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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第13章:儚き影の独唱
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第13章:第10話

「って感じが、あたしが生き返った時の経緯だったと思うけど……」


ブラックはロイドを連れて図書館へと向かいながら、自分が生き返った時の出来事を確かめていた。


「リディもメディもあの時あたしの弟のことなんて殆ど話題に出さなかったじゃないか。仮に図書館に居るシャドウってやつがヴェルだとしたら、一体いつどうやって小悪魔にして図書館に放り込んだんだよ」


ロイドは話を聞きながら自分の考えを述べた。


「『どうやって』の部分は神様が二人も居るんだから考える必要無いとおもうけど……『いつ』の方を考えるとしたら、まず怪しいのは君を試す任務の話が出た時にメディがリディにだけ話した『条件』だよね」


「あたしはそれが擬似人格がどうのみたいな話かと思ってたけどね。でも……」


「仮に図書館に居るシャドウって人が君の弟だとしたら、なんでリディはそのことを僕らに話さなかったんだろうね。絶対リディが関わってなきゃそんなことできないじゃないか」


「メディに口止めされてたんじゃない?」


「リディ自身が言いたくなかったのかもよ。リディは結構メディやイオを上手く使ってるところあるから」


「そうかなあ。そんな人には見えないけど」


「そう? リディってそういう技術がある人じゃないかな?」


「上手く使う」という言い方にブラックは首を傾げる。心優しく聡明なリディがメディやイオを威圧的に使役するような真似ができるとは思えない。それほど強気に出ることができるなら、メディの脅迫など振り切ってオズのところへ戻っているはずだ。


「ま、とりあえずそれはいいや。それより、あたし一つ気づいたんだけど、仮にシャドウがヴェルだとしたら種族がおかしいよ。シャドウって小悪魔だろ? あたしの弟は、あたしと同じ天使族だよ」


「確かに、それはよくわかんないねえ……まあ、それも確かめてみればわかることだよ。君の弟本人じゃなかったとしても、イオの反応を聞いている限り、全くの無関係ってことはなさそうだし」


そう話しているうちに図書館の姿が見えてきた。雪の降り積もる通りにぽつんと建っている。周囲にあまり店や民家が無いあたり、館長の村での立場が透けて見えた。

二人はすぐに建物には入らず、建物の周囲の気配を確かめる。それから窓の付近で耳を澄まし、おおよその人数と誰が居るかを推測する。

オズが居たらその時点で撤退するしかない。ルイーネもできれば居ない時を見計らった方が良い。その日の図書館は静かだった。ルイーネのお叱りの声は聞こえてこないので、オズとルイーネが揃っている可能性は低そうだが、内部を見たわけではないので安心はできない。


「ショコラ、どうする?」


「片方が人目を引きつけて、もう片方が捕まえる。相手は一応小悪魔だし、空間系の魔法使えば手早く捕まえられるはず。囮はあたしがやるから、あんた捕まえてきてよ」


「いいけど、もしオズが居たらどうするの?」


「そりゃああんた……中に入る前に回れ右だよ」


「りょーかい。よかった。あいつあまり好きじゃないから、できるだけ顔合わせずに帰りたいし」


その時のロイドは眉間に皺を寄せて不快感を顕にしていた。その反応はブラックにとっては興味深かった。


「珍しいこともあるもんだね。あんたが人をそんなふうに嫌うなんて」


「だって……あいつが、大昔にあいつがリディを裏切って最古の魔法使いの研究を完成させたから、その研究に興味を持った人が居て……僕やあの子のように人体実験される子が出たんじゃないか」


ロイドは深く俯き、震えている。その指摘は正しい。一応人体実験が非人道的なものだということは理解しているのだろうか。


「まあ、人体実験なんて糞喰らえっていうのには同意するけど、なんか変だな。オズさんは別に実験をしていた側じゃないし、その実験をまたやる奴が居るなんて思ってなかっただろうし、あんたと同じ被害者でもあるんだよ。恨むならあんたらを実験に使った研究者も一緒に恨むべきじゃないの」


「……え? どうして研究者を恨む必要があるの?」


「は? いや、だって今……」


ロイドはきょとんとしている。自分を実験に使った人々のことなどまるで頭に無かったという顔だ。イオにメディにリディ……確かにあの環境に居れば研究者達よりオズの話を散々聞かされるだろうしそちらに注意が行くだろうが、だとしてもこのような嫌い方をするのは解せない。

ロイドの感情が大きく動くのは主にホワイトが関わった時……そう思った時、ブラックは一つ思い出した。


「あ、もしかして、オズさんがショコラ連れて旅行とか行ったりしてたからちょっと嫉妬してる? ゼオンの姉繋がりでオズさんとショコラって結構頻繁に話してるみたいだし」


ロイドは目を見開いて硬直した。図星だ。ブラックは声を殺しながら笑った。それを見てロイドは慌てふためく。


「だ、だ、だって、だって……あまりこういうこと思うべきじゃないってわかっててもモヤモヤするんだもん……」


「あはは、別に嫌ってることを批難する気は無いさ。誰だって嫌いな人は居るし、それはそれで必要な感情。安心しなよ。ショコラはたしかにオズさんと仲良いけど、好きとかそういうわけじゃないって」


「そ、そうなのかな。いや、そうじゃなかったとしても、あいつはリディの好意に気づいていながら裏切ったっていうし、そんな奴をあの子に近づけるの多分よくない……」


「考えすぎだって。それにオズさんにはリディが居るってはっきりしてるし大丈夫だよ」


「そーかなあ。はあ……なんであいつがモテるんだろう……高身長のイケメンなんてイケメンなんて……」


ブラックはヤドカリのように丸まってしまったロイドを慰めた。ホワイトを距離を取っておきながら、やはり他の男が近くに居ると悔しいようだ。オズについては心配する意味が無いと思うが、そう嫉妬する様子を見ると、やはり少しでもロイドはホワイトと良い思い出を作っておくべきなのではないかと思う。

すると唐突にロイドは言った。


「というか、君はオズのこと嫌じゃないの? メディもイオも嫌みたいだから、それが普通かと思ってたけど」


「あたし? あたしは別に嫌じゃないけどなあ。10年もリディの帰りを信じて待ってるんだろ? 良い人じゃん」


「……うわ、そう言うと途端に聖人のように聞こえてきた。ショコラ、多分君、キラとかと同じで騙されやすいと思うから気をつけなよ……」


ロイドは眉間を皺だらけにしていた。こうして突入するタイミングを忘れてお喋りに転じていた時だ。図書館の中から声がした。


「じゃあ、ちょっとゴミ捨ててきて」


女の声だったがルイーネではない。図書館に他に女が居たか思い返してみたが、あまり頻繁に図書館に来ないブラックはまず図書館に居る面子を思い出せなかった。

ブラックはロイドと共に建物の影に隠れる。もしルイーネ等が外出するようなら人数が減って好都合だ。扉が開き、掌程の大きさの塊がゴミ箱を持って出てきた。

それは赤い髪に赤い瞳の少年だった。


「あいつ! ショコラ、あいつだよ! シャドウ!」


「え、は!?」


「確保! 早く!」


いきなり大当たりが降ってくるとは思っていなかったため、慌てて扉の前に飛び出したブラックは勢い余ってシャドウが抱えていたゴミ箱を蹴飛ばした。


「うぇ? うあああああああああ!!」


情けない声をあげてシャドウはゴミ箱と共に吹き飛んだ。


「ちくしょー! いきなりなにす……」


地面に叩きつけられたシャドウは怒鳴ろうとしたが、ブラックの顔を見た途端、表情が凍りついた。ブラックは片手でシャドウを捕まえて握りしめる。


「少し話があるんだ。付き合ってもらうよ。いいね?」


そう言われたシャドウは抵抗もせずに肩を竦めた。先程までの元気は消え去り、石のように黙って動かず、死んだような目をしている。


「はい…………姉様」


シャドウはそう小さく呟いた。ブラックはロイドに告げる。


「ロイド、捕まえた! 逃げるよ!」


ロイドが建物の影から出てきた時、ちょうど図書館の中からももう一匹小悪魔が出てきた。長い金髪を二つに結った少女だった。


「ちょ、ちょっとシャドウ、なにがあって…………え、なにこれ? シャドウ? あなたたちこれ……」


少女はブラックとロイドを見て、ブラックの手にシャドウが収まっているのを見ると、真っ青になって叫んだ。


「きゃあああああああ! 人攫い、いや、小悪魔攫いいいいいいいいい!! シャドウに何すんのよお!!!」


「やっべ、逃げるよ!」


ブラックはロイドをもう片方の手で担いで一目散に逃げていった。金髪の少女の金切り声を聞きながら、ブラックの手の中のシャドウは今にも泣きそうな顔をしていた。



◇◇◇



ブラックの部屋はイオが居座っている為、二人はロイドの部屋でシャドウの話を聞くことにした。シャドウを鷲掴みにしたままロイドの部屋に入ると、ブラックは窓と扉が閉まってることを確認してからシャドウを手から放した。

解放されたにも関わらず、シャドウは微動だにせず、死んだような目をして俯いていた。これまで図書館でシャドウを見かけた時はブラックの弟のイメージは全く繋がらなかった。オズ達と共に居る時のシャドウはたしか陽気で悪戯好きといった印象で、死に際に見た弟の面影は無い。しかし、こうして改めて向き合ってみると印象が変わってくる。暗く沈んだ表情は、あの病棟で眠っていた弟の顔を思い起こさせた。


「そこまで硬くならなくていいよ。別に物騒なことをする気はないんだ。ただ話がしたいだけだよ」


そう言ったが、シャドウは暗く俯いたままだ。「参ったな」とブラックは頭を掻く。これではまるでブラック達が必要以上にシャドウを追い詰めてしまっているようではないか。

シャドウの赤い髪と目は弟のものとよく似ている。捕まえた時に「姉様」と呼んだことからも、ほぼロイドの推測が当たっていたと考えて間違い無いだろう。

しかし、質問を始める前から既に死んだような目をしているシャドウを見ていると、ブラックは問い詰めることを躊躇してしまうのだった。ロイドはその様子を見ると、溜息をついてブラックの代わりに問いかけた。


「んで、君がショコラの弟ってことでいいの?」


「ちょ、ちょっと! そんなはっきりと……」


「うん、ごめん。でもこうでもしないと、ショコラってば何も言い出さないだろうし……」


シャドウは更に肩を竦めて俯いた。声一つ発さず、ブラックとロイドの声だけが虚しく木霊する。林檎よりも小さな身体を更に縮こませる姿は本当に弱々しくて、生前の弟の触れただけで折れそうな手足を思わせた。

もう何を答えてもらう必要も無かった。この小悪魔は紛れも無くブラックの弟、ヴェルシャドウだと思った。


「どうして、いつからそんな身体に?」


ブラックが尋ねると、シャドウはようやくぼそぼそと


「……姉様と同じ時だよ。姉様が殺された直後に殺されて、姉様とほぼ同時に生き返らせられた。姉様があの学校に入れられた頃に、俺はこの姿で図書館に行くように誘導された。」


と答えた。薄々その予感はしていた。特に生き返らせられたタイミングについてはメディがリディに出した「条件」の話があったので特別驚くことはない。しかし、死んだ理由については別だ。


「直後に殺されたって、どうして? いや、そもそも元々病院に寝たきりだったのにどうして自由に動けたんだ?」


シャドウは石のように黙って動かなかった。その表情に「図書館の小悪魔シャドウ」としての陽気さは無い。ブラックの爪の先より小さな唇から絞り出すように言葉を吐く。


「……クーデターの主犯で、今の王家のエヴァンス家。ある時にそいつらがやってきて協力を持ちかけてきたんだよ。特別に作らせた薬と魔法を組み合わせて君に数時間だけ自由をあげる。その代わりに、俺の家族を殺せ……って」


「それで、その誘いに乗ったのか」


「うん。それで、姉様を殺した直後に『もう不要だ』って刺された」


死の間際に聞いた抑揚の無い声、それとは裏腹に激情に満ちた弟の顔、弟を取り囲む鎧の兵士達を思い出した。エヴァンス家がしたことは許されないことだが、不思議とブラックは憎む気にはなれなかった。それは、それ以上に気がかりなことがあったからでもある。

ブラックは肩を竦めながら問いかけた。


「なあ、やっぱりあたしは……殺したい程に憎まれていたのかな」


弟から返事は無かった。代わりに、溜息が返ってきた。十数年分の憂いを吐き出したような重く淀んだ吐息だった。


「あたしが注目されたせいで、あんたを気遣う人達を取っちゃったし、そのせいで元々はあんたのものだった父様の期待も奪っちゃったし、それに……忙しくてしばらく見舞いに行けなかったし」


シャドウは答えない。ただ俯き、正に影のように沈黙する。気の遠くなるような時間が流れた後、ようやく彼は口を開いた。


「全く恨んでいなかったかと言われたら嘘になる。でも、姉様が思っているようなのとは多分違う。俺は……そんなに強くねーんだよ。昔も今も」


シャドウはブラックの爪の先程の小さな手で膝を抱えた。恐らく今、シャドウに重い辞書を載せたら容易く潰れるだろう。風呂の浴槽に放り込んだだけで溺れるだろう。頭を優しく撫でただけで泣くだろう。彼はそんな脆くて弱い生き物だった。


「恨んでた理由もね、くだらねーんだ。今、姉様はいくつか恨みの理由を挙げてみただろ。合ってるのはね、その中の一つだけだよ。最後のだけだ。しばらく見舞いに来てくれなかったから寂しかった。たったそれだけで殺したんだ。しかも、その小さな不満も殺した瞬間に消えた。殺した瞬間に、本当は何も憎んでも恨んでもいなかったことに気づいた……ばかみてーだろ……?」


弟は今にも泣き出しそうだった。その姿を見ていると心が痛む。それなのに、ブラックは今の話に理解が追いつかなかった。


「えっと、わからない……あたしが、見舞いに来れなかったのが不満だったの? それだけが殺すほど辛かったの?」


「正しくは、ただ辛かっただけだけどな。殺すなんて、エヴァンス家の奴らにそうしろって言われるまで思いつきもしねーよ。でも、そうしろって言われたから……そうしたんだ」


「わからない、わからない……殺したいと思ってもいなかったなら、なんでそんな誘いに乗っちゃったんだよ……。人を殺すなんて、そんなことするからには、余程の理由があるはずだろ……。っていうか、あたしが人の目を奪ってしまったことより、ただ見舞いに行けなかったことの方が辛かったっていうのもわからない……。だって、あたしが注目を集めなかったら、あたしが見舞いに行けなくても、誰かが見舞いに行ってくれたかもしれないんだよ?」


何度考えを巡らせても、ブラックにはシャドウの思考が理解できなかった。軽率に人に対して「理解した」等という言葉を使うことは失礼かもしれない。だが、せめて思考の流れを想像することくらいはしたいと思っている。しかし、今それができない。

人が何か物事を行うのには理由があるはずだ。それが、人の命を左右することならば尚更強固な理由が必要なはずだ。だが、シャドウの話はあまりにもその理由が弱い。それなのに、今のシャドウはその理由には見合わない程に深く苦しんでいるように見える。そのことがブラックには理解できなかった。


「やっぱ、姉様は強ぇなあ。俺には……無理だよ」


「強いとか弱いなんて問題じゃないだろ? 物事に理由があるのは普通のことじゃないか」


「だから、そういうとこが強ぇんだよ。物事の理由をいちいち考えながら行動できる奴なんて、もうそれだけで強ぇよ」


ブラックは未だに相手が言いたいことを飲み込めない。そんなブラックを見たシャドウは一瞬苛立ったような目つきを向けた後、再び何かに傷ついたように泣きそうな目になって俯いた。


「じゃあさ、さっき『姉様が皆の注目を奪った』って言っただろ。……俺がそんなこと気づいたと思うのかよ?」


「え……?」


ブラックは困惑した。これまで、弟が自分を恨む理由として最も大きなものはそれだと思っていた。『それに気づかない』という意味が理解できない。何かの婉曲的意味かと思った時、シャドウは無慈悲に告げる。


「そんなこと、今初めて知ったんだけど。」


「え……」


「生前の俺は腐らない死体みたいなもんだったんだぜ。目も開けられない、指先一本動かせない、真っ暗で、一人で、音がほんの少し聞こえるだけで……誰も居なくて……ずっとずっと、そんな世界がずっとずっと続いてて……そんなところで、姉様が何をしてたかなんて、わかるわけねーじゃねえか……」


愕然とした。ブラックは自分が愚かだったと明確に理解した。「ブラックが皆の注目を集めた」……それは自分の視点から見た妄想に過ぎなかったのだ。ブラックは「弟の意識が戻っていた」ということは想像すらしていなかったというのに。そのような矛盾とエゴに塗れた妄想をどうして持ち続けていられたのだろう。


「あの頃、意識……あったんだ。瞼を開けることもできなかったのに」


「うん……あったよ。エヴァンス家の奴以外は結局誰も気付かなかったけどな。身体は全く動かなかったけど、意識だけは残ってた……意識も一緒に消えてれば、何も辛くなかったのにな」


ブラックは自分の考えの浅さを恨んだ。身体は動かないのに意識だけは残り続ける。それはどのような気分だろう。辛いのだろう、寂しいのだろう……だが、そのような曖昧な想像しかできず、ブラックは自分の想像力の乏しさを痛感する。唇を噛んで俯くブラックを見てシャドウは溜息をついた。


「姉様がそこまで落ち込むことじゃねーよ。気づかなくって当然のことだしな」


「でも、あたしがもっと早くそのことに気づいていれば、エヴァンス家につけこまれることも……」


そう口走った途端、シャドウの目は激情に染まった。死に際の時に見たような、あらゆる負の感情をかき混ぜて押し込めたような目だった。


「ああ……やっぱ、つえーな。姉様は。だから無神経だ」


ブラックの脳裏で少し前にイオに言われた言葉が重なった。「無神経だ」と。シャドウの怒りの火はすぐに燃え尽き、淡々と語り始めた。


「あいつらのことは……そうだな、酷い奴らだったけど恨んではいねーな。結局、あいつらが俺の日常を変えたことだけは事実だったんだ。殺されて良かったとすら思う。病院に戻されてまた同じ生活に戻らなくてよかった」


ブラックはシャドウの言葉一つ一つに傷ついていたのに、共感は全くできなかった。そのことに何よりも傷ついていた。これがブラックの無神経さなのだろうか。「殺されて良かった」という言葉を吐けることに軽い怒りすら覚えてしまうのはブラックが冷酷だからなのだろうか。


「……死んで良かったなんて言うなよ」


「生きててよかったなんて言えっていうのか? あんな地獄で?」


そして、シャドウは使い古されたであろう悲哀の言葉を吐いた。


「姉様にはわかんねーよ」


頭痛がした。イオも似たようなことを言っていた。そして、


「わからないなんて言うくらいなら……」


思わず「わかるように説明しなよ」と口走ろうとして、我に返った。シャドウは膝を抱えて丸まったまま、目だけで訴えていた。その目はあの死に際に見た目と似ていたが少し違う。怒りではなく「苦しい」と訴えていた。


「朝が来ないんだ。昼も無いんだ。夜もわからない。目が開かないし、身体も動かない。いや、もう、身体なんて目なんて何なのかもわからなくて、それで……」


シャドウはぶつぶつと「ブラックが求めたとおり」説明しはじめた。震えながら、怯えながら、傷をなぞるように。


「することがない。真っ暗なんだ。声が出ない。誰も居ない。今何時かもわからない。よくわからない音がするけど何の音かもわからない。することがない。つらい。だれもこない。だれも俺を呼ばない。だれもいない。何も話せない。何も食べれない。することがない。なにしよう。なにもできない。なにも見えない。今日何日だろう。わからない。だれにも言えない。なにも見えない。いつまでつづくんだろう。なにしてればいいんだろう。つらい。することがない。ひつじでも数えてよう。でもひつじがおもいだせない。でもとりあえず数えよう。いっぴき。にひき。かぞえてるうちに、うっかりめがさめたらいいな。さんびき、よんひき。それか、こんな意識が消えたって、いいかもな。ごひき、ろっぴき。なにもみえない。ななひき、はっぴき。なんかいたい。きゅうひき、じゅっぴき。でもどこがいたいんだろう。わからない。じゅういっぴき、じゅうにひき。なにもいえない。じゅうさんびき。じゅうよんひき。くらい。こわい。じゅうごひき、じゅうろっぴき。だれかこないかな。じゅうななひき、じゅうはっぴき。さいごにだれかきたのいつだっけ。じゅうきゅうひき。にじゅっぴき。とうさまとかあさまのこえ、どんなだっけ。にじゅういっぴき。にじゅうにひき。ともだち、どんなやついたっけ。にじゅうさんびき、にじゅうごひき。だれかこないかな。にじゅうろっぴき。にじゅうななひき。だれもこないな。にじゅうはっぴき、にじゅうきゅうひき。ねえさまこないかな。さんじゅっぴき、さんじゅういっぴき。しゅーくりーむ、たべたいな。さんじゅうにひき、さんじゅうさんびき。だれもこないな。さんじゅうよんひき、さんじゅうごひき。なんでこないのかな。さんじゅうろっぴき、さんじゅうななひき。おれのことわすれちゃったのかな。さんじゅうはっぴき。だれか。さんじゅうきゅうひき。なにかきて。よんじゅっぴき。つらいよ。よんじゅういっぴき。こわいよ。よんじゅうにひき。おれはだれ。よんじゅうさんびき。なにかぞえてるんだっけ。よんじゅうよんひき。ここはどこだっけ。よんじゅうごひき。おれいきてるのかな、しんでるのかな。よんじゅうろっぴき。いきてるってなんだろ。よんじゅうななひき。しんでるってなんだろ。よんじゅうはっぴき。つらいよ。よんじゅうきゅうひき。こわいよ。ごじゅっぴき。さみしいよ」


一言一言、説明していく度にシャドウは胸を抑えて涙をぽたぽた流す。あまりにも痛ましくてブラックは見ていられなかった。羊を数える声が頭を殴りつけるかのように深く響いた。それなのに、シャドウの痛みと苦しみは強烈な程に刺さってくるのに、ブラックには実感が沸かなかった。

ブラックは過去の自分を悔やんだ。シャドウの苦しみが伝わってくるからこそ、あまりにも救いが無いその状況は自分から見ると遠いものにしか思えない。「理解できるように説明してほしい」と思っていたはずなのに、現実は「説明すればするほど理解から遠ざかっていた」。


「にひゃくさんじゅうはちまんごじゅういっぴき。きょうもなにもなかった。にひゃくさんじゅうはちまんごじゅうにひき。あ、きょうもあしたもきのうもないんだった。にひゃくさんじゅうはちまんごじゅうさんびき。なにもなかった。にひゃくさんじゅうはちまんごじゅういよんひき。なにもなかった。にひゃくさんじゅうはちまんごじゅうごひき。なにも……」


「もういい、もういいよ!」


思わずブラックはそう叫んでいた。シャドウはゼンマイが切れたように言葉を発さなくなった。お互い、傷を庇うように小さく蹲った。ロイドが毛布を持ってきてブラックの肩にかけた。その毛布で身体を暖めながら、必死でその辛さを想像しようとした。


「わかんねーだろ?」


シャドウは見透かしたように言った。


「わかんねーのに、怖ぇだろ?」


ブラックは小さく頷いた。


「だから、姉様には、わかんねーんだよ。俺も姉様のように強い奴のこと、わかんねーもん……」


心が釘を打ち付けられたように痛かった。肩を竦めて縮こまることしかできなかった。シャドウの言うとおり、彼の苦しさはブラックには遠すぎた。だが、話を聞いているうちに一つだけ伝わったことがある。


「確かに、あんたの苦しさはあたしには想像がつかなかった……。確かに、無神経なこと言ったね。謝るよ。でも……あんたが『家族を殺せ』誘いに乗った理由は、なんとなくわかった気がする」


ブラックは恐る恐る手を伸ばし、指でシャドウの頭を撫でた。少し力を入れすぎただけで潰れてしまいそうな程に小さな頭だった。


「あんた、寂しかったんだね」


シャドウは頷いた。


「うん……寂しかった。すごく寂しかった。だから、姉様がお見舞い来てくれた時はすごく嬉しかった。来てくれない日が続くと怖くなった。忘れられたんだって。見捨てられたんだって。それで、許さないって憎んでた。恨んでた。馬鹿だよな……姉様だって忙しい時くらいあるってのに。でも、そんな正気で物を考えられる領域はとっくに終わってたんだ。あいつらに『一時的にでも目を覚ませるかもしれない』って伝えられて、飛びついた。もう生きるとか殺すとか、もうよくわからなくなってたんだ。それで……」


シャドウは指で首に一本線を引いた。頬を涙が伝った。


「それで、姉様も、父様や母様も言われるがまま皆殺したんだ。『なんで誰も来てくれないの』って憎みながら。でも、全部終わった瞬間に気づいたんだよ。ただ寂しかったんだ。誰かに構ってほしかった。ほんとに、それだけだったんだよ……」


シャドウは小さな両手でブラックの指を掴んで啜り泣いた。


「ごめんなさい……わるいことして、ごめんなさい……」

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