第13章:第18話
「ちくしょー……姉様の癖に、騙されたふりなんかしやがって……」
シャドウはふてくされて地べたに座り込み、頬を膨らせてぶつぶつ文句を言った。
「そんな芝居やハッタリなんて向いてないんだよ。ほんと、よくそんな感じでオズさんのとこに居られたね?」
「姉様にだけは言われたくねー……」
ブラックは溜息をつきながらロイドに合図を送り、練習場となった白の世界は溶けて消え去った。ブラック達は気づくとロイドの自室に戻っていた。
ブラックはシャドウにお茶を出してから、自分も一休みする。
「それで、気は済んだかい?」
おもむろにシャドウに尋ねてみた。
「うん、まあ、それなりに」
「なんだそりゃ。もう少しはっきりした答えが欲しかったな」
「うるせーな。まあ、練習って言ったのに頭狙ってくる程に殺意剥き出しだったら、キラ達相手にしても大丈夫だろ」
その言葉を聞いて、ブラックは困って頭を掻いた。確かに久々に存分に身体を動かしたので少し調子に乗りすぎたが、殺意を向けたつもりは全く無かった。
「あたしのことを気にかけてのことだったのかい?」
「べつにー。俺だって色々あんだよ。でも、ま、なんか懐かしかったよ。これできっと、未練ぶった切って『シャドウ』になれる」
シャドウは何処にでも居る少年のように屈託の無い笑顔を浮かべた。その顔を見た時、ブラックは心に吊り下がった錘が一つ消えたような気がした。これでブラックも、「ショコラティエ」ではなく「ショコラ・ブラック」に成れる。
一度生命を終えた遺体に任務として与えられた仮面だったけれども、これで引け目無く今の自分として愛してやることができる。ブラックは自分の左手の刺青を右の指で撫でてみた。
二人の様子を見つめていたロイドは驚いた顔で尋ねた。
「なんか……よくわからないけど、すごいな」
「すごいって、何が?」
「ちょっと前までショコラはとても辛そうな顔をしていたのに、今はもう大丈夫みたいだ。ただ、練習試合をしただけなのに」
「たしかに、不思議だね。ちょっと懐かしくなっちゃったのさ。これで、過去の未練を断ち切れた気がする。これで、あいつらとも戦えるよ」
ロイドは満足げにそう言うブラックをじっと見つめ、ふと自分の足元へと視線を落とす。
「わからないな。どうして、こんな事でその結論に至れるのか、僕にはわからない」
「そりゃ、あんたはあたしじゃないからね。しょうがないさ。あ、もしかして理解したかったのかい? それならそれで結構だけど」
「それも、わからないよ」
「自分のことなのに?」
「うん」
ロイドは相変わらず意思が抜け落ちたような虚ろな目で頷いた。ブラックは微動だにしないロイドに溜息をつきながら、ロイドにも一杯のお茶を淹れた。
「はい、どうぞ。本当はこれ、あんたがやることだよ。客にはお茶くらい出すものさ」
「そうだね。そういう礼儀だって、リディが送り込んできた」
「それがどうして礼儀なのかは、知ってるかい?」
すると、ロイドはきょとんと首を傾げた。彼はその礼儀、仕組み、秩序の外枠は呑み込んでも、その内側に含まれるべき感情を理解していない。
「そっか……じゃあ、これから知るのかな」
ブラックはそう呟いて窓の外を見つめた。青空の中を泳ぐように雲が高く筋を引いていた。そして、シャドウも同じように窓の外の青空を見つめていた。
「じゃあ、姉様、あとは頼んだぞ」
「わかってる。さて、あいつらがどれくらい強いか、楽しみだな」
ブラックは自分の黄金の薔薇の剣に触れながら、キラ達の顔を思い浮かべた。戦っている最中の記憶は無いが、身体は戦いの感覚を覚えている。主の許可さえあれば、遠慮はいらない。今度は自分の意思で本気で彼女等と戦うことができる。自分の腕を試し、成長していくことができる。そう考えると、思わず笑みが溢れた。
「ひぃ……。ったく、ほんと……そこの白いのといい姉様といい、キラ達のこと本気で良い奴らだと思ってる癖にそんなこと言えるの、おっかねえなあ」
シャドウはゾッとした顔をしていた。
「おっかないとは失礼だな」
「実際怖ぇーよ! 下手に敵意や悪意がある奴より、善意100%で殺しにかかれる姉様達の方が余程怖ぇーだろ!」
「善意100%は言い過ぎさ。軍人に善意も悪意もあるわけないだろ」
シャドウはブラックを指しながら遠慮なく本音をぶつけていた。今のシャドウには、先日出会ったような怯えは無い。下手な敬語混じりでおっかなびっくり話をされるより、こちらの方が安心できる。ならば……と、以前から気になっていた癖について指摘してみた。
「全くこの前はウジウジしてた癖に、仮にもおねーさまに向かって、随分失礼なこと言うじゃないか。それならもういっそ、その『姉様』も止めにしたら?」
シャドウの罵倒はピタリと止んだ。
「その呼び方、昔から父様達に目上の人にはちゃんと敬意を込めた呼び方をしろって言われてたからだろ。でも……もうそんな家柄は過去のものだ。もっとフランクに『姉さん』くらいでいいんじゃないの。別に『ショコラ』って呼び捨てにしちゃってもいいよ」
幼い少年のような口調に「姉様」という呼称は似合わない。下手に畏まった口調よりも、図書館の「シャドウ」としての口調のほうがより自由に聞こえる。ブラックはそう考えていた。
しかし、シャドウは少し考え込んだ後に首を振った。
「いや、やっぱ姉様は姉様だ。その方が俺にはしっくりくる」
「そうかい? なら構わないけど……どうして?」
「理由なんてねーよ。ただ、ずっとそう呼んできたからだよ。別に、後悔を断ち切ったからって、過去のもの全部捨てなきゃいけない決まりは無いだろう?」
シャドウは晴れやかな表情をしていた。その顔を見て、ブラックも考えを改める。
「まあ、そりゃあそうだね。持ちたければ、持ってていいものだよね」
そう言うと、ブラックは懐からイオに返してもらったイヤリングを取り出した。今、ブラックが左耳に付けているものの片割れだ。
そうだ、昔の自分の未練を断ち切っても、全てを忘れ去らなければいけない義務は無い。思い出くらいはこの胸に残しておいても構わないだろう。そうして、ブラックは手の中のイヤリングを右耳に付けた。
両耳で揺れるイヤリングを見て、シャドウは「ああ!」と指を指す。
「うっわ……それ、俺が一億年前くらいにあげたやつじゃんか……なんでまだ持ってるんだよ」
「一億じゃないだろ、せいぜい十数年だろ!」
「十数年前のイヤリングなんてもう化石だろ……なんでそんなの付けてるんだよ。もっと新しくていいやつ買えよ……」
「うるさいな! あたしが何付けてようとあたしの勝手だろー!」
ブラックは膨れてそっぽを向く。このイヤリングは、生前に周囲の人々が寝たきりの弟のことを忘れようとしていくのを見て、「自分だけは忘れずにいよう」と思った際に身につけるようになったものだ。だがそのような経緯をこの場で話すことが恥ずかしくて黙っていた。
シャドウが「姉様」などという堅苦しい呼称を止めないならば、こちらもイヤリングをつけ続ける理由を明かす義理も無い。思い出の一部として、持ち続けても構わないじゃないか。そう結論づけた。
「別に姉様が何付けようと構わねーけどさあ。どーせなら良い物買えよ。……あっ、姉様、アクセサリー屋とか行って自分の好みのゴテゴテピンクの可愛いやつ買ってきても、後で付けてみたら自分に似合わなくて絶望するやつだったな」
「うるさいな! ったく、元気になったと思ったら憎たらしいことしか言わなくなったよ。もうさっさと帰んなよ! バレたらまずいんだろ!」
ブラックはそう言い返してそっぽを向いた。長いこと話すこともできていなかったせいで忘れていたが、弟とはこういう憎たらしい生き物だった。
シャドウはひらひらと手を降りながら部屋の扉の方へと向かった。
「へいへーい、じゃあな。次、会う機会があるかわからねーけど達者でな」
「そっちも、元気でね」
ブラックが手を振ると、シャドウはいつか図書館で見た時のような笑顔を浮かべて出て行った。生前、幼くして事故に自由を奪われてしまった為に見ることのできなかった、やんちゃ坊主の笑顔だった。
「はあ、これでやっと一つすっきりしたね」
ブラックは大きく身体を伸ばしてみる。すると、ロイドが隣で呟いた。
「やっぱり、意味がわからないや。この前はぴーぴー泣くわ、ガチガチに緊張していたのが、急に突っかかるようになって……」
「きっと、一度嘘偽り無く真正面から勝負したら、ちょっと自分に自信が持てたんでしょ」
「そういうものなの?」
「ただの推測だけどね。『そういうもの』なんて定型パターンはわからないけど、そういう奴なんだろうなってのは感じたよ」
ロイドはじっと黙り込み、ブラックの顔とシャドウが出て行った扉を交互に見つめた。その様子を見て、ブラックが呟く。
「あんたはやっぱり、人の情にはちょっと疎いね」
ロイドは肯定も否定もせず、ゼンマイの切れた人形のように硬直して何かを考え込んでいた。ブラックはロイドの背中を強く叩く。
「うわっ」
「ほら、さっさと立ちな。行くよ」
「行くって何処に?」
「飯だよ飯。練習が終わったら飯だろ。この前は突然逃げやがって。今日は逃さないからな。ショコラと三人で飯だからな!」
ロイドの頬が林檎のように染まり、人形の無感情な目は一瞬で消え去った。
「さ、三人!? いいよ、ご飯ならあの子と二人で食べなよ!」
「いいや、三人だ。全く、ショコラも困ってたんだぞ! いいからさっさと付いて来る!」
ブラックはロイドの服の襟を掴むと、引き摺るようにして食堂へと向かった。ロイドはしばらく抵抗していたが、やがて諦めて大人しくブラックの後ろを歩いていった。
「素直になれる時になっておいた方がいいって。それどころじゃなくなる前にさ」
◇ ◇ ◇
空は白い雲で覆われ、雪がちらつき始めていた。シャドウはローブで頭を隠しながら、学校の敷地を飛び出し、中央広場へと向かった。
気分は晴れやかだった。長いこと喉につかえていたものが取れた気分だ。生前の記憶が頭に浮かぶ。シャドウが寝たきりになる前から、ブラックの才能には多くの人が注目していた。シャドウは姉を尊敬する反面、どこかコンプレックスを抱いていた。
長い時が過ぎれば過ぎる程、その劣等感は強くなっていた。貴族の長男ともなれば確かな実力を求められるはずなのに、自分は力を試すことすら許されない。そのような後悔が、この短い時間で晴れたように思えた。
「あとは、ちゃんと『図書館のシャドウ』に戻らねーとな」
中央広場にたどり着くと、シャドウは適当な樹木を探し、その影に隠れる。あとは小悪魔の姿に戻り、図書館へと帰るだけだった。
シャドウは左の中指の指輪に触れる。それは小悪魔の姿の時にチョーカーとして使っていたものだ。これを指から外せば、小悪魔の姿に戻る。
だが、判決はその時に下った。
「これだけ証拠が揃えば十分でしょう」
聞き慣れた声が、「敵」へのものとして向けられていた。目玉の付いた幽霊のような生物──ホロがシャドウの周囲を取り囲んでいる。
シャドウの足が震える。心臓が非常警報を鳴らす。一番巨大なホロの上から、彼女は裁判長のようにシャドウを見下ろしていた。
「さてシャドウさん、使い古された文句ではありますが、一応お尋ねしておきますね。これはどういうことです?」
ルイーネがパチンと指を鳴らすと、ホロ達の目が光り、幾つかの映像が宙に映し出された。それはここ数日間の、シャドウとブラック達との会話の映像と音声だった。ブラック達に連れ去られてからのことも、今日この姿でブラック達と話していた時のことも、全て筒抜けだった。
ホロ達の視線がシャドウ一点へと集まる。刑の執行の時を今か今かと待っていた。
「ル……ルイーネ、俺は……」
「私も仲間に手荒な真似はしたくありません。詳しくお話を聞きたいので、大人しくご同行いただけます?」
「オズの……指示なのか……?」
「いいえ、私自身の判断です。勿論、適宜オズさんへの報告はしておりましたが」
膨らみかけた期待が最悪の形で弾け飛んだ。姉様への蹴りをつけた途端にこれだ。生前の独りぼっちの暗闇が頭を過ぎる。
気づくと足はルイーネと反対方向を向き、勢い良く駆け出していた。
「逃しません」
ホロ達が牙を剝く。シャドウにとってのたった一つの居場所はこの時儚く崩れ去ったのだった。




