第13章:第22話
その日の午後のことだ。キラは真冬の雪原の上で格闘していた。雪が無い季節よりも滑りやすいことが難点だったが、今日は底にスパイクが付いたブーツを履いてきたので問題無い。真白の大地を蹴り、宙を縦横無尽に飛び回る。
セイラの残した言葉を思い出し、実行する。これはその第一歩だった。
「いくよ、ばーちゃん! 覚悟しろ!」
「はいはい、しょうがない子だねえ」
キラは杖を手に駆け出し、リラに殴りかかる。リラは目と鼻の先までキラを引きつけた後、モップの柄を使ってしなやかに攻撃を受け流し、必要最低限の動きでキラを殴り飛ばした。
「強くなりたいのならば、まずリラに教えを請うといい」──セイラが言っていたことだ。王家エスペレン家の持つ膨大な魔力を体術の力へと変換してしまったリラに教えを請うことが、キラの長所を伸ばすことに繋がると考えた。
吹き飛ばされたキラは受け身を取って体勢を立て直す。
「キラ、大丈夫?」
「うん、これくらい平気だよ。リーゼ」
近くでリーゼが二人の様子を見守っていた。今日はゼオン達ではなく、リーゼに立ち会ってもらうよう頼んだのだ。昨晩あのような夢を見た後で、ゼオンにどのように接すればよいかわからなかったのだ。
誰かが傍に居てくれるなら、キラは何度でも立ち上がることができる。拳を握って、キラは再びリラに向けて叫んだ。
「もう一回いくぞー! うおー!」
「それはいいんだけどねえ、キラ。どうして急にあたしに修行に付き合えだなんて言い出したんだい?」
「だってだって、ばーちゃんはなんか、エスペレン家の魔力を格闘の力に使っちゃったとかで、なんかとりあえずすごいんでしょ? セイラが言ってた! あたしはばーちゃんの孫だから、ばーちゃんと熱く修行をしたら、自分の身体の扱い方がわかるかなって!」
「おや、そのこと知ってたのかい。あまり人に言った覚えは無いんだが……まあいいか。そういうことなら少し話が変わってくるねえ」
すると、リラはモップを雪の上に突き立て、じっと目を瞑った。キラが首を傾げてその様子を不思議そうに見つめていると、リラはこう語りだす。
「キラも知っての通りあたしは特殊な体質でね、全員膨大な魔力を扱えるのが当然のエスペレン家の中じゃ白い目で見られたものさ。そういった中で身につけた自己流の戦い方になるが、少しだけ講義してやろうかねえ」
「講義? 修行じゃないの?」
「修行はその後だ。自分の体質をうまく扱うにはまず自分を知らねばならないのさ」
キラは「はぁい」と返事をして、攻撃の構えを解く。セイラから大まかな体質の話は聞かされていたが、本人から詳細を聞いたことは無かった。
「とりあえず、どこまで話は知っているんだい? あたしが魔力を無意識に体術の力に変換しているところくらいかい?」
「うん、たぶんそれくらい」
「なるほどねえ。なら、その活用法から話をしようか。あたしらが魔力を体術の力に変換していることは事実だ。要は常時身体強化の魔法がかかっているようなものさ。そのおかげで、あたしやキラはこうして人並外れた力が使える」
そう言うと、リラはモップの柄で地面を強く叩いた。途端に、雪原に無数の亀裂が入り、地は凹み、雪は衝撃で舞い上がり吹雪を引き起こした。
「だが、その力の源は魔力だ。特に、エスペレン家が得意とする魔法は重力に関する魔法だ。その力を自在に操るには魔力の扱いにも気を使わなきゃならんのさ」
「まりょく……」
魔法を扱うことが苦手であるキラはがっくりと肩を落とした。生まれてこの方、火の魔法を使えば爆発し、水の魔法を使えばキノコが生えるような失敗ばかりしてきた為、キラは魔法の扱いについては少しコンプレックスを抱いていた。
しかし、リラはそれを全て理解した上で言う。
「気にするな。あんたは魔法を使えないんじゃない、常時出力状態なのさ。だから、まずは常時オンになってるスイッチを一時的にオフにする練習からだね」
「うう? あたしは強くなりたいのに、弱くする練習なの?」
「そうさ。力の加減ができない者が強い力を得ても不幸になるだけさ。強い力を扱う練習はその後だ。万物は創造と破壊から成り立っている。物が造られることにも、破壊される為にも専用の力が要る。自分の中の魔力と、世界に眠る創造と破壊の力、両方の知識と操作する感覚を得て初めて一人前だ」
「へえ……そうなんだ……」
その話は、以前ティーナ達に教えてもらった魔法の仕組みの話と少し似ていた。魔法を物の燃焼に例えるとすれば、燃料が魔力、熱が術者の技術。だとするならば、あの時は正体を知ることができなかった「空気」にあたるものが「創造と破壊の力」にあたるのだろうか。
「婆ちゃん、その創造と破壊の力について、詳しいの?」
「詳しくは無いが、昔、エスペレン家に資料は少しあったよ。なんだかエスペレン家は魔法使いの祖と言われる家らしくてね、大昔に神を真似て魔法を習得する為に、世界の仕組みについても研究してたらしいのさ」
「おお……婆ちゃんすごい! なんかすごい!」
キラは目を輝かせながらぴょこぴょこ飛び回った。
「研究してたのは祖先であってあたしじゃないんだがねえ……じゃあ、まずは基本的な魔力の操作の復習から……」
「ええ、それは学校で散々やった……」
「馬鹿かい! 何事も基本を抑えるところから始まるもんだ!」
「ふえぇ、はぁーい」
リラの教えに従い、キラは意識を集中して魔力の流れを読む練習、その流れを操る練習などを繰り返す。身体を動かす実践と比べると些細なことで爆発が起こったりする為なかなか上達しないが、リラの教え方が丁寧だった為、大雑把な感覚程度は掴むことができた。
そうした練習の最中、リーゼが唐突にキラに尋ねた。
「そういえば、今日はどうして私を付き添いに呼んだの? キラと一緒に居られるのは嬉しいけど、最近はゼオン君達と一緒に居ることが多かったのに」
「ああ、それは……ちょっと変な夢見ちゃってね。ゼオンが出てくるとても変な夢。それでちょっと顔合わせづらかったんだよ」
昨晩の夢の衝撃はまだ消えていなかった。自分の身を省みない諸刃の剣の強さ──今日ゼオンに出逢えば、つい尋ねてしまいそうだった。「あの夢は事実なのか?」と。答えを知ることが少し怖い。
「でも、別に喧嘩したりしたわけじゃないから大丈夫だよ。明日になればきっと、あまり気にならなくなると思う」
「そう? ならよかった。普段ならいつもゼオン君がキラについててくれているはずなのに、今日は居ないから心配しちゃった」
その言い方に、キラは僅かに首を傾げた。ゼオンが村にやってきてから──いや、キラの記憶が戻った頃からだろうか。リーゼのキラに対する接し方が以前と少し変わったように感じていた。
「そういえば前から聞いてみたかったんだけど、リーゼって最近熱心にゼオンにあたしの様子を見守るように頼んでるよね? どうして?」
「珍しいことを訊くね? それは勿論、ゼオン君がしっかりしてるからだよ。最近、キラってば色んなことに巻き込まれてるみたいだから心配で……でも、大抵ゼオン君が一緒に居てくれてるみたいだから安心できるの」
「しっかり……? うーん、それはまあ、そっかな……?」
出会ってからしばらく経った今では、むしろ常に冷静だからこそ心配になる部分もあるのだが、恐らくリーゼのいう「しっかり」はキラと比較してという意味合いもあるのだろう。そう考えると悔しいが間違いは無い。
「ゼオン君もキラを気に入ってくれたみたいだし、本当に良かった」
「ゼオンが? そんな風には見えないけどなあ」
ゼオンは今でも相変わらず無愛想で、とてもキラのことを気に入っているようには見えないのだが、リーゼはキラの反応を見ながら楽しそうに笑っていた。
「そういえばキラ、秋頃からこうして熱心に修行してるみたいだけど、どうして?」
リーゼが不思議そうに尋ねてきたので、キラは両手で拳を握って答える。
「それは勿論! 強くなりたいからだよ! ゼオンより強くなりたいし、いつかばーちゃんも倒したいし!」
両腕を振り回しながら回転していると、遠くで少し得意げな顔をしているリラの姿が見えた。リーゼはその答えを聞いても尚首を傾げる。
「それは知ってるけど、でも最近特に熱心だよね。何かきっかけでもあったの?」
「それは……」
真っ先に思い浮かんだものは、やはりセイラの消滅の瞬間だった。例えセイラがどれほどの計画を練った上であの結末を受け入れたのだとしても、あのような手段を取らずに皆で幸せな結末を迎えたかった。それほどの力が欲しかった。
「うん、ちょっと悲しいことがあったんだ。それで、もっと皆が幸せになれるよう手助けできるように強くなりたいんだ。皆を守れるくらい、強くなりたいんだ」
リーゼはその言葉を聞いて、雪華のように優しく微笑んだ。
「そっか、皆が幸せに、か。キラらしいね。素敵な目標だと思う。私も……キラがそう思ってくれると嬉しい」
「リーゼも?」
「うん。私も、キラや皆が幸せになれるようにいつも願っているから」
「そっか。リーゼらしいや。じゃあお揃いだね」
リーゼはそう言ってキラの手を握って微笑んだ。思えば、リーゼにとってもここ最近不安になる出来事が多かったのかもしれない。ネビュラが来た件の時はリーゼを巻き込んでしまった。ロイドに裏切られてからは校内でロイドと話す機会が途端に減った為、リーゼにも心配をかけている。
「皆が幸せになれるといいね」
「うん」
その為に、強くなりたい。キラはそう心に誓った。すると、二人の様子を見守っていたリラが少し口を挟んだ。
「皆ね……目標を決めるのは結構だが、皆って言葉は非常に曖昧だし幸せというのも曖昧だ。あまりその二つの言葉を便利に使いすぎないように気をつけなさい」
「うう? そーなの?」
「ああ、そうさ。そして、全体の幸せと個人の幸せは大抵一致しない。皆に幸せになってほしいと願うのは構わんが、キラにとっての『皆』が誰なのか、『幸せ』の為に何をするのか、考えなければならない時が来るかもしれないねえ」
「ううん、なんかむずかしいな……」
一人一人が少しずつ幸せになっていくことができれば、きっといずれ皆が幸せに近づいていくことができる。そういうものではないのかな?
キラはリラの言葉に首を傾げたが、リラはその先何かを語ることは無かった。代わりに、リラはキラの顔を見つめながらしみじみとこう語る。
「そういえば、あんたは昔からみんなみんなと、『皆』を大事にする子だったねえ……。それはとても良いことなんだが……いや、老人がとやかく言うことではない、か」
「むう?」
「何でもない。気にするな。さて、続きをやろうか」
リラの言葉にキラは頷き、また先ほどの特訓の続きを始めた。
いつか、皆が幸せになれますように、イオ君が戻ってきてくれますように。セイラの願いを叶えることができますように。メディを止めることができますように。オズとリディが再会できますように。
そして最後に、本当にささやかな願い──
その先の言葉は胸の奥に仕舞い込んだまま、キラは新たな目標に向けて一歩を踏み出した。




