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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第12章:ある悪魔の狂詩曲
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第12章:第24話

あの屋敷を抜け出した日、無数の研究者達の屍を積み上げた日、ティーナはようやく自由を手に入れたのだと思っていた。これでようやく、見下されることも見上げられることも無い力を手に入れたのだと。

しかし現実は違った。世界はティーナよりずっと広かった。


逃げ出したティーナが最初にぶち当たった壁は空腹だった。次に寝床が無いことに気づき、衣服が無いことにも気づく。最終的に、それら全てを解決する為のお金が足りないという答えに行き着いた。

後で考えれば、そのような壁にぶつかる事は必然だった。孤児院時代に出歩ける範囲は基本的に敷地の中だったし、あの実験施設に引き取られてからは外に出たこともなかった。

だから、この時初めてティーナは外の世界に触れたのだ。


初めは野良猫のようにゴミ箱から食べ物を漁って食べた。しかし、口に入れられそうな状態の食べ物はそうそう無い。次に、同じような孤児が花を売っているところを見つけたので、真似して花を摘んで売ってみた。しかし道端で拾った花など見向きもされないし、「邪魔だ」と怒鳴り散らされ蹴飛ばされることもある。結局、ティーナは毎日腹を空かせながらふらふらと街を歩き回っていた。

空腹に耐え兼ねた頃、ふと目の前で気前の良さそうな主人が若い婦人にパンを勧めているところが目に入った。主人の周りの籠には香ばしい臭いのパンが並んでいる。主人は婦人から小銭を受け取っている最中だ。

ティーナは素早くパンの欠片を手に取って逃げ出した。運良く、その時は気付かれなかった。初めて自分で手に入れたパンの味は最高だった。こうして、ティーナは悪い事を覚えた。


一つ「生き方」を覚えてしまえば、慣れるのは早かった。店の主人がよそ見をしている隙を狙えば盗むのは容易だったし、ばれた時でもティーナにはあの魔法がある。決して楽な暮らしでは無かったが、ティーナは少しずつ自分の足で歩いていく術を身につけていた。

だが、それでも許せないものがあった。偉そうに道を通り抜ける馬車を見る度に、ティーナはこっそり石を投げる。泥に触れたことも無いような顔をした貴婦人を見ると絞め殺したくなる。

ティーナは金持ちが、貴族が嫌いだった。ティーナが居た実験施設を運営しているアポロン家も貴族だった。

そんなある時、ティーナは十人程の汚い子供達に囲まれた。皆、骨に革を被せただけのような細さなのに目だけは狼のような鋭さだ。ちょうどその時、ティーナの手の平には盗んだパンがあった。下品に唾を吐き捨てると、一番体格の良い子供を指して彼らは言った。


「ギヒヒヒ……おめぇ、さっきパン盗んでただろ。そのパン寄越せよ。この方はこの辺りのボスなんだ。さっさと渡さねぇと痛い目見るぞ。グヒヒヒィ……」


下品だ。金属棒や鎖をガチャガチャ鳴らし、必死で強者であることをアピールしていた。


「なんとか言えよ、アァ? 怖くて声も出ないのか、このクソ女ァ?」


哀れだ。脳が藁でできているかと思う程に陳腐な罵倒だ。その場に落ちていた棒切れでボスの少年を指し、ティーナは紅のブラン式魔術を使った。呪文を唱えている間、少年達は「気が狂った」とティーナをあざ笑ったが、呪文を唱え切った瞬間、彼らの顔から血の気が引いた。


「この世を壊す紅き瞳の女神よ……彼の者を刻め……クーペ・ルージュ!」


ボスの少年は風船のように破裂して死んだ。周囲の手下達はボスの血を被って凍りついていた。吹き飛んだ内臓を踏み付けてティーナは亡き殻を見てほくそ笑んだ。少し白目を剥いていたが首は思ったより綺麗に残っている。首から下が飛び散ってしまっただけだ。

ティーナはその首を手下の少年達に見せた。人数は約10人。おそらくこのあたりのスラムの子供達だ。皆、次殺される恐怖で怯えている。


「さあ、今日からあんた達はあたしの下僕だよ。断ったらこの首とお揃いにしてあげる。けど、ちゃんと付いてきてくれたら悪いようにはしないよ。あたしが持ってるこんなちっぽけなパンより、もっと沢山のご馳走が欲しくない?」


そしてティーナは時計塔を指した。この街のシンボルというべき塔。憎き貴族、アポロン家の象徴とも言える場所だ。


「あんた達もあたしと同じなんでしょ。大人からほうり出され、憎き金持ち共に食べ物も服も独り占めされて。ねえ、皆で仕返ししてやろうよ。あたし達をこんな目に遭わせた奴らを八つ裂きにしてやるの。んで金でも服でも何でも奪い取ってやる。どう、興味無い?」


子供達の手足は震え、目は熱にやられたように死んでいた。この日、ティーナはスラムの女王になった。孤児達を力と恐怖で従え、金持ちの屋敷を荒らし回る泥棒になった。後に「赤い髪」──「シュヴクス・ルージュ」と呼ばれるようになる怪盗が生まれた日でもあった。

怪盗────そう呼ばれてはいたが、実際のところ、盗んだ数よりも虐殺した数の方が多かった。

最低限の侵入の準備を手下達に整えさせ、金持ちの屋敷に侵入すると、紅のブラン式魔術で見張りも居住者も片っ端から狩り尽くす。死体の家が出来上がったところで、ティーナは金目の物を悠々と奪っていった。


「あっはは、惨めだねえ。もっと良い声で鳴いてェ?」


手足をばらして、腹を裂いて、腸でリボン結びをして遊ぶ。普段あれほど偉そうな顔をしている貴族共が少し脚を切り落としただけで泣いて喚いて命乞いをする姿が面白くて仕方が無かった。

それがティーナだった。憎しみと怒りを暴力で燃やし、他人を痛めつけることで快楽を得る醜い心の子供だった。

思い出したくもない過去。ゼオンやキラやルルカには絶対に知られたくない卑しい姿。今は、あの頃の自分が憎くて仕方がない。

あんなものになりたくなかった。もっと花のように可憐で聖女のように優しくなりたかった。だって今でも時折思い出してしまうのだもの。嫌いなものをすり潰した時に沸き上がる「楽しい」という感覚を。そんな自分では在りたくないのに。


力で何もかもが思い通りになると思っていた。実際、金も食料も衣服も何でも手に入った。力さえあれば、何不自由無い人生が永遠に続くと思っていた。

現実は更に無惨だった。永遠など幻想だ。当然のことだが、「怪盗シュヴクス・ルージュ」の名はアポロン家にも伝わっていた。その怪盗が紅のブラン式魔術を使って暴れ回っていたのだから、彼らはすぐに怪盗の正体に気づいてしまった。

例の人体実験のことが世間に知れれば、アポロン家の評判は地に落ちる。彼らは本気でティーナを潰しにかかろうとしたのだ。


あれはため息が出そうな程に遠い満月の夜だった。スラムの奥に作った隠れ家は一瞬で黒い甲冑の兵達に取り囲まれ、大量の火薬が熱の牢を作り上げた。

紅のブラン式魔術の研究をしていただけのことはあって、彼らはティーナへの完璧な対策を立てていた。

この世界では、基本的に呪文を唱えなければ魔法が使えない。いくらティーナが強力な魔術を使えたとしても、詠唱を止めれば何の脅威にもならないのだ。

隠れ家を焼かれ、弓と剣を手にした兵達が襲いかかる。ティーナは魔法を封じられ、手足をボロボロに傷つけられ、それでも手下の子供を盾にすることで辛うじて逃げ出すことができた。

息ができなくなる程に走った。前が見えなくなっても逃げつづけた。それでも黒い兵士達はいつまでも追い続ける。ティーナはこの世の全てを恨んだ。どうしてこの世はこれほど自分に冷たいのだろう。どうして自分はこんなに弱いのだろう。

やがて足がもつれて転んでしまった。足がもう動かなかった。ガチャガチャと下品な鎧の音が近づいてくる。

狭い路地裏からティーナは天を見上げた。空は暗かった。今夜は満月のはずだが、建物の影に隠れて僅かな光すら見えなかった。ここまでか。もう心も擦り切れて、何もかもがどうでもよくなっていた。これからどうなるかわからない。またあの屋敷に連れ戻されるのかな。

鎧の兵士達がティーナの目の前に立っていた。短かったな。心の奥で呟いた。


あの人に出会ったのはその時だったんだ。

満月が降りてくるかのようだった。眩い光が差し込んで、暗闇を照らしてくれた。


「古よりアルミナに伝わりし21の力よ……月のアルテミスを召還……我が意に従い、敵を滅せよ! アプレ・ヴァル!」


聞き慣れない呪文の後、白銀のヴェールを纏った魔物が黒い兵士達をなぎ倒した。ティーナが身体を起こすと、あれほどしつこくティーナを追ってきたはずの兵士達が青ざめ震えていた。彼らの視線の先には一人の青年の姿があった。

若草色の髪の青年がティーナの隣に佇んでいる。物腰の柔らかそうな雰囲気で、手には一枚のタロットカード。そのカードにはティーナを守った魔物の姿が描かれている。どうやら、この青年がこの魔物の術者らしい。


「お前…………アルミナ家のドラ息子か!」


ドラ息子――――と呼ぶ程のやんちゃな青年には見えなかった。むしろ彼はこの兵士達にも紳士のように接していた。


「おや、ドラ息子とはちょっと失礼ですね。俺は町のパン屋の亭主さんですよ」


「どちらでもいい。そこの赤毛の小娘を引き渡してもらおうか」


「それが許せないから介入したということがわかりませんか? 君たちのような乱暴な方に小さな娘さんを引き渡すわけにはいきませんね。せめて理由をお聞かせください」


この時、相手の兵士は回答を誤ったと思う。「こいつがこの街の怪盗だからだ」と、テンプレート通りの答え方をしていたら、ティーナの運命は違ったかもしれない。だが、この時は幸運だった。この兵士は裏を探りすぎてしまった。


「アルミナ家め……邪魔をする気か……!?」


「俺は、アルミナ家とはもう関係ありません。ですが…………アルミナ家をそこまで敵視するということは、君たちはアポロン家の使いですね?」


青年は更に四枚のタロットを懐から取り出した。そこに描かれた魔物を見せつけながら、あくまで優しく兵士達に告げた。


「退きなさい。今ならこのまま見逃してさしあげます。それでもこのお嬢さんを連れ去ることを止めないというのなら、俺が相手になりましょう」


既に召喚された魔物一匹だけでもこの兵士達は十分に追い払えるだろう。それが四体も増えれば相手からすればたまったものではない。兵士達は悔しそうに青年を睨みつけ、去っていった。

ティーナは呆然と石のように固まっていた。魔物は光に溶けて消えていき、その場にはティーナとあの青年だけが残されていた。


「大丈夫ですか?」


青年はティーナに優しく手を差し伸べた。だが、素直にその手を取ることはできなかった。


「なんのつもり?」


ティーナはその手を払いのけた。手負いの獣のように温かさから逃げて青年を拒む。その頃のティーナは優しさなど信じていなかった。青年がなぜ自分を助けたのかわからず、ありもしない裏を探り当てようと躍起になっていた。

青年は両手でティーナの小さな手を包んで温めた。


「冷たかったでしょう……今夜は寒いですから」


「邪魔。余計なお世話。放っておいて」


「そうはいきません。こんなに冬の夜に君のような幼い子供が凍えているなんて…………見過ごすわけにはいきません」


むずむずと心が痒かった。このなんとも表現し難い居心地の悪さの正体はわからないが、青年の温かさに触れれば触れるほど、ティーナは逃げ出したくなった。青年はしゃがみこんでティーナと視線を合わせ、自己紹介した。


「はじめまして。俺はラヴェルといいます。ラヴェル・トリス・アルミナ。君の名前を教えてもらえますか?」


その時、なぜそちらの名前を選んだのかは今でもわからない。ティーナは一瞬答えに困った。自分は誰なのだろう。幼いティーナは自分を明確に示すことができる名前を持っていなかった。親につけられた名前などわからない。ティーナが知っている名前は、孤児院でつけられたものと、もう一つ…………あの瞬間につけられたものの二つだった。

この時のティーナは後者を選んだ。その時、やはりティーナにはまだ「力」への憧れのようなものが残っていたのかもしれない。それとも、それが生まれて初めて自分で手に入れた場所だったからだろうか。どちらにせよ、結局ティーナは無力で罪の無い名前よりも、力のある罪を背負った名を選んだのだ。


「あたしは……ティーナ」


自分で自分を確かめるようにティーナは呟いた。そう答えた瞬間、ラヴェルは何か安心したように微笑んだ。


「そう、ティーナ………良いお名前ですね。君のご両親は? 家はこの近くですか?」


そう尋ねられた途端、カッと頭に血が上った。爆竹のようにラヴェルをひたすらに拒んだ。


「うるさいな、あたしに構わないで! 馬鹿にするのもいい加減にして! 両親なんて居ない! 帰る家も無い! どうせあんたも馬鹿にしてんでしょ。何がしたいの。何が狙いなの。アルミナ家だっけ、あんたもなんかよくわからない力が欲しいわけ!?」


ティーナがどれだけ相手を怒らせようとしても、敵を作って暖かさから逃げようとしても、ラヴェルは思い通りに離れてはくれなかった。どこまでもティーナの味方で在りつづけようとした。その優しい想いがたまらなく傷口に沁みた。


「すみません、君の気に障ることを言ってしまったようですね。帰る場所が無いのであれば、家に来ませんか? ここは寒いですし、スープでもお出ししましょう」


「何言ってるの。邪魔だって言ってるのがわからないの? あんたもさっさと消えて」


地に紅の魔法陣が浮かんだ。全部吹き飛ばしてしまえばいいんだ。とうとうティーナは力づくでラヴェルを葬り去ろうとした。だが、それでもラヴェルは逃げ出してはくれなかった。炎が壁を作っても、ラヴェルはティーナに手を伸ばし続けていた。


「そうですね、こういう言葉は苦手なのでしょうか。でしたら言い方を変えましょう。先ほどの兵士達はきっとアポロン家と繋がりがあるのでしょう。仲間を連れて君を再び攫いに来るかもしれません。俺は一時的な避難場所を提供できますよ。どうか、一度一緒に来てはくれませんか」


ラヴェルの言葉には説得力があった。確かに彼らがこれで諦めるとは思えない。

かじかんだ手を抑えながら、ラヴェルから目を逸らして言う。


「一度だけ……仕方なくなんだから……。しばらくしたら、すぐ出ていくんだからね……」


それでもラヴェルは満月のように優しく笑っていた。眩しい笑顔を見る度に、ティーナは自分が汚く思えて仕方が無かった。

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