第12章:第37話
二階に戻ると、何事も無かったような顔をしたオズが居た。
「キラ、瓶あったか?」
「うん、二錠しか入ってなかったけど」
「そうか、まあええわ。ありがとな」
そう言ってオズは二錠の薬を水で喉に流し込んだ。一見、オズの様子は普段と何も変わらないように見える。だが、よく見るとシャツが先ほどまで着ていたものとは違っていた。
理由はやはりあの爆発音だろう。何があったかは全く話してくれないが、オズの身に何らかの異変が起こっていることは間違いなさそうだった。
「オズ、身体は大丈夫なの」
「ああ、平気や。それよりセイラ。お前やっと戻ってきたな」
そこからはオズとセイラとの話になり、うまくかわされてしまった。オズはこういった話題の操作に長けている。だがそれでは身の異変を誰にも気づいてもらえずに一人で抱え込む一方ではないか。
キラはぶうっと頬を膨らませた。実はこの人、ゼオンやルルカを遥かに超える不器用なんじゃないの?
キラの不満をよそに、オズはセイラと話し込んでいた。
「お前、ゼオン達が過去を駆け回って、キラがめそめそしてる時にどこ行ってたんや。お友達になったとか言っておいて、随分無責任やないか」
「え? ああ、それは失礼しました。どうしてもオズさんに渡しておきたい物があったんですよ」
「渡す物? なんや、愛の告白か? モテる男はつらいわー大変やー」
「黙れ、滅べ、百万回死ね」
セイラは冷たく言い放った後、二冊のノートをオズに手渡した。以前、キラがセイラにあげたノートだ。片方には青いリボンが目印についており、もう片方は薄汚れていてやたら分厚い。
「なんやこれ」
「これを、ゼオンさんに渡しておいてほしいのです。こちらは次にゼオンさんに出会ったらすぐ、こちらは……オズさん、あなたが渡しても良いと思った時に」
奇妙な話だった。ゼオンに渡すものならば直接渡せば良いはずだ。
オズは「すぐに渡せ」と指示された青いリボンのノートを開く。そこには沢山の魔法陣と魔法の説明が書かれていた。まるで魔道書のようだ。
「なんでこれをゼオンに?」
「きっと必要になるからですよ。いいから渡しておいてください」
オズはセイラを疑惑の目で睨みながら、もう片方の分厚いノートを開いた。最初のぺージに魔法陣が描かれている以外は全て文章のようだ。キラが中身を読もうとした時、オズはノートを閉じた。オズの表情は険しかった。
「お前、これ……」
「ええ、オズさんの過去ですよ。ゼオンさん達もいずれ知らなければ話が繋がらないでしょうからね。とはいえオズさんも情けなーい青臭ーいあんな話やこんな話を自分の知らないところで言い触らされたくはないでしょうから、どうぞあなたが納得した時に渡してください」
「へえ、お前が俺にそんな気を遣うとはな。お前が去った途端に燃やされたって知らへんで」
「燃やしませんよ。絶対にね。断言します、あなたは燃やせません」
セイラは力強く言った。丸く大きな瞳が挑戦的に哂う。それを見たオズもニヤリと化け物の笑みを返した。
「ほう、自信満々やな。そう言われると燃やしたくなるなあ」
「あらあら、黒歴史を晒されるのが怖いからって大人気無いですねぇ。クスクス、それだったらこの場でオズさんの情けない黒歴史をキラさんに音読してもらったら面白そうです」
「これやからババアは陰湿で困るわー、こんな清廉潔白な好青年のプライバシーを侵害するなんて最低やなあ」
「あら、オズさんの卑劣さ、悪辣さには負けますよ。さあキラさぁん、そのノートの14ぺージを開いてくださぁい。実験台時代に突如施設に乱入してきたメディにいいようにされるオズさんの話をですねぇ……」
「されてへんで!?」
突然真剣に否定したのでキラは驚いた。それほどまでにメディが嫌なのか、それほど話されたくない黒歴史なのか。珍しい反応だからかセイラがクスクスと笑うので、オズは不満そうに眉間にシワを寄せた。
「記録見たならわかるやろ、何も無いて。ったく、メディは昔からなんであんな誰にでもベタベタ近寄るんや……あんな女嫌や、俺はもっと一途で清純な奴がええ……黒より白や……」
「さらりと聞き捨てならないこと言わないでください」
「ゼオンやティーナにも無粋な横槍入れてくれたしな」
すると珍しくセイラが頷いた。
「まあ、それは確かに……チッ、下手に関係が崩れない程度にちょっかいかけながら見守るのが面白かったんですがねえ」
「あいつら、折角俺が見つけた玩具に余計なことしやがって、なあ」
玩具? 玩具って言った? 最低だ、やはりこいつら最低だ。
もう何百回も繰り返されたであろう人でなし同士の会話をキラは唖然として眺めていた。先ほどリディの話をした時は沈んでいるように見えたオズが今は生き生きと悪辣な笑顔を浮かべている。
その変化を間近で見ていると、やはりオズにとってセイラは自分の本性の片鱗をぶつける価値のある怪物なのではないかと思う。
だとすればわからない。ブラックの部屋からセイラを救った時、なぜセイラを痛めつけたか。ゼオンが持つリディに関する情報の為とはいえ、やりすぎだ。非人道的という意味ではなく、非効率的という意味でだ。
これまではただオズが目的の為には手段を選ばないだからだと思っていた。しかし、リディがかつてこの村に居た事を知った途端、キラにはあの時のオズの行為が自分で自分の首を絞めているように見えてきた。
なぜそのようなことをするのか。理解に至る手札は今オズが手にしているノートの中にあるのかもしれない。
「にしてもセイラ、お前なんかあったんか」
会話の最中、オズは突如セイラにそう問いかけた。やはり、とキラは頷く。キラでさえ気づいたのだ。今目の前に居るセイラには何か役者と場面がちぐはぐに繋ぎ合わされたような違和感があった。
「さあ、なんのことですかね」
セイラは使い古された言葉で誤魔化す。
「いやあ、お前、そのかわし方はつまらんにも程があるで。話す気が無いのなら、少しは俺を楽しませろ」
オズが言うと、セイラはその期待に答えようと言わんばかりに指をくるくると回して「謎掛け」をした。
「オズさんの問いの答えは、全て今渡したノートに書きましたよ」
「ほう……つまらへんけどまあ、今日はそれくらいで許したるわ」
オズは毒蛇のような笑みを浮かべる。なるほど、宣言通りこれでオズはあのノートを「燃やせない」というわけだ。
「ではオズさん、頼みましたよ。ちゃあんと渡しておいてくださいね?」
子供にお使いを頼むような口調でオズを苛立たせた後、セイラは時計に目を向けた。ゼオン達との待ち合わせの時間から一時間ほど経ったところだった。
「さて、そろそろですかね。ゼオンさん達をお迎えに行きましょうか」
「そろそろ、戻ってくるの?」
「ええ、イオ達もまたやってきます。しかも一度ブラン聖堂に立ち寄って完全回復した状態で」
「ああ、だからお迎えなのか…」
「ええ。ゼオンさん達の方はきっとボロボロでしょうから、キラさんのお力が必要になりますよ。勿論、今度は私も真正面からイオと戦いましょう」
そう言った後、セイラは急に俯いて深呼吸した。
「大丈夫、できるはず」
その様も、キラには不自然に見えた。キラ達とも、普段のセイラとも全く違うものを見ている目だ。自分の覚悟を確認するような言葉。
息を吸って、吐ききった後、セイラはキラの手を引いた。
「さあ、行きましょうか」
そして、最後にオズに言った。
「ではオズさん、後はよろしくおねがいしますね」
その言葉に一瞬胸がざわついたが、口を挟む余裕も無く半ば引きずられるようにキラはセイラについていく。
セイラの一歩一歩がやけに重く感じた。何か隠している? その疑問は猜疑心から来たものではなかった。ただ純粋に、セイラがまた何か一人で悩んでいるのならその負担を軽くしたいと思っただけだ。
つい先ほどまで自分の方が悩んでいたことも忘れて、キラはセイラに思わず尋ねていた。
「オズも言ってたけど、何かあったの? あたしにも話せないことなの?」
セイラは足を止めた。視線をゆっくりと天井に向ける。追憶の渦の中、ヴィオレの時計台で見た時のような澄み渡った青空だった。
再びセイラは視線を下ろし、こちらと目を合わせる。
「そうですね……あなたには少しくらいヒントを与えておいた方がよいのでしょうか」
その時、セイラは他者の真似も贖いも疑心も取り払い、祈るように言った。
「もしどうしても失いたくないものがあるのに、どれほど手を尽くしても取り戻せない……いつかそんな時が訪れたら、私のところに来い。お前が手を差し伸べたあの日で、待っているから」
ぽかんと、言われたことの意味がわからずキラは立ち尽くした。しかし、何かの冗談だろうと笑い飛ばすこともできない。そうさせない目つきだったからだ。
やはり今日のセイラには何かあったのだろう。相変わらず事情を話してくれる気配は無かったが、今日に限っては不思議と苛立たなかった。それはこれまでのように疑心による警戒ではなく、こちらを信頼してくれたからこそ沈黙しているのだと感じ取れた。
「今は忘れてくれて結構です。いずれ、意味がわかるでしょうから」
そう言って、セイラは再び歩きだした。
「うん……」
キラは頷き、後を追う。
「今はボロボロの困ったさん達を助けてあげるのが先ですからね」
詠唱省略の準備を整え、ふわりと宙に浮き、ある座標に狙いを定める。青空をブラン式魔術の光が更に青く染め上げる。そしてその場所へ、そろそろ火花が舞うことになるであろう場所へ一撃を放った。




