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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第12章:ある悪魔の狂詩曲
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第12章:第39話

宿に戻ってからもティーナは泣き続けていた。誰も「泣かないで」と声をかけることなどあまりにも残酷でできなかった。暖かいお茶を淹れ、ブランケットをかけ、傍で見守ることしかできなかった。

もう隣の部屋に毒舌な少女が戻ってくることはない。人を小馬鹿にしたような哂いも言葉も何もかも、今は恋しくて仕方がなかった。

キラはゼオンとルルカにもお茶を淹れてから、ティーナを傍らで慰め続けた。キラは仲間と居る時の笑顔のティーナと、敵と対峙した時の激情に身を任せた時のティーナしか見たことがない。そのティーナが、今は皆を励ますこともできない程に追い詰められ、泣いている。


「どうして……なんであたしは何もできないの。助けたかったのに……セイラも、ラヴェルも、プリメイも。どうしてあたしだけが、あたしなんか……」


セイラの死がラヴェルとプリメイを失った悲しみと重なってティーナにのしかかっていた。ティーナはひたすらに自分を責めていた。

無力な自分、惨めな自分。ティーナは愛する人の幸福を脅かす敵に対して向ける言葉と同等か、それ以上に過激な言葉を並べ、自分を傷つけていた。


「こんな屑の悪人なんか守る価値無いのに……どうして……! あたしなんかと関わらなければ、ラヴェル達も、セイラも……」


蹲るティーナを見て気づいた。きっとティーナは自分が嫌いなんだ。それからティーナは消え入りそうな声で呟く。


「人魚姫みたいになりたかった。大切な人達の為に、泡みたいに綺麗に消えられたら、あたしはそれで満足だったのに……」


「その為に、一人で?」


「うん。ブラン式魔術が使えるあたしならイオを仕留められるかと思って、その為なら刺し違えても構わないって思ってたんだけど……このザマだよ。全く結果は出せないどころか、三人も犠牲にして……馬鹿だよね、ほんと……なんで、良い人から真っ先に居なくなっちゃうのかな……」


現実は人魚姫より苦かった。もし童話の人魚姫に与えられた結末が自分の死ではなく、自分以外のあらゆる大切なものの死だとしたら、どのようになっていただろう。今のティーナを見ていると想像することも恐ろしかった。

しかし、このように言うと不謹慎かもしれないが、キラは今の言葉を聞いて、ほんの少し安堵した。


「ティーナは怒るかもしれないけど……あたしは、ティーナが戻ってきてくれて本当によかったと思ってるよ。喧嘩別れでもう会えないなんて絶対に嫌だから……こっちの時代で待ってた時も、どうしてこんな肝心な時に一緒に行けなかったんだろうって、不安で仕方がなかった」


ティーナは何か届かないものを見るような寂しい目でこちらを見つめていた。それでもキラは自分が思うことを飾らず真っ直ぐに伝えた。


「だから、守る価値無いなんて、そんなことないよ。きっとゼオンとルルカもそう思ってるから過去に行ってくれたんだろうし、セイラもそうじゃなければきっとティーナ達を助けたりしなかったよ。ラヴェルさんとプリメイさんも……きっとティーナが大好きだったと思う。実は、ブラン聖堂でちょっとだけ二人のこと見たんだよね。だから、よくわかる……」


そう言うと、ティーナはおもむろに髪を解き、頭につけていたリボンを抱きしめた。それはきっと、ラヴェルとプリメイが買ってくれた思い出のリボンなのだろう。

ティーナは小動物のように縮こまりながら呟く。


「ラヴェルもプリメイも馬鹿だよね。呆れるくらいのお人好しだったでしょ。二人に世話になった恩を返したかったのに……あたしは何もできなかった。二人はあれだけあたしに優しくしてくれたんだもの。返さなきゃって思ったのに、それなのに……どうしてかなあ」


すると、ルルカがゼオンの方へ目を向け、ゼオンが無言で頷いた。キラが首を傾げていると、ルルカはそっと口を開いた。


「それは、違うわよ。私達、あの二人と別れる直前に伝言を預かったわ。ティーナ、貴女に伝えてって頼まれていたの」


ティーナが顔を上げる。ルルカは幸せな夫婦の最後の秘密をそっと伝えた。


「あのご婦人……プリメイさんはね、子供を生むことができない身体だったの。二人はそれでも幸せに暮らしていたけれど、本当はずっと子供が欲しいと思っていたらしいわ。だから、ティーナとセイラが居るだけで、自分達の子供ができたようで、夫婦から家族になれたようで嬉しかったって言ってた。だから、返すとか返さないとか、多分そういうものではないのよ」


ティーナが顔を上げた。打ちひしがれ、曇りきっていた瞳に僅かに光が射した。キラはブラン聖堂で見たセイラの記憶の中のラヴェルとプリメイを思い出す。あの中で、四人は確かに陽だまりのような「家族」だった。

それはラヴェルとプリメイにとって決して手が届かない夢だったはずだ。ティーナはそこに居るだけで叶わぬはずの夢を叶えていた。

続けて、ルルカはこう伝えた。


「貴女達に伝えておいてって言われたわ。『私達の夢を叶えてくれてありがとう』って」


そう言葉が紡がれた時、一筋の涙がティーナの頬を伝った。先程までの苦しみに満ちたものとは違う、暖かい雫だった。

ティーナは涙を拭い、黒いリボンに顔を埋めて呟く。


「本当にばかだなあ……そっか、やっとわかった。『得とか損じゃないの。愛してることが幸せなの』って、そういうこと……。もっと早く言ってよ。ほんとばか……ばか……」


そして、ティーナは再び思い出のリボンで髪を結った。まるで、これから走り出す為に靴を履くかのように。

その様を見て、「強いな」とキラは思った。セイラの記憶の中で見たような不安定さ、苛烈さ、脆さは強さと優しさへと成長していた。

キラは素直に羨ましいと思った。ティーナをそれほど強くしたものは、やはり『家族』として過ごした思い出なのだろうか。いや、それだけではないように感じた。キラはそっとゼオンへと目を向ける。やはりゼオンへの想いもその一つなのだろうか。

すると、ティーナはほんの僅かに意地悪い笑みを浮かべて呟いた。


「あーあ、ほんとどいつもこいつもみんな馬鹿。そんなこと言われたら、結局屍踏み越えてのうのうと生き延びちゃうじゃない。まあ仕方ないか。今更変えられないよね。ずっと他人を踏み台にして醜く生きてきたんだもの。今更人魚姫みたいに優しくなんてなれないよね」


ティーナは自虐的な言葉を並べながら顔を上げる。しかし、キラはティーナのその自己評価に納得がいかなかった。キラは反射的に身を乗り出して一生懸命訴えた。


「何言ってるの。ティーナはいつだって優しいでしょ」


人魚姫とは確かに少し優しさの方向は違う。しかし、キラの目にはティーナはいつでも心優しい少女に映っていた。

すると、ティーナは僅かに影へと目を背けて呟く。


「よしてよ……あたしは、こう、キラみたいに根っから優しくなんてないんだよ。イオ達への態度はいつも見てるでしょ。あたしはキラみたいに敵に情けはかけられない。プリメイを見てわかったでしょ。あたしの振る舞いは……プリメイの真似だったんだよ。キラみたいに純粋じゃないの。残忍で、卑屈で、その癖自我は人一倍強い。そんな可愛くない自分を隠す為に笑っていただけなんだよ」


まるでキラではなく、自分自身から目を背けたがっているようだった。ティーナの物言い一つ一つから「自分が嫌い」という想いが伝わってくる。

キラは寂しくなった。これほど強く人に愛を注ぐことができるのに、自分自身を愛することができないなんて。キラの目にはティーナはいつも素晴らしい人に映っているので、これほど勿体無いことは無いように思えた。


「そうかなあ。あたしには、隠しているんじゃなくて、ゼオンやあたし達に笑ってほしいからのように見えたんだけど。それに確かにあたしは演技や真似なんてできないけど、ただ正直な人だけが優しいとは限らないと思う。笑顔を作れるのも、一つの優しさだと思うよ」


優しさの種類は一通りではない。キラはこれまでの出来事を通して知っていた。常に素のまま振る舞えることが優しさとは限らない。


「ゼオンが倒れた時も、ティーナはゼオンに気を遣わせないように明るく振る舞っていたでしょ。ルルカが落ち込んでた時も、精一杯元気づけようと笑っていたでしょ。元気になってほしいって想いが伝わっていたから、今ここにゼオンもルルカも居るんじゃないかな」


キラが二人に笑いかけると、ゼオンとルルカは気まずそうにそっぽを向いた。今となってはそれが照れ隠しとわかっているのでキラはからかうようにまた笑う。

ティーナの優しさが伝わっていなければ、基本的に冷淡な性格であるゼオンやルルカはさっさとそれぞれの部屋に戻っていただろうし、そもそもティーナを助けようとも考えなかっただろう。


「あたしには辛くても悲しくても、人を元気づける為に笑うことはできないもん。だから、それは誇っていいことだと思うよ」


心の底からの想いをキラは正直に伝えた。ティーナに自信を持ってほしかった。たとえその振る舞いが他人の借り物であったとしても、ティーナの行いがこれまで幾度となくキラ達を支えてきたのは事実だから。

ティーナは目を見開いてこちらを見つめていた。何か光を見出したような驚きに満ちた表情だった。


「ほんと、よくそういうことを堂々と言えるよねえ……」


「えっ、ごめん、何か悪いこと言った?」


「ううん、そうじゃないの。褒め言葉だよ。ありがと。そんな風に言ってもらえたの初めてだ」


そう言った時には、ティーナの頬も緩み、穏やかに微笑んでいた。それを見てキラはようやく安心した。セイラを失った悔しさも、ラヴェルとプリメイの無念も当然まだ重くのしかかっているだろう。しばらくは度々落ち込むこともあるだろう。しかし、ティーナはきっとこのまま挫けてしまうことはない。キラはそう思った。

それから、ティーナは急に俯いてキラに言った。


「そういえば、キラ。ごめんね。せっかく作ってくれたタルト、ひっくり返して。酷いことも言ったし……ほんとごめん。あのタルト、美味しかったよ」


「ああ、それ? もういいよ、気にしないで。というか……ほんとに落ちたの食べたんだね」


「ええー、だって勿体無いでしょ。落ちてから三分以内なら大丈夫なんです!」


「……三秒の間違いじゃない? もう、また今度作るから、今度は落とさないでね」


ティーナは深く頷く。今度、またタルトを焼こう。ティーナの分も、皆の分も。キラ自身の心も僅かに軽くなりかけた時、またセイラのことが頭を過ぎってしまった。

口に出せばまたティーナは罪悪感に苛まれるかもしれない。それはわかっていたはずなのに、気がつくとぽろりと言葉が零れていた。


「……セイラにも、作ってあげたかったな」


皆がしんと黙り込み、キラ「失敗した」と思い、つい口を閉ざした。そう、実のところ、ティーナを励まそうと一生懸命想いを伝えていたが、キラ自身も無念とやるせなさを搔き消せずにいた。


「ラヴェルとプリメイの言葉も、伝えてあげたかったな」


ティーナもぽつりと呟いた。


「イオのことも、結局まだ何も解決してないものね」


ルルカも呟く。ゼオンだけは一言も言葉を発さず俯き続けていた。キラは肩を竦めた。どうしてこう余計なことを言ってしまうのだろう。

誰もが悔しくてたまらなかった。セイラがどれほどの覚悟で歩み続けてきたか知っている。その覚悟も決意も可能性も一瞬で奪われてしまったことを信じたくない。

再び皆が暗く沈みかけた時、ぱんぱんっと突如ティーナが手を叩いた。


「さあさ、みんな顔上げよ! もうやれることが何も無いとは限らないでしょ。だってセイラだよ? 自分が助ける価値が無いと思ってる人を助けたりしないって。だからきっと、セイラが自分を盾にしてまであたし達を助けたのにはきっと意味があるはずだよ!」


そう言った時のティーナはやはり笑っていた。誰よりも心臓が張り裂けそうな程に辛いはずなのに、本心を微塵も見せずに笑っていた。それを見た時、誰もそれ以上俯くことなどできなくなっていた。

嘘吐きという泥を被ってでも大切な人々にの幸福を願うことができる心を、誰が「醜い」と言えるだろう。

少なくともキラには決してできないことだった。「誰か」を選ぶことを恐れ、「皆」という殻から抜けられずにいるキラには。


「ありがと、ティーナ。無理しないでね」


そう言って、キラはできる限り上を向くことにした。悲しさに負けないように。ティーナの想いもセイラの想いも無駄にしないように。

ティーナは深く頷く。それから大きく息を吸った。


「うん。あたしはもう大丈夫だよ。キラも、ルルカも、ゼオンも、気遣ってくれてありがとう。そして、ただいま」




人魚姫のようにすらなれなかった。死に損ない、屍を越え、泥臭い人として生きていく。

だって仕方ないじゃない。結果的にそうなってしまったのだもの。

天性のダイヤモンドにはなれない。王子様は振り向かない。

それでもまだ、ときめいていたかったのだもの。愛を知り、恋をして、夢を見ていた日々が楽しくて仕方がなかったのだもの。

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