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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第13章:儚き影の独唱
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第13章:第19話

掃除をするには、その部屋はあまりにも物が無さ過ぎた。部屋には元から備え付けられていた最低限の家具しか無く、生活感が全く感じられない。

数ヶ月の間、人が住んでいたことは間違いないのに、床はゴミ一つ落ちていない上、棚や机にも余計な物は一切無い。ベッドも既にベッドメーキングを済ませてあるかのようにシーツには皺一つついていない。

ここまで徹底してあると、第一に浮かんだ「ここの家主は元から綺麗好きの潔癖症であった」という可能性はむしろ否定したくなる。むしろ別の可能性を考えたくなる程だ──端からここの家主はこの部屋を去る時を知っていたという可能性だ。

「皆でセイラの部屋を掃除しよう」という名目で集まったキラ達は困惑しながら顔を見合わせる。掃除が必要な場所は既に存在しなかった。


「なんか……綺麗すぎるくらいだね。セイラの部屋」


「元から馬鹿なんじゃないのってくらい物を散らかしたりすることを嫌う方だったからなあ……」


ティーナが隣で溜息をつきながら頭を描いていた。箒に塵取り、バケツに雑巾まで用意したが、大した出番は無さそうだ。「どうする?」とゼオンとルルカにも声をかけると、ルルカはこう答えた。


「軽く床を掃いて、雑巾で拭くくらいで良いんじゃない? あと、窓の淵とか細かい所はセイラが居なくなってから埃が溜まっているかもしれないから拭いておきましょう」


「うん、そうだね」


キラは箒を手に取り、床を掃き始めた。他の三人もそれぞれ掃除を始める。掃除の為に箒を手に取るというのも不思議な気分だ。キラは決してマメに掃除をする綺麗好きではない。箒はむしろ、空を飛ぶ為に使うことの方が多かった。

どうせなら、セイラの居ない部屋を掃除するよりも、セイラを後ろに乗せて空を飛ぶ方がよかった。ついそう考えてしまう。

最期のセイラのことを思い返すと、悔しさがこみ上げる。まだ、イオを救い出すことも何もできていないのに、この結末はあまりにも残酷だ。

そう考えた時、「イオは今どうしているのだろう?」という疑問が沸いた。セイラが消えた瞬間のイオのことを思い出す。口では冷たい事を言っていたが──全く傷を負っていないようには見えなかった。今もイオはメディと同じ志を持っているのだろうか。あの光景を見せられた後でも、イオにそれができるのだろうか?

そのような事を考えながら、キラは机の上を吹き始めた。机の上は他の箇所と比べると汚れが溜まっていた。水を含ませた布巾で拭くと、黒いインクの汚れが取れていく。机の引き出しを一つ開けると、使い込まれた羽ペンとインクだけが入っていた。直前まで使っていたのだろうか。セイラにしては珍しく、インクの蓋に黒い汚れが残っていた。

キラは続けて一つ隣の引き出しを開けた。その瞬間、胸の底で煮詰められた様々な感情がこみ上げてきて吐きそうになった。


「絵本……」


ブラン聖堂で、セイラの記憶の中でキラは確かにそれを見た。「オズの魔法使い」のタイトルが付いた絵本。セイラが世界に興味を持ち、旅立ちのきっかけとなったあの絵本だ。今でも高価な多色刷りの絵本で、栞が一つ挟まれていた。

恐る恐るキラは絵本を手に取ってみる。黒い髪のドロシー、エメラルドの都……一人の少女に夢を与えた絵本は、記憶の世界で見たものとは比べ物にならない程に色鮮やかだった。


「キラ、それ……! それ、セイラの絵本! あたしが昔、勝手に盗っちゃって怒られたやつ!」


「うん、うん……セイラの大切な絵本だよ。きっと、消えてしまわないように置いてったんだね……」


セイラはどのような気持ちでこの絵本をここに置いていったのだろう。神様を敵に回す賭けに手を出してしまうほどの一冊を、奪われれば我を忘れてしまうほどの激情を与えた本を、そして、世界に夢見る程の感動を与えた出会いを。

キラはその絵本を全身で抱きしめた。この絵本が消えなくて良かった。セイラの身体が消えてしまっても、セイラの一番大切な想いはこの腕の中にある。

ゼオンがキラの隣で呟いた。


「セイラがイオと袂を分かつ直前に貰ってた、あの絵本か」


「そっか、ゼオンは一緒にセイラの記憶を見たもんね。そうだよ、あの絵本だよ」


「あの冷めた皮肉屋を変えた一冊か。間違いなく名作だろうな」


「うん。あのセイラを変えるなんて、あたし達にもできるかわからないもんね」


セイラの想いは確かにここに残っている。そう感じ取れた瞬間、ブラン聖堂に行ったあの日の思い出が蘇ってきた。セイラに協力すると、たとえ神様を敵に回しても一緒にメディの計画を阻止すると誓った時のことを。

セイラを失ってからずっと、頭で考えることはできても口に出す勇気が持てなかった。セイラが成し得ないのであれば、キラが成し遂げようと口に出すことが恐ろしかった。前を向こうとする度に、頭をあの絶望の刻が支配する。だが、今ならばその勇気を出せる気がした。


「皆、あのね、あたしずっと考えていたことがあるんだ。セイラが居なくなってからずっと」


ティーナに、ルルカに、ゼオンに、それぞれの目を順に見つめて、キラはその決心をする。


「あたしが、セイラの想いを継ごうと思う。セイラの為に、メディさんを止めて、イオ君を連れ戻そうと思う」


記憶は何度でもキラの心を刺すけれど、彼等の前でなら、キラは心の底から笑える気がした。

最初に笑い返してくれたのはティーナだった。


「よかった……キラがそう言ってくれて、安心した。実は、ちょっとキラが言い出すの待ってたところがあるんだよね」


「待ってた? どうして?」


「だってぇ! ゼオンもルルカちゃぁんも恥ずかしがり屋さんだからほんとは『セイラの無念を晴らしたいなぁー』って思っててもはっきり口に出してくれないんだもん!」


そう言った瞬間、ゼオンとルルカが急に硬直して黙り込んだ。ティーナが意地悪く笑いながら二人の頬を突くと、ゼオンは益々無口になり、ルルカは少しムキになって言い返す。


「うるさいわね。別に、私が自分からセイラに手を貸す理由が無かっただけよ」


「ほんっとかなー、ほんとかなー」


「本当よ、もう……」


「ほんとは、アズュールでサバトしゃまを助ける一番大事な場面で力を尽くしてくれたセイラに感謝してるし、借りを返すくらいはしたかったんじゃないのぉー?」


「そ、それは……」


ティーナがつんつんとルルカの頬を突くと、ルルカは途端に口籠った。ルルカは恥ずかしそうに黙り込んだ後、諦めて溜息をついた。


「もう……わかったわよ。うるさいわね。認めればいいんでしょ。その……多少、感謝はしてたわよ。だから、キラがセイラの為に何かしたいというのなら、手は貸すわ」


「あたしも! 自分一人じゃ、流石に怖くてなかなか決断できなかったんだけど、キラと一緒なら頑張るよ!」


ルルカとティーナの言葉にキラは深く何度も頷く。二人がこうして同じ想いを抱き、協力し、「キラと一緒なら」と言ってもらえるようになったことが堪らなく嬉しい。


「うん、うん……ありがとう! 本当に、ありがとう!」


それから、ルルカは半ば八つ当たりのようにゼオンに話を振った。


「それで? 貴方は何か言うこと無いのかしら」


ゼオンは気まずそうにこちらから目を反らしていた。最初は、普段の照れ隠しだろうと思った。しかし、今日のゼオンの瞳はそれまでとは少し違った沈み方をしていた。


「セイラの意志を継ぐ……か。セイラですらないお前がどうする気だ。お前は神でも神の従者ですらない……あいつらから見ると、部外者なのに」


その指摘は、思いの外深く突き刺さる。そうだ。ゼオンが語ることは心から血が溢れる程に正しい。


「それでも、きっとお前は何度でも立ち向かうんだろう。何度失敗しても、傷ついても、懲りないんだろうな。そうして……あと何度泣く気だ?」


窓からの日差しが逆光となり、ゼオンの顔に蒼く影を落とす。ゼオンに突きつけられた真実を呑み込み、キラはこれまでの出来事を思い返しながら語る。


「泣かない。なるべく泣かずに済むように、皆の力を借りたい。これまでのように、あんたと、皆が居てくれたら、きっとあたしはどこまでも頑張れるよ」


そう言って、キラはゼオンに微笑んだ。


「そうか……わかった。お前がそう望むなら、好きにすればいい」


ゼオンは穏やかにそう呟いた。キラは深く頷く。ゼオンがそう言ってくれるならば、何も恐れることはない。そう信じていた。

これまでキラが挫けそうになった時に、支えて、守って、助けてくれた姿が頭に焼き付いていたから、これがゼオンという人の全てなのだとキラはまだどこかで信じていた。ゼオンはそのようなキラの目をどこか虚ろな表情で見つめていた。

すると、ルルカが口を出した。


「それで、具体的にどうやってセイラがやり残したことを果たすつもりなの? さっきゼオンが言った通り、あの神々連中にとって、私達はただ杖を持っているだけで基本的に部外者なのは間違いないわよ?」


キラが答える前に、ティーナが口を尖らせながら言った。


「杖を持ってて、もうあれだけ襲撃されてるんだからもう十分関係者だよう!」


「それは関係者というより巻き込まれた被害者よ。私達はただセイラからあいつらの確執の話を聞かされただけで、結局その騒動自体に関わっていたわけではないのだから」


「情報として知ってれば十分じゃなぁい? 何が問題だっていうのさあ!」


不満そうに文句を言うティーナに対し、ルルカは冷静に語った。


「争いを収める手段が無いのよ。説得しようにも『部外者は口出すな』で済まされてしまうのよ」


「ちょっと、まさかルルカちゃんともあろうお方が今更説得なんかであいつらが止まると思ってるわけ?」


ティーナが訝しむと、ルルカは涼しい顔で答えた。


「まさか。止まるわけないでしょ。勿論、あいつらが襲撃に来たらボコボコにやり返すわよ。けど、キラ。あなたは、何もかもを圧倒的暴力で潰して黙らせるような手段は好まないのではないかしら?」


キラはルルカの言葉に深く頷く。


「そうだね。勿論、襲撃されたら身を守るけど、なるべく皆が納得できるような結末を探していきたい」


「そもそも、今の私達に暴力でねじ伏せることはできないしね。それなら、やっぱり落としどころは探さなければならないし、当事者達からもっと深く話を聞かなければならないわ」


「そうだね。例え杖を取り返して、イオ君も戻ってきたとしても、それでもメディさんが諦めなければそれまでだもの」


すると、ティーナがぶうっと頬を膨らませながら尋ねた。


「あの女を諦めさせるならもっとこう、あいつをぶっ潰すことを考えた方が早いんじゃないやの? キラがそういうやり方嫌うのはわかるけど……そう甘いこと言ってられる状況じゃないんじゃないの?」


キラは苦い顔で考えた。甘いことは言っていられない。ティーナの言うことも否定はできない。だが何故だろう。正体をはっきりと言い当てることはできないが、何か違和感を感じる。

すると、ゼオンが口を出す。


「それは、何か……罠のような気がする。考えてもみろよ。セイラの奴、封印し直すとか、企みを止めるとは言ってたけど……一度もメディを『殺す』とは言ってはいなかったんじゃないか?」


「むぅ……確かに」


「たしか、セイラは『ただ倒せば済む問題なら苦労は無い』って言ってた気がする。創造と破壊のバランスとかの問題で多分推奨できないんだろう。封印し直すって手もあるんだろうが……いや、大昔に封印した結果がこれなんだよな。やっぱり、最良の解決策を出す為の情報が足りないな」


「むう……うー……」


ティーナは急に大人しくなった。ティーナの過去に関わる一件を終えても、ティーナの敵に対しては少し過激になる癖は変わらなかった。

続けて、ゼオンはこう切り出した。


「そういえば、セイラの意志を継ぐというのなら、気になることが。この前、セイラが残したノートを貰っただろ。蒼のブラン式魔術を記したやつだ。あの魔術を少しずつ習得していったら、妙な術式が出てきたんだ」


「ほ、ほんと!?」


「ああ、今度ノートを持ってくる。何か今後の助けになるかもしれない」


「うん!」


キラは何度も何度も頷いた。皆がこうして知恵と力を貸してくれる。メディ達は非常に狡猾で手強いが、少しずつまた歩き出すことができるような気がした。

キラは腕の中の絵本を抱きしめながら強く誓う。セイラ。あなたの想いを決して無駄にはしない。


「ねえ、この絵本……あたしが持って帰ってもいいかな。ちゃんと、傷つかないように保管するから」


すると三人とも素直に頷いてくれた。


「いいんじゃないか。ここに置いておくわけにもいかねえだろうし」


「きっと、キラが持っていてくれたらセイラも喜ぶと思う。お願いね!」


ゼオンとティーナの言葉にキラは頷いた。初めてセイラと出会った日、泊まる場所が無い為キラの家に泊めたことを思い出した。またセイラがキラの家にやって来るような気分だった。


「いつか、この絵本……イオ君にも見せてあげたいな」


黄色い髪飾りを付けた少女と黒い犬が描かれた表紙を捲ってみる。きっと、セイラはまだこの絵本をイオに見せてはいないのだろう。ブラン聖堂で見た記憶が確かならば、絵本を手に入れてからセイラとイオが別れるまでにそのような余裕は無かった。

いつか必ず、この絵本の中でセイラが見た世界をイオに見せてあげよう。そして、改めて、イオと友達になりたいな。

そう願いながら、キラは絵本に挟まれた栞を表一ページ目へと挟み直した。



◇◇◇



もう何日この部屋の隅で閉じこもっていたのだろう。起き上がる意味も動く意味も、此処に存在する意義すらも見いだせず、イオは毛布を被ったままうつ伏せに横たわっていた。

ショコラ・ブラックの部屋に転がり込んでから幾日経ったかはもう忘れた。何日経とうが、イオの頭は同じ景色に支配されたままだ。

黒い闇に呑み込まれ、崩れていくセイラ。メディの高笑いが今も離れない。初めの二三日は床に突っ伏しながら泣き続けていたが、四日目からは涙すら枯れた。ありとあらゆる感情が枯れ果て、抜け殻のようになってただ重い身体だけがそこに在る。

セイラの自業自得だ。セイラが嘘をついたから罰が当たったんだ。そう自分を納得させようとしても、全身が冷えていき、身体を動かす気力すら沸かない。

そうして精神的に憔悴しきったイオの元にその声は再び舞い降りた。


『こんにちはぁ、イオ。まだ引きこもっているのね』


メディ声が優しく寄り添う。


「メディ……」


『今日はあなたに相談があるのよ』


紛れもないメディ本人にセイラを消された今、いくらイオでもこれまでどおりメディに従うことなどできなかった。

ここ数日の記憶など禄に残っていないが、誰かが「あんたが望んでいたことって、こんなことじゃないんじゃない?」と言っていた。

イオは冷たくメディに言い放った。


「……知らない。話したくもない」


セイラが居なければ意味が無い。メディが何をしてくれようと、セイラが傍に居てくれなければ生きている意味が無い。もうずっと、こうして何もかも拒絶して縮こまっていればいい。そう思っていた。

だが、メディはその絶望さえ甘く掬い取るのだった。


『セイラに会えると言ったら?』


イオは飛び起きた。胸が高鳴る。憔悴しきった精神にその言葉はあまりにも輝いて聞こえた。


「会えるの……? 会えるの、セイラに?」


『会えるも何も、何時もあなたの傍に居る。ほら、杖の所まで行ってみて』


その言葉に導かれて、イオはあの日キラ達から奪った杖を保管していた棚を開く。杖に手を伸ばし、柄に触れた瞬間、


『イオ』


と名前を呼ばれた。その瞬間、涙がポロポロと頬を伝った。


「セイ……ラ……セイラ……セイラ!」


イオは杖を強く抱きしめる。この杖はイオの身体を構成する創造の力と相反する破壊の力を持っている。杖の柄が熱い。指が赤く爛れ、腕から順に侵食されていく。だが、もうその痛みも感じない。

だが、この杖に触れて、セイラが話しかけてくれるなら、イオはそれだけで幸せだった。──勿論、イオも頭では理解していた。破壊の杖はセイラの存在を完璧に消去したのだから、この声はセイラのものではない。全て、メディが用意した偽物だ。だが、理性は甘い一声で溶かされた。


『イオ、何をそんなに泣く必要がある?』


「セイラ……セイラ。ボク……独りぼっちになっちゃったような気がして……」


『独り? 全く、お前は何時まで経っても甘えん坊だな。お前は独りじゃない。そうだろう?』


イオの意識は朦朧としていき、身体の感覚が抜けていったが、抵抗する意味を見つけることができなかった。この声を永遠に聞き続けていられるならば、もう自分の身が蝕まれていく感覚すら心地よいと思えた。


「うん。セイラ……ずっとずっと一緒だよ。何処にも行かないで」


『行かないさ。大丈夫。ずっと……ずっと一緒だ』


そして、イオは微笑みながらそっと瞼を閉じた。

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