚した。

 師を殺す。この為に、俺はどれほどの不道徳をやらかした? 無数の被験者と研究者を利用し、魔物に喰わせ、スケープゴートにした。その上、ヴェルデを殺して、その遺体を弄んだ。

 もし、マオが、父が母が友人が生きていて、俺がそのような外道に成り下がったと知ったら、何と言うだろう。俺は記憶の中の死者に語りかけたが、返事は無い。当然だ。どれほど過去を忠実に写し取っても、俺の記憶の中のものは俺の一部でしかない。


「もう、戻れない……いや、最初からそうやったな……っ、ぐ……」


 背中に強い痛みを感じ、膝をつく。これは神が下した「罰」だろうか。いや、神など居ない。その名前が付くものは、俺が思い描く「神」とは違った。だからこの痛みは単純に、俺が「悪」に成り下がったことへの報いなのだろうと思った。


「悪、か……そうか、そうやろなあ」


 俺はうわごとのように呟き、月も星も無い空を見上げた。施設のベッドも無い、研究員も被験者も、アディもメディも居ない、独りぼっちの夜だった。

 風の音が五月蠅かった。春先なのに寒かった。目を瞑ると、家族や友人の懐かしい声がした。だが、目を醒ますと誰も居なかった。

 小石がカラカラと転がるのを見つめながら、俺は願った。

 もう、何も失いたくない。もうたくさんだ。その為の力が欲しい。神にも世界にも負けない、最強の力が。


『神の力を、得たいのだろう?』


師の声が聞こえたような気がした。俺は腕の中の研究資料に爪を立てながら、瞼を下ろした。



◇◇◇



 そこからの数分は、オズの記録ではなかった。書類と血が舞う研究室の中、倒れている白髪の男と、それを呆然と見つめる女神が居た。

 女神は男を踏み続ける。蹴飛ばされ、揺さぶられた男は僅かに瞼を開いた。だが、身体は動かない。恐らく、もう数分も経たずに男は死ぬだろう。


「……メディ」


アディは掠れた声で呟いた。メディはアディの顔を踏みつけ続けた。


「この屑、ゴミ、能無し、カス…………この、馬鹿」


「よく……わからんが、すまない」


「わかりなさいよ。そして、私を呼びなさいよ。少しでも合図をくれたら、あんな害虫、すぐ追い払ったわよ」


「そう……か、それは……知らなかった」


メディは唇を噛み、声を殺して、頬を踏み続けた。アディはエルメスを撫でる時のように、頬に乗った足に手を添えた。それきり、メディはアディを踏もうとはしなくなった。


「……何か、言い残すことはある? ヒトは誰かが死ぬ時はそう言うのでしょう?」


アディは虚ろな瞳のまま呟く。


「そう、だな。また……君の翼が見たい」


「……ふん、本当に腹の立つ奴」


 そう言うと、黒と紅の鉱石の翼が広がった。夜闇の中、翼は僅かな月明かりを受けて輝く。鉱石の羽に包まれた研究室は星空のようだった。


「……やはり、綺麗だな」


メディは俯いたまま、一言も答えなかった。瞬く天井を見つめながら、アディはふと呟いた。


「そういえば、一つ……わからないことがある」


アディは、僅かに左目の視線をメディへとずらした。


「私は……ヒトの一生の……何倍生きたかわからない……これほどの永い時を、何故君は私と共に居ようとした?」


 その一言でメディは顔を上げた。これから噛み付くと言わんばかりに息を吸い、


「そんなの……!」


 アディと目を合わせようとした時。もう、既に手遅れだった。アディの瞼は堅く閉ざされ、息絶えていた。

 メディは「クソっ!!」と声を荒げ、翼を振り回して研究室を破壊する。天井が崩れていく中、恐る恐る膝を付いて、アディの長い髪を手繰り寄せた。

 そしていつものように勝手に三つ編みをして、その毛先を口元に寄せ──真っ白な髪の中に紛れ込んでいた赤紫の束に、最初で最後の口づけをした。

 エルメスが、メディの膝に擦り寄って「ぶにゃあ」と鳴いた。血の泉に、たった一度、波紋が広がった。





 その様子を、キラは誰の手も声も届かない場所で見つめていた。瞼を下ろしたまま動かないアディ、遺体を見つめ続けるメディ、そして独りぼっちのオズ。

 その三人誰もが報われないことに泣いていた。絶望の涙ではない。ただ、できることなら三人とも、幸せになってほしかった。



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