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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第13章:儚き影の独唱
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第13章:第5話

広場で話すのは止めておいた方がよかったかもしれない。周囲には雪が降り積もっており、上空は厚い雲に覆われており、しばらく太陽は顔を見せそうにない。

これでは益々気分が憂鬱になるかもしれないと思ったが、キラが今はあまり人が多いところに行きたくないと言うのだ。ゼオンは自分のコートをキラにかけて、ベンチに座らせた。


「あんた、コート無いと寒いでしょ。あたしはいいから着なよ」


「いや、別にいらない。最近それほど寒くないだろ」


「……寒いよ? 雪積もってるんだよ?」


「なら着てろ。俺はそれほど寒さを気にしてないってことだよ。それで、話って何だ?」


そう言うと、キラはキュッと唇を噛んで小さく縮こまった。それから、泣きそうな声で言った。


「ゼオンはさ、結構ロイドと仲が良かったよね。ロイドが敵だったことどう思った?」


「まあ……多少悲しかったのは確かだな。まともな男友達できたの初めてだったから……」


正直に答えると、キラは膝を抱えて顔を隠し、震える声で言った。


「だよね。あたしも、すごく悲しくて……それ以上に、なんだか怖くなっちゃったの。ロイドが怖いっていうより、終わりが見えないことが……あと何回裏切られるのかな。こんなことがあと何回続くのかな。もう終わりなんてことないよね。まだ、あんたが倒れた元凶が見つかってないもん……まだ、まだまだ終わらないんだよね……」


あの太陽のような笑顔が見えなかった。キラが傷つき、泣きそうになっている。たったそれだけでゼオンは息が出来なくなる程苦しかった。おそらく、ゼオンは自分が痛めつけられようと裏切られようとさほど「悲しい」とも「苦しい」とも思わないだろう。それなのに、それがキラだっただけで落ち着いていられない。

『あなたはこの声に逆らえない』──メディの言葉が呪いのように蘇り、突き刺さった。どれほど冷静でいようと心がけてもキラが喋り、笑ったり悲しんだりするだけで容易く平静が溶かされることが恐ろしかった。


「何を信じればいいか、わからなくなってきちゃったの。信じて、裏切られることが怖くて……もう信じられる人なんて誰も居ないような気がしてきちゃって……」


キラの涙ぐんだ目や震える声を聞く度に「なんとかしなくては」という想いに取り憑かれる。しかし気が利く言葉など全く思いつかず、ゼオンはただ隣に居ることくらいしかできないのだった。

「自分が最初に人に裏切られたのはいつだったっけ」と考えてみる。そうだ、恐らく父と母だ。初めはあの二人も普通の親としてゼオンに接していたのだ。自分が吸血鬼の血を引く子だと知った途端、父はゼオンを蔑むような目で見るようになり、母はゼオンを不満の吐け口として扱い暴力を振るうようになった。

二人の態度が一変した時、ゼオンは今のキラのように泣いたのだろうか。ゼオン自身は思い出せない。その後もクロード家の様々な人々に期待させられては裏切られを繰り返したはずだが、もうその経験も「よくあること」として忘れてしまっていた。

こう言うとキラに大変失礼だが、ゼオンはこうして悲しい時に泣けるキラが眩しく見える。傷ついた弱々しい姿さえ、ゼオンには手の届かない遠いものに見えるのだった。

しかし──とゼオンは俯く。こうした経験を繰り返すうちにキラもゼオンやティーナやルルカと同じ道を辿っていくのだろうか。悪意を笑顔で隠す世界を当然のものと受け入れていくのだろうか。そう考えかけた時、キラはゼオンにこう尋ねた。


「ねえ、あんたはなんであたしのこといつも助けてくれるの?」


ゼオンの心臓がガクガク音を立てるのと同時に、キラの鈍さと素直さを少し恨んだ。


「別に疑ってるわけじゃないんだ。むしろ本当に感謝してる。でも、だからこそわかんなくて……お姉ちゃんと戦った時も、イオ君が本性を見せた時も、あんたはあたしを庇って戦ってくれたよね。なんでそこまでしてくれるの? 戦ったら絶対傷つくし、痛いはずなのに、あんたはなんでそこまでしてくれるの?」


雪が積もる程寒いはずなのに、頬が火照って何も言えなくなってしまった。心臓の音ばかりが聞こえ、口は全く言うことを聞かず、なんと答えれば良いかもわからない。

ようやく出てきた言葉は自分でも呆れる程に稚拙だった。


「馬鹿だ……」


「え?」


「お前は、本当に……馬鹿だよ……」


キラはシュンと肩を竦めてしまい、ゼオンは「失敗した」と自分を責めた。どうしてこううまく言葉が出ないのだろう。励ましたい気持ちとは真反対の言葉ばかり吐き出す自分が嫌になる。「落ち着け」と自分に言い聞かせて、ゼオンは改めてキラに伝える。


「別に、責めたわけじゃない。その、疑いすぎるのも良くないというか、今更そんなこと言うなんてお前らしくないし、それに……ええと……」


自分言い聞かせれば言い聞かせるほど、視線が泳ぎ、思うように言葉が出ない。爆発寸前の心臓を抑えながら、ゼオンは小声で呟いた。


「悪意一色とも限らないと思う……お前のそういう馬鹿なところを信じてて、放っておけない奴も、多分……居ると、おもう……」


そう言った直後、ゼオンは思わず自分の口を抑えた。今、ものすごく恥ずかしいことを口走った気がする。


「ほ、ほら、ティーナとか、ルルカとか、あいつら根はいいやつだし、それに……」


思わずそう付け加えたが、口に出した後に今度は余計なことを付け加えたような気がしてゼオンはまた落ち込んだ。駄目だ、なにもかもが駄目だ。キラを励ましたかったはずなのにゼオンの方が全く関係の無いことで落ち込んできてしまった。

ゼオンがうなだれていると、キラがこちらをじっと見つめる。その視線にまた胸が激しく音を立て始めた時、キラの悲しげな表情が和らぎ、暖かくゼオンに言った。


「なんか、ありがと。励まそうとしてくれてるんだよね」


その言葉一つで暗く落ち込んだ気持ちが晴れる。励ましたい気持ちが伝わった。それだけでもうお腹いっぱいで、落ち込みかけたことなどもう忘れていた。

しかし、同時に恐ろしくなるのだった。キラの言動に一喜一憂する度に脳裏でメディの言葉が蘇る。『あなたはこの声に逆らえない。今にあの子の為なら身も心も捧げるようになるわよ』──それを「恐ろしい」と感じる心すらいずれ溶かされてしまいそうだから、余計に。


「……ロイドが裏切って、セイラが消えて、辛い気持ちは多分俺にもよくわかる。励ますとか……なかなかうまくできないけど、話を聞くのと、泣き止むまで待ってることくらいは俺にもできるから……それで、」


「泣き止む」という言葉が出た途端、キラの背中が小さく震えた。思わずゼオンも震え上がる。キラの眼は明らかに涙で潤んでいたので、そのような様で悲しみを隠しているつもりになっているとは思わなかった。


「バレてたんだ。今にもまた泣いちゃいそうだって」


「むしろ隠せてると思ってたことの方が驚きだ。まだ悲しいんだろ、泣きたいんだろ。どうせ誤魔化したりするの下手糞なんだから、泣きたきゃ存分に泣けよ。その……気が済むまで待ってることくらいは……できるから」


そう言ってから、ゼオンはまた恥ずかしいことを言ったような気がしてキラから目を背けた。


「うん……ありがと」


キラの表情は見えないが、そう言った後に小さく啜り泣く声がした。ゼオンはじっとその声を聴きながら待ち続けた。そっと視線を横に向けると小さく丸まったまま動かないキラが居る。本当は、ここで何か気の利く言葉をかけるものかもしれない。しかし、かける言葉も手を伸ばす勇気も無く、ゼオンは無念を胸に隠しながらただキラの隣に居続けた。

もっと自分が強ければセイラを守ってやれたのに、自分の勘がより強く働いていれば、ロイドが正体を現した時にも傍に居られたはずなのに。それができなかった自分にこの手を伸ばす資格など無いとゼオンは思った。


「ごめんね。あたし、すぐに泣いて」


キラは潤んだ瞳をこちらに向ける。


「……別に、無理に笑うよりマシだ。笑顔を強引に作るなら、素直に泣くほうがいい。気が済むまで泣いて、泣き疲れて、少し落ち着いたら、そしたら……」


あまりにも気恥ずかしくてその先の言葉は出なかった。「また、笑ってほしい」という願いは自分の中にだけ留めておくことにした。

キラは独り言のように吐露する。


「ロイドのこと友達だと思ってたのに……悲しいよ……酷いよ……」


「うん、俺も、そう思う」


「セイラの望みを一緒に叶えてあげたかった……助けたかった……見届けたかった……それくらい、強くありたかった……」


「……うん」


「みんな仲良く、幸せになってほしいのに……なんでなれないのかなあ……」


「…………うん」


ゼオンはキラの独り言に耳を傾け、頷いた。

空から舞い降りる雪が涙のように見えた。「待っている」とは言ったものの、隣で泣くキラに何も出来ない自分がもどかしかった。せめて、肩からずり落ちかけているコートを掛け直そうと思ったが、指が肩に触れる直前でやはりその手を引いた。その隙にキラは自分でコートをかけ直した。

ゼオンは自分が倒れた直後にキラがタルトを持ってきてくれた時のことを思い出す。「お前は、皆を大事にする奴だよな」──あの時自分が言ったことは当たっていたように思う。そして、僅かな自分の欲にそっと蓋をする。

「夢はいらない。何も変わらなくても構わない。あいつが、あいつらしく笑っていれば十分だ」──ゼオンは自分の言葉を再確認してキラを見守り続けた。キラが弱音を吐いた時は静かに話を聞いて頷いた。キラが落ち着き、また笑えるようになるまでの手助けさえできればそれでよいと思った。キラを支えてきた「皆」のうちの一人として。


何十分経っただろう。キラの泣く声も徐々に止んできた。キラの顔も次第に上を向き、身体を伸ばしたり深呼吸をする余裕もできてきた。

泣いてる様を見守っている時は「自分はとんでもなく冷酷なことをしているのではないか」と不安だったが、その様子を見てようやくゼオンも自分がしたことは間違いではなかったと感じることができた。そして再びキラが口を開いた時、顔には僅かに笑顔が戻っていた。まだ太陽のような完全無欠の笑みとはいかないが、嘘の無い心の底からの笑みだと感じ取れた。

その笑顔を見た途端、ゼオンはまたキラに釘付けになり、他のことなど全て忘れてしまいそうになるのだった。


「思いっきり泣いて、思ったこと吐き出したら、ちょっとすっきりしたよ。まだ元気100倍とはいかないけど、あんたが居てくれてよかった。このコートもありがとね」


そうしてキラはゼオンにコートを返そうとした。


「いや、今度返してくれればいい」


「でも、コートが無いとあんたが寒いでしょ?」


「俺はなんか、ほんとに寒くないから必要無いよ。お前が持ってけ。ほら……少しでも寒くない方が、気分も晴れるかもしれないだろ」


それを聞いたキラはニヤニヤと笑った。


「へー、ゼオンもそんなこと気を遣うんだ。意外」


「……うるさい。別に、暑くて邪魔なら無理しなくていいからな」


「うーん、じゃあ折角だから借りてこうかな」


ゼオンはまた気恥ずかしさでぷいとそっぽを向いた。キラの顔を見るとそれだけで他に何も考えられなくなりそうで目を合わせないようにしていたが、キラはしっかりとゼオンのコートを着込むと、腕を伸ばして一生懸命手を振った。


「じゃーね、またあしたー!」


無邪気にそう叫ぶ様はゼオンにはあまりにも眩しくて、拒む意思も溶かし尽くす程に暖かかった。こちらも返事をしようと思っても言葉が出なかった。

キラの背中が見えなくなるまで、ゼオンは呆然と立ち尽くしたままその姿を目で追っていた。そしてキラが居なくなった途端に我に帰り、手で目を塞ぐ。そして、恐怖が一気に心に押し寄せた。

「重症だ」──そうゼオンは自覚した。脳裏に記憶がフラッシュバックする。自分が倒れた日、メディが自分の身体を乗っ取ろうとした時のこと。キラと同じ声が自分の意思を溶かしていく感覚。それでもその声を聞いていたいと望んでしまいそうになる。

今の自分の心情はあの時とよく似ていたのだ。これが所謂「恋情」というものだとしたら恐ろしくて、気持ち悪すぎて自分が嫌で嫌で吐きそうだ。できることならこのような感情に気づかないまま過ごしていたかった。

そう、できることならこの感情にも、「傍に居たい」という幽かな願いにも気づかないまま、ただキラを支える「皆」の一人のままでいいと納得していたかった。

気分を落ち着かせる為にゼオンはどうでもよいことを呟きながら歩き出す。


「……いいや、忘れよう。まずは寮に戻って、セイラのノートの確認だな。あいつに何か考えがあったのかもしれな……い……あ、れ……」


数歩進んだ時、突如視界が傾いた。自分の異変に気づいた時、ゼオンの身体は既に真白の雪の上に横たわっていた。肌が雪に触れているはずなのに冷たくなかった。全身に力が入らないのに危機感を覚えず、優しく降り掛かった眠気に身を任せて瞼を下ろそうとしていた。

そして眠りに落ちる直前、遠くに白髪の少年の姿が見えたような気がした。

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