第9章:第5話
キラとゼオンは沈んだため息を吐いた。図書館を出て、来た道を戻っていく途中だった。
二人とも広い道のど真ん中で北風に打たれながらトボトボ歩いていく。
図書館へ行く前の意気込みはどこへ行ったのやら、今にも苔が生えそうな空気が漂っていた。
「やられたね……。」
「……。」
先ほどのオズとセイラの勝ち誇ったような笑いが蘇る。見事してやられた。惨敗だ。
あんなに気合い十分で挑んだはずが何もかも二人の思い通り、キラは人質扱い、ゼオンはうまく言いくるめられる結果になってしまったわけだ。
オズは言った。キラは「弱み」だと。その言葉はキラの胸に深く突き刺さった。
ゼオンの力になりたい。助けてもらうだけでは嫌だ。そう思っていたのに結局お荷物にしかなれなかったというわけだ。
キラは思わず言った。
「ねえ、なんで大人しく二人の言うこと聞いちゃったの?」
「……聞かなかったら、あいつら、兄貴が来た時と同じことを起こす気だった。それもわざと危険な目に遭うような展開を選ぶ気だった。」
「なんで、気づいた時に教えてくれなかったの?」
人質扱いされているとキラがもっと早く気づいていればこんなことにはならなかったはずだ。それを言うと、ゼオンは途端に返事をしなくなった。
キラは不思議に思った。何か理由があるのだろうか。沈黙の後、ゼオンはこう言った。
「……確かに、お前の言うとおりだな。はっきり教えるべきだった。そのつもりで行ったはずなのに、いざその時になったら俺の方ができなかった。
その、お前はオズやセイラのことを悪く思ってはいないみたいだから……あいつらがお前を利用してるって知ったら……落ち込むかと思って言えなかった。」
キラは少し驚いた。また気を遣われていたのだろうか。オズとセイラに利用されたこと以上に、今のゼオンの言葉にキラは少し傷ついた。
オズがキラを「弱み」と言った時のことを思い出した。ゼオンにとってキラは傷つかないよう気を遣わなければならない弱いものなのだろうか。
キラは俯いて言った。
「ねえ、あたしそんなに頼りないかな。そんなにすぐ落ち込んじゃうように見えるかな。気を遣ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと悲しいよ。」
ゼオンは俯くキラを見て立ち止まってしまった。キラもつられて立ち止まる。
「……悪かった……。」
「うん、謝らなくていいよ。でも、今度から辛い事でも、気づいたことは教えてほしいな。傷つけてもいいから、あまり気を遣わないで。あたし、弱みにはなりたくない。だから、お願い。」
「……わかった。」
ゼオンは静かに頷いた。アズュールから帰ってから何度も繰りかえした言葉が再び頭の中で響いた。「ああ、強くなりたいな」と。
オズとセイラの笑いが蘇る。今になって二人が自分を利用したという事実が恐怖となってキラを襲った。同時にキラは悲しくなった。ゼオンにああ言った矢先にこんなことを考えていては守られてしまうのは当然ではないか。
今日の風は肌を刺すような冷たさだった。冬が近い。周囲の草木は黄土色に枯れ、どこか気分も沈んでいった。
「……難しいな。」
ポツリとゼオンが呟いた。ゼオンもまた、キラとは違う何かに悩んでいるようだった。
その時靴の音が聞こえてキラは顔を上げた。誰かがこちらに来る。それはついさっき出会った人物だった。
エンディルス国王子、ネビュラ・エヴァンスだ。ネビュラはキラ達を見つけると少し引いたような様子で言った。
「やあ……って、うわ、何このお通夜みたいな空気。もしかして俺? 俺が来たせい?」
「安心してください。半分くらい違います。」
ゼオンが淡々と返した。先ほど会った時はペルシアや村の役員の前だから猫を被っていたのだろうか。ネビュラの口調に先ほどの丁寧さは無く、くだけた調子でキラ達に言った。
「お通夜じゃないなら、君達に訊きたいことがあるんだけど。君ら、さっきあの場でルルカと色々話してたけど、ルルカの友達か何か?」
「大体そんなものかと思います。」
「そっか。なら、ちょっと頼みたいことがあるんだけどいいかな?」
キラとゼオンは顔を見合わせた。なぜキラ達に頼むのだろうか。
「俺、ルルカにちょっと話があって来たんだ。君達からルルカに俺の話聞いてくれるよう説得してくれない?」
「どうしてあたし達に頼むんですか? 話があるって、自分からルルカに言えばいいじゃないですか。」
「言ったよね、俺はルルカの両親を殺した家の子だって。さっきのあれ、二人とも見てただろ? 俺が言ったんじゃ話し合いじゃなくて殺し合いになっちゃうよ。だから君らに頼んでるんだ。」
キラは返事に困った。確かに先ほどのようなことが再び起こっては困る。
だがこの人と話をすることはルルカにとって良いことなのだろうか。話の内容がルルカにとって悪いことの可能性は捨てきれない。
ネビュラの口調や態度には少々横柄さを感じさせるところがあった。
キラはゼオンに言った。
「どうしよう?」
「そう言われてもな。ルルカの方の様子もまだわからねえし。けど、放っておいてまたさっきのような事になられてもな……。」
「たしかに、それも駄目だよね……。」
考えた末に、キラはこう答えた。
「一応ルルカに伝えておきます。でも、もしルルカが話す気が無いって言ってもむじりいはしないでもらえませんか?」
「むじりい……?」
ネビュラはキョトンとその場に立ち尽くしていた。ゼオンが呆れて訂正した。
「バカ、むじりいじゃなくて無理強いだ。」
「え、あ、そっか。無理強いはしないでください! お願いします!」
「しょうがないな。わかったよ、君のドジっぷりに免じてそういうことにしてあげる。」
どことなく上からものを言うような言い方だったが、すんなりとネビュラは了解してくれた。ちょうど話がついた時に、ネビュラがやってきた方向からもう一人誰かが走ってくるのが見えた。
あの浅黄色の髪の毛はおそらく先ほどネビュラの傍に居た護衛役の少女だろう。少女はネビュラのところまで来るところころした高い声でネビュラに怒鳴った。
「もうネビュラ様、どうしてすぐ居なくなっちゃうんですか! 探しましたよ!」
「おお、ベストタイミングだ。悪いね、テルル。じゃ、もう疲れたから俺は帰って寝ようかな。」
ネビュラは再びキラとゼオンに言った。
「村長さんちに泊めてもらうことになったからさ、もし用とかあったらそこに来てよ。じゃあね。」
そうしてネビュラとテルルは去っていった。キラとゼオンは二人が過ぎ去った後、少し困って顔を見合わせた。
何やら不思議な展開になってきた。ネビュラがキラとゼオンに協力を求めるなど考えてもみなかった。
このことをルルカに伝えたらルルカはどう言うだろうか。
「どうしよっか……?」
「オズ達に腹立てるより、ルルカの心配を先にすべきかもな。」
ゼオンの言葉にキラは戸惑った。
「でも、そうしたらオズとセイラの思い通りなんじゃ……」
「かといって、お前はルルカがあんな状況なのを放っておける奴でもないだろ。」
その通りだった。オズとセイラの策略への恐怖はあったが、ルルカを放っておくことなどできなかった。
「お前がそんなことを言い出すようになるなら、図書館に行ったのも無意味じゃなかったかもな。
そんなに不安がらなくても、お前が一人で突っ走らなければ特別困った事態にはならないと思う。
さっきの様子だと、多分あいつらの目的はお前を傷つけることじゃないし、ルルカを陥れることでもない。
あいつらがこれからやりたがってるのは、お前や俺をうまく使ってルルカとあのネビュラって奴の事をうまく片付けることと、あとはこんな事を起こした黒幕をあぶり出すことだと思う。もしかしたら、俺達と望んでることは近いのかもしれない。」
「うぅ、そうなの? じゃあ脅さなくていいじゃん、普通に協力しようよ。わけわかんない……。」
キラは少しふてくされた。するとそれを聞いたゼオンがなぜかきょとんとした様子でこちらを見つめた。
突然じっとこちらを見たのでキラは驚いた。
「あれ、どうかしたの? あたしまたバカなこと言った……?」
「違う、そうじゃない。お前の言うとおりだなって、少し驚いたんだ。
そうだよな、目的がほぼ同じなら脅す必要無い。バカ正直に協力しようだの適当なこと言い出したり、俺が言った『これからどうする気か』って質問にそのまま答えるので十分なはずだ……。
なんでわざわざ脅して無理に従わせるなんて強引な手段を選ぶんだ?」
ゼオンはまっすぐこちらに問いかけたが、当然キラに答えがわかるはずがない。キラはぽかんと口を開けたまま黙り込んでしまった。
こちらの様子を察したのかゼオンは言った。
「別にわからなかったらいい。気にするようなことでもないかもしれない。そっちのことより、先に気にすべきはルルカとあのネビュラって奴のことだろうしな。」
「そっか、そうだね。」
「オズが言ったとおりお前はとりあえずルルカのとこに行ってくれ。ティーナと一緒に行動してりゃ、多分一人で勝手に突っ走って失敗することは多分無いと思う。」
「お前は」という言葉がキラは気になった。まるでゼオンは行かないような口振りだ。ゼオンは村の中央への道を見つめて何か考えているようだった。
「あたしは……ってことは、あんたはこれからどうするの?」
「ちょっと、用がある。黒幕について訊き損ねたから……」
キラは驚いたのと同時に不安を感じた。オズの言ったとおり、ゼオンはルルカの居場所を漏らした黒幕を捜す気なのだろうか。それをゼオン一人にさせて大丈夫なのだろうか。危険ではないだろうか。
「ええ、やだ、やっぱりあたしも……」
「俺一人でいい。」
「そんな、オズやセイラの言ったこと、そんなに真に受けなくてもいいじゃん!」
キラはぶぅと少しふてくされて言った。正直なところ、キラは先ほどのオズやセイラの態度には少し腹が立っていた。ゼオンにあまり二人の思い通りに動いてほしくなかった。ゼオンも決してオズやセイラに少しも不満が無いわけではないようだったが、こう言っていた。
「黒幕のことは俺自身も気になってたんだ。いい機会だろ。」
「で、でも、探すっていっても……あてはあるの?」
キラには黒幕の正体など全く思いつかない。だがゼオンは苦い表情で言った。
「ある。というか、多分もうオズもセイラも黒幕の正体はわかってると思う。」
「え、じゃあなんで正体わかってる黒幕を脅してまで探させるの? ほんと、わけわかんないよ……。」
するとゼオンはキラの目を見てこう言った。
「多分、お前に納得させろってことなんだろうな。」
キラはますます頭がこんがらがってきた。図書館でのあの短い会話の中で一体どんな暗号のやりとりをすればそのような考えが降ってくるのか、キラには見当もつかなかった。
ただ一つ、これからゼオンは一人で誰かに何かを訊きに行く気だということはわかった。
「本当に、一人で大丈夫なの?」
「大丈夫。じゃ、また明日。」
そう言うとゼオンはキラから離れて歩き出した。
こちらを振り返ることなく、ゼオンの背中は遠ざかっていった。北風が身体を冷やす度、キラはどこか心細い気分になった。
思わず小さな手を大きな袖の中に引っ込めて温める。ここでじっとしていては風邪をひいてしまう。
ゼオンと違う方向へキラも歩き出した。行く先は村で唯一の宿屋だった。




