第14章:第11話
舞台が暗転している最中も、先程の悲劇はキラの胸を刺す。
オズ•カーディガルの原点はキラと同じだった。
ではその後、どのような経緯でオズは現在のオズになったのだろう。
『赦さない……赦さない赦さない赦さない……』
『けれど、マオが飲んだ薬と同じものを飲まされて、その時点で皆と同じように死んでいけたのなら、それはそれで幸せだったのかもしれない』
『けど、そうはならなかった。俺は、藻掻き苦しんだ末に、五体満足で目を醒ました』
『目覚めた後、俺が放り込まれたのは……俺と同じく、あの薬に適合した子供を集めた収容所だった……』
再び周囲が明るくなり、その続きの記録が流れ始めた。
その舞台は──何故か、学校だった。白い煉瓦でできた四階建ての校舎の中を簡素な制服を着た子供達が行き来していた。しかし、学校にしては奇妙な点も多い。時折子供達に混じって現れる大人達は教師というよりは研究者に近い服装をしていた。
そのような校舎の中にオズの姿もあった。山奥の村に居た頃より少し身長が伸び、現在のゼオンとほぼ同じ位の体格になっていた。数人の友人を連れて窓際で駄弁っている。
しかし、キラは首を傾げる。先程の悲劇の終わり方とこの学校でのやり取りが繋がらない。あの地獄から一体何がどうしてこうなった?
オズは何処か見覚えのある笑顔を浮かべながら、友人達に話しかけた。
「せやから、スマラクトの奴があかんねん。こいつ、俺が三時間かけて作ったカードのタワーを鼻息一つで崩しおったんや」
あれ、いつものオズだ。普通の喋り方の綺麗なオズからいつもの愉快なオズへの変化の経緯が全く説明されなかったため、キラは出目金のような目をしながらオズの横顔を三度見くらいした。
「いや、傍を通っただけだろ! 俺のせいじゃねぇ、俺は悪くねぇ」
「いーや、お前があかんあかん。お前、毎回俺が折角作ったタワーを崩すやろ。悪意に満ち溢れとる。訴訟や、賠償金やー」
「だってお前、崩すまで俺に構ってくれないじゃん。いつもいつも角砂糖やらサイコロやら何やらでタワー作って、何が面白いんだよ」
「これやからタワーの美学がわからへん奴はあかんわ。芸術をわかってへんわー」
オズはスマラクトと呼んだ少年と取り留めの無いことを話しては笑っていた。オズは相変わらず人気者だったようで、オズとスマラクトの周りには沢山の生徒が集まり、二人の様子を見て笑っていた。
「タワーが芸術ってなんだよそりゃ」
「オズってばそんなもの作ってるの? それ、男子寮行ったら見れる?」
「そういえば聞いた? 隣のクラスのエルシィ、今朝突然卒業しちゃったらしいよ」
その時白衣の大人が傍を通り過ぎた。
「こら、貴様ら、さっさと寮に戻らないか! 大人しくしないと薬剤の量を倍にするぞ!」
そう言うと、生徒達は青ざめながらそそくさと寮へと戻っていった。
「No.02とNo.04。貴様達も戻れ。特にNo.02、貴様は成績も優秀だ。こちらとしても貴様に過剰な懲罰は与えたくはない。今直ぐに戻れば見逃してやるから、言うことを聞きなさい」
どうやら、この学校では生徒が番号で管理され、二番がオズ、四番がスマラクトのようだった。オズは聞き慣れた軽い口調で答えた。
「そら、堪忍。ほな、行こか」
「へいへい」
二人はあっさり警告を受け入れ、寮へと戻っていった。今の短いやり取りを見て、ようやくキラも此処がまともな学校ではないことが理解できてきた。教育者ならば、生徒を番号で管理するべきではない。
すると、キラの隣で記録書がこの施設についての解説を始めた。
『理解力に乏しいキラさんの為に説明してさしあげますと、ここはあのアディリシオ主導の下創り出された、神を生み出す為の人体実験施設です。以前、あの男がメディと出会った末に自分の手で神を創りたいと考えたことはお話しましたね? その夢を実現する為に吸血鬼の子供を集め、神へと孵化する為の薬を飲ませ、神の魔術の指導を行う為の実験機関です。オズさんはご家族達と引き離された後、ここに放り込まれたわけです』
人体実験施設──施設やそこに居る人々の外見だけ見ると全くそうは見えないのに、先程の白衣の大人の言動にはその一言で納得がいってしまった。あれは教師から生徒への言葉ではなく、研究者からモルモットへの言葉だったのだ。
白衣の大人の姿が見えなくなったことを確認すると、急にオズの顔から笑顔が消えた。
「……うまくやれてたか?」
オズが問いかけると、スマラクトが答える。
「まあ上出来だろ」
そこでキラはようやく先程のオズの笑顔と口調が全て芝居だったのだと気づいた。笑顔の仮面を脱いだオズは荒んだ目をしていた。以前ブラン聖堂で見た、怪盗として名を馳せていた頃のティーナの表情とよく似ている。オズは老人のような低い声で小さく呟く。
「こんな茶番、意味があるのか」
「あるさ。人を欺きたいなら、まずは土壌作りからだ。欺きたい奴にとって価値がある人になれ。騙されても本望だと思わせる程に人を惹け」
「お前は狡い奴だな」
「お前もだ、オズ。茶番というわりにさっきのはよく出来てたよ。あの変な口調で喋るだけでとりあえず陽気な奴に見えるってのは得だよな。随分よく出来た茶番だったけど、モデルでも居んの?」
オズは地獄の底のような目で黙り込んだ。
「誰だっていいだろ」
「まあ、そうだな。素の自分を変えることができないなら、そっくりそのまま他人を演じてしまうのも有りなのかもな」
「……くだらない。外面を飾るより、具体的な方策を考えるべきだ。如何にあいつらの裏を掻くか、あいつらを倒して、狂った人体実験施設から逃げ出すか……」
「それだよ」
スマラクトはその瞬間のオズの顔を指した。能面のような表情で、目の下には薄く隈がかかっており、低く唸るような声で早口で話す。目の前のオズに、妹と過ごしていた頃の無邪気さは無かった。
「気づいてるか。お前、素の状態だと仏頂面と早口のせいで結構顔が怖いんだよ。そんなやさぐれた顔を白衣の連中に見つかってみろ。一発で叛逆分子だとバレるぞ」
「だからこそ、あの茶番だって言うつもりか」
「そういうことだ。嫌いな奴こそ、十分に惹きつけてから地獄に落としてやれ」
スマラクトはオズと肩を組みながら、窓の外に見える青空を指して呟いた。
「全ては、ここから逃げる為だ」
一方で、オズは廊下の暗がりを見つめて呟いていた。
『いいや、全部殺す為だ……』
その声はオズの口と記録書、両方から溢れて重なった。
それから、オズの記録書は目の前の記録に合わせて記憶を語りだした──
◇◇◇
殺してやる。マオと、子供達と、両親と、村の皆を殺した者は全て。
それが、「俺」が俺である為の道標だった──
「聞いた? 昨日、スマラクトが『卒業』したらしいよ」
翌日、スマラクトは急死した。
あまり動揺はしなかった。このようなことは珍しくなかった。この施設に来てから、俺は何度も友人を亡くしていた。この施設では生と死の距離が近い。そして、此処の人々も死を日常の一部のように受け入れてきた。
しかし何の悲しみも抱かなかったのかと問われると、縦に頷くことはできない。俺と共にこの施設に牙を剥こうと考えてくれる者は貴重だった。なので、その点に関しては残念に想う。
研究者達が寮から遺体を運び出す様子を俺は遠くから呆然と見つめていた。背後では「生徒」と呼ばれる被験者達が行き交っている。
「聞いた? スマラクトが卒業したって」
「すま? それ誰。なんで番号じゃない呼び方なの」
「ほら、No.04だよ。自分でスマラクトって名乗ってたの」
「ああーあいつか。わりと初期から残ってる優秀な奴じゃん。そんな奴でも卒業するんだ。何があるかわからないもんだね」
「だよねー。なんか、あいつだけ昨日の薬はいつものと違ったらしいよ」
「ふうん、なんでだろ。まあいっか。あ、ほら、薬の時間だ。急がなきゃ」
狂ってる。生徒達の話を聞く度に憎悪が胸の内で燃え上がった。この施設では「卒業」とは死を意味する。一日二回、朝と夜には「神」を生み出す為に開発された薬を服用することが義務づけられている。「卒業」する者は大抵が薬の効果に身体が耐えられなかった者だ。外見や仕組みこそ「学校」に似せて創られている施設だったが、実態は被験者を人とも思わない人体実験施設だった。
「あいつが死ぬと……計画は結局、振り出しに逆戻りやなあ」
その時の俺には手痛い損失だった。施設の連中に憎悪を燃やしながらも殺す手段を持たなかった俺にとって、スマラクトはようやく見つけた貴重な同志だった。尤も、スマラクトは施設を壊すことよりも脱出に重きを置いていたようだったが、それでもやっと進展を得られたことは確かだった。
『人を欺くなら、まず土壌創りからだ』──俺はあいつの言葉を思い出してみる。『嫌いな奴程、十分に惹きつけてから地獄に落としてやれ』──殺してやる。アディリシオをはじめとした施設の連中を殺せるならばどのような力であっても必ず手に入れてやる。
俺はそう考えて、研究者達のうちの一人に接触を図った。
「先生方の開発してる神の魔術について、もっと勉強したいんやけど、なんかええ勉強法とか無いやろか?」
俺は研究者の中でも比較的年齢が近い者に声をかけた。この研究者は他の者より被験者との交流を積極的に行う傾向があった。
「勉強? 意外だな、君はもっとこう、勉強なんて興味無いって顔しながらサラッと満点取る人だと思っていたけれど」
「そのとおりや。人前で格好つけるには影で努力せなあかんねん。ほな先生、よろしゅう頼んますわぁ」
「そう言われても、僕にはそんな権限無いんだけど……まあ、相談はしてみるよ。君みたいな優等生がそういう熱意を見せてくれるなら、皆喜ぶだろうし」
そう頼んだ数日後、その研究者は一つの薬を持ってきた。研究者は無人の会議室にオズを呼ぶとその薬を見せながら、急に畏まって話し始めた。
「突然だけど、今からする話は君が嫌だと感じたら断っていい。所長とも話してそういう結論になった」
これを聞いた時、俺は幾らか驚いた。そのような話が出た理由は想像がついたが、ここの研究者に相手の意志を汲むという発想が存在したとは知らなかった。
「その薬、そない危険なん?」
「まあ、そういうことだね。実のところね、神の魔術に至る為の理論はおおよそできてはいるんだよ。けどまあ、既存の生物を神の領域に進化させる際にその生物の身体がどうしても耐えられないっていうのが問題だったんだ。いくら神を目指しても、元々の器が神ではなくヒトって事実はどうしても変えられなくてね」
それは既に知っている。神の力はヒトの器には収まりきらないということはこれまでの「卒業生」達を見て察していた。
「まあだから、『神の力を発現させる』という研究と同時に『神の力に耐えうる器作り』を僕達はしているわけなんだけど……」
「その両方を実現した薬が、これ?」
「そういうこと。けど、まだ成功確率が低くてね。これまでの実験にも耐えきった優良な個体でも失敗するくらいなんだよ」
その「優良な個体」という言葉を数秒噛み締め、つい「その薬、その『優良な個体』の同意を得た上で投与したのか?」と口走りそうになったが、寸前で飲み込んだ。
「これが成功すれば僕らにできる最終段階まで実験を進めることができると言われてる。けど、危険も大きい。『卒業』……なんて言い方は止めようか。死ぬかもしれない。成功例はまだ無い。それでも挑戦する?」
回避率など無きに等しいロシアンルーレットのようなものだった。この時点で既に俺に「死」への恐怖などほぼ無くなっていた。きっとこれまで死んできたマオや、スマラクトや、家族や友達の方がきっと余程辛かった。彼等の痛みを思えば、恐怖など容易く塗りつぶせる。躊躇う理由があるとすれば、「死ねば、殺せなくなる」ということだけだった。
これは、危険な賭けに乗って力を得るか、安全策を取って確実に殺すかの選択だ。数秒考えて、俺は後者を取ろうとした。考えるまでもない。ここで先を急ぐ必要なんて無い。もう少し時間を掛けて奴を殺す手段を探すほうが得策だ。
だが、断ろうとした寸前で自分が自分に問いかけた。「その答えで、人は惹かれるか」──と。
「勿論。勝率ゼロのロシアンルーレット、俺が一を創ったるからよう見とき。なあ先生」
俺は微塵も知りもしない方言で、在りもしない自信を見せつけ、同志を殺したかもしれない薬を手に取った。
死人の言いつけを何故この時も、そして今でも守り続けているのかは俺自身もわからない。一つ確実に言えることは、この時の俺を突き動かしていたものは憎悪で、俺を支えるものは死人と過ごした時間だった。
これまで死んでいった全ての死者が脳内で囁いた。「欺きたい奴にとって価値がある人になれ」「十分に惹きつけてから地獄に落とせ」──かつては皆を守りたいと願っていたのに果たすことができなかったからこそ、死者というオーディエンスに恥じない自分を演じたかった。
そう、これは舞台だ。殺したいならば、欺きたいならば、力が欲しいならば──そしてもう何も失いたくないならば、世界に愛されながら憎まれる程に人を惹け。そんな自分を最期まで演じきれ!
「ほな、また明日」
俺は微笑みながら薬を口に放り込んだ。そうして、俺は勝率ゼロに一を創り出した。
文字通り翌日、俺は保健室という名の病室ベッドで眼を醒ました。瞼を開くと、黒いぼさぼさ頭の青年が居た。あの研究者だった。研究者は腰を抜かして驚いた。
「う、ひ、うぎゃああああ、起きた、起きたよ、ひぇぇぇぇ」
俺が状況を把握するより先にそのぼさぼさ頭の研究者は他の研究者に取り囲まれ、「被験者の状態は……」等と質問攻めにされた。
自分の手を見つめ、俺は気を失う前のことを思い出す。こうして意識があるということは……俺はまた賭けに勝ったようだ。
すると、別の研究者が突然オズの瞳を覗き込んだ。
「虹彩の色の変化を確認……これは……成功かもしれない……」
そしてまた腰を抜かしながら慌てて部屋を出ていった。俺は暫く呆然としていたが、ふと先程の言葉が頭に引っかかった。虹彩の色の変化……?
俺は質問攻め中の研究者に鏡を貰った。板ガラスの向こうに見慣れた顔と、見たこともない瞳が見えた。それまで翠色だった瞳は血潮のような真紅色に変わっていた。
「そっか……これやともう、マオにあの魔法使いの真似は見せてやれへんなあ。エメラルド要素、無くなってしもた」
そう呟いた時、突然周囲の研究者達がピタリと黙り込んで整列した。あのぼさぼさ頭の研究者も含めてだ。あまりの異様さに多少こちらも驚いたが、部屋に入ってきた顔を見た途端、オズ自身も言葉を失った。
忘れもしない、男らしからぬ人形のような顔立ちとその顔を台無しにしている厳つい仮面。長い白髪に数束赤紫色が編み込まれている。それは、かつての純粋な自分を殺す一言を発した男だった。
「所長、これが例の被験者です」
研究者が声をかけると、所長──アディリシオと目が合った。その目の澄んだ蒼と似た色を何処かで見たような気がした。
すると、ぼさぼさ頭の研究者がアディに話し始めた。
「あっ、あの所長。先日もお話したNo.02です。ほら、よくNo.04と話してた優秀な個体です。他の個体にも慕われていてわりと目立つので、もしかすると所長も何処かでお会いになられたかもしれませんが……」
「知らん、私は人の顔は覚えてない。多分初対面だ」
この言葉には少なからずカチンと来た。殺す前に百万回左足の小指踏んでやろうと思った。
「だが、僅かでも神に近づく可能性を持った者ならば話は別だ。お前の顔は、覚えておこう。努力する」
出会った時からそうだったが、この男は言葉で表現し難い不思議な空気を持っていた。苛烈ではないが温厚と呼ぶには些か奇天烈、決して柔和では無いが冷酷とも言い難い。
すると、アディはオズの容態を見て研究者達に告げた。
「状態が安定し、出歩けるようになったら、私の部屋に連れてこい。私自身で少し様子をみたい」
研究者達からどよめきが起こった。どうやらアディがこうして直々に被験者を診るのは前代未聞の事態らしい。オズも長年の憎しみとようやく訪れた好機に興奮していた。
「No.02、ひとまずは体調の回復に努めろ」
「番号で呼ぶな。俺はオズや」
再び研究者達からどよめきが起こり、「口を慎め」という声が上がった。だが俺もアディも全く気に留めていなかった。
「何度でも言ったるわ。俺はオズや。親に貰った名前がある」
アディは数秒の沈黙の後、小さく頷いた。
「なるほど。オズ……覚えておこう」
これが、紅の死神へと孵化する最初の一歩だ。
この頃の俺は、まだ純粋に憎悪に身を焦がして突き進むことができる幸福な復讐者だった。




