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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第14章:ある罪人の為の序曲
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第14章:ある罪人の為の序曲:第1話

挿絵(By みてみん)



「俺はさー、オズは皆が思ってるよりいいやつだと思うんだよなあ」


窓の外で降りしきる雪を見つめながらシャドウはそう呟いた。


「私も、オズさんは素敵な人だと思うわよ。だって、図書館の小悪魔ちゃん達が懐いているんだもの」


そう答えたのはショコラ・ホワイトだった。ここは女子寮の一室、ホワイトの部屋だ。部屋の間取りはブラックの部屋と同じだが、カーテンは白い小花柄のレースだったり、椅子や机の脚に水色のリボンが付いたカバーがついていたり、所々に女性らしい気遣いを感じる。しかしブラックの部屋のようにぬいぐるみのような幼さと可愛らしさを感じる物で溢れているわけではない。雑な表現をすると、ブラックよりもセンスが良い部屋だった。

ホワイトはシャドウを部屋に招き入れると戸棚からドールハウスを出してシャドウの為の部屋を用意してくれた。ベッドや椅子等、家具が全てシャドウに丁度よいサイズだった。その為、シャドウはこうして予想を遙かに越えた過ごしやすい環境で、久々のオズ達が居ない夜を迎えようとしていた。


「えっと、あんたは……その、」


「ショコラでいいわよ」


「それはちょっと呼びづらいっつか……まあいいか。ショコラはさ、珍しい奴だな。そんなにはっきりオズをいいやつだと言ってくれる奴はあんまり居ないから嬉しいや」


まるで自分が褒められたかのようにシャドウが照れくさそうに微笑むと、ホワイトは百合のように愛らしく微笑み返した。


「だって、オズさんとは一緒にヴィオレにも行ったりしたもの。キラちゃん達とも一緒に。皆のことが大好きで、構いたくて仕方がない人なんだって思ったわ」


「へへ、ショコラはいいやつだな!」


「私じゃなくて、オズさんが素敵なだけよ。あの図書館はきっと、キラちゃん達にとっても、シャドウ君達にとっても大切な場所になってるのね。そういう、自然と人が集まる場所を作れる力って大切にすべきだと思うの」


ホワイトはシャドウと共に窓の外の雪を見つめていた。憧憬のような想いを感じる遠い瞳だった。

シャドウはふわりと飛び上がってホワイトの肩に止まる。


「……どうかしたのか? なんか、ぼうっとしてるみたいだけど」


「ううん、なんでもないの。ただ、オズさんがちょっと羨ましいなって。オズさんは何処に行っても、こう、自分が此処に居る意味を残せているじゃない。そういうのが、羨ましい……」


シャドウにはホワイトが羨むものの正体をいまいち理解できなかった。オズは確かに何処に行っても存在感があるが、オズが人に与えるものは良い影響ばかりではないと思う。シャドウはその点も承知でオズの傍に居たが、ホワイトの話を聞いていると、些かオズを美化しすぎているようにも聞こえた。


「うーん、確かにオズはいいやつだけど、我儘だし、怠け者だし、ショコラが羨ましがるようなもんでもない気がするぞ?」


「確かに、もう少しルイーネちゃんとかに心配をかけないようにした方がいいんじゃないかなって私も思うんだけどね。私が言っていることはそういうこととは違うの」


すると、ホワイトは急に窓際から離れ、枕を抱きしめ、こちらに背を向けて座り込んだ。心優しく天然気味のホワイトが初めて見せた「寂しさ」だった。


「オズさんは……とても強いでしょう? 本来の力を開放すれば、この村どころか国でも世界でも滅ぼしてしまえそうな程に。それほど強い力を持っているのにシャドウ君のような小悪魔達とも心を通わせて、皆が安らげる居場所を作って。それって、とても難しいことだと思うの」


「そう、なのか?」


シャドウは首を傾げる。生まれてこの方、世界を滅ぼす程の力など持ったことが無いので一体ホワイトがオズの何にそれほど憧れているのか理解できない。シャドウには、力の無い苦しみは理解できても力を持て余す苦しみは想像できなかった。


「ええ、きっとそうだわ。だって……私は難しいと感じているもの。オズさん程ではないけれど、私も強い魔力を持っているもの……最近、特に強くなってきてるの。ちょっと油断すればはち切れそうで、大切な人達を傷つけてしまいそうで、少し怖い。だから、シャドウ君達に合わせて力を抑えて、シャドウ君達の感覚に合わせて過ごしていけるオズさんはきっととてつもない努力をしているのよ」


「そう……なのか」


これまで、オズがシャドウ達と共に暮らしてきたことに疑問など持ったことが無かった。それがオズにとって苦痛だったか否かも想像できない。ただ、シャドウにとっては幸せな時間でもオズにとっては苦しかったのなら、それは悲しいことだ。


「シャドウ君、少しだけ私のどうでもいい愚痴、聞いてくれる?」


「おう、いいぞ! ショコラは俺を助けてくれたもんな。それくらいは当然だ!」


ホワイトは薄く微笑むと、まるで縫いぐるみに話しかけるように弱音を吐いた。


「私ね、過去の記憶が無いの。自分の両親のことも、どんなお家で生まれたかもわからないの。今はクローディアさんのお陰でこうしてこの村で過ごせているけれど……とても怖いのよ。将来、自分がどうやって暮らしているか想像がつかない。どうして自分が生まれて、此処に居るのかもわからない。自分を定義づけるものが何一つ見つからないの」


「そう、なのか……」


シャドウは中身の無い相槌を打ちながらただホワイトの話に耳を傾けることしかできなかった。共感、あるいは提案、ホワイトを元気づける為の言葉を探したがシャドウの貧弱な語彙では表現できなかった。

だが、シャドウに対してホワイトは「ただ聞いてくれればいいのよ」と告げて、続きを話す。


「オズさんはどうして自分の力を抑えながら皆と一緒に笑って過ごせるのかな。いつか、コツを教えてもらいたいわ」


「あー……言っとくけど、オズの場合、ショコラやキラと違って純粋に楽しいから笑ってるとは限らねーかもしれねえぞ?」


オズは確かに常に笑顔を絶やさないが、端的に言うとホワイトよりも腹黒い。人の不幸や失敗を楽しむことなど日常茶飯事なので、ホワイトが見習う相手としては勧めづらかった。

ホワイトはオズとは正反対の清らかな微笑みを浮かべながら言った。


「シャドウ君はオズさんの長所も短所も良く知っているのね。大切な人の短所も受け入れられるのって素晴らしいことだと思うわ」


「そ、そーなのかあ?」


「うん、そうよ。いいな、私もいつか……そう思ってくれる人が現れたらいいな。私がここに居た意味を残したいな」


ホワイトの言葉はシャドウには杞憂にしか聞こえなかった。


「ショコラのことを大切に思ってる人はもう居るだろ。ね……だ、大事な友達が居るはずだろ?」


ホワイトがブラックを連れて図書館に来たところは見たことがある。ブラックに憑依した際もある程度ブラックの記憶を見ることができた。なのでブラックがどれほどホワイトを大切に想っているか、シャドウはよく知っていた。

シャドウの言葉を聞いた途端、ホワイトの瞳に光が灯った。頬が薄く色づき、嬉しそうに笑った。


「そう、そうね……私にはショコラが居るものね。うん、ありがとうシャドウ君。私、ちょっと余計な心配してたかもしれないわ」


「そうか、ならよかった! 俺もショコラがそう言ってくれると嬉しいぞ!」


ホワイトの表情に普段の暖かさと柔らかさが戻り、シャドウは安堵した。ホワイトのような心優しい人には穏やかな場所で微笑んでいてもらいたい。ブラックがそう願う気持ちがわかるような気がした。


「ねえシャドウ君、もうちょっとだけオズさんとの思い出話を聞かせて? 私もショコラとの思い出をちょっとお話したいわ」


「よし、いいぞ! じゃあまずは……」


二人は窓の外の星を灯代わりに、夜遅くまで互いの思い出を話した。

星と雪が降り注ぐ夜空は忘れられない景色となった。



◇◇◇



アズュールでの戦いから早数ヶ月。本来ならば季節は冬。一面の銀世界が広がり、毛皮のコートが手放せない時期になるはずだった。

しかし此処、アズュール近郊の街ハイドランジアでは今季最高気温を更新しようとしていた。太陽は暴力的なまでの光を放ち、人々は皆半袖薄着で通りを歩いていた。蒸し風呂のような部屋の中からディオン・G・クロードは干からびた魚のような目で執務に勤しんでいた。

だがその最中、唐突に扉が勢い良く開かれる。「ノックくらいしろ」と注意しようと顔を上げると、そこには大胆に胸と肩を露出したドレスを身に纏った女性が居た。そう、ディオンにとっては頭痛の種であり大切な姉であるシャロン──現在の名はクローディア。


「ちょっとディオン! この屋敷暑いわ! もっと涼しくならないの!?」


「し、し、仕方ないだろう、気象に文句を言ってくれ! というか服、服装! もう少し胸や肩を隠してくれ!」


「それこそ気象に文句を言っていただきたいわ。暑いなら涼しい格好をするのは当然でしょう? 女性の服装に一々口出しするのは失礼だわ。そう口煩いから、折角容姿だけは良いのに未だに結婚できないのよ」


「いや、正直忙しくて女性に構っている暇が無いというか、俺に近寄ってくる女性が怖い人ばかりというか……突然初対面の女性に『私達は運命で結ばれている』などと言って婚約届にサインさせられそうになったり、危うく媚薬盛られそうになったりとか……」


「まあ、なんて女運が無い弟なのかしら! これが身長160センチ以下14歳以下の可愛い男の子なら優しいお姉様が慰めてあげるところなのだけど、このデカブツは気色悪いだけだから知らないわ。ご愁傷様」


ディオンは早速頭を抱えて溜息をついた。相変わらずクローディアはディオンにだけは遠慮が無い。そもそもクローディアがなぜこの屋敷に居る。スカーレスタでサラ・ルピアに捕らえられた後、救出されてヴィオレに帰ったはずでは?

山積みの仕事の他に更なる仕事が降りかかったところで、新たな客が部屋に入ってきた。猫耳の映えた執事らしき服装の14歳程の少年。この少年には見覚えがある。たしかクローディアの従者であるノアール・アリアだ。


「マスター、ご用件を早くお伝えした方がよろしいかと」


「あらノアちゃん、それもそうね」


どうやら今回はただ気紛れで屋敷に乗り込んできたわけではないらしかった。クローディアは分厚い資料を机に置き、こう話した。


「夏にゼオン達がヴィオレに来た時に、時計塔美術館の地下の人体実験施設で一騒動あったのよ。その後もう一度その施設を調査し直したのだけど、その調査結果が出たの」


「人体実験施設……嫌なものだな。それで?」


「ええ、その調査結果についてオズに直接話したいことがあるのだけど……たしかロアルの村とエスペレン王家の仲は良好とは言い難いのでしょう? 私が行くと問題が起こるかしら。もしそうならディオン、あなたにちょっとなんとかしてもらいたいのよ」


「なんとかって……」


ああ、また仕事が増える予感がする。しかし、クローディアの様子を見ると今回は必要に迫られて下した判断のようだ。ディオンは更に詳しく話を聞く。


「紅の死神……オズ・カーディガルに関わることなのか?」


「直接係わることではないわ。でも重要な案件だし、オズにも全く無関係とは言えない。対応を間違えればロアルの村人に危険が及ぶでしょうし、その他の地域にも影響が出る可能性もあるかも。理由が知りたければ資料は見せるわ」


「見ていいのか? ヴィオレってデーヴィア領だろう」


「領主アルミナ家からも許可は得てる。デーヴィアとしても許可していない研究だそうよ。こちらの手を借りられるなら借りたいそうで。特にブラン式魔術についての情報が知りたいそうよ。ブランはウィゼート領だもの。デーヴィアより情報はあるでしょ」


「そんなこと言われてもなあ」


そう言われたディオンは早速クローディアが纏めた資料に手を伸ばした。神の魔術「ブラン式魔術」の研究、世界最古の魔法使いが残した研究の軍事転用、その為の人体実験──頭が痛くなる内容ばかりだったが、その中でも「新・イデア計画」という項目に目が留まった。新ということは旧が存在し、かなり長期間に渡る計画だったということだ。

詳しく読み込んでいこうとした時だ。ノックと共に更に新たな客が増えた。狐──のように見える犬の獣人、イヴァンだった。


「ロアル村に行く話なら、俺達もちょいと混ぜていただきたいっすね」


「イヴァン、お前、どうしてここに居る? 城で何かあったのか?」


「そうじゃないんすけど、旦那にちょいと用がありやして……ねっ、陛下?」


最後の一言にディオンはあんぐりと口を開ける。右目に包帯を巻いた麗しい青年が微笑みながら顔を出す。サバト・F・エスペレン。このウィゼード国の国王であり、同時に──城からの脱走の常習犯だ。


「陛下ァァァァ! なぜ居るんですか陛下、また脱走ですか? おいイヴァン、この人ここに居ていいのか? 俺の胃の残機はゼロだぞ!」


「まあまあ、サバト陛下!? お久しぶりですわ、まあご立派になられて! いつもディオンがお世話になっております!」


サバトとの再会を喜ぶクローディアとは対照的に、ディオンの脳内では城で慌てふためく兵士や使用人達の様子が浮かんでいた。今にも気絶しそうなディオンの様子を見て、イヴァンが言う。


「いやいや旦那、今日は脱走じゃないから安心していいすよ。ちゃあんと許可を貰って来ました。ちょっと旦那に頼み事がありやして」


脱走ではないことが判明し、一時はほっと胸を撫で降ろしたディオンだったが、「頼み事」という言葉を聞いて再び胃が痛くなる。しかし、国王サバト直々の頼みを聞かずに断るわけにもいかなかった。サバトは数枚の資料をディオンに託し、こう話し始めた。


「以前、ディオンにスカーレスタ条約の密約破棄について頼みましたよね。あの協議の続きを頼みたいのです」


スカーレスタ条約の密約破棄。そして、オズ・カーディガルとリラ・ルピアの今後の扱いについての協議。ディオンは初めてロアル村に訪れた時のことを思い出していた。あの時、ディオンに同行したサラ・ルピアのこともだ。


「それにしても、この件は本当に陛下直々の御意向だったのですね。俺はてっきりサラ・ルピアが俺をゼオンと会わせる為に用意した口実だったのかと」


「確かに、君とサラ・ルピアが担当することになったのは彼女の誘導もあってこそでしょう。ですが、提案したのは確かに僕ですよ」


「ウィゼート内戦から五十年……なぜこの時期に密約の破棄を思い立ったのか伺ってもよろしいですか」


ディオンはサバトがこの件を積極的に取り扱おうとする理由が思い浮かばなかった。早急に対応しなければならない案件とも思えないし、サバト個人にオズやリラへの特別な拘りがあるとも思えない。すると、サバトは小さく頷きながらこう語り始めた。


「十年前、キラさんのご両親が亡くなったころ、キラさんやサラ・ルピアを含めたご家族が城にいらっしゃっていたことは御存じでしょう。その時に、そのご両親が先代に頼み込んでいたのです。リラさんとオズさんに自由を返してあげてほしいと。どうやら、リラさんだけではなく、お二人はオズさんとも非常に仲が良かったようですね。お二人が村と国との交渉の道具として扱われることは納得できないと。僕はそれを傍で聞いていました」


「なるほど……。それで陛下は亡きお二方の意思が損なわれることが無いように取り組んでおられるのですね」


「そのとおりです。ディオン、どうか手を貸していただけませんか」


ディオンは頭を掻きながら溜息をついた。胸に付けたクロード家の紋章の重みを確かめた後、一度横目でクローディアの顔を見る。この椅子に座った時点で、ディオンは王家に仕えると決めた。ならば、答えは決まっている。


「勿論です。お任せください、陛下」


「ありがとう。君ならば、そう言ってくれると信じていました」


ディオンはサバトへ対し深く頭を下げ、サバトはディオンを信頼し、書類を託す。その様子を傍で見守っていたクローディアは二人の様子を見て目を輝かせた。


「まあ、まあまあ! なんだか懐かしくなっちゃう! 幼い頃は二人ともあんなにやんちゃしていたのに、今では立派に国王陛下と家臣の関係なのねえ! 二人の成長は嬉しいけれど、昔みたいな様子が見られないのはちょっと寂しいかもぅ」


幼い頃の話を持ち出されると、ディオンは少し気恥ずかしさで黙り込んだ。実は、ディオンとサバトは幼馴染だ。昔はただの友人として、城下町を駆けまわったりしたものだ。しかし、サバトが国王となった今ではそのように馴れ馴れしく振る舞うことは許されない。ディオンはあきれ果てながらクローディアに文句を言った。


「あのな、姉さん。あまり昔の話を持ち出すのはやめてくれ。もう子供じゃないんだ。俺はクロード家当主だし、陛下はこのウィゼート王国の国王だ。それなりの態度ってものがあるだろう」


しかし、サバトは少し不満そうな表情でこう言った。


「僕はプライベートな時間くらいは昔のように幼馴染として話してもよいのではないかと言っているのですけどね。ディオンは生真面目だからなかなか聞いてくれないんですよ。全く酷いです」


サバトがこう言うと、ここぞとばかりにクローディアはサバトに駆け寄り、ついでにイヴァンまでがサバトを慰め、ディオンへ冷やかな目を向けた。


「まあ、なんてお可哀想な陛下! うちの冷血無慈悲な弟がとんだご無礼を! 後できつーくお仕置きしておきますね!」


「やーい旦那、陛下泣かせたー。旦那が陛下に意地悪したー。やーいやーい!」


「お、ま、え、ら! 仕方ないだろ! だって駄目だろ、身分ってものがあるだろ! しょうがないだろ!」


ディオンが必死に反論すればするほど、クローディアとイヴァンはにやにやと意地悪い笑みを浮かべながらディオンを指すのだった。ディオンが不貞腐れて沈黙していると、サバトは再び仕事の話へと戻った。


「まあ冗談はさておき、ディオン。この件についてはよろしくお願いします。後日、もう少し詳しい話をしましょう。協議の際に少し気にかけてほしいこともありますので」


「気にかけておくこと?」


「はい。当事者であるオズ・カーディガルとリラ・ルピアのお二人の事です。お二人の意思を無視した協議とならないように気を付けてください。もし二人の意思が蔑ろにされるようなことがあれば、むやみに話を進めないようお願いします。少し、悪い予感もしますので……」


「陛下の予感か……。かしこまいりました。そのようにいたしましょう」


「ありがとう。礼といっては難ですが、君の山積みの仕事の方も、他の者と分担できないか声をかけておきますね」


思わずディオンの目が輝く。しかし、「正直助かる」という本音を咳払いで隠しながら、あくまで冷静に「ありがとうございます」と深く礼をした。後ろでイヴァンが「旦那に回ってくる仕事は旦那クラスの権限じゃないと扱えない仕事ばかりのような気がするっすけどねえ」と呟いた。ディオンは黙り込んで聞こえなかったふりをした。

二つの頼み事を聞き終えた後、ディオンは託された双方の書類に目を通しながらまた溜息をついた。ヴィオレの実験施設に、スカーレスタ条約の破棄。どちらも一筋縄ではいかない大きな問題だった。


「こんな大事が一度に二つも降りかかるとは……一体あの村はどうなっているんだ?」


ロアル村は異常だ。世界中が謎の異常気象に見舞われている最中、あの村だけが本来在るべき季節・気象のとおりに時を刻んでいたことが印象に残っている。そしてこうして降りかかった幾つもの問題。あの村に一体何があるというのだろう。

すると、ディオンの様子を見ていたサバトがこう話した。


「もしかすると……村、ではなく、一個人が大きな鍵となっているかもしれませんよ」


「個人……というと、やはりあれか、紅の死神と呼ばれる……オズ・カーディガルか」


「はい」


紅の死神。五十年前、長くに渡って続いていたウィゼート内戦を国土の三分の一の犠牲と共に終わらせた者だということはウィゼートの国政に関わる者の中では有名な話だ。現王家の原型となる西陣にとっては一夜にして東陣を壊滅に導いた勝利の死神でもあったが──当然、見過ごすことのできない異物でもある。ウィゼートだけではない。デーヴィアからも、エンディルスからも、彼の存在が知れ渡った途端、同じ声が上がったものだ。

「あれは危険すぎる。早く処分しなければならない化け物だ」と。しかし、処分が実行されることは無かった。簡単な話、オズを処分できる戦力など、この世の何処にも存在しなかったからだ。


「エスペレン家に残っている太古の資料によると、紅の死神だけではなく、昔は『世界の毒』と呼ばれたこともあったのだとか」


「世界の、毒か……」


「ええ。世界を死に至らしめる毒。そして、世界の為に殺すべき悪だと。そう呼ばれたこともあるそうです」


「それもまた、酷い言われようだな。外見は俺や陛下と大差ない青年なのに。まあ、言葉で表現しがたい凶悪さを隠している、というのも正直事実なのだろうが……」


オズと話したのはゼオンと再会した時の件、そしてサラ・ルピアの復讐のことで再び村を訪れた時くらいだが、一目見て只者ではないと感じた。ただ強大な力を持っているというだけではない。思考が読めない。感情が読めない。道化のような奇妙な笑顔が頭に残っている。今でも、ディオンがオズについて語れることは「警戒すべき得体が知れない人物」ということだけだ。

すると、サバトは薄く微笑みながらこう言った。


「オズ・カーディガル。僕は一度直接お会いしてみたい気もしますね。どんな人物なのか気になります」


すると即座にイヴァンが反対した。


「陛下の好奇心は結構っすけど、これに関しては賛成できないっす。あの時ちょいと見てすぐにわかりやした。あれは陛下に会わせられるような人じゃねえっすよ」


「そうですか? それは残念です」


「陛下の優しさは長所っすけど、時には警戒することも必要っすよ」


「優しさ、ですか。そういったつもりで言ったのではないのですが。どちらかというと違和感です。ほら、世界の毒となりうる程の力を持っているはずなのに、彼は今のところ直接世界を殺すような騒ぎを起こしてはいないではないですか。その矛盾が気になりまして」


「さあさ、どうっすかねえ。陛下、アズュールに居るからそう感じるだけで、村はけっこう振り回されてるかもしれないっすよ」


サバトとイヴァン。どちらの指摘も完全な間違いとは言い難い。ロアルから離れた地で伝承や歴史によって語られるオズと、ロアルの村で直接見たオズ。二つのイメージは決してかけ離れたものではないはずなのに、サバトとイヴァン、相反するものであるはずのどちらの視点の印象も正しい。

紅の死神、オズ・カーディガルの謎は今でも多い。サバトとイヴァンがこう語る一方で、こう語る人が居ることもまた事実なのだ──クローディアのように。


「まあ、オズってば随分酷いイメージを持たれているのね。たしかに悪知恵は働く方だけど……あいつはそんな大物じゃないわよ。怠け者で面倒くさがりで遊ぶことしか考えていないし、今は気になる女の子の背中追っかけることに夢中な、ただの我儘坊主だと思うわ」


ディオンは更に頭を抱える。これだから、理解できなくなる。


「姉さん……それ、姉さんが言っていることが多分一番酷いぞ……」


一体、オズ・カーディガルとは何者なのだろう。

紅の死神・世界の毒・滅ぼすべき悪────そう成り果てた男の本心を理解できる者は果たして存在するのだろうか。


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