第9章:第9話
むかしむかし、ルルカはお姫様だった。太ももまで届くくらいのふわふわの髪の毛で、立派なドレスを着て暮らしていた。
雪のような白いお城に住み、毎日食べきれないくらいのご馳走が出て、色とりどりの花が咲く庭で遊び、夜は天蓋付きのベッドで眠っていた。
ルルカは毎日たくさんのことを勉強した。父様も母様も優しかった。ルルカはいつも父様と母様に言っていた。「いつか父様の後を継ぎ、この国の立派な女王になってみせます」と。
ルルカは城を出る機会があまり無かった。ある日大人たちがルルカの「お友達」として連れてきた子どもがネビュラだった。
ルルカの父――つまりエンディルス国王に仕えていた貴族「エヴァンス家」の公爵の一人息子だったそうだ。
「無垢」で「純粋」だったルルカは何の疑いも持たずネビュラと話し、打ち解け、友人となっていった。
当時エンディルス国はウィゼート国と親交が深かった。ルルカは父に連れられてよくウィゼートに訪れた。たまにネビュラがついて来ることもあった。
サバトと出会ったのはその時のことだ。あの人ほど綺麗で暖かく優しく頼もしく、そして適わないと感じさせる人をルルカは見たことがない。
「お姫様」だったルルカにとってサバトは兄のような存在で、常にルルカに見たことのないもの、新しいものを見せてくれた。
兵士の目を盗んで城下町に出るという大冒険もした。きっとサバトが現れなければ、ルルカはずっと城の中の世界だけで満足していただろう。
ウィゼートを訪れる度にルルカは真っ先にサバトの所に行った。ネビュラがついて来た時はネビュラも含めて三人で遊んだ。当時のネビュラの様子がどのようだったかは思い出せない。正しく言うと、ルルカは自分の記憶に自信が持てない。
ただ一つ確かなことは、お姫様のルルカはずっとずっと信じていた。あの頃サバトもネビュラもきっと毎日が楽しいと思っていたと。
絵に描いたような幸せな毎日だった。おとぎ話のように夢と希望に溢れていた。
まさか、本当におとぎ話だとは思わなかった。
本当に唐突に、そしてあっけなくおとぎの国は崩れ去った。
その日、お姫様のルルカは庭園の花で冠を作っていた。父様の為にと小さな指でいっしょうけんめい作った。
出来上がった花冠を自慢気に使用人達に見せながら、父様の私室を目指した。父様の喜ぶ顔を思い浮かべながら無我夢中で走った。そしてルルカはドアノブを捻り、部屋の扉を開いた。
扉の向こうに居たのは、いつもの椅子にいつも通りに座っている、首の無い父様だった。父様と仲良しだったはずの貴族や兵士達が紅の液にまみれた父様を取り囲んでいた。
「ルルカ、逃げなさい!」
母様の声にはじき出されるようにルルカは駆け出した。細い足で無我夢中で走ったが、大人達には到底適わなかった。
あっという間に武器を持った大人達が周りを囲み、髪を掴まれ、頭を地面に叩きつけられ、何度も殴られ、抑えつけられた。
状況が全くわからないまま、ルルカはただ殴られていることしかできなかった。全身が張り裂けるような痛みだった。
突如ルルカを殴る手が止まり、うつ伏せになったルルカの前に一人の人物が現れた。ネビュラの父――エヴァンス公爵だった。公爵は実に穏やかに優しく言った。
「これはこれはルルカ王女。いつも息子がお世話になっております。」
「……なに……なにがおこったの……?」
震える体に力を込めてルルカは公爵を見上げた。公爵の右手にはべったりと鮮やかな赤に濡れた剣、左手にはまだ取れたての耳があり、その耳には母様が普段付けていたイヤリングが付いていた。
脳天気なお姫様にもようやく事態が理解できてきた。この人は父様と母様を殺したのだ。叫ぼうとした途端、兵士に口を塞がれた。手足は既に縄で縛られていた。兵士の一人が公爵に言った。
「すぐに殺しますか?」
「いや、そいつにはまだ訊くことがある。牢に放り込んでおけ。」
もがいても叫んでも無駄だった。大人達に引きずられながらルルカは薄汚い牢へと放り込まれたのだった。
ふわふわのベッドも美味しいご飯も広いお庭もそこには無かった。
両手を広げるのがやっと程度の狭い部屋の中で、小さく丸まりながら水だけを飲んで過ごす日が続いた。
自分の手すらまともに見えない暗い牢の中でルルカはうずくまりながら泣き続けた。
どうしてこうなってしまったの。これからどうなるの。ただ泣くことしかできなかった。
今までルルカに優しく暖かく接してくれていたはずの兵士達は変わってしまった。見張りの兵士はルルカが泣く度に「うるさい黙れ」と怒鳴りつけた。
時折牢の扉が開くことがあった。その時には必ずエヴァンス公爵と数人の兵士が居た。
兵士はルルカを何度も殴りつけた。そして毎度公爵はこう言った。「『杖』の在処を言え。おまえの両親は託したはずだ」と。
ルルカは両親から杖を託された覚えなど無い。「知らない」と叫ぶと兵士は壁にルルカを叩きつけて牢の扉はまた閉まっていく。ルルカは公爵に言った。
「どうして、どうしてこんなことをするの!? あなたはお父様とあんなに仲良しだったのに、どうして変わってしまったの?」
すると公爵は言った。ルルカを見下ろし、鼻で笑いながら。
「仲良し? そりゃあ愉快だ、お姫様。俺は一度もお前の父親と仲良くなった覚えはない。忠誠を誓う『ふり』ならしたけどな。あっさり騙されてくれて助かったよ。あいつら脳天気だったおかげで今じゃ俺が王様だ。」
言葉が出なかった。胸を撃ち抜かれたように床に崩れ落ちるルルカを置いて、扉は再び閉まった。
全て虚像だった。騙されていた。今までの暮らしがこんなにもあっけなく崩れるものだなんてルルカは信じられなかった。震えが止まらなかった。
それでもネビュラは、いつも一緒に遊んでいたネビュラならきっと助けてくれるとルルカは期待していたのだ。この時は。
延々と時は流れ、泣くのにも疲れ、絶望する気力も失せ、ルルカは暗闇の中で呆然と壁にもたれかかっていた。
突如光が射したのはその時だった。最初はまた公爵が来たのかと思っていた。しかし、聞こえてきたのは暖かみのある低めの声だった。
「王女、王女、ご無事ですか?」
聞いたことのない声だった。ルルカは痛む身体を起こして声の方へ向かい、牢を出た。
牢の前には見張りの兵士達が気絶して転がっていた。そして先ほどの声の主は牢の鍵を手にしてルルカの隣に立っていた。
その人物が誰か、ルルカにもよくわからなかった。スラッとした少し背の高い人物で、黒いコートを着てフードをすっぽり被っていたので顔がよく見えなかった。男か女かすらわからない。
腰に剣を刺していたので、兵の一人かと思った。ルルカは思わず身構えた。
「ご安心ください、何もしません。ただ、あなたを助けに来ただけです。」
「あなた、誰なの?」
「申し遅れました。私はあなたのお父上に仕えておりましたゴデュバルト家の者です。」
ゴデュバルトという家には聞き覚えがあった。エヴァンス家と同じく代々ルルカの家に仕えている貴族だという話は聞いたことがあった。
しかし、逆に言えばルルカにとってはその程度の関わりしかない人物だ。謎の騎士はルルカに言った。
「王女、あなたはここから逃げて生き延びなければなりません。しかし丸腰のままではすぐにまた捕まってしまうでしょう。
私の言うことをよく聞いてください。まず出来る限り人に見つからないように中庭に向かってください。中庭の噴水の前に石碑があるはずです。
その石碑にあなたの血を一滴垂らしてください。その石碑にはあなたのお父上の血縁者にしか開けない封印が施してあります。その碑の下にあなたの助けとなる武器が隠されています。その武器を持って逃げるのです。」
「そんな……急に言われても……あなたは? あなたはついてきてくれないの?」
「私は城門付近の兵を片付けます。東門を明けておきますので、そこからお逃げください。」
「でも……でも、私は……」
「もうあなたを守れる者は居ないのですよ。あなたの為にあなたが戦わなくては、誰もあなたを守れません。」
謎の騎士は淡々と言った。ルルカは震えながら俯くことしかできなかった。外に出ることが恐ろしくて仕方がなかった。騎士はルルカの小さな手に右手で短剣を置いた。
「これは、石碑にたどり着くまでの護身用に。」
銀色の刃に自分の顔が映る。幼いお姫様の顔は恐怖で歪み、刃に落ちる涙で顔はぼやけていった。
その時、一方の廊下から足音が聞こえた。心臓が高鳴り、脚が震える。騎士は舌打ちして立ち上がり、ルルカの顔を足音とは反対方向へ向けた。
「ほら、さっさと行くんだよ!」
騎士が背中を押した。その勢いのままルルカは走り出した。無我夢中で階段を駆け下り、幼い頃みんなで遊んだ中庭へと行く。すれ違う兵や使用人達は一瞬ポカンとルルカの方を見つめた後、強く叫ぶ。
「逃げた! 元王女が逃げ出したぞ!」
今までルルカに優しかったはずの城が敵となり襲いかかってくる。ルルカは殆ど目を瞑りながら走りつづけた。人に見つからないようにという言いつけをルルカはほぼ忘れていた。恐怖と勢いに身を任せて無我夢中で中庭へと向かう。
身を隠すのを怠れば当然兵にも見つかる。突然一人の兵が行く手を塞いだ。兵はルルカを取り押さえようと掴みかかろうとした。ルルカは思わず短剣を前に突き出した。悲鳴と共に鮮血が舞った。短剣は兵の腹に深く突き刺さり、ズポッと音を立てて抜けた。
「あ……うへぁ……」
兵は変な声をあげて倒れた。ルルカは声も出ずに数歩後ずさりし、逃げるようにまた駆け出した。中庭の様子は以前とほぼ同じだったが噴水の周辺の花の種類が変わっていた。
ルルカは中庭にたどり着くとすぐに言われたとおり石碑に向かう。ナイフの血を着ていたぼろ布で拭き取ってから、ナイフを自分の指にあてた。ぷくっと紅色が膨れ上がり、碑の上に一滴垂れた。その途端変化が起こった。
碑の上に魔法陣が浮かび、地が唸るような音を立て始めた。石碑が強く光り始め、扉へと形を変えた。生まれた時から城で過ごしてきたが、このような仕組みはルルカも知らなかった。ルルカは扉を開き、中に入った。
中は狭い部屋だった。壁は白く塗られていて、床には赤い絨毯が敷いてあった。どうやら誰かが遥か昔に魔法で作り上げた部屋らしかった。そして部屋の突き当たりに祭壇があった。祭壇の上にはまた魔法陣があり、「それ」は魔法陣の上で浮いていた。
銀の躯にはめ込まれた深い青の石。傷だらけだがしっかりとした造り。この時から今までルルカが肌身離さず持っていたあの杖はここにあった。まるで何かに導かれるようにルルカは杖を手に取った。




