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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第12章:ある悪魔の狂詩曲
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第12章:第35話

ゼオンは可能な限り多くの魔法陣を魔法陣を展開し、眼前のティーナを睨む。しかし、妖艶な目つきも蠱惑的な言動にもティーナの面影は無い。鎌の刃を舐めながらメディはティーナの声で囁いた。


「ふふふ、可愛い抵抗ね。ゼオン、あなたから仕留めてあげる」


その言葉を皮切りにロイドとイオが集中砲火を始めた。ゼオンは自分とルルカの周囲を覆うように盾の魔法を展開し、銃弾と魔術の嵐を防ぐ。

しかし間髪入れずにブラックとティーナが盾を破壊しにかかる。二つ目の陣から放射状に炎の槍を放って牽制するが、すると再びロイドとイオの攻撃が襲う。

ゼオンがどれほど力を振り絞っても限界があった。一対一でも勝てるか怪しいイオに加え、ロイドにブラック、メディに操られたティーナを一人で相手にするなど無謀だ。

せめてルルカだけでも傷つけないように、ゼオンはルルカの傍で盾の呪文だけは維持し続けた。この守りが崩れる前に状況を立て直さなければならない。ゼオンはティーナを睨み、策を考える。

全員を相手にする必要は無い。ティーナだけでよい。あの杖を弾き飛ばし、ティーナが正気に戻ればまだ勝機はある。ゼオンが炎の槍の矛先をティーナに向けた時だ。

ティーナは悲痛な声でゼオンに尋ねた。


「どうしてラヴェルとプリメイを助けてくれなかったの?」


その時の言い方は、声の重みも言い回しもティーナのようにしか思えなかった。しかしそれは錯覚だ。頭ではわかっている。これはキラがメディに操られた時と同じだ。メディが真似をしているだけだ。

しかしそれでも脳裏に二人の死体が浮かんで離れない。


「どうして、あたしを愛してくれないの?」


今回の痛みはキラの時とは違った。もはやこの言葉がティーナの本心かメディが言わせた嘘かなど関係が無かった。相手はゼオンの後悔と罪悪感を巧みに汲み取って代弁する。


「あたしはこんなにゼオンに尽くしたのに、ゼオンはどうしてあたしばかりを不幸にするの?」


心が揺らげば視界が狭くなる。ゼオンはティーナ一人に集中して杖を弾き飛ばそうとしていたが、その隙に一人が攻撃の手を止めたことに気付かなかった。

ティーナがこちらと距離を取った時、視界にイオの姿が目に入った。こちらに攻撃していない。詠唱の最中だ。それも相当に長い詠唱だ。

ゼオンの頭にあの魔法のことが浮かぶ。時間停止の魔法。

あ、やばい。一瞬、首を締められたかのように息ができなくなった。




盾がガラスのように儚く砕け、血は花弁のように咲き乱れ、暗闇が視界を覆った。痛みが全身を覆い尽くし、永遠と錯覚する程の時間が過ぎた。

頭がぼうっとして、自分の置かれた状況すら理解できなかった。ひたすら全身を焼かれているかのような痛みが走るだけだ。


「……! ゼオン! ゼオン!」


ルルカの声で目が覚めた。声は下から聞こえる。そこでようやくゼオンは自分の足が地に着いていないことに気づいた。

手足を黒い鎖で縛られ、身体は宙に浮いていた。杖は手の先に鎖で括りつけられている。全身に血が滲んでおり、身体もろくに動かない。周囲を見回すと黒い霧のようなものがゼオンを取り囲んでおり、鎖はその霧から生えていた。下を見ると血を流し倒れたままのルルカと、イオ達、そしてメディに操られたままのティーナが居る。そしてティーナの杖にはゼオンを取り囲むものと同じ霧が纏わりついていた。

ようやく状況が掴めてきた。おそらくあの霧と鎖は、あの反乱でサラを呑み込んだ黒い闇と似たようなものだ。そして、奴らはゼオンにサラと同じ事を……いや、半身どころか全身を呑み込んで消滅させる気なのだろう。


「うふふふふふ、いい顔してるわ。そういう絶望的な表情だぁい好き。安心して、骨の髄まで美味しく食べてあげる。本当はもっともっと身体の内から可愛がって、頭が蕩けるくらいの悦楽の夢に閉じ込めてあげたいのだけどね。あまり遊んでいる暇も無いから手早く済ませるわ」


ティーナの……いや、メディの舐め回すような視線に思わず背筋が震えた。今すぐ鎖を振り切りたいのに、身体に力が入らない。これほど抵抗の余地が無い状況に陥るのは久しぶりだった。


「そうそう、砂時計だっけ。セイラからそれを貰ってこの時代に来たんでしょう? まずはそれを奪わなきゃね。そうすれば、あなた達は帰れない」


するとゼオンを縛っていた鎖が地上へと降りていく。ティーナを乗っ取ったメディとゼオンの目線がほぼ同じ高さになったところで、メディは手をゼオンの上着のポケットに入れて砂時計を探し始めた。気味が悪くて今すぐ払いのけたかったが手足の鎖のせいで身動きが取れない。手が上着の内側へと伸びてくる。気味が悪い気味が悪い気味が悪い──頭の中で過去の嫌な記憶が渦巻き始めていた。

しかし結局メディは砂時計を見つけることはなかった。


「おかしいわね、まあいいわ。じゃあ早く食べちゃいましょ、腹に入れば同じことだわ」


舌先に乗った飴を転がすように黒い霧が周囲を取り囲んでいく。視界が暗くなっていく度に身体の感覚が抜けていく。このまま闇に呑まれて消えるのかと思った。だが、メディはまだ満足しなかった。


「ああでも、まだこの子のお願いを叶えてなかったわね。乙女の願いは無下にしちゃいけないわね」


メディはティーナの身体を指して言う。


「ねえ、最後にこの子のお願いを叶えてあげなさいよ。『俺はキラではなくティーナが好きだ』って、言ってあげなさいよ」


以前ならきっと「どうしてこの状況で」と言っていただろう。しかし、今ではそんな無神経な言葉を吐くこともできなかった。ティーナの密かな傷に気づくこともできず、積み重なった結果が今の状況だ。ゼオンは何一つ答えることが出来ずに押し黙った。罪悪感ばかりがのしかかるのに、それでも嘘だけはつけなかった。

だがその時、腹を強烈な痛みが襲った。ティーナの鎌がゼオンの腹に赤い線を描いていた。それからティーナはゼオンを殴り、斬り、蹴り続けた。


「あっはははははは! ははははははは! ははははははははははははははははははははは!」


それから手で頬を撫でて囁く。


「ねえ、どうしてあたしを愛してくれないの?」


声、言葉遣い、発音のニュアンスまでティーナそのものだ。ゼオンを殴り、蹴り、傷つけながらティーナはどこまでも優しく問いかける。


「キラよりあたしの方が先に好きになったのに、どうしてあたしを選んでくれないの?」


ゼオンの身体を指でなぞりながらティーナは耳元で囁き続ける。心身共に傷めつけられたゼオンは抵抗する気力すら削がれつつあった。

手の先に括りつけられている杖が異様に熱い。ティーナの声が外から聞こえているのか内から聞こえているかもわからなくなりそうだ。ああ、これはまずい。それが可能かどうかはわからないが、メディはゼオンのことも支配しようとしていることは理解できた。

徐々に意識が遠のいていき、口が自分の意思に反して言葉を紡ごうとした時、ルルカの罵声がゼオンを叩き起こした。


「何黙ってるのよ。全部メディが言わせている嘘よ。ティーナはそんなこと考えてもいないし、あなたもキラも恨んでないわよ。そんな出任せに傷ついてるんだとしたら、それ全部『この状況ならティーナはこう思うに違いない』っていうあなたの思い込みよ」


そう、なのだろうか。痛みで真っ白になった頭ではルルカの言うことが正論かどうかも判断できない。ルルカは何か言い続けていたが、イオがルルカを蹴り飛ばして声を止めた。


「なんだ、まだ意識あったんだ。あんたは最後だから大人しくあいつがやられるとこを見てなよ」


「貴方達の行いがあまりにも醜悪なものだから黙ってる気にもなれなくてね。騙されないでよ、ゼオン。ティーナを悲しませたのはこいつらよ。こいつらが殺してこいつらが責任を擦り付けてるのだから全部こいつらが悪いのよ。妙な罪悪感でうじうじしてたら殺すわよ」


「部外者は黙れよ、鬱陶しい」


「どの口が言うのかしら。その言葉そっくりそのまま返すわ。無粋、外道、神だのなんだの知らないけれど、人の想いをここまで踏みにじる下種なんて寄生虫にも劣るわよ」


そう言うと、イオはルルカの口を塞ぐように顎を蹴り飛ばした。自分が消されれば、次はティーナとルルカの番だ。それだけは避けたいのに、もう手足どころか頭もろくに働かなかった。

ここで三人共元の時代に戻れなかったら、キラは悲しむだろうか。セイラは今度こそ神への戦いを諦めるだろうか────いや、それは無いな。あれはたとえ自分の身が砕けても怨霊になって出てきそうな程の執念の持ち主だ。何故あれほどの執念を持てるんだろうな……痛みに慣れてきた頃、急にこれまでのセイラの言葉が蘇ってきた。

メディの性質についてのこと、ネビュラがやって来た時に語ったこと──「あれもね、そう容易く人を乗っ取れるわけではないんですよ」気休め程度に過ぎないかもしれないが、一つ案が浮かんだ。最後はティーナ自身に頼るしか無い策だったが、これほど崖っぷちに立たされると、もう失敗への恐れは消えていた。


「悪い、ティーナ。その願いは叶えてやれない」


ゼオンははっきりと言い切った。この状況で人の恋心を切り捨てるのは無粋かもしれないが、その恋心がこのように玩ばれることの方が我慢ならなかった。

すると更にメディはゼオンを激しく傷めつけた。黒い霧が濃くなり、頭痛がした。


「ふふ……そう、なら、叶えさせてあげる」


メディが恍惚の表情でゼオンを嬲る横でイオが言った。


「楽しそうだね。こいつみたいなのが好みなの?」


「玩具としては嬲り甲斐があるわね。嫌がる相手を、それも他に想い人が居る男を甚振るのってたまらないじゃない。嗜好のはけ口に丁度いいわ。でも中身だけよ。外見ならロイドの方が可愛いわね」


ロイドが「僕?」と首を傾げる。メディはロイドに言う。


「ちょうどいいわ、ロイド。さっき杖を渡したでしょう。紅の方でゼオンに強化魔法かけてくれる? それでゼオンもお人形にしてあげるから」


紅のブラン式魔術が来たら終わりだ。メディの力が強まり、ゼオンの精神まで支配して闇に呑まれるだろう。しかし、その一言でゼオンは自分の仮説に自身が持てた。紅の魔術でメディの力が強まるなら、逆なら? その魔法が使える人がここには居る。

一方、メディに指示を出されたロイドはゼオンを見つめたまま動かなかった。


「メディ、それは君達が以前出した命令と矛盾する。ゼオンの友人のふりをして、友好的に接するように。そう指示されたはずだけど」


するとイオが呆れ果てたように言った。


「はぁ? そんな命令もうどうでもいいよ。この状況見ればわかるでしょ。それくらい自分で考えてよね」


ブラックはこちらから目を背けながらぼそりと呟く。


「…………嫌がってるんじゃねえの」


あちらの連携が取れてないのか、すぐに止めは来なかった。その隙にゼオンはルルカの方へと目を向ける。ルルカは鬼のような形相でこちらを睨んでいた。

居た堪れなさに耐えながら、ゼオンは声を出さぬよう口の動きだけで尋ねる。「動ける?」と。

ルルカは僅かに頷いた。様子を見た限り決して普段通り戦える状態ではないだろう。だが本人が頷くなら賭けてみよう。

ゼオンはティーナの様子を改めて確認する。メディはもう自分の身体かのようにティーナを操っていたが、ティーナの目にはまだ涙が溜まっていた。


「いい、ロイド。前に出した命令はもう期限切れだから気にしないで。それに矛盾もしないわよ。あなたに使ってほしいのは紅のブラン式魔術での強化魔法。別にゼオンを直接傷めつけるわけはないわ。さあ、お願い。命令よ」


ロイドはしばらく硬直していたが、命令という言葉を聞いて「わかった」とこちらに銃を向けた。ティーナの視線が再びこちらに向いたところでゼオンは告げた。


「今だ、ルルカ」


その一言でルルカが飛び起きた。地面の砂を掴むとそれをイオの目に投げつけ、怯んだ隙に駆け出す。


「俺の杖、引き剥がしてくれ」


「ティーナのじゃなく? 無茶よ」


「いいから」


すると再び頭痛が酷くなり、意識が朦朧としてきた。メディの意識がゼオンを侵食しようとしている。

一方、イオもすぐに体勢を立て直した。


「行かせるわけないだろ!」


ゼオンはこの瞬間を待っていた。

蒼の魔法陣が開き、ルルカの足を狙う。イオの強大な力が放出されようとしている。加えて、今のメディの注意はゼオンへと行っているはずだ。「人を乗っ取ることがそう容易くない」のだとすれば、蒼が紅と相反する力であるならば、今ほどの好機は無いはずだ。


「ティーナ、戻ってこい」


ゼオンはティーナに訴えた。


「二人を救えなくて本当にごめん。でも……お前だって、こんなことはしたくないはずだろう?」


すると、頭の中でメディの声がした。


『ふぅん、やはり一番面倒なのはあなたの口のようね。私に本物の身体があれば奥まで塞いであげるのに。はあ、やっぱり一思いに殺しましょ』


「お前はともかく、ティーナには殺せない」


『あら、なら試してみる?』


ティーナの鎌が振り上がった。これがゼオンの首に振り下ろされたら今度こそ死ぬ。けれど、「大切な人達を守ること」──それがティーナの唯一のルールだとゼオンはわかっている。ならば、今以上に信念と行動が矛盾している時は無いはずだ。

あとはティーナ自身を信じるしか無い。そして、ティーナに信じてもらえるような自分になるしかない。


「必ず、全員無事に連れて帰る。だから早く戻ってこい」


ゼオンは手を差し伸べるように訴えた。その時、鎌が止まった。ぽたりぽたりと、大粒の涙が地面を塗らしていた。

ティーナに苦痛の表情が戻ってきた。鎌の異様な光も収まっていく。


「お前ら許さない……言いたい放題べらべらと……ごめん、ゼオン、ルルカ……あたしの愛を勝手に偽るんじゃねえ……!」


言葉が、仕草が、メディからティーナへと変わっていった。だが一瞬安堵したのもつかの間、再び鎌がゼオンへと向けられた。


「っ……なんで、この!」


ティーナの意識は戻ったようだが攻撃の手だけはまだ止まなかった。


『さよなら、人魚姫』


メディが囁いた瞬間、鎌の先が反転した。銀の刃はゼオンではなくティーナの首を貫こうとしていた。反転した途端、ティーナの表情が和らいだ。


「ああ、しょうがないな……いっぱい傷つけちゃったもんね、悪い子はいらないもんね……」


ティーナはもう手を止めようとはせず、死を受け入れようとしていた。

ゼオンが止めようとしても、手も足も鎖に縛られたまま意識は未だにメディに侵食され続けてる。

それでも、止めたいのに……



その時、自分の心臓が一度大きく脈打った。

痛みが広がった瞬間、メディの声が逃げるように遠ざかった。





頭が真っ白になって、誰かの声がした。

メディではない、優しい鈴の音のような声。







『力が欲しい?』


欲しいよ。


『何の為に?』


皆を、救いたいから。


『なら、あなたは何をくれる?』


自分に与えられるものなら、身も、心も、なんでも。



ふふふ、ふふふ、と花弁のように微笑む声が舞う。

その声はその言葉を待ちわびていたようだった。そして綿のように優しく穏やかに、悪夢との契約が交わされた。


『待っていたわ、騎士の駒。さあ、皆のヒーローになって?』

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