第13章:第2話
「なんとなく気を遣ってくれてることはわかるんだけど、スイーツ半額って……もう少し上手い言い訳無かったの?」
食堂のカウンター前の列に並んでいる時、ロイドはブラックにそう尋ねてきた。
「しょうがないだろ。あたしはイオやメディみたいにうまいこと思いつかないんだよ。アイスとチョコとパンケーキのことしか考えてなかったのは事実だし」
そう返した後、ブラックはメニューと真剣なにらめっこを始める。パンケーキは外せないがパフェも捨てがたい。ケーキもタルトも美味しそうだ。ブラックの頭からキラ達や杖のことは既に消え去っていた。そう、今日はスイーツ半額の日。食べることが趣味であるブラックにとっては至高の日だった。
一方ロイドはメニューには目もくれずに行列に従っていた。
「あんたは何にするか決まったのかい?」
「何も考えてない」
「何もって、せっかく半額なんだから好きなもの頼みなよ」
「好きな物なんて無いからなあ」
「勿体無いこと言うなあ。折角の暇な時間なんだ。もっと日常を楽しまなきゃ」
「楽しんではいるよ? ここの食べ物はみんな僕が元々居た所のものより美味しいし」
それを言われるとブラックは笑えなくなった。「僕が元々居た所」とはヴィオレの街にある人体実験施設のことだ。さらりとそのような重い話をしないでほしい。ロイド本人がそれを「悲しいこと」とすら捉えていないようなので益々居た堪れなくなるのだ。
「実験施設の食事なんてろくなものじゃなさそうだよな」
「うーん、そんなに意識したことなかったけど、ここの食事の方が美味しいことは確かかな。お皿に乗ったご飯って美味しいよね」
その一言にブラックは首を傾げた。今、突然超弩級の重い話をされたような気がする。まるで食事の際に皿を使うことが普通ではないような言い方だ。
「まさかと思うけど、皿……無かったのかい? どうやって食べるの?」
「うん、無かった。薬を作る時とかに使う漏斗ってあるでしょ。あんな感じのものでドロッとした茶色いご飯を一気に流しこまれるんだ。やったことある?」
あるわけがない。皿が無いどころか固体ですらなかった。
「殆ど食べるというより飲むような感じだったから、最初にここに来た時に物を咀嚼するのに苦労したんだけど、慣れると物を噛んで食べるのって美味しいよね」
ブラックは突然葬式のように静かになった。ロイドは不思議そうに尋ねた。
「あれ、どうしたの?」
「……あんた、今日はあたし奢ってあげるから好きなものなんでも頼みなよ」
「えっ? 別にいいよ」
「いっぱい食べなよ……」
ブラックは母親かお婆ちゃんのようにひたすらロイドに美味しいものを沢山食べるように勧めた。ロイドの「普通」はブラックから見ると泣きたくなるほどに重かった。
ロイドはこういう人なのだ。あの日キラやゼオン達はロイドの思考を全く理解できず困惑しただろうが、その原因の大半は生まれ育った環境である。人体実験施設の過酷な環境を「普通」だと捉え、その感覚のまま生きている人だ。
その為、人道から外れた言動をしてもブラックはロイドを責めることができなかった。むしろ放っておけなくなってしまうのだった。
行列に加わってから十数分ほど経って、ようやくブラックとロイドは店員の前にたどり着いた。
「えーと、まずはこのふんわりパンケーキに苺のアイスとチョコとバナナとマシュマロとキャラメルをトッピングして、あとこのオレンジとチョコのパフェと、あとこのブルーベリーのチーズケーキでしょ、あと……」
「ショコラ、そんなに食べるの?」
「今食べなくていつ食べるんだよ。いくら食べても太らないのは死んでからの特権だろ? あと苺のケーキと、あとアイスも三段お願い。苺とチョコとメロン! あ、なにこれプリンアラモード? じゃあこれも! ほら、あんたも頼みな」
ブラックがそう言うと、ロイドは興味も無さそうにメニューを一周した後、店員に言った。
「ここの生徒が一番よく頼むメニューは?」
「今ならこちらのパンケーキが人気ですね」
「じゃあそれで」
よく訓練された「普通」の笑顔を浮かべるロイドの横で、ブラックは「そうじゃないんだけどな」と困り果てるのだった。
ロイドが頼んだパンケーキは皿一枚に問題なく収まるのに対して、ブラックは皿を六枚近く運んでいく羽目になった。
ロイドと手分けして注文した品をテーブルに並べていく。全て運び終わる頃にはテーブルの上は壮大なスイーツ王国と化していた。
ブラックは「いただきます」と両手を合わせてからさっそくフォークで甘美な王国を切り崩しにかかった。アイスとパンケーキとプリンを同時に頬張った瞬間は正に至福の一時だった。
その向かい側でロイドはどこにでもありそうなパンケーキを淡々と口に運ぶのだった。
「『好きな物頼め』って言ってるのに、あんた選んですらいないじゃないか」
「だからこのパンケーキを選んだじゃないか」
「そりゃ、あんたの好きなものじゃなくて、周囲の奴らの嗜好の平均だろ? 自分が食べる物くらい自分で決めればいいのに」
「好きな物とか……よくわからないから、とりあえず『普通』に見えるものを選んでおけば、『キラやゼオンの友人』ってこの場所で命じられた役割を演じるには十分かなって」
「そうか? ゼオンとかと居る時は好奇心旺盛っていうか、面白そうなことには目が無いってキャラに見えたけど」
「面白いものは好きだよ。ここの食べ物も全部好き。だからその中の特別って、よくわからないんだよ。それと……ゼオン達の前ではできる限り明るくて陽気なキャラクターを演じろって言われてたからね」
「全く……そこまで命令に従う必要無いよ。無いものなんだよ、ほんとは」
ロイドの感覚が未だ実験施設に居た頃のまま止まっているのは、リディやメディに付き従っている影響も大きいのではないかと思う。彼女らと居るとブラックは強く思い知らされる。彼女らは根本的に「人」ではないのた。元々人道的な扱いを受けてこなかったロイドが人外の集団に混じってしまったことで、益々人間的な感覚を身につける機会を失ってしまったのではないだろうか。
ロイドは常に「普通」を演じようとしていたが、ブラックから見るとその様が既に「普通」には見えないのだった。
「しかし、そんなんでよくこれまであいつらを騙せたね。ゼオンとか結構目聡いのに」
「ゼオンもキラも、校内の人を危ないことに巻き込むのは避けるからね。僕の前じゃ普通の話しかしなかったもの。リディもメディも『上手い』ってわりと褒めてくれたけど」
「うっ、そういやあたしはイオに『下手』って言われたな。あんたの方がよほど上手いって。あんたより普通に人生経験積んでるはずなのに……あたしそんなに下手かな」
「逆に、その経験が邪魔してるのかもよ。案外空っぽの方がそういうことには向いてるのかも」
自分のことを「空っぽ」と何の躊躇いもなく語るあたりが余計に居た堪れない。ブラックから見てもその評価は的確だと思ってしまうから尚更だ。
手のかかる子を持った親のような目線でロイドのことを案じていると、ロイドは心底不思議そうに言う。
「どうしてそう困った顔するんだよ」
「だって、雇い主がこんな感じじゃ頼りないだろ」
ここまで主体性が薄いと時々わからなくなるのだ。なぜあの時、ロイドはブラックを選ぶことができたのか──
その時、二人が居るテーブルに近づく人影があった。その人影の顔が見えた途端、フォークが床に落ちる音がした。ロイドの頬が林檎のように染まり、目が大きく見開いていた。
その様子で、誰が来たかは察した。ブラックはこちらに近づく少女に手を振った。
「やあ、ショコラ。委員会は終わったのかい」
「わあ、ショコラ! よかった、スイーツいっぱい食べてるじゃない。あ、今日はロイド君と一緒なんだ。珍しいわね」
ロイドは突然立ち上がり、水飲み鳥のようにショコラ・ホワイトに深々と何度もお辞儀をする。
「わ、あ、ああの、こんにちは先輩! あの、今日、ぼ……俺、ちょっとブラック先輩と偶々……」
「ふふ、ロイド君こんにちは! ショコラとロイド君が親しいなんて知らなかったわ。普段そんなに一緒に居たりしないじゃない? 学年も違うし。でも良い機会かな。ショコラと仲良くしてあげてね」
「え、あ、はい!」
照れくささで普段の余裕が無くなっているロイドを見て、ブラックはこっそり笑っていた。しかし、同時にホワイトと話している時のロイドは片思い中の「普通」の少年に見えるのだった。
「あ、あの、普段いつも二人一緒に居るのに俺なんかが邪魔してすみません」
あ、ホワイトの前では「俺」なんだと気づいた。この一人称の使い分けもブラックにはいまいち理解し難い部分である。
「いいのよ。ショコラってば人見知り激しいの。だからロイド君からショコラと話してくれると嬉しいわ」
「あ、ちょっと余計なこと言わないでよね」
「ええー、でも事実じゃない」
「そうだ、ショコラも何か頼んできたら? こいつの隣が空いてるし」
ブラックとしては気を利かせたつもりだった。しかしホワイトは首を振る。
「ううん、いいの。邪魔したら悪いもの。じゃあ、私ちょっと一回寮に戻るから。また夕食の時にね」
「わかった、じゃあね」
立ち去る時のホワイトが妙に嬉しそうな表情、どちらかというとにやけていたことが気になったが、まあ気のせいだと思うことにした。
一方、ロイドはホワイトが去っても顔を真っ赤にしていた。ブラックは微笑ましいと思ったが、同時に「もっと積極的に話していかないと意味無いよなあ」とも思う。
「全く、あれくらいの会話でいっぱいいっぱいになっててどうするんだよ……」
「しょ、しょうがないだろ、緊張するんだから!」
ロイドは水を一杯飲み、深呼吸をしてようやく落ち着いたようだった。
「それにしても、あの子も元気そうみたいだね。よかった……」
「あたしらやリディのことがバレそうになった時はちょっとヒヤヒヤしたけどね。今は落ち着いてるみたい」
「そっか……ならいいんだ。これからも傍に居てあげてね」
そう言って、自分の気持ちに蓋をしてロイドはブラックにホワイトを託す。この村に来た時からそうだった。ホワイトの過去を知っているくせに、ホワイトを想っている癖に、ロイドは当の彼女に近づこうとせず、あくまで彼女を取り巻く生徒の一人であろうとする。
折角人体実験から開放されて自由の身になったのだから、自分の幸せを探せばいいのに。ブラックがそう思ってもロイドは全く自分から動こうとしないのだった。
「あんた、今度ショコラと一緒にどこか出かけてきたら?」
「ええっ!? い、いいよ、そんな。あああ、あの子も僕とだなんて迷惑だろうし……」
「馬鹿、誰が二人きりだなんて言った。三人でだよ。それで、あたしは何か適当に理由つけて別行動してるからさ」
「それってやっぱり二人きりじゃないか!」
まだ行くと決まってすらいないのにロイドは既に頬を赤くして慌てふためいていた。その様は先程までとは打って変わって普通の少年に見える。ロイドが積むべきなのはこのような経験ではないかと思った。
「この先どうなるかわからないんだから、今楽しんでおくべきだと思うよ。行こうよ」
「いいよ。僕は別に、あの子とこう……所謂結ばれたいとか、そういうことを思ってるわけじゃないんだよ。だから君にあの子の傍に居てもらっているんだ。出かけるなら君達二人で行ってきなよ」
「あたしらはいつも二人で行ってるからいいんだよ」
ロイドはまだ渋っているようだったが、ブラックはもうその方向でホワイトを誘おうと決めていた。単純に良い思い出を作るべきだと思ったからでもあるが、「好きな人」を通してなら演技せず自然に物事を捉えられるのなら、それはロイドにとって良い経験になると思ったからだ。
すると、ロイドは自分の左胸に手を当てて俯く。それは、もう音を立てることは無い死の心臓だ。
「いずれ死人に戻るのに、そんなことする意味があるのかな」
その一言はブラックにも深く刺さった。この身体は既に一度死んでおり、リディと契約することと引き換えに蘇った。しかし、その契約期間は決まっていない。ブラックもロイドもいずれ終わりがくるのだと、予感はしていた。
しかし、ブラックは終わりを覚悟しても尚こう言った。
「いずれ戻るから今は楽しむんだよ。それに、その意味はあたしに尋ねるんじゃなくてあんたが決めな」
ロイドは目を大きく見開き、言葉を失っていた。それから薄く微笑み、僅かに頷く。
「……うん、わかった」
そう言って、ロイドは静かに少しずつパンケーキを口に運んでいった。ブラックは眼前に広がるご馳走の甘みを噛み締めながながら願う。
自分と守るべき姫君とこの共犯者ができるだけ長く穏やかな時を過ごせますようにと。




