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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:第14話

「この世を壊す紅き瞳の女神よ……業火よ、行く手を切り拓け! エクスプルジョン!」


まだ陽の光も射さない明け方、俺はこれまでに学んだ「神の魔術」を練習していた。何度も、何度も、睡眠も食事も禄に取らずに詠唱を繰り返した。

だが術の発動自体はするものの、通常魔法と威力が大差無い。アディが焦がれる程の神の魔術がヒトの為の劣化魔術と同等のものであるはずがない。


「この世を壊す紅き瞳の女神よ……業火よ、行く手を切り拓け! エクスプルジョン!」


再び、練習を繰り返す。必ず、神の魔術を俺のものにしてやる。たとえ仇の力であろうと家族と共を殺した研究であろうと、強い力が得られるならば構わない。

そうした最中、脳裏に昼間のアディの言葉が浮かんだ。


強くても、死ななくても、美しくなければ意味が無い──


俺は全く共感できなかった。そんな戯言は、力にも命にも恵まれたあいつだから言えることだ。

力が欲しい。俺は喉が枯れるまで呪文を詠唱した。殺されない為の力が欲しい。何度でも何度でも、暗闇に紅の光を咲かせる。神にも世界にも、何一つ奪わせない為の力が欲しい。その為ならばこの両手を何度汚しても、身も心も捨てても構わない。

地平線に薄く光が見え始めた頃だ。部屋の入り口を誰かがノックした。「どうぞ」と言うと、ヴェルデが部屋に入ってきた。


「驚いたな。君、本当に隠れて努力するタイプなんだ」


ヴェルデは右手でぼさぼさの髪を掻き、カップを持っていた。カップの中身は真紅の血だった。


「人の楽屋に入ってくるたぁ、悪い先生やなあ」


「楽屋? 君の部屋だろ。それよりさ、昨晩の晩御飯を置きに来たんだよ。君、食堂にすら来なかったんだろ。食事と睡眠はちゃんと取らなきゃ駄目じゃないか」


「……そないなことの為にわざわざ?」


俺の待遇も随分変わったものだ。ここに来た頃は、ちり紙のように使い捨てられるモノとしてしか扱われなかった。しかし、今では研究者がただの被験者の体調を心配し、食事を運んでくるようになった。


「そうだよ。君が体調を崩したら、所長もきっと心配するよ」


「そな阿呆な。絶対『知らん、興味無い』で済まされるで」


「そうかな? 僕らの間では、所長は意外と弟子想いだって言われてるけど」


俺は眉を潜めた。俄には信じられなかった。傲慢で我儘で、研究とモフモフにしか興味の無いクソ野郎が今更俺の体調など気にかけるとは思えない。


「だって、君が所長の傍に着くまで所長は人の話なんて全くという程聞かなかったんだよ。会話が通じる人といえば、ほら、メディレイシアって神様くらいさ」


「俺の話も聞かへんで」


「程度が違うんだよ。ほんと空気みたいに、存在していないみたいに扱われるからね? 目の前に居るのに伝える内容はまずメモして文面にしないと意思疎通してくれないんだよ。それに比べれば、君の話はちゃんと聞いてくれてる方だと思うんだけど」


俺は暫く黙り込んだ。だが、理由はすぐに見つかった。


「せやったら、所長の中で既に俺はヒトのうちに数えられてないんやろ」


俺が眉間に皺を寄せながらそう言うと、ヴェルデは急に黙り込んだ。まるで、俺が相当におかしなことを言ったような顔をしていた。


「……なんや、そないな顔して」


「いや、なんか嫌そうな顔してるのがちょっと意外だったから。君はこう、神になりたいのかと思ってたよ」


今の一言で逆に俺がヴェルデをおかしなものとして見ることになった。「神になる」など、常人には変人の世迷言にしか聞こえないだろう。

しかし、数秒後に思い出す。そもそもここは「神を創る」ということを目標にしている頭がおかしい施設だった。


「……なんでそないなことになるねん」


黙り込んだ末に、ようやく一言返した。


「えっ? だって熱心に神の魔術の練習をしていたじゃないか。君が所長の弟子になる前、『勉強がしたい』なんて似合わない事言ってきたのも、そういうことじゃないの?」


そこから、ようやく俺は真面目に相手の話に耳を傾け、自分に問いかけた。俺は、神になりたいのか? そもそも、神ってなんだ?

その時点で、俺が知る「神」はメディだけで、リディのことは名前くらいしか知らなかった。神は普段何をしているのだろう。何の為に生きているのだろう。いや、そもそも神に生死なんて存在するのか?

男女問わず誑かす節操の無さは、恐らく神だからではなくメディ特有の個性だからひとまず置いておくとする。それ以外に、神は何をして存在しているのだろう。

その頃は戦乱の時代だ。メディは悪魔達と共に、日々リディが率いる天使の軍と戦っていた。破壊の女神の名のとおり、ヒトを殺し、村も街も殺す──俺の故郷を壊滅させた時のように。

それが神というものだとしたら、


「やっぱ、神になりたいとは思わへんなあ」


俺はそう言って、笑った。


「そう?」


「せや。俺はメディみたいに人や街を殺して回ることには興味あらへんし、そのへんのガキからかいながら遊んでる方がええわ」


「僕から見ればそっちの方が意外だなあ。君、結構向上心があるように見えるから」


「人殺しの力を極めることの、何処が向上なん?」


そう何気なく呟いた時、ようやく俺は自分がしていることが酷く矛盾していることに気づいた。人殺しの力を極めることを嫌いながら、人を殺す為に神の魔術を極めようとしている。子供の世話で一日を潰すような平穏を好いている癖に、故郷の子供達を殺した仇を殺す為に生きている。

憎悪に身を任せて自我を保ってきたからこそ、今まで一度も考えたことが無かった。神の力を手に入れて、仇に復讐して……全て成し遂げたら、俺は一体何になっているのだろう?

それについて考えたくなかった。一度向き合ってしまったら、それ以上進めなくなるような気がした。


「……ちょいと、外出てくる」


「え、なんで?」


「この部屋、暑いから。風に当たってくる」


粗末な嘘をつき、部屋を出て、俺は一人になった。



扉が閉まり、一人部屋に取り残されたヴェルデは呟いた。


「ちょっと機嫌損ねちゃったかなあ。そういえば、結局血には手をつけてくれなかったな…………残念だよ」



◇◇◇



屋上は人が来ないから好きだ。誰の目も気にせずに一息つくことができる。夜の闇はカーテンのように自分を隠してくれる。多少気が抜けても格好悪い姿を晒しても構わない場所だ。


「全部終わった後、か……」


この場所でなら、無様な自分と向き合う時間を作っても構わないだろう。

神の力を手に入れて、復讐を果たして、それが終わった後、俺は一体何になっているのだろう。──その先に待つものは禄なものではないということだけははっきりとわかる。創造と破壊、強大な神が二人居ただけで世界は戦乱に巻き込まれてしまったというのに、そこに仮に二人に匹敵するほどの力を持つ者がもう一人現れたら。世界はそのもう一人を見過ごしはしないだろう。

そうなれば、あの故郷で過ごしたような平穏な日々には二度と戻れないのだろうな。そう思いながら、俺は星の無い空を見上げた。


「けど、今更戻れへんよなあ」


復讐など止める。矛盾はここで断ち切り、何処かで平穏に暮らす。それも一つの選択だろう。この施設から逃げ出してもいい、ここでクソ師匠にもう暫く振り回されてもいい。仇を殺すことは義務ではない。けれど、もはや俺にはかつての平穏な日々は想像すらできなくなっていた。

あのサーカスに共に行った子供達は何人居たっけ。舞台の上のグリンダは何色のドレスを着ていたっけ。思い出は日に日にぼやけていくのに、煮えたぎる憎悪は胸に焼き付いて離れなかった。

赦さない。あいつも、メディも、殺してやる。その為には、神と同等の力が必要だ。だが、神の魔術を得ることは、神になることと同義なのだろうか?

夜風に当たりながら、自問自答を繰り返していた時、急に聞き慣れない少年の声がした。


「やあ、こんな夜遅くに何してるんだよ」


薄い藍色の髪をした丹精な顔立ちの少年だった。職員の顔は全員覚えているが、このような少年は居ない。服が支給されているものではないので被験者でもない。俺は眉をひそめながら尋ねた。


「……メディ?」


すると、少年は不敵に微笑みながらパチンと指を鳴らした。すると、少年の輪郭が溶けて消え、代わりに薄桃色の髪の少女──普段通りのメディが現れた。


「つまんない。騙されないのね」


「消去法でわかるようなことで俺を騙せると思っとるんやったら、そら考えが甘いわ。それにしてもお前、男になることもあるんやな」


「今日の相手が女だった、それだけの話よ」


「……相変わらず悪趣味やなあ。で、何の用や」


俺は再び笑顔の仮面を纏ってメディに尋ねる。この女がアディを通さず直接俺に話しかける時は、大抵禄なことが起きない。


「そうね、手短に済ませちゃいましょうか。オズ、あなたを勧誘しに来たのよ」


「……勧誘?」


俄には信じられない言葉だった。先日、俺の首を絞めて殺そうとした相手が、今夜は陶器のような手を差し伸べて微笑んでいる。


「ええ。私が今、リディと戦争しているのは知っているでしょ。あなたも戦線に来ない?」


「俺は戦争には興味あらへん。せやったら魔物の餌やりの方がマシやわ」


「神の魔術を完成させられる……といっても?」


その言葉に惹かれかけた、その一瞬の隙にメディはふわりと宙を舞って俺の真後ろへと回り込み、背中から手を回して抱きついた。


「……嫌いな相手によくこないなことできるな」


「さあ、なんのことかしら。私は皆を愛する神様よ」


「白々しすぎて吐き気がする。俺がアディの弟子にされたこと、気に食わへんのやろ」


「……ふふ、違うでしょう。あなたが聞きたいのはそんなことじゃないでしょう? ほら、正直に言いなさいな」


白い指が、俺の唇をなぞる。耳元で吐息が聞こえる。


「一度で懲りず二度も……手ぇ出すのはやめたんやなかったん?」


「気が変わったのよ」


その一言が妙に引っ掛かったが、考えている暇は無かった。この女の誘惑は致死に至る毒だということはよく知っている。


「いつも偉そうな癖にヒト一人にこれだけ手間かけるたぁ、神も暇なもんやな」


「それは違うわ。あなたが隙を作ったのよ。私はあなたの望むまま囁くだけ。さあ、座って……」


メディは俺の心臓に手を当てながら耳元でそう言った。その途端、急に両足に力が入らなくなり、彼女の言葉通りその場に座り込む羽目になった。

魔法で両足の自由を奪った後、メディは俺の目を覗き込みながら囁いた。


「アディの研究のこの先って、知ってる?」


「先?」


「そう、あなたは投薬によって確かに私に近い力を手に入れた。でも、まだ不完全……それは自分で神の魔術を使ってみたらわかるでしょ?」


俺は渋々頷いた。何度練習しても、自分が望んだ程の力は発揮できなかった。


「ここから先はね、本物の神の血が必要なのよ。破壊の神である私と、もう一人の……創造の神、リオディシアの血がね」


「神の血……」


「そうよ。何の為に吸血鬼を使ったと思ってるの。血を取り込まなきゃいけないからよ。でも、私一人分だけじゃ駄目みたい。リディのも必要らしいわ」


「あいつ、そないなこと一言も言ってへんかったで」


「さあ? そんな理由は私も知らないわ。私はただあいつの研究資料を盗み見ただけだもの」


アディが俺に話していない研究の「その先」──恐らく、「その先」が存在する事自体は事実だ。だが、何故アディはそのことを話さなかった? メディが話したことも全て事実とは限らない。明日、詳細を確認しなければ──そう考えている最中、メディはずっと俺の頬に手を当てたまま、瞳を見つめながら嘲笑っていた。


「うふ、ふふふ……ああ愉快。確認を取りたいなら取ればいいわ。どうであれ、研究の完成の為にすることは変わらないもの。リディの血を得る為に手を貸しなさい。あの女をブッ倒して捕らえたら、あなたの好きにしていいわよ。そしたら、報酬に私の血もあげる。そうすれば、あなたの望む力が得られるはずよ。ねぇ、悪い話じゃないはずよ」


「……あいつにはどう説明付ける?」


「アディのこと? そんなのどうだっていいわよ。あなた、実験台なんかにされておきながら、そんな律儀なことするわけ? ま、止めはしないけど。研究の為って言ったら、あいつの関心の範囲内だし納得するでしょ」


そこまで聞き終えると、俺は即座にメディの腕を振り払い、メディが一瞬気を逸した隙に立ち上がって距離を取った。


「あはは、やっぱりわざと隙を作ってたんじゃない! で、お返事は?」


「……少し時間を寄越せ。資料を盗み見たなんて不確かな情報やと信用できへんわ。その上で判断する」


「構わないわ。明日の夜までに済ませなさいな」


そう言うと、メディは紅と黒の宝石の翼を広げ、明け方の空へと飛び立っていった。俺は赤金色に染まった地平線を見つめたまま、呆然と座り込む。

この先の実験過程のことよりも、「神々の戦争に参加する」ということの方が重く胸にのしかかっていた。故郷から連れ去られてから、俺はこの施設の外のことを知らない。

メディに味方し、創造神を討つ。そのイメージが全く持てなかった。「戦争」なのだから、敵は創造神だけではない。人の兵士達が居るはずだ。それと戦うということは……俺は、人を殺すのか?

そう自分に問いかけ、俺は溜息をついて目を手で覆う。今更、何を躊躇っているのだろう。ずっと、アディとメディを殺そうとしてきたのに。


「ああ、くそ……この屋上、もう楽屋には使えへんな」


そう呟き、俺は諦めて部屋に戻った。



◇ ◇ ◇



翌日は、朝からメディが研究室に入り浸っていた。メディは「確認を取るなら好きにしろ」と言っておきながら、そのことについて尋ねる隙を全く作ろうとしなかった。アディから魔物エルメスを取り上げてはからかい、髪を勝手に三つ編みにしては解いて遊んでいる。

一歩研究室の外に出れば、メディは老若男女問わず堕落させる夢魔のようになる癖に、アディに対してはキス一つ要求しなかった。凡庸な少女のようにアディの三つ編みを振り回す姿を横目で見つめながら、


「救われへん奴……」


と、俺はわざとメディに聞こえるように呟いた。メディは聞こえないふりをしながら、エルメスを俺の後頭部に投げつけてきた。

「ぶにゃあ」と声をあげるエルメスの毛並みを整えながら、俺はアディにエルメスを返した。


「ほら、クソ所長。今度はその女に取られへんよう気をつけろ」


「感謝する。メディ、いい加減にしろ。モフモフを邪険に扱うな」


珍しく少し怒ったアディを見て、メディはむしろ満足そうな顔をするのだった。


「知らないわぁ。家畜を振り回して何が悪いのよ。アディ、あなただっていつもそこの家畜を振り回してるじゃない。ねぇ?」


そう言って、メディは俺に視線を向けるものだから、俺は今日も心の中で百万回「ブッ殺す」と呟いた。


「私は『家畜』という呼称は好かない。特に豊かな毛を持つ動物達に頻繁に使われる点が気に食わん。故にメディ、その呼び方は改めろ」


「はいはぁーい、今日はその不貞腐れた顔に免じて止めてあげるわ」


メディはアディの背に寄りかかりながら、子供じみた口調でそう言うのだった。アディについて「愚かなヒトに堕としてやりたい」と言っていたわりには大人しいものだと思った。

こうしてアディをからかい、ただ寄り添うだけで変えられるものなど何一つ無いだろうに──二人の様子を遠目に見ながらそう考えていると、メディは下卑な笑みを浮かべながら俺に言った。


「そういえば、家畜。あなたはアディに尋ねたいことがあるんじゃなかったかしら?」


つい俺は小さく舌打ちした。この女を間に挟んで尋ねると禄なことにならないと推測した。俺は二人に背を向けてこう伝えた。


「後でええ。ほな、飼育小屋のモフモフ共に餌やってくるわ」


そのまま足早に研究室を出ていった。





「ったく……あれが入り浸っていると禄なことが無い……」


俺は悪態をつきながら、飼育小屋に用意されていた餌を魔物達に与えていった。今日の餌は生肉を潰したものだった。魔物達は生肉が乗った皿を目の前に置くと、目を輝かせてしゃぶりつく。エルメスは温厚な性格で無害な魔物だが、この小屋の魔物はオズの身長よりも遥かに背が高い魔物が多い。気性が荒い魔物も居るはずだが、こうして餌を食べている間は大人しかった。


「こないなでかいのが何十匹も居ったら、そら飼育小屋やってパンクするやろな……」


全ての魔物に餌を配り終えると、俺は小屋の隅に座り込んで溜息をついた。

魔物達が餌を食べる様子を見つめながら、俺は昨晩の出来事を思い返してみる。この先の実験のこと、戦線に行くこと──安全策を取るならば、メディと適度に距離を取りつつ手を貸し、メディ達が創造神を討ち取ったところで血だけ掠め取る。という方針が得策だろう。

だが、俺はなぜか最も無難な道を取ることを躊躇っていた。返事を先延ばしにしたのはいいが、未だに決断できずにいた。

肉片を小屋の中へと投げ入れて遊びながら、食事中の魔物へと呟いてみた。


「あーくそ、このモフモフ共。お前らは気楽でええよなあ」


あの研究室に暫く居たことで気づいたことがある。アディとメディ、あの二人にも自分の時間があり、事情がある。人を殺すということは、相手がそれまで蓄積してきた時間を破壊するということだ。

そして、戦線に参加するということは、二人とは全く関係ない無辜の人々を殺し、彼らが積み重ねてきた時間を壊すということだ。

復讐の為とはいえ、そこまで割り切れるのか?

俺は自分に「割り切れ、良心など犬にでもくれてやれ」と命じた。アディが俺と話す時、嫌でも認識させられる。あの薬を飲んで生還してしまった時点で、既にこの身はヒトとはいえなくなった。もう後戻りできないならば、最期まで貫き通すしかないだろう。

あの女の駒にはならないよう立ち回りつつ、戦線という場所だけ利用し、創造神に近づく手段を探す。ああでも、流石に研究資料の確認はすべきか──そう考え込んでいた時、「ブモォ」と魔物の声がした。よく見ると、一体まだ餌を貰っていない魔物が居た。餌の棚には一つまだ生肉が乗った皿が残っており、俺はその皿を手に取って、魔物のところへと急いだ。

その時、生肉の中に硬そうな異物を見つけた。何かの爪のようだった。一応取り除くべきか……とそれをつまみ上げたところ、一緒に僅かな肉がくっついてきた。……その「肉」の正体を見た時、俺は背筋が凍った。

「肉」は、俺の指と同じ形をしていた。俺よりも小さくて、白くて、幼い子供の指。脳裏にマオの影がちらついた。俺は顔面蒼白でそれぞれの魔物の餌を確認した。一つ目には髪の毛が紛れていた。二つ目には唇が入っていた。三つ目には耳が、四つ目には──

アディの弟子になる前の、被験体としての生活を思い出す。あの世界では結果を出せなかった者は人知れず消えていった。人肉の出処はすぐに思いついた。これは、「失敗作」達の成れの果てだ。

この施設に来てから出来た友人達の顔を思い出す。共に外に出ると言ったスマラクトを思い出す。憎悪が理性を焼いた。安全策などという言葉は灰になり、俺はいつのまにか「この施設そのものを葬り去る」ことだけを考えていた。

その時に、俺の征く道は決まった。俺は魔物達に餌を与え終えると、小屋の鍵に細工をしてから出ていった。


記憶の底から死者達が「殺せ」と囁く。

二年間過ごしてきた施設の何もかもがこの世に存在してはならない邪悪に見えた。

ならば、その邪悪を殺そうとしている自分は何なのか? そのような自問自答はもう止めることにした。

悪で構わない。ヒトでなくてもいい。行く先が地獄でもこの身も心も滅んでも構わない。


もう二度と、何も失わずに済むのなら。



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