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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第13章:儚き影の独唱
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第13章:第1話

いろのないせかいのなかで、きみだけにいろがあった。


「それ」はちり紙のように汚して捨てられるだけのはずのものだった。色の無い狭い部屋に投げ出された「それら」のうちの一体にすぎなかった。

「それ」の日常は白衣の研究者達に注射を打たれること、「食事」と称した泥状のものを流しこまれること、部屋に放置されて無の時間を過ごすことの三つだけだ。

その部屋には「それ」と同じ境遇の子供が何人も居て、意思疎通しあい、親しくなることもあった。しかし、共に居られる時間は一瞬だ。

泡を吹いて死んだり、血を吐いて死んだり、気まぐれに研究者に頭を殴られて死んだり、突然奇声をあげて子供同士殺し合って死んだりすることが後を絶たなかった。

そのため、物心ついた頃には「それ」は人の死を見ても動じなくなっていた。おそらく生死の意味も理解していなかっただろう。ただ、どれほど親しくなったものもいずれ動かない塊となることと、自分もいずれ同じ塊になるということを深く理解させられた。


ただ使い捨てられるだけの一生のはずだった。しかし、「あの子」は一瞬で「それ」の世界を変えた。ある時、研究者がやってきて注射の時間だと伝えた。「それ」は普段通り研究者に鞭打たれながら部屋を出て別室へと移動しようとした。

その瞬間に世界は色を変えたのだ。遠くでふわりと揺れるものが見えた。強烈に脳裏に残る暗闇のような「色」が揺れていた。

「それ」の済む世界には色が無く、「それ」自身も白紙のように色が無かった。故に、「それ」はその時に初めて「色」の存在を知ったのだ。

気がつくと、研究者の命令も忘れて「それ」は夢中でその「色」を追っていた。ふわり、ひらりと揺れては曲がり角に隠れて去ってしまう。「それ」が何かを夢中で追いかけたのもこれが初めてだった。

その時、「きゃっ」と小さな声が聞こえた。人の声だ。その方向へと「それ」は走り、「あの子」と出会った。

その色を「黒」だと知るのはまだ先の話だ。瞼を閉じた時のような暗闇の髪の少女が廊下の真ん中で転んでいた。首から銀色の円形のものを吊り下げ、後に「赤」だと知ることになる色のドレスを着ていた。


「あいたたた……あら。あら? あなた、だあれ?」


少女は身体を起こすと「それ」に顔を寄せた。瞳は透き通り、髪は羽のように揺れていた。何もかもが「それ」にとっては未知だった。


「はじめまして。あなた、お名前は?」


「それ」は答えられなかった。言葉を知らなかったのだ。「ナマエ」の意味すら当時はわからなかったのである。しかし、眼前の少女が「綺麗」と表現すべき尊い存在だということはわかった。

「あ……う……」と言葉にならない声を発していると、少女は「それ」の頬に触れ、目を輝かせた。


「それにしてもあなた、とっても綺麗な目をしているのね!」


「それ」は少女にされるがまま頬を撫で回されていた。少女が発している言葉の意味もわからないまま、眼前の未知を解釈しようと必死で頭を回転させていた。少女の赤い瞳が視界を埋め尽くしそうな程に近づいていた。そして、気づくと「それ」の意識は少女の瞳に釘付けとなっていた。


「菫色の瞳、素敵だわ」


何一つ色が無いと思っていた「それ」の世界を映すレンズ自体が色を持っていた。そのことに「それ」が気づくのはもう少し先の話だ。



◇◇◇



今日は良い夢を見た。目覚めと同時に「ロイド・ジェラス」の顔は綻んだ。「あの子」と初めて出会った時の夢だ。ロイドはベッドから起き上がり、身支度を整えながら今朝の夢を何度も思い返す。

現実で「あの子」の顔を間近で見ることはおそらくもう無いだろうから、この夢を大切に覚えておこう。

そう決めてから、ロイドは学校へ行く支度を始めた。服を着替え、大切な懐中時計を首から下げる。授業の準備も大丈夫。鏡を見ると、そこには白髪に菫色の瞳の少年が居た。今では「あの子」が褒めてくれた瞳の色もこうして確かめることができる。その喜びを噛み締めながら、ロイドは最後の準備に移った。

いつも肌身離さず持ち歩いているメモ帳を開いた。そこには全校生徒の情報やブラン聖堂の記録書から得た情報が載っている。それらの情報からロイドは今日も演じるべき「ロイド・ジェラス」というキャラクターの設定確認を始めた。

校内の生徒の前では一人称は「俺」にすること。最初はイオの影響で「僕」と言っていたのだが、どうやらクラスメートの話を聞いていると、「俺」の方が「普通」のようだ。

いつも笑顔で明るく振る舞うこと。これは問題無い。笑顔は単純な顔面の筋肉の運動である。

人と会話する時は「普通」人が笑う場面ではしっかり笑い、驚く場面では驚くこと。これがなかなか難しい。ロイドにとっては「普通」のことでも、他人から見ると「普通」ではないことは多々あるのだ。周囲の「普通」に合わせた反応をすることは容易くはなかった。

「ロイド・ジェラス」の人物像の確認を終えると、早速部屋を出て朝食を食べに向かった。

食堂に向かうと、もう寮中の生徒が集結していた。席は瞬く間に埋まっていき、カウンターの前に行列ができていく。

ロイドは周囲の生徒達の様子を見ながら、一番人気と思われるメニューを頼むことにした。それから、周囲の「普通」の生徒達に合わせて行列に加わろうとした時、人混みの中に友人と設定づけられた人の姿が見えた。


「おーい、ゼオン! おはよう!」


挨拶はにっこり笑いながら元気よく。今日も問題無くできたはずだった。普段ならゼオンは少し鬱陶しそうにしながらもロイドの所までやってきて、一緒に朝食を取る流れになるはずだった。

しかし、今日ゼオンから返ってきたものは敵意が篭った冷たい眼差しだった。あれ、何か間違えたかな。そう思っていると、ゼオンは低い声で言う。


「お前……あの出来事があった後でよく普段通り話しかけられるな」


「あの出来事って……ゼオンを撃ったりセイラが消えたりしたこと?」


ロイドがさらりとそう言うと、ゼオンの敵意が更に強まった。あ、もしかしてこれがいけないのかな。


「それで、何の用だ」


ゼオンの言葉にはまるで戦いの最中に居るような緊張感があった。


「うん? そりゃあ、朝御飯一緒に食べようって」


「……正気か?」


ゼオンがロイドに向けるものは敵意から混乱へと変わった。ロイドにはその理由がわからない。「普通」のことを言っただけのつもりなんだけどな。

どうやら今自分は「普通」から逸脱したことを言っているらしい。なら、ここから「普通」へと修正する為にはどうすればよいだろう。メモ帳の内容と照らし合わせてみたが答えは出なかった。

ロイドが困惑していると、ゼオンはこう尋ねた。


「この前は容赦無く殺しに来たくせに、よくそんなことが言えるな」


「うん? だって今は『殺せ』って命令されてないからね」


「じゃあ、朝食を食べている最中にもしメディがお前に俺を『殺せ』と命令したらどうする?」


ロイドは迷い無く笑顔で答えた。


「もちろん殺すよ」


その答えを聞いた途端、一瞬緩んでいたはずのゼオンの敵意が戻ってきた。


「……なら、悪いけど一緒に飯は食えない」


ゼオンはそのままロイドに背を向けて行ってしまった。ロイドが声をかけてももう戻ってくることはない。

ロイドは呆然と立ち尽くしたまま、「普通」と違う出来事が起こっている出来事を考えてみた。挨拶も、身支度も普段どおりにできたはずなのに。

一つ引っ掛かる点があるとすれば、セイラが消えた話をした時のゼオンの表情の変化だった。メディに命じられ、ゼオンに銃を向けた時のことを思い出す。そして戦いが終わり、ブラックと共に去ろうとした時に発せられた「許さない」という言葉が耳の奥で蘇った。


ロイドはその時になってようやく、人の信頼を裏切ることの意味に気づいたのだった。



◇◇◇



あの出来事があってから、ロイドとは学校でもあまり話せなくなった。あちらがそれまでどおり「普通に」接してくるものだから気を抜くと「あの日の出来事など無かったのではないか」と錯覚しそうになるのだが、その時のことを話題にした途端にロイドの歪みが浮き彫りになるのだった。

ロイドが普段通り過ごしていても、キラはあの日の出来事を忘れられない。他のクラスメートとは普段通りに話せても、ロイドとはそれができない。

ゼオンも同じのようだった。やはり同性の友人と居ると気が楽なのか、それまで校内ではキラと居る時以外はロイドと居ることが多かったが、あの出来事以降ゼオンは一人で居ることが増えた。ロイドがキラに話しかけようとすると、番犬のように警戒することもあった。

普段キラと居る友人達も、キラとゼオン、そしてロイドの間の険悪な空気に気づいたようだ。ある日の放課後、ペルシアがキラに尋ねてきた。


「あの……ロイドと何かありましたの? この頃キラもゼオンもロイドを避けているようですけども。何かトラブルがあったのなら相談に乗りますわ。キラが人を避けるなんて余程のことですもの」


キラとゼオンは教室の隅で一人でメモ帳を見ているロイドに目を向ける。こうして二人でロイドを避けていると苛めてしまっているような気分になるが、かといって「セイラが消された」という事実がある以上、これまでどおり過ごすこともできなかった。

百万歩譲って、ショコラ・ブラックのような事情があるならまだわかる。しかし、「命令があればまた自分達を殺そうとするのか?」と尋ねて眩しい笑顔で「殺すよ」と言われては、こちらも拒絶するしかない。

しかし、このことをペルシアに説明することもできない。神だの記録書予言書だの信用することが難しい話が出てくるからというのもあるが、下手に事情を知ったことでペルシアに危険が及ぶ可能性も無いとは言い切れなかった。

思い悩むキラに対してリーゼが声をかける。


「キラ……大丈夫? あまり思い詰めないでね。私、いつでも相談に乗るから……」


それからリーゼはゼオンに言った。


「ゼオン君、キラのことよろしくね。キラってばまだまだ危なっかしいから、見ててあげて」


「なんでそこで俺に頼むんだ……」


「ええ? だってゼオン君っていつもキラと一緒に居るから」


「……いつもじゃない」


ゼオンはいつもどおりこちらから目を逸らして小声で呟いていた。リーゼ達に事情を話すかキラが悩んでいた時だ。

突然教室の扉が勢い良く開き、ショコラ・ブラックが乗り込んできた。唐突な裏切り者その2の登場にキラとゼオンは思わず杖を手に身構える。


「ああ、こんにちは。ゼオンと、えーと、キア・ピルラ?」


「キラ・ルピアです……流石に覚えてください」


ブラックも敵に対するものとは思えない穏やかさでキラ達と接していたが、彼女の場合はロイドとは違う。あくまでこちらが「敵」であることを認識し、立場を弁えていた。


「それで……何の用ですか。またこの杖のことですか」


「杖? いやいや、違うよ。そんなものより大事なこと。ちょっとあいつに用があってね」


ブラックはそう言うとキラ達には早々に背を向けてロイドのところへと向かった。ブラックを見つけるとロイドは楽しそうに手を振った。


「あ、ショコラだ。早速来たんだね。どうしたの」


ブラックは一人ぼっちのロイドと、ロイドから距離を置くキラ達を見つめた。それから「予想通り」とでも言うように溜息をついてロイドに言う。


「ちょっと顔貸しな。食堂行くよ」


「いいけど、どうしたの」


ブラックは大きく深呼吸をしてから、拳を握って力強く言った。


「今日は! 食堂のスイーツが全品半額なんだよ!」


傍からその様子を眺めていたキラは「それ、杖より大事なの!?」と指摘したくて仕方が無かった。

ロイドはメモ帳を閉じると席から立つ。


「ほんと、ショコラは食べるの好きだよね。でもなんで俺と? あの子……いや、ホワイト先輩と行けばいいじゃないか」


「ショコラは委員会の仕事があるから。ほらさっさと行くよ」


ブラックはロイドの上着の襟を掴み、半ば引きずるように連れて行く。キラ達には目もくれずに教室を出ていこうとするので、キラは再度確認した。


「あの……ほんとに、杖、いいんですか?」


「ん? だからスイーツ半額の方が杖より大事って言ってるでしょ。あたしは今、アイスとチョコとパンケーキのことしか考えてないんだよ」


そうしてロイドとブラックは本当にその場を立ち去ってしまった。キラとゼオンは唖然として二人の背中を見送る。


「それでいいんだ……」


警戒していることが阿呆らしくなってくる程の敵意の無さだった。イオが居ない場だからだろうか。それともあの二人自体はそれほど杖に関心は無いのだろうか。すると、ゼオンが去りゆく二人の様子を見て言った。


「あの二人の仲は悪くないみたいだな。あの常識人があいつとうまくやれるのか……」


あの常識人とはおそらくブラックのことだろう。その評価についてはキラも賛成する。別人格のことがあるとはいえ、なぜキラ達と敵対しているか時々わからなくなるほど良識のある人物だ。

そのブラックがいまいち価値観が掴めないロイドと仲が良いというのも不思議な話だった。

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